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Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-05-09

[]吉岡斉『原子力の社会史:その日本的展開』朝日選書、1999.

すこし前に読んで書評を書こうと思ったまま、しばらく時間がたってしまった。忘れないうちに、幾つか思いつく点を書いておく。

この本は日本の原子力の歴史に関しては最良の書だろうと思う。戦前からこの本が書かれた時期までを手際よく通観しているだけでなく、大量の情報を扱いつつ、冷静になされたその社会的・政治的分析はお見事としかいいようがない。日本の原子力の歴史に興味のある人は、とりあえずはこれから読むのが良いと思う。ただ問題は、第一に現在品切れ中で、かなり高値の古書としてしか入手できないこと。ただ、図書館で見ることはできるだろう。第二に、ドキュメンテーションがほとんどなく、出典が不明な論点が多いこと。これは学術書としては致命的だが、おそらく著者は、この後によりくわしい決定版を書く予定なのだろう。ぜひとも早く出ることを願う。

この後者の点を除けば、これは技術の社会史的な研究として、傑作であり、いろいろな意味でお手本になると思う。この本の基本的な理論的枠組みは、関係者の利害によって技術経路が決まるというもの。そこで、関係者のローカルな利害によって、国家規模の技術政策が形成され、実施され、それが必ずしも一般的な利害、つまり国にとっての利益にならないという構図になっている。より具体的には、著者は二元体制的サブガバメント・モデルというモデルを提唱していて、日本の原子力開発は、おおよそこれによって理解できるとしている。著者の言葉を引用しよう:

「筆者の考えでは、日本の原子力開発利用は基本的に、その推進に直接な利害関係をもつ諸集団(科学技術庁、通産省、電力業界、製造業界等)が、与えられた国際環境のもとで、それぞれの利益を確保することを目的として進められてきた。異なる集団間の利害が対立する場合も多かったが、その際には誰もが損をしないように相互調整がはかられてきた。このような「利益本位のインサイダー取引」こそが、原子力開発利用に関する意思決定の基本的な仕組みをなしてきたが、それはしばしば国民的ないし国際的見地からみて、非合理的・没合理的な意思決定をもたらしてきた。*1

このようなインサイダー・グループが政策決定を独占し、民主的なコントロールの外にあたかも影の政府のようなものをつくってしまうものが「サブガバメント」と呼ばれるもので、これはアメリカにおける軍産複合体や、原子力産業を典型例とする。吉岡によれば、アメリカと異なり、政策のほとんどすべての分野でこのようなサブガバメントが出来てしまっているのが日本の特徴であるとする。これについての吉岡の批判は私は極めて重要だと考える:

つまり日本では、行政機関が政策的意思決定を事実上支配し、国会は行政当局の決定をくつがえしたり、独自の決定をおこなったりする能力を欠いていた。また政権交代が行政に影響を及ぼす度合いも低く、まれに政治家のイニシアチブが発揮される場合でも、その影響力は官僚機構によって薄められるケースが多かった。また州政府に大きな権限が付与されていることが多い欧米諸国とは異なり、日本では地方自治体の権限は一般的にいって限定されたものであった。なお批判的立場の専門家や知識人、あるいは国民一般が政策決定に参加したり、影響を及ぼすことは、きわめて困難だった。批判的立場の人々は政府審議会のような政策に影響を及ぼしうる機構から排除され、国民一般が政策形成に影響を及ぼすための制度も不在だったのである。*2

原子力も当然、例外ではない。ただし原子力に関しては、二元体制、すなわち、通産省と電力産業の同盟からなるグループと、科技庁を中心とした二つのグループがあって、この両者が時には対立し、時には譲歩しあいながら、両者が利権を維持・拡大しようとする、という見方をとる。そのため、二元体制的サブガバメント・モデルというわけだ。したがって、原発推進側、あるいは国は、決して一枚岩ではなく、しばしば相互に利益が対立することに注意しなければならないことになる。

戦前から1990年代までの原子力の歴史をたどるなかで、吉岡はこれ以外にもいくつも興味深い論点を述べている。その一つは、立地問題だ。原発の立地問題に関して、日本の特殊事情は、地権者・漁業権者の立場が非常に強いこと。逆にいえば、いったんこれらの財産権処理がすめば、原発の立地は比較的スムーズに進むという。例えば、六ヶ所村の場合、もともと再処理場ではなく、コンビナートを建設するために財産権の処理が済んでいたために、比較的立地問題が解決した、というわけだ。また、各地の原発銀座といわれる場所に原発が集中して建設されるのも、同じ理由によるわけだ。

