『芝居道』

神保町シアター山田五十鈴特集があると知って、駆けつける。午前11時開始の『芝居道』のため、朝は7時からプール、戻って急いで洗濯をし、午前10時出発、劇場でもらった整理番号は9番。しかし結局、100席ある中30人程度の観客だったので、何もそんなに気合いを入れなくてもよかった。
成瀬巳喜男の映画を劇場で観るのは、多分初めて。
山田五十鈴長谷川一夫主演の芸道もの。昭和19年作。
日清戦争の頃の、大阪道頓堀の芝居小屋が舞台。
角座では時局を意識した、戦争もの(当時で言えば現代劇)を出して大当たり。他の小屋は、いつもの旧劇(歌舞伎)で閑古鳥。
角座の仕打ち・大和屋は、更に料金を値下げしてまで戦争芝居で客入りを狙う。業界の掟破りのダンピング志村喬ら他の仕打ちの抗議(というかヤクザ紛いの脅し)にも、大和屋は、「一人でも多くの人に、日本の兵隊の活躍(や、お国のための教訓)を広めたい。そのためならタダでも良い。」とまで言い放つ。
ここまで観ていて、これが戦時中の映画であるにもかかわらず、成瀬監督は、戦争批判の映画を作っているのかと、驚き戸惑った。
というのも、角座の仕打ちを演じる古川緑波の芝居が、どことなく真剣味にかけ、わざとらしく思えたからである。本気でお国のための芝居を出しているのではなく、それは単なる口実で、大衆に媚びた現代劇で大儲けしたいと思っているだけだろう、と受け止めたのである。そうなると、戦争芝居だって所詮は金のために選ばれた演し物に過ぎず、大義名分も何もないのであり、引いては、同じ時局にある当時の大東亜戦争をも批判しているということになるではないか。戦意高揚のプロパガンダより、商売人の儲け根性の方がもっとしたたかである・・・そんなことを、戦局厳しい昭和19年に、成瀬監督は、訴えたかったのではないか。
ところが、その後の展開で、結局、緑波の大和屋は、そんな腹黒な人物ではなく、言葉通りお国のためにそのような行動をしただけであり、自分の解釈は当てが外れていた。
この後、古川緑波は、戦争芝居が受けて天狗となっている花形役者の長谷川一夫を諌め、彼と恋仲となっていた山田五十鈴に頼んで身を引いてもらい、自分が憎まれることで長谷川一夫を東京に行くように仕向ける。その結果、(他の小屋でも戦争芝居を出すようになっていて)角座の芝居は不入りとなるのだが、それでも信念を曲げず、質素倹約・忠孝などの教訓めいた地味な芝居を打ち続け、長年の座頭役者(進藤英太郎が演じる)も去って行ってしまう。
東京に出た長谷川一夫の方は、守田座で芸の未熟さを思い知らされ辛酸を嘗めながら修行を続け、ようやく人気者になったところで、座元の親方から、これも全て大和屋がお膳立てしたことであったのを知る。そして、大和屋の今の窮状(小屋主から仕打ちを替えられようとしていた。)を救うべく、大阪へ帰って行く。
一方、長谷川一夫の芸のために身を引いた山田五十鈴にも、大和屋は金の援助をしていたのだが、それを重荷に感じた山田五十鈴は、引っ越して行方不明となる。さんざん探しても見つからなかったが、長谷川一夫復帰で沸き返る角座をそっと覗いていたことがきっかけになり、再会、全ての事情がわかって二人は復縁し、大団円。
別に戦争批判でも何でもない、立派な(?)芸道・人情映画。やれやれ。
というわけで、山田・長谷川の黄金コンビの映画ではあるが、実質的な主役は、大和屋を演じた古川緑波。ちょっと粘り気のある独特な口調(どこか、「ぶらり途中下車の旅」のナレーション、滝口順平に似ている。)に惑わされたが、なかなかの名演。実は観ている間は誰なのかわからず、後で確認して、ロッパと知った。
特集の当事者、山田五十鈴は、なんと女義太夫役。あの女義の格好で、「今頃は、半七さん」と唸るのである。自分はまだ女義太夫を観たことがないのだが、なるほど、一時期の女義太夫の流行というのは、こういうことなのか、と初めて想像することができた。山田五十鈴が、哀切な口調で身悶えると、そりゃあ、「どうする、どうする」と声を掛けたくもなるだろう。今日の一番の収穫。
長谷川一夫は、花形役者の中村新蔵。戦前の長谷川一夫を観た記憶はあまりないのだが、関西弁を聴いていると、今の藤十郎に似ていると感じ、そういえば長谷川一夫は初代鴈治郎の弟子であったんだよなあと、今更ながら、芸の継承の面白さに思いを馳せる。
東京の守田座での修行中、『熊谷陣屋』の義経の台詞を練習したり、『鳥居前』の忠信を演じたりしているのが、興味深かった。特に、忠信の花道の引っ込みは、今の歌舞伎で演じられている型とは全く別もので、そういうところも面白かった。
ロッパの娘役の、花井蘭子がなかなかチャーミング。
進藤英太郎の役者・嵐扇十郎は、写楽の描く四代目幸四郎(肴屋五郎兵衛)にそっくりだった。(陰湿な策士だったという四代目のイメージが、具体的に浮かんでくるようだった。)

角座を忠実に再現したという劇場内のセットや、小屋主・仕打ちなど上方独特の興行システムなど、歌舞伎ファンなら何度観ても飽きないであろう、映画である。