2010-08-15
■[大学][STS] 日本は高等教育過剰か?(1)
日本は高等教育過剰か?この問い自体が様々な曖昧さを含んでいる。まず第一に、過剰かどうかは、何をもって適正な基準とするかに依存する。従って、日本に高等教育が過剰であるとする議論において、何をもって適正なな基準とするかが示されていないのであれば、迷走した議論にしかなりえない。そして、何が適正であるかは、論理的に導きだされるものではなく、主権者の政治的判断によって決定されるべきことであると思う。
第二に、過剰ということ自体にも、様々な意味がありうる。なされている教育の量や質 が過剰なのか、大学生数ないし大学数が過剰なのか、あるいは使われている予算が過剰なのか。
このエントリーは4つほど続けてエントリーを書くシリーズの最初のものである。ここではまず、日本は高等教育が過剰であるとする主張にどのようなものがあるのか考えてみる。そして、次のエントリーではそれを批判・検討する。三番目のエントリーで、逆に日本において高等教育が不足しているする主張を検討し、四番目にそれらをまとめてみる予定である(あくまで予定)。なお、続き物を最初から書いてアップしていくので、後のほう書いているうちに、前のほうを修正したりすることもあると思われる。その点は、ご了承を。
というわけで、ここでは、まず高等教育過剰論者の立場をとって、高等教育過剰論をなるべく強力に論証することを試みる。したがって、以下の議論は必ずしも私自身の主張とは一致しない。
バイアスの問題
ただし、その前に触れておきたいのは、バイアスの問題だ。教育の問題を考えるときに、様々なバイアスがかなり必然的にかかる。私自身に関しては、大学教員の立場にあるため、それによるバイアスが当然予想されるだろう。ただし、私の所属する総合研究大学院大学は大学院のみの大学なので、学部教育に関わっていない。そのため、学部教育を批判することに利害関係はないのだが、逆に、まさにそのために、日本の大学の学部教育を批判することに心苦しさを感じざるをえない、という立場でもある。
バイアスについては、それは高等教育を擁護だけでなく、批判する側についても同様だ。日本の大学教育に関して、それを受けて失望した側も、受けられずに悔しい思いをした側も、極めてネガティブな見解をもつことがあり、それがしばしば日本の大学に対する批判として噴出することがある(もちろん、それ自体が日本の大学の問題を示しているわけだが)。ともかく、いろいろと屈折しいた動機と利害関係があるようで、冷静な議論が難しくなってしまっている。
教育の問題に関しては、論じている人の個人的な体験、受けてきた教育、そして立ち位置と無関係でありえない。読者はそれを考慮に入れた上で、判断しなければならない。
高等教育過剰論
日本において高等教育が過剰であるとする議論にはおよそつぎのものがあると思う。
- 大学卒業生および他の知的職業の就職難
- 少子化による若年人口の減少
- 学生の質の低下
- 大学の果たしている役割に対する予算の過大さと非効率性
- 財政危機・税収の減収に即しての財政的考慮
大学卒および知的職業の就職難
第一の議論は、大学卒や、大学院修了者、あるいはその他の高度な教育訓練を受けたものの就職難を指摘し、それらの教育を受けたものが需要よりも大きく供給されているとし、そこから高等教育の過剰を結論するものである。
現在の就職難については、一定の経験的証拠が存在している。まず、大学卒の就職難については、文部科学省の『学校基本調査』*1が基本的な資料であり、最近の報道*2は、これの22年度速報版*3に基づいている。これによると、平成22年度の大学学部卒業者は54万人、そのうち就職者は33万人で、就職率はおよそ6割。就職しないもののふち、大学院等への進学者数は7万人ほどで、およそ13%。卒業者数のうち、進学も就職していないものは8万7千人で前年度より2万人ほど増加、卒業者のうち16%、前年度より4ポイント増加となっている。*4このように、16%もの大学卒が就職できていないという現実は、社会が必要とする以上に大学卒が供給されている、つまり大学生数が過剰であることを示しているように見える。
さらにこの就職難の問題は大学卒だけではなく、より高度な教育を受けた人達にも起こっている。まず、良く知られているのは、大学院修了者、とくに博士号取得者である。これについては、高学歴ワーキングプア問題として、あまりにも有名なので、ここで詳しく繰り返す必要はないだろう。大学院重点化によって、大学院定員が増加し、博士号取得者が増えたが、大学や企業のパーマネントなポストはそれほど増加しなかったので、ポスドクや専業非常勤講師などの不安定な職に甘んじなければならない学位取得者が増加した。これも、高度な教育を受けた人間を、社会が必要とする以上に生産しために起こったと推論される。*5
