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Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-01-09

[]ナオミ・オレスケス&エリック・M・コンウェイ福岡洋一訳)『世界を騙しつづける科学者たち』楽工社、2011

前から読まなければと思っていたところ、訳書を御恵贈いただいたので、紹介する。原題はMerchants of Doubt。コンウェイはよく知らないが、オレスケスは、科学史家で、現在カリフォルニア大学サンディエゴ校のSTSプログラムのディレクターである。もともと、地球物理や海洋学の歴史を研究していたのだが、この本で一躍、やや違った方面で脚光を浴びるようになった。なお、オレスケスは私の指導教授のピーター・ギャリソンの(だいぶ前だが)大学院生の一人であり、さらになんどか私が共同研究をした友人のディビッド・カイザーの学部時代の指導教員でもある。というわけで、当然、私はこの本に対してかなり好意的なバイアスがかかっていることは認めなければならない。また、この紹介は長いわりにはあまり時間をかけずに書いたので、不備は色々あるかもしれない。ご批判を頂ければ幸いである。

この本は英語圏ではすでにかなり良く知られて、それ自体のウェブサイト*1だけでなく、すでにウィキペディアに項目が立つほどだ。*2 文中でも言及されているプロクターのたばこについての研究と並んで、科学史家がいかにアクチュアルな問題にタッチできるか、その一つの究極的な形態を示すものだと言える。オレスケスは、この本の研究によって、広く知られるようになり、さまざまなメディアに登場するようになったが、同時に、訴訟リスクどころか、殺すと脅迫されるまでになったという。*3

これはいわばアメリカ版の「御用学者」についての本であると言ってもいいかもしれない(ただし、日本的な「御用学者」とはおそらくだいぶ違う)。この本の根本的な論点は、自由市場に基づいた資本主義経済システムが問題を引き起こしており、それを科学が発見し、確認したために、自由市場主義の信奉者が、科学の妥当性に対する疑いを主張し、それによって政策決定が引き延ばされた、あるいは引き延ばされている、ということになるだろう。著者たちは、喫煙、核の冬、酸性雨オゾンホール、二次喫煙、地球温暖化、そしてDDTについてそれぞれ一章ずつあてている。最後のDDTの事例は、事後的であり、やや性質がことなるが、それ以外のどの事例も、ほぼ同じ構造をもっている。科学者コミュニティは、これらの事柄において問題を認識し、同意したにも関わらず、一部の科学者たちがそれに反対し、そのために、これらの問題に対する対策の政策決定を遅らせた、ということである。

そこで反対する科学者がMerchants of doubt、疑念を売り込む者たち、というわけだ。登場するのは、ほぼ同じ一群の人たちで、主要なのは次の四名で、皆、物理学者である。フレデリック・サイツ、フレデリック・シンガー、ロバート・ジャストロウ、ビル・ニーレンバーグ。このうち、フレデリック・サイツは、1940年Modern Theory of Solidsで良く知られた固体物理学の指導的物理学者であり、フランクリン・メダルの受賞者でもある。それだけでなくロックフェラー大学の学長を10年間務め、全米科学アカデミー(National Academy of Science)の会長にもなっている。シンガーはロケット科学の専門家であり、人工衛星の研究を行い、米国気象衛星センターの初代所長となった。ジャストローも宇宙開発に関わり、NASAのゴダード宇宙科学研究所の所長になり、アポロ計画等において頻繁にテレビ出演して、科学を大衆に伝える仕事をした。ニーレンバーグは、海軍関係の軍事研究に従事し、スクリップス海洋学研究所の所長になった。彼らに共通するのは、冷戦期のアメリカの国防戦略に科学上の大きな貢献をし、それによってアメリカの政権内部に食い込み、さまざまな委員会・審議会の常連となって、科学政策上の大きな影響力を持ったことである。彼らは、たとえばマーシャル研究所を設立して、これを拠点としてさまざまな活動を行った。この研究所の表向きの目的は「国家安全保障その他の公共の課題に影響を及ぼす科学の分野において米国身の基本的な科学知識の水準を高めること」だったが、実際にやったのは、彼らアジェンダを実現するため、というより彼らが反対するアジェンダが実現されないための、宣伝活動を行うことだった。原題にあるように、彼らは科学上の疑念を売り込むことにより、彼らの反対する規制が導入されるのをできる限り遅らせようとしたわけである。

