2011-10-10
盛山和夫,2011,『社会学とは何か―意味世界への探究』
書誌情報
- 作者: 盛山和夫
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2011/02
- メディア: 単行本
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目次
- 第1章 意味世界としての社会的世界
- 第2章 社会はいかにして可能か
- 第3章 秩序問題という問い
- 第4章 事実性と規範性
- 第5章 ミクロ―マクロ生成論の試みと挫折
- 第6章 階級と権力の意味秩序
- 第7章 社会システムは存在するか
- 第8章 経験主義と外的視点の限界
- 第9章 規範的社会理論への展望
- 第10章 共同性の学としての社会学
メモ
- 大した感想も書けないのだが,興味を引かれたポイントについてだけメモる.
- やはり第8章,第9章の,リベラリズムとコミュニタリアニズムの限界をふまえた上でそれとは異なる規範的社会理論を展望するという部分にとても興味を引かれたのだが,その前段階としての,パーソンズ以降の現代社会学と政治哲学を同一平面上に位置づけるという箇所を読解するのに若干時間を要したので整理しておく.
2011-10-02
Bogen, David and Michael Lynch, 1993, "Do we need a general theory of social problems?"
書誌情報
Bogen, David and Michael Lynch, 1993, "Do we need a general theory of social problems?" James A. Holstein and Gale Miller ed., Reconsidering Social Constructionism: Debates in Social Problems Theory, pp.213-237.
- 作者: James A. Holstein,Gale Miller
- 出版社/メーカー: Aldine De Gruyter
- 発売日: 1993/06
- メディア: ハードカバー
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Reconsidering Social Constructionism: Debates in Social Problems Theory
- 作者: James A. Holstein,Gale Miller
- 出版社/メーカー: Aldine De Gruyter
- 発売日: 2006/10
- メディア: ペーパーバック
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目次
コメント
- 長いので構築主義批判のとこだけ整理して取り出すと以下のような感じだろうか.
- [0]「まず理論の場所をつくる」というのがイバラとキツセの「社会問題言語ゲーム」の模範的な一手である.彼らはこれによって行為者の日常的理解を哲学的実在論とみなし,対照的に分析者の分析的視点をその優位におく.後者は前者の用いる概念によって汚染されてはならないと考える.
- [3]こうした問題のある帰結を招くのだから,[0]という前提がそもそもおかしい.様々なものを含む「日常的態度」を,首尾一貫した哲学的態度であるとみなすことをやめればよい.かわりに日常的態度とはそうしたすべてが含まれる言語ゲームだと考えるべきだ.
- [4]日常生活の言語ゲームにおいて,社会問題としてのステータスそれ自体は普通問題化(thematize)されているわけではない.キツセとイバラの方針(クレイムの真理/道徳性を括弧に入れる)は,確かにある状態カテゴリそのものが争われているケース(=真理/道徳性が問題となっている)は扱えるがそれだけである.
- [5]以上のような議論から見て,構築主義の一般的なフレームワークのようなものを作り上げることは望みうすであることが分かる.(すくなくとも[0]の前提に立つ一般理論化の試みは失敗する)
- この批判はかなり正鵠を射ているのではないか.構築主義系の論文によくでてくる(orかつてはよく見られた)「人々は自明のものと思っているが,実は…」とか「人々が持っている素朴実在論を前提とせず…」という言い回しを何気なくするときに,まさにこのような「日常的理解の哲学理論化」が行われてしまっているのだが,それ本当に調べたの?という疑問を持ちたくなることは多々ありますね.
- 途中デリダとレヴィ=ストロースが出てくるあたりで議論が込み入ってくるのだが,日常的視点と哲学的視点,あるいは対象となる社会的秩序をリソースとみなす視点とそれ自体をトピックとみなす視点の区別自体はEMにもあるのだという.したがって,この区別をすること自体が問題とされているわけではない.
- 個人的に気になったところの引用.
これと同じように,人はチェスのゲームにおいてプレイヤーが「ボードゲームをプレイしている」と述べることが出来るし,また全てのボードゲームが典型的に共通して持っているものは何かについて抽象的な思索を展開することもできるだろう.しかし,チェスにおける特定の指し手が,ボードゲームにおける指し手であると述べるのは奇妙である.[p.228]




