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2008-08-30

[][]ディズニーランド

最後に見たショー「スターライト・ドリームス」は、圧巻だった。

光と音のイリュージョン。私のようなディズニーランドに賛成でない人にとっても驚きがあった。。

エンターテイメントとしては、一流なのでしょうか。

ラスベガスという存在もきっと、こういう流れのなかにある

エンターテイメントなのだろうと勝手に思いをめぐらす。


これは誰もが、ディズニーランドに夢中になるなとというのが正直な印象。

けれどもそこには、現実と隔絶された問題が隠せれている気がしてならない。

やはり、現実の町やものが空想の夢の国に負けている。


小布施ッションで西村幸夫先生が言われたように、

いまそこにあるもの、その背後に隠された物語を明るみに出していくときが来ている。

私たちの身の周りに全てがあることを知りたい。

私たちもふくめて、理屈に裏打ちされながらも、理屈ではないもの。



[]東京ディズニーランド

久しぶりにディズニーランドへ。

中学校の修学旅行以来、15年ぶりぐらい。


今年ディズニーランドは25周年。

15年前と比べれば、増えたアトラクションなども。


初めてのディズニーランドに行く嫁。

どうして、ディズニーランドに行きたがるのだろう?

などと思いながら今回入ってきました。

あいにくの雨がぱらつく天気でしたが

その分、人が少なくて、よかった気がします。


一通りアトラクションを楽しんだ後

夜のショーは圧巻でした。

「スターライト・ドリームス」

ディズニーランドのシンボルである

シンデレラ城を舞台に、

シンデレラ城をそのままスクリーンに見立てて

ミッキーが魔法を操るような演出。


ディズニーというエンターテイメントは

人々を魅了することに手間隙を惜しまないようです。



2008-05-03

[]結婚式


自分の結婚式をした。もちろん、披露宴も。

結婚したら、式を挙げて、披露宴でお披露目をして・・・

そういうことだ。


式を挙げなかったり、披露宴をしなかったりする人たちも、最近いる。

格式張ったものに囚われたくないという気持ちがある一方で

結婚して、新しい生活を始めるということほど

大きな変化は、人生の中でも少ないのかもしれない。


自分の場合はどうだろう?

なんて言うことは、あんまり考えている時間がなかった。

結婚式に日程を決めてから、小布施でやることを決めるまで

あっという間だった。花嫁がスリランカで日本の結婚式が

よく分からなかったのもあるだろう。


でも、数少ない選択肢の中から、パッと決めた感じがする。

そういうときにそ、そういう決断のできる選択肢を考えておくって

言うことはとても大事なことだと、今になって考えたりもしている。


「自分という物語と関係のある場所」そういうものが必要だ。


とは言え、まずは

お手伝い頂いた皆様

ご参列頂いた皆様

これまで多少の差はあれ、出会った皆様

ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。



結婚式の様子を少しだけ www.flickr.com

2008-03-22

[]明日はほうじ

子供のころ、「ほうじ」だと言って部活を休んだりする

友達がいたなぁと思いだした。

うちはそんなことがなかったような気もするし

あったような気もする。

そんなことを思いながら、明日で父と祖母の三回忌を迎える。

四十九日のあいさつに回った時は

「たいへんですねぇ」と声をかけられて

ほんとにそうだと思いながら、神妙な顔をして

歩いて帰ったような気がしている。

・・・気がしているだけかもしれないが


今日も近所を回りながら

「たいへんですねぇ」という声をいただき

「もうそんなに経つんですか」と言われ

“そうです、もうそんなに経つんです”と

心の中で思いながら、笑顔を返した。


そのあとは、自宅の周りで写真を撮ることにした。

日々撮らなければいけないと思いながら

だんだんと出不精のようになっていた。

久しぶりのカメラは少し重たくて

ファインダーを通して見えてくる景色もなんだかぎこちない。

2,30分歩いていると、あっといつものように見える気がしてきた。


春の訪れでも撮ろうかと思ったけれど

そんなドンピシャなものがあるわけではなくて

その辺の畑に鍬を入れながら、よっこらしょと腰を伸ばしている

おばちゃんたちがそんなもんなんだろうと思う。

あのおばちゃんも子供のころを自分を知っている

だれかなんだろう。きっと。



今日の収穫http://d.hatena.ne.jp/kemphoto/20080322


2008-02-18

[][]東京マラソン完走・・・

昨日の東京マラソンに参加。無事に完走しました。

42.195kmというのはテレビで見ると簡単そうでしたが

やはり、想像以上に厳しいものでした。

途中、制限時間に間に合わない?

とか、足が動かなくなる?