これらの科学者たちは、喫煙や、核の冬、オゾンホール、温暖化、等々において、主流の科学者たちが示した問題やリスクを、あらゆる手段を用いて疑わしいものとして論じた。たとえば、第五章では二次喫煙の問題が取り上げられている。著者たちによれば、二次喫煙の問題は1980年代の半ばには科学的には決着がついていた。初期の重要な研究は日本の国立がんセンターの疫学部長だった平山雄によるものだった。*4彼の研究は、喫煙者の夫をもつ女性の肺がんによる死亡率が、非喫煙者の夫を持つ女性に比べてずっと高いことをあきらかにしたもので、29の地域で、非喫煙者である女性9万1540人を14年間に追跡調査し、より煙に曝されればリスクが高まることを示していた。これに対して、たばこ産業は、対抗する研究をしかけて平山の評判をおとそうとコンサルタントとして著名な科学者を雇った。その結果、新聞は「非喫煙者のリスク、新たな研究で矛盾する結果も」といった見出しの記事をのせ、タバコ会社はその見出しを載せた全面広告を新聞に出したりした。しかし、他方で、業界の顧問たちは、平山の研究が正しいことを認めていたという。*5にもかわらず、タバコ産業が出資した、タバコ研究センターは、二次喫煙の問題を扱う特別プロジェクトをはじめ、二次喫煙の有害性を示す研究に対抗する科学的証拠を見つけたり、それに反対する専門家の証人を集めたり、それに反対するカンファレンスを開催したりした。

1992年になると、アメリカでは環境保護庁(EPA)が乗り出してきた。この年、EPAは『二次喫煙が呼吸器の健康に及ぼす影響』という報告書をまとめ、「環境煙草煙」の健康被害を結論づけた。*6 これに対して、シンガーとサイツは「まっとうな科学(Sound Science)」という旗印をあげ、健全な科学の促進同盟(TASSC)を結成して、EPAの科学研究を「がらくたな科学(junk science)」として攻撃した。彼らはEPAが他の要因を排除したことや、95%ではなく90%の有意水準を取ったこと、そして、有害物質にさらされる量に比例してリスクも増大するという、線形の用量反応曲線を想定していたことを批判した。最後の点に関して、シンガーらは、EPAは「閾値効果」、すなわち有害物質が一定レベル以下なら何も影響を与えないことを、を想定すべきだった、と論じた。EPAは閾値がないことを証明できなかったから、線形の用量反応曲線を仮定した点に「欠陥がある」、つまり、「まっとうな科学」でない、というわけだ。

しかし、シンガーらの主張がだれによっても検証をうけなかったのに比べて、受動喫煙に関するEPAの報告書は、きわめて厳密なピア・レビューを経たものだった。9人の専門家と9人の助言者からなるパネルによって査読を受け、一回目の査読レポートによる集成の後、5カ月後に二度目の審査を行って、承認されたもので、内容としては科学者共同体がなんら問題を見いださないものだった。閾値効果を考えないのは、科学者にとっては妥当なことで、とくに考えるべき理由がなければ考えないだけのことであった。

なぜサイツらは、様々な問題に対して、疑念を売り込むようなことをしたのか。この本によれば、彼らはその政治的なイデオロギーのためにこのような活動をしたのだった。冷戦の戦士として、彼らは皆、熱烈な反共主義者であり、自由市場の礼賛者だった。彼らにとっては、自由を守ることは、資本主義を守ることであり、そしてその資本主義は、自由市場に基づいていなければならなかった。ところが、著者たちによれば、科学は、環境をめぐる問題に関して、自由市場がもはやうまく機能していないこと、規制なき自由市場経済が、環境問題を生み出すことを見つけてしまった。そのために、サイツら、市場経済主義の信奉者たちは、科学を批判せざるを得なかったのだとする。サイツらにとっては、環境保護主義は、規制をもちこみ、市場原理に反し、資本主義を破壊し、社会主義的なものを導入するものだった。環境保護主義者は、スイカ、つまり、外側は緑でも、中は真っ赤、というわけだ。

このように見たとき、サイツらは、政治的に科学をゆがめたとしても、日本でいうところの「御用科学者」とはかなり性質が違うと言えるだろう。彼らはたしかに、タバコ産業、石油産業、化学産業等々の産業界に利する活動を行い、かつこれらの産業界からの資金援助も得ることがあった。しかし、決してアメリカ政府や大企業の手先であったわけでも、あるいはそれらに媚を売って、個人的ないし研究上の便益を得ることが目的だったわけではなかったようだ。むしろ、アメリカの保守陣営の一員として、彼らが信じるイデオロギー、すなわち自由市場資本主義に忠実だったのであり、そしてそれは当然、これらの産業界の利益とも、あるいはアメリカ保守政治勢力の利害とも一致したのである。

この本の邦題は『世界を騙しつづけた科学者たち』となっているが、これはやや誤解を招くだろう。この本は一部の記述を除いて、ほとんどがアメリカにおける環境規制とそれについての科学技術をめぐる議論である。もちろん、騙されたのはアメリカだけではなかっただろうが、アメリカの外の話はイギリスとカナダの事例が若干あるだけだ。逆にいえば、この本は、政策決定において科学がどのような役割をはたすかについて、アメリカの事情が良くわかる本であると言える。たとえば、National Academy of Scienceについて、すこし前にこれの政府からの独立性を礼賛する記事があったが*7、この本では、連邦機関から資金を得ているため、当たり障りのないことしか報告書に書けない、きわめて保守的な機関として描かれている。

