ソフィア・コッポラはどれだけ男に愛想をつかしたのか

ウチの連れがベルばら大好きだったらしく、「軽すぎるし内容ねーし」と怒り心頭だったようですが、世界史も履修してないしフランス革命もベルサイユ宮殿もフランス王宮のこともなにひとつわからずに観に行ったおいらは結構楽しめた→『マリー・アントワネット』。

なんせキルスティン・ダンストが相変わらずブスで憎々しいのがいい。『スパイダーマン』のときはちっとも感情移入できなかったのに、今回は割といける。いくら色香を振りまいてもちっともダンナが振り向いてくれず、しまいには裸に白いストッキングで扇子をゆらゆらさせてイケメン軍人を誘うという娼婦さながらのシーンも良い。まぁそれでも、お金も地位もあってなんにも悪いコトしてないのに周りから羨まれ皮肉や嫌味を言われつづける人生なのわたしは、でもホントはこんなにピュアでフツーの乙女なのよ、わかって!っつーのが終始うざくもあるわけだ。(史実に基づいた描写であるらしい)夫が単なるオタクで、いっこうに夫婦生活がうまくいかず悲しみに暮れるというのも、『ロスト・イン・トランスレーション』につづき、元ダンナに対する復讐もしくは当てつけのようであり、女の執念には感服してしまうという。

80年代のニューウェイヴに背景の音を任せ、勝手気ままなパーティのシーンではぶっ飛びすぎてヘロヘロという描写をこれでもかと(コークやガンジャを想起させる細かい演出を交えつつ)繰り出して、中年を一瞬喜ばせはするモノの、実際、こんだけ好き勝手やっていたら、貧困にあえぐ民衆が怒り狂っても仕方ないんじゃねーかと思わせる。なんせ、仮面舞踏会で「香港ガーデン」だからね。それでも、最後はそのあまりに純真な呟きに、なんだか同情や憐憫の念を抱いてしまい、だからこそフランスではブーイングが起きたのだろう。それはアメリカ人ごときに上っ面の知識だけで勝手な解釈をして武士や日本の歴史・文化を描かれるとむかつくというのと同じで、長い歴史の積み重なった上に生息してる我々みたいな民族の宿命なんだろうか。アーメン……。


あ、あとアメリカ人が古式ゆかしいというだけでイギリス風の発音でしゃべって、ときおりそこかしこでフランス語が混じってくるというのは非常に変な感じだった。本編でもフランスとイギリスの確執が語られているから余計。まぁフランス語で撮ってもアメリカで観るヤツいないからしょうがないんだろうけどね。オールヴォア、マダ〜ム。