05 清盛の福原遷都

ken1062014-10-10

平安時代の末期、1170年頃、日本の首都が京都から神戸(福原)に移された。福原遷都である。平清盛が強権を発動して行われたこの遷都は、5ヶ月で中止となった。しかし、この遷都はこれまでにない新しい都市のヴィジョン、日本の首都が目指すべき方向性が示された点で画期的だった。

それは、要するに「内陸」から「海上」へと首都が対面する方向を転換して日本国のさらなる発展を計ることだった。瀬戸内海から博多、朝鮮を経て中国の宗へと至る海上交通を最も重視したのだ。東アジアに向かって開かれた「海の都」を福原につくるのが目的だったのだ。これは清盛のコンセプトである。博多で宗と交易を行って豊かになった父の影響だろう。

この写真で分かるように、瀬戸内海を中心に考えると、神戸(福原)は内陸にある京都の「海の玄関口」にあたる。清盛は福原の地に目を付け、大輪田泊(おおわだのとまり)という港を発展させて、宗からの交易船を九州の博多(太宰府)から引き込もうとした。

清盛は遷都を実行する10年前から福原に住んで都市整備を進めた。文化、仏教、政治、商売、、、、。娘に生ませた幼少の安徳天皇行幸させて、福原に朝廷を移せば、将来への大きな展望が開けると思っただろう。

強引に見える福原遷都だが、長岡694→奈良710→京都794→福原1170という都の引っ越しの流れに沿うものと理解すれば違和感はない!? 源頼朝は朝廷とは別の幕府という概念を生み出して、権力の中心を関東の鎌倉の地に移動させた。新しい首都を新設し「遷都」を成功させた。しかし、日本は海外に開かれることはなかったと思う。