たばこのシーンについて

なんだかどうしてもこの事だけは書いておきたい気になったので、忘れないうちに書いておく事にする。


風立ちぬを鑑賞するにあたり、禁煙学会だかなんだかが「タバコを吸うシーンが多すぎる」的な要望書とやらをジブリに送ったとかなんとかニュースになっていたのは知っていたんで、そこもちょっと頭に入れつつ観た。ちなみにワタクシは喫煙者です。


ここからあとは完全にネタバレになると思われるので、まだ映画を見ていない方はスルー推奨。


まずタバコを吸うシーンは確かに多いね。


「おい、タバコないか」の台詞何回聞いただろう(笑)。禁煙学会の要望書とやらはただのバカだと思っているので肯定も否定もしない。理由は後述。でも確かにタバコを吸うシーンは多いな、という感想。


で、ネット上でもちらほら散見されたのが「肺結核の奥さんのそばでタバコを吸うなんて考えられない」とかそれに準ずる感想。いったいそれはどういうことなのかと一番気になっていたシーンでもあった。


仕事から帰ってきた二郎は菜穂子に「手をつないでいるから寝てていいよ」的なことを言う。


だけど途中で、「ねぇ、タバコ吸いたい。ちょっとだけ手、離してもいい?」と尋ねるが、菜穂子は「ここで吸って」と言う。二郎は「でも・・・」と言うが、菜穂子は「いいから」と言う・・・。とまぁこんな感じだったと思う。


たぶんね、こういうこと言う人多いと思うの。


「タバコくらい我慢しろ」

とか、

「いくらいいって言ったってそこでホントに吸うのかよ」

とかね。


俺でもそう思うもん(笑)。


が、しかしだ。


菜穂子が後日家を突然出て行ったあと、誰が言ったかは失念したが「(菜穂子は)一番美しいところだけ見てもらいたかったのね・・・」という台詞がある。


それを考えると、菜穂子はもう自分の病が治ることはない、と分かっていたんじゃないだろうか。二郎から交際を申し込まれた時、まずは病を治すと言っていたし、本当にそう思っていたに違いない。


けど実家で吐血したり、二郎と遠く離れた山の病院で療養していても改善の兆しは見られない。このまま離れ離れのまま時間だけが過ぎていくのなら、残された時間を精一杯二郎とともに過ごしたい、たとえ短い間、1分1秒であろうとも。そう思って覚悟を決めていたのではないか。


タバコを吸うとか吸わないとかもうそんなことはどうでもよくて、ただ今繋いでいる手を一瞬たりとも離してほしくない、ただそう願っていたのではないのかと。


自分はそう思うんですよね。


タバコが体に良くない事は昔からすると十分認知度は上がってきたし、喫煙率もどんどん下がっている。世の中の流れ的にそうなっているのは間違いない。禁煙を推進する事になんの間違いもないと思う。


けれど、映画のそんなシーンにケチをつけちゃうだけならまだしも、要望書まで送りつけちゃう人間ってなんだか悲しいと思いませんか?