それだけではない。その他の知的職業・資格についても、多くの時間を費やして勉強して取得したにも関わらず、就職先が限られているものがある。歯科医過剰問題については、すでに以前から指摘されている。*6近年問題になってきているのは弁護士の過剰だ。日弁連の調査によると、今年末に司法修習を終える修習生の約4割がまだ就職が決まっていないと報道されている。*7さらに、公認会計士の就職難も言われている。*8それ以外にも学芸員や司書など、大学での所定の課程を経て資格をとっても、その資格の職ががほとんどなく、就職が困難だという。これらの分野でも人材の過剰供給がなされていると言えるように思われる。
この立場からすると、大卒や、その他の学問的な訓練をうけた人材は、社会におけるその需要、すなわち就職先に見あった分だけ供給されるべき、ということになる。そして、需要を考慮せずに過剰に人材育成することになった政策は、無駄に税金を投入した上に、貴重な人材を無駄にした点で、失政であるとみなされる。
少子化による若年人口の減少
これについては手短に。まず、日本における少子化傾向と、若年人口の減少については、議論の余地がない。若年人口が減少しているのに、大学生数が変らないということは、以前よりも同世代の大学卒の割合が増加することを意味する。これは社会において吸収し得た大卒の人口比を超過するもので、したがって、大学卒業者の過剰を引き起こす。したがって、大学生数は過剰である。
18歳人口については、文部科学省によるグラフ「18歳人口及び高等教育機関への入学者数・進学率等の推移」*9によると、最も18歳人口が大きかった平成4年頃と現在平成20年頃を比較すると、高等教育への進学者数はあまり変わっていないが、18歳人口はおよそ6割にすぎなくなっていることがわかる。
この立場からすると、大卒の数は、若年人口の減少に応じて、減少させるべきである、ということになる。
学生の質の低下
高等教育過剰論においてしばしば論じられるのは、学生の質の低下だ。この議論は、おおよそ次のような論理構成になっていると思われる。まず、若年人口の減少にも関わらず、入学者数が変らないので、かつては大学に合格できないような能力の学生が大学に入学できるようになった。さらに、その競争率の低下が、入学試験の容易化を引き起こし、かつてのように勉強しなくなった。受験生を集めるために、私立大学などは、科目数を減らし、その結果、学生が高校・浪人時代に時間を割いて勉強をする科目が減少し、その結果、それ以外の科目での学生の能力が大きく下がった。
これを支える経験的事実はあるだろうか。まず、学生の質の低下については、様々にいわれているが、*10本当なのか。大学生の学力の低下については、90年代の終わりから指摘されてきた。*11しかし、そもそも大学生の学力ということ自体、あまり明らかではない。これについては、大学入試センターの柳井晴夫氏による科研費プロジェクト『大学生の学習意欲と学力低下に関する実証的研究』*12がある。これは大学教員を対象に、大学生の学習意欲と学力低下の意識を調査するものである。この科研費研究の成果の一部は次の文献で見ることができる。*13ベネッセの記事*14にまとめられているところからすると、大学教員の6割、とくに私立大学の7割が、学生の学力の低下を問題視しているそうだ。すくなくとも現場の大学教員の感覚としては、学生の学力低下は、孤立した事例ではなく、大きな趨勢となっているように思われる。それは単なる意識の問題ではなく、大学で行っている補習授業にも現れている。2007年度の文科省の調査、「大学における教育内容等の改革状況について」によれば、補習授業を行っている大学は、2005年度に23%だったのが、2007年度には30%に増加している。とくに私立大学での増加が著しく、底辺私立大学における学生の学力低下を裏付けているように思われる。*15
学生の学力低下をさらに裏づけていると思われるのは、私大における受験科目数の減少と、推薦入学・AO入試である。これは学生の学力低下を引き起こす原因と考えられると同時に、それ自体が入学試験の容易化を示す。科目数については、私立大学では、英語、国語、社会の3科目が基本であり、大学によっては2科目、1科目ということもありうる。そのため、高校時代を通して私大受験型の勉強をして、少数の科目に集中的に時間を使った受験生は、受験科目でなかった科目についてはほとんど知らないか、忘れているということがありうる。そこでしばしば起こる現象は、経済学部の学生が数学を勉強せずに大学に進学することだ。例えば、早稲田の政治経済では、3科目のうち、数学を選ぶこともできるが、社会(地歴または公民)を選ぶこともできる。*16慶応の経済ではA方式とB方式があり、A方式では数学と外国語だが、B方式では地歴と外国語である。*17したがって、数学を知らなくても、これらトップクラスの経済学部に進学することがありうるわけだ。
