正月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2007-01-14

『廓三番叟』雀右衛門富十郎魁春芝雀、孝太郎。
雀右衛門、千秋楽まで無事に勤めてくれたら、それでよい。
金閣寺昼の部の『俊寛』が、近年で出色のものだと思ったのだが、夜の部のこの『金閣寺』も、実に優れた、近年稀に見る傑作であった。個人的には昼夜通じて一番。
幸四郎の大膳、吉右衛門の東吉、玉三郎の雪姫と、申し分のない配役で、現時点の「大歌舞伎」と言っても過言ではなかった。
まず、幸四郎の大膳、御簾が上がって姿を見せた時に大きさがあった。声にやや弱さがあるものの、国崩しの魁偉さは充分。この大膳に、吉右衛門の東吉とは、つい数ヶ月前までは御馳走以外の何ものでもない顔合わせ。しかも、秀山祭の『寺子屋』での顔合わせの時は、どこかお互い遠慮気味のように思えたのだったが、今月は、真っ向勝負の面白さがあり、本当の意味での幸吉競演と言えよう。
そして、玉三郎の雪姫。上手の屋体で柱に凭れる姿の美しさは、絶品であり、幸四郎との絵面の面白さも申し分ない。雪姫の眼目は、普通、この後の桜吹雪の中の縛られ姿なのだが、玉三郎の良さは、むしろその前の幸四郎とのやりとりの方にあったと思う。(もちろん、桜吹雪の中の玉三郎の美しさも筆舌に尽くし難いのだが。)
金閣寺』は、舞台のセットはほとんど変わらないが、はじめは大膳と雪姫、次に大膳と東吉の囲碁、東吉の井戸での機転、雪姫と夫・直信のやりとり、雪姫の爪先鼠、東吉の慶寿院救出、東吉の立ち回りと、趣向がどんどん変わっていく面白さがあり、実は、この面白さに気がついたのは、今日が初めてである。今までは、どちらかというと、雪姫だけにしか興味が持てず、他の場は退屈で冗長に感じていた。
これまでの『金閣寺』も雀右衛門の雪姫や、同じ幸四郎の大膳など、それなりの配役で演じられてきているが、やはり幸四郎吉右衛門玉三郎のバランスの良さが、この一幕を面白いものにしたのだろう。歌舞伎は役者であると、つくづく思った。
『鏡獅子』勘三郎。正月のテレビ生放送で一度観ているが、その時は、結構面白く感じた。その感想は、今日の生の舞台も同じ。ひとつひとつの所作を丁寧に扱う、楷書の踊り。神妙といえば神妙だが、『鏡獅子』とは、そういう踊りだと思う。花道揚幕近くで観ていたのだが、後シテで登場する時、勘三郎は一言、何か言葉を発してから花道に飛び出していた。(最初に出る時は、少し小さめの声、一度引っ込んで再び出る時は、より大きい声を発する。「ハッ!」という気合いの声ともちょっと違う。)
胡蝶の鶴松が、テレビでは実にうまいと思ったのだが、今日はつい眠ってしまい、よくわからなかった。
『切られお富』初見。黙阿弥の書替え狂言の面白さを堪能。福助の悪婆ものは、品の悪さを許容できれば、なかなか面白い。