とか、いろいろなことが次々と湧き上がってきます。


浅草で沿道の観客からの差し入れ「人形焼き」は

食べれませんでしたがステキ?なおばさんが

「揚げたてのもんじゃコロッケだよ〜!」と

差し出してくれものを頂きました。

午後になると風が強くなり、寒くなってきた頃で

あったかい食べ物はうれしい限りでした。


小布施見にマラソンでは金哲彦さんや川嶋伸次さんでさえも

キュウリを食べたとか、麦茶を飲んだとか、リンゴジュースがどうのこうのと

言っているくらいですから、素人ランナーの私たちには

マラソンの醍醐味と言ってもいいでっしょう。


そのほかにも、子供たちからのチョコレート

「アメ食べて〜」と言う声は聞こえるだけでホッとします。

勝手な推測ですが、去年よりも沿道の観客の数は多かったはずです。

沿道の歓声の少なくなると言われていた35km以降にも

びっしりとチョコやアメを持った人たちがランナーを待っていました。

待っている方がよっぽど寒くて大変なのにね〜。


次はハーフマラソンで2時間切ることを目標に・・・


Flickr! 東京マラソン2008



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2008-01-10

[][]あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします


1ヶ月ほど書かずに過ごした。いろいろとあると落としていくものも多い。

だから、ストレスで具合が悪くなったりすることはない。

これからもないことを祈りつつも、具合が悪くなるまで行くことの意味も

また考えてしまう。


いつの間にか新年になって、今年も特に目標を宣言することなく

スタートした。いつかの新聞に、一年の計なんてナンセンスだというコラムがあった。

1日1日を新たな気持ちで仕切り直していくことのほうが

よほど意に適っていると、そんなふうに書いてあった。

自分はそこまでできているだろうか?などと思いをはせながら

新年に計を持たない意味を考える。


実際、大学に入ってから新年だから休んだとか言うことはほとんどなかったな。

思うときにはとことんやって、思わぬときには寝て過ごすような

そんな生活は、働き出して少し変わったけれども少しだけ。

緩みのメリハリが少しついた程度であまり変わらない。


12月が忙しかったのには少し理由があって

1月に結婚することにした。南の紅茶の国からやってきたうちのお嫁さんには

長野の寒さがやはり応えるようで、いつも厚着を重ねている。

スリランカではシンハラ語と、タミル語と、英語とを話し

今は日本語に取り組んでいるのだから恐れ入る。

隣で見ていると、ちょっとしたしぐさにいろいろな違いがあることに驚かされる。


テレビや写真を見て、行きたいとは思っても、違いも共通点もよく分からない。

そんな事がご飯の食べ方、茶碗の洗い方、ラーメンの作り方、野菜の切り方

スープの味付け方、コーヒーの飲み方、顔の洗い方、冷蔵庫の使い方や

洗濯物の干し方を見て、違うことがたくさんあっても

結局、同じようなものなんだと理解されることの喜びがある。


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2007-12-13

[]窪島誠一郎

信州上田の美術館、信濃デッサン館・無言館を立ち上げた。


昭和52年、彼をふらっと引き寄せたのは「村山槐多」という一人の若き才能。

わずか15歳で日本芸術院賞を受賞し

絵画以外にも、詩、小説において才能を発揮した夭折画家。


窪島さんの語り口からは村山槐多に対する心が伝わってきた。

飾り気のない率直な思いを吐露していくようなそんな時間だった。

生きる希望などなかった青年時代に村山槐多との出会い

[]アルケミスト

アルケミスト[alchemist]というのは錬金術師である。

パウロ・コエーリョという名前にも

アルケミストというタイトルにも

錬金術師という響きにも

何か心引かれるものがあった。


平野啓一郎芥川賞を受賞した彼の初めての作品「日蝕」の中で

中世フランスにおける錬金術師を登場させている。

それは異業のもののようであり

科学を志すもののようでもあり

修道者のようでもある。


いずれにせよ、この世に生きていながら

この世に生きていないかのような存在を感じる。


羊飼いの少年サンチャゴはいくつかの出会いを経て

アフリカピラミッドを目指す。

30年も生きていると登場人物の境遇がそんなに珍しく

感じられなくなってくる。

そんな事もあるだろうさ、そんな気がしてくる。


少年の出会いは物語であり、冒険的だけれども

それは私たちの出会いの暗喩であるように感じられる。

あるものはそこにあって、気づいていないのはどうしてだろう。



2007-11-13

[][]Growth or Development

みなさま、日々何かしたいと胸を抱えています。

小布施ッションの妹尾堅一郎さんは、これからの日本は「成長(growth)」すべきか「発展(development)」すべきか、とその冒頭で私たちに問いかけてくれました。


もちろん、よくわからない常識(common sense)にとらわれ、閉塞感にあふれる日本の国全体としては「発展(development)」すべき局面を迎えていることに疑いの余地はありません。高度経済成長を果たした日本国は、“モノ”を、技術を、洗練させてきました。けれども、一瞬のうちに“モノ・ゴト”を発展させた欧米諸国によって一転、不況不況と呼ばれる時代に転落したのでした。

一方で私たち自身は、それぞれがどのような局面を迎えているのでしょう。日本はイノベーション、発展すべき局面を迎えていたとしても?自分は?どうなのだろうと自問、自省する時々です。ひとまず、今できることの積み重ねが重要なことは間違いない。積み重ねられる一枚の中にイノベーションの一枚が含まれているのかもしれません。


ひとまず!写真を世に問うことをはじめたいと思います。

kemplebarのアルバム

http://d.hatena.ne.jp/kemphoto/

ひとまず!ブログを一つ増やしました。


さて、妹尾さんの「成長」「発展」に戻って考えてみたいことがあります。ぼくはこの質問を受けたとき、パッと「成長」だと思ったのです。それはなぜでしょうか?もちろん、この2つの言葉の定義があいまいだったこともありますが、経済と文明の発展がもたらした正しいとは決して言えないさまざまな出来事が頭に浮かびました。科学、技術、学問は、既存の枠組みにとらわれずおおいに発展すべきでしょうが、果たして私たち人間は精神的、内的な枠組みまでも取り換えてしまっているのではないか。

成長すべきか?発展すべきか?その判断の視点をどこに定め、どう解釈するのか。これも大きな問題のようです。