AO入試については、2008年ごろから問題点が指摘されてきた。1月23日になされた、中央教育審議会の「学士課程教育の在り方に関する小委員会高等学校と大学との接続に関するワーキンググループ(WG)議論のまとめ」*18につきているように思われる。ここで言われていることをまとめると、この後の2008年2月19日の中央教育審議会・初等中等教育分科会*19で指摘されたように、私立大学では学生の半分は推薦またはAO入試で大学に進学するが、そのかなりの割合が学力に基づいていない、ということである。このことは、『週刊ダイヤモンド』の次の記事「学力不問の青田買い競争私大推薦入学の呆れた実態」*20で取り上げられたように、官邸で開かれた2008年9月22日の教育再生懇談会で繰り返され*21、そこで配布された資料、「大学全入時代の教育の在り方について(論点メモ)」*22では、次のような事が問われた:
一部の大学が推薦・AO入試に名を借り、学力不問で多数の学生を受け入れている現状は、大学教育の質の確保の観点から妥当か。また、高校生の学習意欲の低下を招いているのではないか
そして、実際に高校生の学習意欲の低さ(大学進学希望の高校三年生の秋の勉強時間が1時間以下のものが36.6%)や、私立大学の授業で直面している問題点を指摘している。
このように、学生の質の低下は明らかであり、その理由が大学入試の易化にあるとしれば、学生の数を絞り、大学入試を難化させるべきである、ということになる。
大学の果たしている役割に対する予算の過大さと非効率性
これは、大学は大した教育をしていないのに、大量に税金を浪費している、という議論である。教育面において、大学の果たしている基本的な役割は入学試験のみであり、4年間の大部分でほとんど教育らしい教育はなされていない、たんなるモラトリアムになっている、という主張だ。とくに近年は、上記のように学生の質が低下しているので、授業が成立しない。それならば、4年間学生に何もさせないで遊ばせておく必要はないし、大学の建物も、教職員の給与も無駄、ということになる。
さらに大学という組織の非効率性がしばしば批判されている。例えば、藤城眞氏(当時財務省主税局税制第三課長/前財務省主計局主計官 (文部科学担当))は、「RIETI政策対談第7回「真の教育、研究水準の向上につながる大学改革とは」」*23において、主として、高等教育予算の増加に対する多岐にわたる反論を行っているが、例えば次のように、大学での予算の使い方が充分に効果的に行われていないと主張しているように思われる:
大事なことは、教育には、すでに国・地方を通じて19兆円ものお金が投入されているということです。その19兆円が有効に使われているのかといえば、私はまだ教育の世界のなかで工夫すべき点、努力すべき点があると思っています。
具体的には、大学の中で優先順位をつけて、スクラップアンドビルドを行って重要性の高い部署に資源をまわしていくような私企業では当然行っているような努力が足りない、という。
さらに、藤城氏は、受益者負担の問題から、教育のリターンは学生本人に帰着する、つまりよい大学教育を受けたら収入の多い職業に就くので、教育中心の大学に関しては公費負担を下げて、学費をベースにすべきだと主張する。
この観点からすれば、大学というものはほとんど必要ない。極端な話、入学試験を実施し、学生を偏差値で分ける機関さえあれば良い、ということになる。仮にたとえ大学での教育に意義があったとしても、現在の在り方は非効率に過ぎるので、現在の公費支出は過剰である、ということになる。
財政的考慮
これについては、ほとんど議論というほどのこともない。国が税収を減らしているので、支出をカットしなければならない。ともかく、財源がないので、他の予算と同じように、高等教育についても、予算を毎年削減すべき、ということになる。
この議論からすれば、高等教育に対する国家の適正な支出は、国の財政次第であり、国家支出を財政上の理由で削減しなければならないときに、高等教育に対する支出を優先的に削減から除外する理由は存在せず、同じように削減するのが適当である、ということになる。
まとめ
以上の議論が正しいとすれば、言えるのは次のことだ。学生数は、社会的な需要の点からも、少子化傾向からも、そして大学の教育の質保証の点からも、減らさなければならない。そして、そのことは、国家財政への負担減少の面からも望ましく、また大学が教育においてほとんど役割を果たしていない点からしても、適当である。
最初に書いたように、このエントリーでは、高等教育過剰論者の立場にたって、もっとも強固な議論をするものを試みたものである。ここでの主張は私自身は完全には賛成するものではない。次回のエントリーでは以上の議論を検討する。
*1:http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/1267995.htm
