五月国立・『絵本太功記』通し

kenboutei2007-05-27

文楽東京公演は今日が千秋楽。今回も満員御礼の看板。
14年振りという、『絵本太功記』の通し。その舞台をリアル・タイムでは観ていないが、ちょうど文楽に関心を持ちだした頃で、たまたまNHKで放映された文楽公演が、この時の通しだった。その放送は録画しているが、未だに全部は観ていない、はず。
今日は生で通しを観る良い機会だったが、一部・二部続けて観たうちの、半分くらいは寝てたなあ。
印象に残っているのは、住大夫が語った「杉の森の段」と、十九大夫の語った「尼ヶ崎の段」、大詰の「大徳寺焼香の段」くらいか。(全部第二部だ。)
「杉の森」は、住大夫の語りよりも、子供と妻の目前で腹を切り、その上、二人の子供に自分の首を切り落とさせるという、孫市の設定に驚愕した。住大夫は、いつも通り、枯淡の味わい。
「尼ヶ崎」は、お馴染みの場だが、十九大夫が迫力満点で語り切る。声がでかいだけで、細やかな心情を語り分けることなど期待できない十九大夫だが、その力任せの語りっぷりは、今日の「太十」にはぴったり嵌っていて、むしろ清々しささえ感じた。今の大夫陣で、この長丁場をここまで重厚に語りきれる大夫はいないだろう。(咲大夫でもまだスケールが小さい。) いわゆる山城少掾系列の、近代的な語りとはおよそ無縁の語りであるが、こういう大音量だけの愚鈍な義太夫というのは、もしかしたら浄瑠璃の原点なのではないかという気もしたのである。この段の富助の三味線の迫力もまた、見事であった。
大徳寺焼香」は、光秀を討った秀吉が、柴田勝家ら古参大名を差し置いて、信長の後継につく場で、そういえばこの前のNHK功名が辻」にも同じような場面があった。考えてみると、文楽や歌舞伎そのものが、一種の大河ドラマでもあるのだ。
人形は、勘十郎の光秀、玉女の久吉。個人的にはこの配役は逆の方が望ましかった。