12月新橋演舞場 昼・夜

kenboutei2012-12-02

昼の部
『御摂勧進帳
通し狂言だが、以前の国立劇場での上演と同様、それぞれ独立した幕。
「暫」
弁慶は松緑。声量あるが、イントネーション相変わらず。語尾が沈むので、爽快感がない。隈取りは映え、さながら五月人形。子供っぽいということでもあるが、本来荒事はそのようなものかも。そこを芝居の表現で上手く活かせればいいのだが。腰高でほとんど立っている状態。長身な分だけ、見た目がより悪い。見得の時に呻くような声を発しないのは立派だが、口を必要以上に一文字に引っ張るので、ガマガエルみたいに見えてしまうのが難。最後の引っ込みもまだ迫力不足。
お遊びで公家の亀蔵ツイッターでつぶやく。もう一人の公家(菊市郎)もローラのオッケー。当たり前体操も出た。松緑の方もローラのオッケーで返していたのがおかしかった。
名題昇進の萬太郎、台詞力強く、動きもシャープ。
つらねで、巳吉の巳太郎襲名の紹介あり。今の巳太郎は、浄貢に。
「色手綱恋の関札」菊之助、亀寿、亀三郎、松緑、梅枝。
せり上がりでの梅枝の美しさ。周延の真美人、もしくは橋口五葉の新版画を見るようだ、梅枝の古風さは江戸ではなく、明治、大正のものと感じた。現代から見るとどちらも古風だが、実は近代。すなわち、五代目歌右衛門や六代目にも通じる美しさなのかもしれない。
「芋洗い勧進帳
菊之助義経は、すっきり、気品がある。『勧進帳』での義経にも期待を持たせるものであった。三津五郎の弁慶は小気味良い。ユーモラスさも、のどかに時代に演じ、かといってわざとらしさを感じさせないうまさがあった。
菊五郎の富樫。
    
体調もあったのか、昼の部は終始眠かった。
 
夜の部
『籠釣瓶花街酔醒』
菊之助の八ツ橋、菊五郎の次郎左衛門という、どちらも初役の「籠釣瓶」。そもそも菊五郎劇団には縁のない芝居で、想定していなかったし期待もできなかった分、意外の上出来で驚いた。
菊之助の八ツ橋は、出てきた時からアルカイックスマイル。なんとなくウルトラマン的に見える。花道付け際での笑みは、一度見て、首を上に回す。玉三郎の八ツ橋を意識しているのかもしれない。花魁の悲哀も含まれた表情で、悪くないと思う。そしてまた、きっぱりとした八ツ橋でもあった。次郎左衛門への思いは、ほとんどない。愛想尽かしで、キセルを音をたてて落とす。感情の吐露の激しさ。しかしそれが芝居として破綻していないのも良い。横向きの美しさも素敵。今後も期待できるが、相手は菊五郎でない方が良い。(海老蔵との共演が見たい・・・)
菊五郎の次郎左衛門は、見染めは不似合で俳優祭かと思った程だが、その後はまずまず。ただ、最後まで、田舎の大尽には見えなかった。むしろ武士のような厳しさと気迫を内に込め、ある意味新鮮な次郎左衛門像であった。愛想尽かしの後も、ずっと厳しい表情を崩さない。この時点で八ツ橋を殺す決意をしていることがわかるが、これは新しい解釈だと思う。「花魁、そりゃあんまり袖なかろう」の台詞はまだ不慣れ。八ツ橋を切る動作もやや鈍かった。全体的に眼光の鋭さが印象に残る、菊五郎の次郎左衛門であった。
三津五郎の栄之丞は、この二人に比べるとニュートラルな感じ。柱にもたれる姿が、色気あって良い。しかし、この人は本来、次郎左衛門だと思う。
「籠釣瓶」では、いつも八ツ橋の態度について色々なことを思うのだが、今回の菊之助の(というか菊五郎劇団の)八ツ橋は、最初から次郎左門は眼中になく、単に愛想尽かしの仕事をするのが遅い女。三角関係の愛の縺れというより、仕事の手際の悪さが問題。
團蔵の釣鐘権八、珍しく台詞が入っていない。やはり菊五郎劇団でかけない芝居だからだろうか。
松緑治六は、無難。松也の七越、梅枝の九重はともに綺麗。

『奴道成寺
三津五郎。ようやくこの踊りが面白く感じたのは、最近、日本舞踊について講義や本などで勉強しているからかもしれない。
最初の乱拍子。能装束でも、三津五郎白拍子花子の形の良さがわかる。姿勢をあまり傾けない。肌脱ぎになって、「道成寺」でお馴染みの衣装が見える。昔の客はここで盛り上がったのではないか。オリジナルをきちんと知ることでわかる面白さ。くどきでの面の使い分け。男と女の振り。オリジナルとは違う部分もまたわかって面白い。また、そのようにわかりやすく踊る三津五郎の腕もあるのだろう。「道成寺」について知らない(であろう初見の)観客も盛り上がっている。山尽くしでの反り返りも見事。
最後に持っていた馬連みたいなものは何だろう?
途中で口上。巳太郎の紹介、常磐津の立三味線も。