また、この邦題は、この本が非常に反科学的、ないし反科学者的であるという印象を与えるかもしれない。世界を騙すような科学者の存在は、科学者集団にとっては、その評判にとって望ましいことであるはずがない。しかし、この本の著者たちは、むしろ科学、とくに主流の科学者集団にしては強い信頼を示している。どの事例も、それぞれの分野における主流の科学者たちによって、注意深くなされた研究によって示され、厳格な査読プロセスを経ることによって、確認されたのに対して、サイツらは、それぞれ自分の分野では有能な科学者であったとしても、適切な専門性を持たず、査読ジャーナルに書いた論文ではなくて、マスメディアを利用した巧みな宣伝工作と、政界や産業界とよくつながった科学行政家、科学技術政策の助言者としての立場を利用して、科学上の妥当性を越えて影響力を持ってしまった事例として描いている。問題なのはこれらの一部の科学者たちで、主流の科学者集団のほうは基本的には正しいというわけだ。そして、それら一部の科学者たちは、その言説では一見区別がつかないとしても、彼らの行動は科学者の行動規範から逸脱しており、その点で、主流の科学者たちと区別がつく、というわけだ。

しかし、著者らのもつ科学者共同体への信頼、とくにピアレビューシステムへの信頼には、留保をつけざるをえない。それは著者たちも反対しないかもしれない。いうまでもなく、ピアレビューを経た研究でもろくでもないものはいくらでもある。それ以上に、たとえば、たばこ産業がピアレビューをするかのような雑誌を出していることに言及しているが、ピアレビューの外見を備えることは、大きな産業の財政的基盤があれば、それほど難しいことではないように思われる。そうしたときに、信頼できる科学とそうでない科学とを区別することはいったいどうやってできるのだろうか。ピアレビューが判断基準と見なされれば、「疑いを売るもの」たちは、その仕組みを利用するだけのことではないのだろうか。著者らは、科学のポチョムキン村と呼んで、科学的な見かけをだけしかない主張を区別できるかのように見なしているが、直面する問題に関して、必要な短時間のうちに、本物と偽物を区別することが実際に可能なことばかりであるという保証はない。時間がたてば可能かもしれないが、しかし、しばしば時間稼ぎこそが、「疑念を売り込む者」たちの目的なのである。

この本では、本物の科学とそうでない科学の区別が明らかであるかのようだ。それは、それが明らかであるような事例であるからかもしれない。しかし、本当にそれほど明らかなのだろうか。それは、かなりの程度、後知恵、とくに「疑念を売り込む者たち」の行状を歴史的に見ることができることになった時点での後知恵なのではないか、という疑念を払しょくできない。この本では、それぞれの歴史的時点における物事の不確定さを十分に追体験することが難しい。

とはいえ、この本は、「疑念を売り込む者たち」のさまざまなやり口が記述されている。これらのやり口を知っておくことは、誰が「疑念を売り込む者たち」なのかを見分ける上で、有益なのではないかと思う。おそらくは、どの科学者が信頼できるのかについての、普遍的な処方箋は存在しない。それならば、なるべく多くの事例を知っておくことが助けになるはずだ。

この本はそれぞれの問題が章ごとにまとまっており、それぞれ独立して読むこともできるだろう。全体として、非常に良くかけており、2巻本であっても、かなり読みやすい。専門家ではなく、一般向けに書かれている。しかし、同時に、きちんとした注がつけられており、学術的な使用にも耐えることができると思われる。環境問題等、社会的に取り組むべきであると同時に科学知が必要で、かつそれが経済活動とも関わるような問題があるが、そのような問題に関心がある人にとっては、参考とすべきところが多いと思われる。

(一部1月11日に加筆)