*2:http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20100806-OYT8T00266.htm
*3:http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/1296403.htm
*4:「平成22年度学校基本調査の速報について」http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/__icsFiles/afieldfile/2010/08/05/1296403_1.pdf
*5:これについては多くの議論があるが、例えば次のものを参照:「1億円かけてフリーター 大学院生「今の半分で十分」(連載「大学崩壊」第8回/コンサルティング会社の橋本昌隆社長に聞く)」『J−CASTニュース』http://www.j-cast.com/2009/05/17041154.html。
*6:例えば、ウィキペディア日本語版に「歯科医師過剰問題」という項目までできている:http://ja.wikipedia.org/wiki/歯科医師過剰問題/
*7:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100812-OYT1T01155.htm
*8:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100220-OYT1T00738.htm
*9:http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/005/001.pdf
*10:たとえば次の記事:http://www.j-cast.com/2009/05/02040479.html?p=all
*11:例えば、1999年に出版された、『分数ができない大学生―21世紀の日本が危ない』が耳目を集めた。
*12:http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/15330144/2005/6/ja
*13:「大学教員における学生の学力低下意識に影響する諸要因についての検討」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006242778
*14:http://benesse.jp/blog/20051201/p1.html
*15:http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/03/__icsFiles/afieldfile/2009/05/08/1259150_1_1.pdf、3頁;http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/04/07041710/001.htm
*16:http://passnavi.evidus.com/search_univ/3190/subject.html
*17:http://passnavi.evidus.com/search_univ/2370/subject.html
*18:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/08030317/002.htm(これは、12月24日に出された、中央教育審議会の答申「学士課程教育の構築に向けて」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1217067.htmの参考資料にも収録)および、その資料編、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/08030317/002/001.htm;そのうちとくに、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/08030317/002/001/011.htm
*19:議事録:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/08030317/002.htm
*20:http://diamond.jp/articles/-/6781
*21:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kaisai/dai5/5gijiroku.pdf、pp. 17-8
*22:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/kaisai/dai5/5gijisidai.html
