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2017-09-23

2017.9.23

自己顕示欲の異常に強い大柄な男。30代半ば、柔和な顔つきをしているが、裏の顔は猟奇的な嗜好をもつ殺人鬼。遺体をわざと目立つ場所に放置し、発見されてニュースになるのを楽しむ。人ばかりではなく、動物にまで残虐な仕打ちを与え、悦に入る。

ある朝、大学の構内のような場所にある並木道を歩いていると、5~6匹の猫が木の幹の外周に沿って五寸釘で打ち付けられているのを目撃する。徐々に集まってくる野次馬たち、誰がこんなことをしたのかと薄気味悪がる。

(うろ覚え。男に手を掛けられた被害者たちの姿。関節ごとに四肢を切り取られ、バスタブに整然と詰め込まれる死体のシーン。僕も男に目をつけられ、自宅にいたところで突然、命を狙われる。急いで鍵のかかる部屋に逃げ込み、閉じこもってやり過ごそうとする。窓の外からこっそりと様子を伺う。男、ダースベイダーのようなマスクを着け、わざとこちらを威嚇するように、刃物を振りながら大股で外を歩いている)

男の自宅。4畳半の狭いアパート。垂れ流しにしているテレビから、自分の起こした殺人事件動物虐待のニュースが聞こえてくると、常に家にいる彼女らしき少女に、自分がどのように命を奪ったのかを嬉々として話す。少女、興味深そうに、また楽しそうに男の話に耳を傾けている。

ここで初めて、僕は空を飛べることを思い出し、男のいる家のほうへと飛行。男が家から出てきたところを狙い、自動車で轢殺してしまうことを企てる。路上に駐車されていた乗用車を男の歩く方向に自走させ、上空からその様子を静かに見守る。スピードをつけた車は男の背中を捉え、鉄の塊が骨を砕く鈍い音を聞く。男はアスファルトの地面に倒れこみ、何が起きたのか分からぬまま、もがくように地面を這って起き上がろうとする。男の眼が上空にいる僕の姿を捉えると、男は虫の息になりながらもはっきりとした意識でこちらを睨みつけ、あらん限りの呪詛の言葉を放つ。息も絶え絶えになった男の様子を僕は上空から眺めながら、どのようにとどめを刺そうか考えている。しかし、ふと目を離した隙に、男は消えていた。(未了)

2017-08-14

ためらい

昔から、全体が見えないままその末端にある何かをさせられることが苦痛で仕方なかった。何をするにも「なぜやるのか」、この問いに納得のいく答えが得られない限り、僕の心身は頑として動かない。この歳になって、その性質は極端になってきているようだ。

僕には盲目的に定めていた計画があって、計画遂行のため盲目的に行動を起こそうとしていた。行動を起こしたところで気づいた。全く身が入らない。人生の一大イベントに据えていた計画であって、自分自身でも納得していたものだと思い込んでいたが、心の奥底では、なぜ自分がこの方向に進んでいくのか、納得しきれていないのかもしれない。

中二病をこじらせたかのように、進むべきか否か逡巡し、半年以上の時間を無駄にしてきた。決断を先延ばしにする自分がいる一方で、もう片方の自分は時間を無為に過ごした「自分」を心から恨む。そんな両者の間でおろおろし、彼らに決断を迫る第三の自分が芽生えつつある。がんばれ、自分。しっかり考え直そう。でも、僕に残された時間は本当にわずかだ。

そして一度決めたらそう、毎朝8時45分には家を出て、図書館に行ってください。後生だから。図書館に行こう。図書館に行こう。図書館に行こう(大事なことなので3回繰り返した)。

2017-06-22

2017.6.22-02

夢の中でいつものように空を飛んでいる。眼下に広がる大海。数mはあろうかというサメが悠々と泳いでおり、やにわに身体を起こし、大きな口を広げて僕を捕食しようとする。身をよじらせ何とか襲撃をかわすが、気がつくと海の水位が上がっており、僕と水面との距離が大幅に縮まっている。飛ぶ高度がうまく上がらない。そうこうしているうちにまたサメが近づいてくる。よく見ると、サメは一匹だけではなく、同じくらい大きなサメが何匹も泳いでいる。水面に目を向けるたびに、水位は上がっている。あるいは、僕の高度が落ちているのか。

