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Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-05-11

[]吉岡斉『原発と日本の未来:原子力は温暖化対策の切り札か』岩波ブックレット No. 802、岩波書店、2010。

前のエントリーに引き続き、折角なので、同じ著者によって書かれたこちらも紹介しておく。こちらのほうは今でも簡単に入手できるはず。本というよりは短いブックレットで、手軽に読むことができる。

基本的な主張は、原子力産業を現在の国の「過保護」状態から引き離し、独り立ちさせよ、ということ。著者は、自分の立場は脱原発ではないとするが、独り立ちしたときの原発の「生存可能性」を低く評価しているので、事実上は脱原発に近い、ということになる。

著者のいう過保護状態とは、いうまでもなく、電力会社の経済コストやリスクを国が肩代わりしていること。これを取り除いて、自由主義市場経済にさらし、そこで経済性が成り立てば、原発をやるのも良いが、著者自身は、どうせ成り立たないだろうと思っているわけである(面白いことに、著者は、市場、市場と言う代わりに、進化論の例えをつかって、原子力発電という「種」の「自由選択」と言っている)。

著者は、法的に原子炉の新増設を禁じる必要はないと考えている点で、多くの脱原発路線とは一線を画する。また、原理主義的な反原発、つまり人類と共存不可能なものとしての原発という捉え方には批判的なようだ。

これは穏健で妥当な立場だと思う。ただ、疑問なのは、原発事故のリスクをどうやって市場経済に組み込むことができるか、ということだ。あるいは、市場というのは、そういったものを適切に評価できるほど賢いものだろうか。例えば、現在、原発によって電力会社が莫大な損害補償コストを負っているわけだが、そういったコストを事故前にどう評価して、市場経済に組み込めるだろうか。一つの方法は、保険をかけて、その保険金を平常コストに組み込むことだろう。ところが、現在の損害補償保険の仕組みがまさに、一定額以上の損害補償に対しては、国が肩代わりすることが前提であるかのような欠陥のあるシステムになっている。そもそも、原発事故に対して、そのコストをカバーするような保険をかけるようなことが現実に可能なのだろうか。そして、その保険をかけることができないということがまさに、事故を考慮したら原発のコストを適切に評価できないということを示しているように思われる。

ただ、事故の補償のコストを考慮しなくても、すでに原発は経済的に成り立たない可能性も高いから、問題にする必要はないかもしれない。

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