もう一つ、特に私に興味深かったのは、原子力をめぐるアメリカとの関係だ。この点はかなり複雑で、おそらくこの本だけでは十分にカバーしきれていないと思われる。それでも確かなのは、最近よく見かけるようなアメリカが原発を日本に売り込んだという見方が単純すぎることだ。吉岡は次のように書いている:

日本の原子力外交政策はアメリカ一辺倒であったと評されることもあるが、それは単純にすぎる。日本政府は自国の原子力民事利用にとって、アメリカとの密接なパートナーシップを築くことが有利な場合は、それを最大限活用してきたが、みずからの進める民事利用事業の包括的拡大路線に対してアメリカから圧力がかかったときは、驚異的な忍耐力をもってそれをしのいできたのである。*3

つまり、日本には最初から原子力の導入を望んでいた勢力がいて、それが原子力に関する外交を変化させてゆくアメリカとうまく折衝しつつ、日本での原子力の導入を進めたということのようだ。まず占領期には当然、日本への原子力の導入は考えられなかったわけだが、中曽根康弘らによる1954年の原子力予算の成立が、アメリカにおける1953年末にAtoms for Peaceの政策転換を捉えたものだった。そのあとも、アメリカが民間企業による原発の売り込みに積極的なときはそれを利用し、核不拡散に傾いたときは、それに従いながらも、プルトニウム民事利用についてはヨーロッパと連携して、アメリカの圧力から耐える、いった具合だ。

このことと密接に関係するのが、原子力の軍事利用の問題だ。吉岡は核の民事利用の背景には、軍事利用への意図があったと主張する:

こうした原子力民事利用の包括的拡大路線への日本の強いコミットメントの背景に、核武装の潜在力を不断に高めたいという関係者の思惑があったことは、明確であると思われる。たとえば一九六〇年代から一九七〇年代前半にかけての時代には、NPT署名・批准問題をめぐって、日本国内で反米ナショナリズムが噴出した。NPT条約が核兵器保有国に一方的に有利な不平等条約であり、それにより日本は核武装へのフリーハンドが失われるばかりでなく、原子力民事利用にも重大な制約が課せられる危険性があるとの反対論が、大きな影響力を獲得したのである。とくに自由民主党内の一部には、核武装へのフリーハンドを奪われることに反発を示す意見が少なくなかったという。こうした反対論噴出のおかげで日本のNPT署名は七〇年二月、国会での批准はじつに六年後の七六年六月にずれ込んだのである。*4

吉岡のこの主張を裏付けるには、これ以上の証拠が必要であると思われるが、この可能性は重要な論点であることに違いはない。

このことに関連して、吉岡の主張に対する私の疑問の第一の点を述べる。このような核武装の潜在力を高めたいという思惑の主体はいったい誰なのか。ここで示唆されているように、その主体が「自由民主党内の一部」だとするならば、そして、それが日本の原子力政策の背景にあったのであれば、それは吉岡の提唱しているような、二元体制的サブガバメントとは一応別の勢力、すなわちある種のナショナリズムないしミリタリズムを行動原理とする、自民党の政治家が、日本の原子力政策の構図に加えられなければならないのではないだろうか。そして、それは良くも悪くも、ローカルな省内利権とは別の国レベルでの利益を視野に入れた勢力であた可能性がある(それ自体が検討違いの方向であったとしても)。

吉岡の主張に対するもう一つの疑問は、二元体制を形成するグループの行動原理を利益・権益の観点からのみ見ることだ。これについては私自身、それほど根拠があるわけではないのだが、利益の確保のみからの説明で十分であるかどうかについては疑問を持つ。実際には、組織も、個人も、たとえば利益とは直接関係のない、習慣やカルチャーによって行動し、場合によっては利益と矛盾する理念やイデオロギーに基づいて行動することもあるのではないだろうか。もちろん、これについては、経験的な調査によって明らかにされなければならない。

*1:6頁。

*2:25頁。

*3:167頁。

*4:168頁。

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