2017.6.22

浜松からの帰り。新幹線の時間が迫っていて、タクシーを急いで捕まえるが、運転手のおじいさんは悠々と運転しており、焦る。時間がないことを必死で訴え、何とか新幹線には間に合う。宿泊先に到着し(なぜか北京)、チェックインをしているところで頭の悪そうな警備員が荷物を調べるという。釈然としないまま調べさせていると、荷物にシャンパンが入っているからチェックインをさせないと言われる。そんなおかしなことがあるか、世界のどこにシャンパンを持っているから宿泊拒否をするホテルがあるんだと反論、危険なものなんか何も持っていないから荷物の中を見ろと促すも、ダメなものはダメだとニヤニヤしながら一蹴、取り付く島もなく、結局チェックインができない。ひとまずその場を離れ、対応策を考える。近くにあった籠や空いたカップラーメンの容器などを手で弄びながら、AKに電話をかけるが、要領を得ない答えしか返ってこない。やり場のない怒りに打ち震えながら結局は代わりの宿泊先を探すことにし、舞台は台北に移る。たまたま入った公衆トイレにひじきのようなゴミが散乱しており、掃除をする。掃除の途中で警察官が通りかかり、お前は何をしているんだと訝られるが、掃除しているんだと答えると警察官は満面の笑みを返す(ここで台湾に対する好感度がぐっと上がる)。しばらく掃除に取り組み、床のひじき山椒の粒のようなものをトイレの外に飛ばしていると、床より低くなっている場所に立っていたホスト崩れのような男3人組に当たる。急いで謝るが、男たち、当たってもへらへらしている。掃除を一通り終え、駅でレンタカーを借り宿泊先に向かう途中で道路中の信号が全て壊れ、表示がされなくなる。一部で混乱が起きるが、基本的には滞りなく車が流れている。宿泊先にたどり着くとそこは2階建ての家で、とても新しく綺麗。携帯のアプリ北京のホテルをキャンセルしようと試みる。(未了)

2017-03-01

刷新

何もかも断ち切れることが分かった。本当に欲しいものさえ、しっかりと理解していれば。欲しいものは自分で手に入れる。断ち切れるもの、即ちそれはそもそも必要のなかったもの。油に満たされた街路を押し分け進もうとする意志で、四肢は自ら意思を持って動き出す。

2016-09-06

破片を集めて

節目を迎える今年、あらゆるものを「篩いにかける」ことをしている。

当時なけなしの金をはたいて買ったモノ、必死に集めていたモノ。今となってはただのがらくただけれども、当時はそれなりに思い入れがあって、捨てるなんて微塵も考えたことはなかった、寧ろ少しでもキズがついたりしたら気が狂っていたであろうモノ。こうした品々を何の未練もなくゴミ箱へ放り投げることのできるようになった僕は、いわゆる「大人」に成り果ててしまったのだろうか…とも思うのだけれど、そうとも言い切れない部分がある。

最近、少年時代に聴いていたCDを、埃まみれになった実家の棚の奥から掘り起こして聴いたりするのだけど、この歳を迎えても心が震える音楽というのはやはり、自分の原体験となった音楽=「音楽に目覚めた」頃の音楽なんだな、とつくづく思う。思い出の品々をひょいひょいと躊躇(容赦)なく捨てていく僕だが、無慈悲作業の合間にふと手を止めて、馴染みのバンドのCDを幾度となく聴き返しては、えも言われぬ涙が溢れるのだ。「心に響く」というのは使い旧された言葉だが、僕の心に響く言葉、刺さる音、美しいと思う旋律…世間的には既に「いい大人」となった僕も、昔から大好きだったあの音に、「目覚めた」あの頃と同じように心を揺り動かされる。音楽にそんなことを気づかされ、過ぎ去ったあの頃に想いを馳せている。

だから、僕がいまやっていること…、これは自分としての節目を迎える今年、来るべき未来という旅に出る前夜の荷物整理なのではないだろうかと思う。こんなことが出来るようになったのも、ここ数年の経験があってのことだと思うが、いろいろあったこの数年間、目先の誘惑や快楽に惑わされ、限られた時間や資源をたくさん無駄にしてきた。だから、ここいらで一度、未来に持っていくもの、過去に置いていくものを振り分ける。自分は直感的な人間だと常に思っているが、自らの行李の大きさを知っていて、本当に必要なものと、なくても事足りるものがちゃんと分かるようになったのだろう、というのが今の僕の考え。だから、取捨選択ができるようになったという意味では、きっと僕はまともな「大人」になったのだと思う。ただ、僕の厳しい取捨選択を経た未来行きの行李の中に、10代の頃から大切にしてきた感性、想いは確実に含まれている。本当に大切にすべきものを大切にしながら大人になれたことを、僕は誇りに思う。そして、これから出る旅の中で何を失おうとも、大切な想いだけはきっと、僕の心の中にあり続けるだろう。

10年後の自分よ、あなたは心に「変わらぬ想い」を燃やし続けていますか。