おしゃか様と童話



昨日、東本願寺の大谷祖廟を訪れた際
いくつかの本が並べられていました。
仏教におけるものごとの理や
今の世相を反映した、
生きるというような根源的な問いに
対するものが多い中で


子ども向けのこの本が
目にとまりました。


仏典童話I

仏典童話I



装丁のとてもきれいな
意味深い本でした。
子どもの頃、毎日アンデルセングリム童話
読んでもらっていたことを
思い起こさせてくれた。


今、手にとる本とくらぶれば
なんと生きる喜びに満ちた本なのだろう。


生きて行くことは
苦しさや忙しさに耐えるようなことではない。
本来的には、うれしく楽しいことのはず。
でなければ人は生きない。

初夏の京都 被写体



継続は力なりということがよく言われます。


ただ続けていても仕方がないということも言われます。


けれども、続けることによらなければ
ある一定の時間を共に刻まなければ
至ることのできない地点がある。


たった1日の短い京都でしたが
何となく感じたものに
カメラを向けることにした。


今回は山の端が気になった。


瓦の屋根
木々の枝葉
山の端


空と地面の切れ目というのか
境目というのか
小学校でのお絵書きであれば
1本の線を引いて終わりにしていた
その境目が気になる。


はっきりとした輪郭を切り取ることがあり
むしろ一体となっているようなことがあり
幾重もの線が重なり合うことがあり
余計な線に切り捨てられることがあり
主客が入れ替わる




朝6時の水田 子供頃の風景はこれだ。



屋根の向こうに山の端が顔をだす。
生活の中のこういう1コマ1コマが大切だと思う。



もうすぐ夏



7年間、建築ばかりをとり続けてきた。
そのあとは小布施ばかりをとり続けている。


またというか
いつもなのか
カメラを向ける意味を
問い続ける。