賀川豊彦の畏友・村島帰之(77)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(7)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿された続きです。


         アメリカ大陸を跨ぐ(7)
         バンクーバーからシカゴまで
                             村島帰之

    
  (前承)
   二十四日
 朝八時。電話の声に起される。受話機を手にすると「只今帰りました」と、小川先生の声だ。早速起きて賀川先生の部屋へ行く。先生は大元気だ。
 「僕は未だ船許りで寝通してゐる訳だよ」
といって、さすがに疲れて居られ様子だ。

 パンクーバーでの講演は大成功で、ついでにルンペンの現成などを親察して来られたといふ。只アメリカを一日だけでも國外へ出て、また翌日入國するといふので、移民官の手続きに小半日を要したといふのは、何といふ煩しさだらうと思った。國境なんて、地圖の上に人間が勝手につけた線にすぎないのではないか。

 先生は朝から徳島中學の同窓生に迎えられ記念撮影に行かれる。そして、帰られると、フライデール博士が見えて、シヤトルを案内しやうといはれる。賀川先生と成瀬さんと三人で出かけたが、成瀬さんだけは途中から帰った。

 グッㇳウイルインダストリーを今回も見る。
 それから、シヤトルの市中を左に右に走って最後に、今夜、先生の説散のあるバプテスト教会を見る。優に千人以上を容れ得る堂々たる會堂だ。正面にパイブオルガンのあることはいふまでもない。附属の教育會館やSSをも見せて貰ふ。
 かうした立派な會堂を、一週に一回か二回使ふだけで、あとは閉めておくとは惜しいものに思ふ。

    同郷の先輩と合ふ

 ホテルヘ帰って、案内所でキーを受取ってゐるこ、私に面會人があるといふ。會ふと、奈艮県出身の奥田さんだ。話し合って見ると奥田さんは私の父も知り、姉も知って居られる上に、私の小學校当時、一年近く教った奥田健太耶先生が、氏の令甥であることを知って、なお一層なつなしさを覚えた事だった。

 招ぜらるゝまゝに、アップタウンの氏の家へ伴われる。氏は既に三十年余りも此地に居られて、前のシヤトル日本人會長である。

 話てゐるうちに、近所に住む令妹松村夫人が見える。夫人と話て見ると、意外ではないか。私と同窓、しかも一年違ひだ。あの人を知ってゐますか、知ってゐますとも、あの時の校長さんば松本忠五郎さんでしたね、さうでしたね、私は岩木先生といふのに習びましたが、あゝあの方は逝くなりましたよ、等、等と、なつなしい小學時代の恩師や級友の事が、走馬燈のやうに尻から尻へと繰りひろげられて行く。

 私は、一夜、この家で語りあかしても、興はつきなからうと思った。が、私たちは今夜の汽車で立たねばならない。思ひを残して立つ、また奥田さんのカアで送られて。

    外人教會の説教
 六時から、バプテスト教会て晩餐會が開かれるので出かける。中流以上の外人ばかりおよそ二百人、平和運動のリーダーと知らるゝ博士が司會される。
 私の隣りには六十余りの婆さんが坐って、善く喋舌る。賀川先生は二十五歳位かなどと訊く。聞きもせぬのに、スキヤキはおりしいといふ。お前はアメリカの食物がすきかと問ふ。半分もいふことが判らない。

 デザートコースに這入って、先生は立った。そして約二十分に亘ってテーブルスピーチがあった。
 とても素晴しいスビーチで、會衆は呻った。移民問題にまで論及した。先生はいった。
 「アメリカには二つのアメリカがある。一つは天國アメリカで、一つは地獄アメリカだ。地獄アメリカは日本に不道徳な映画を送って、日本を堕落させる。ミッションにゐる人々は、天國アメリカンだ。その人々の手によらねば、世界の浄化は望めない」
會衆は大喝釆だった。

 宴を閉じると、直ぐ、會堂で説数が始まる。美しい劇場のやうな會堂は定刻前満員だ。勿論、外人ばかり。二千人は這入ってゐやう。

 「聖なる聖なる」の讃美歌が始まる。美しい英語の大コーラスだ。私は前方の席にゐたので、うしろから覆ひかぶさるやうに聞えて来る。これほどにスケールの大きい合唱を聞いた事は初めてだ。私はいひ知れぬ感激に、身の引きしまるのを覚えた。

 先生は演壇に立った。丈の高い外人牧師に比べて、何と先生の小さい事よ。だが、今に見ろ、先生の説教の進むにつれて、丈の低いのが見えなくなるだらうから。

 先生は「日本に基督教が這入ってから、日本人はまじめになった。日本では基督教信者で酒を呑み、煙草をすふ者ば一人もない」といった。果然、拍手だ。アメリカでは神學生が煙を吞み、信者の或者はひそかに酒をさへ呑むからだ。

 先生はアメリカの救ひに論及して大喝釆の裡に降壇した。この時九時。
 會衆は先生に握手するために、列を作って、演壇に詰めかけた。
       
 やっと、握手の列がなくなったのが九時二十分、私たちは急いで教会を出て、ミルウォーキーラインに向ふ。フライデー博士のドライブで。 

 これから、私たちは大陸を横断して、東部へ行かうといふのだ。
駅につくと、定刻の九時四十分に五分前だ。阿部、岡崎、津田、東海林の各牧師の外に、大和の奥田夫妻及び藤本夫妻が見送ってくれられる。
 何度も握手をする。愉快だったシャトル滞在に對する感謝をこめて。

 岡崎牧師は「同行者がエラすぎるので、あなたを歓待出来ませんでした。モウ一度是非出直してゐらっしやいな」といはれる。
 同郷の奥田さんは、おじさんといった感じがした。藤本さんの御主人は初對面だが「あなたの兄さんと中學が一緒でした」といはれる。
何だか、親戚の一家に送られて旅立つといったやうな気持だ。

      (つづく)