masudakomasudako 2012/01/14 19:54 わたしは英語版を読んで、おもに温暖化関係の話題について考えたことを次のところに書きました。
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/reading/oreskes_conway.html
Nierenbergについては、Oreskesたちは、1983年から1989年までの地球温暖化をめぐる学問の進展を軽視し、Marshall Instituteに移ってからのNierenbergの言動をScripps海洋研究所所長時代のNierenbergの行動に読みこむというanachronismに陥っていると思います。Nierenbergの子どもたちによる反論があって、Historical Studies in the Natural Sciencesの査読をとおっているのですが、それでも身内のいうことでは弱いかもしれません。わたしの認識からはNierenbergの子どもたちの言い分が支持されるのですが、客観的に示すことができないでいます。
日本の温暖化懐疑論には、アメリカからの輸入のほかに、独自のものがあります。槌田敦氏は明らかに独自の思想家だと言えるでしょう。その背景は1970年代の反体制思想で、「左」と言ってよいと思います。フランスでも、たまたま日本語に訳されているYves Lenoirは明らかに左翼です。体制が原子力推進なので、反体制的に考える人が温暖化説は原子力推進のための作り話だという陰謀論に陥りやすいようです。北アメリカだけを見ていると、温暖化懐疑論は市場原理主義的「右」だと思いこみがちですが、そう単純ではありません。
日本の温暖化懐疑論にはこのほか、アメリカの宣伝を真に受けているだけと思われるものも多いですが、もしかすると、なんらかのイデオロギー(市場原理主義かもしれない)に基づく確信犯(懐疑論をウソではないまでも根拠があやふやなことを承知で強弁)かもしれないと思われるものもあります。渡辺正氏(応用化学、東大生産研、化学教育界への影響力がある)や深井有氏(応用金属物理学、中央大学、学部課程は地球物理)はもしかするとそうかもしれません。

masudakomasudako 2012/01/15 19:10 前のコメントの最後の部分の補足です。渡辺氏が化学教育を論じたり、深井氏がエネルギー媒体としての水素を論じたりしているときと、彼らが邪悪な気候学者の陰謀について語るときには、ジキルとハイドの豹変があるようにわたしには思われるのです。
http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa/?p=222
http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa/?p=1508
しかし気候の予備知識のない人が読むと区別はつかず、一方が信用できれば他方も信用できるように思われるようです。

masudakomasudako 2012/01/15 19:28 話題が少しはずれますが関係はあると思います。Alvin Weinbergのtrans-scienceの評論集(1992年出版、読書メモ http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa/?p=1134) の第5部の序論(215ページ)によれば、Weinbergは1975年に、アメリカの連邦行政官に対して、Keelingの大気中二酸化炭素濃度観測値のグラフを見せながら、二酸化炭素を出さないエネルギー源としての核分裂の研究の必要性を述べたそうです。
室田武さんがこれを重視して、まるで温暖化論はWeinbergが原子力推進のために始めたframe upであるかのようなこと(そう言いきっているわけではありませんが)を言っていました(2011年10月の駒場でのシンポジウムのわたしのメモhttp://d.hatena.ne.jp/masudako/20111002/1317565429 )。室田さんと槌田敦さんはエントロピー論を構築した盟友ですから、気分的にそうなるのは無理もないのですが。
確かにアメリカの役所のうちで基礎科学ではなく応用として温暖化問題にとりくんだ点では、DoE、とくにORNLが早かったと思います。WeinbergはORNLの所長を解任されて、同じOak Ridgeながら別組織に移り、一時期はWashington DCでAECからDoEへの改組に関する企画にかかわったそうですが、はたしてDoEの政策にどれだけの影響力をもちえたのでしょうか? 温暖化の話だけつまみ食いされてどういう原子炉を開発するかに関しての権威は認められなかったのでしょうか?

kenjiitokenjiito 2012/01/17 20:21 増田様、大変、興味深い、詳しいコメント、多謝です。この本は、温暖化をめぐる議論でもっとも注目されているのですが、その部分はまた別に検討したいと思って取り上げないでおいたのでした。
日本の状況との比較は、非常に興味深いと思います。何か、まとまったものを書かれてはいかがでしょう?
ワインバーグの件も興味ぶかいところです。次の記事はご覧になりましたか?http://nucleargreen.blogspot.com/2010/12/alvin-weinbergs-integrity-and-vision.html

masudakomasudako 2012/01/18 23:01 Weinbergに関する記事の情報ありがとうございます。ORNLのCarbon Dioxide Information Analysis Center cdiac.ornl.gov は1982年にできたそうです。温暖化研究でORNLの特徴があるのは生態系のCO2濃度自体への応答(のちには温暖化への応答も)や、生態系のCO2吸収能力などの研究です。Weinbergは直接関係していないはずですが、この方面では影響力があったのかもしれないと思います。しかし熔融塩炉の開発は止まったし、原子炉の安全性の議論でもWeinbergの影響力は(trans-scienceのひとことを除いて)あまりあったとは思えません。
日本での温暖化懐疑論に関して6年前に書いたものがあります。
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/essay/kaigiron.html
しかしそこで話題にしたのは議論の内容であり、動機ではありません。動機を推測で論じるのは本人を怒らせる可能性もあってむずかしいことです。ただし、人文社会科学の研究として、温暖化に関する主張と、原子力に関する主張、福祉国家か小さい政府か、全球化志向か鎖国志向か、欧米追随科国粋主義かなどのいくつかの軸をたてて、どういう主張が共存する論者が多いかを客観的に論じることはできるかもしれません。わたしにはとてもその作業はできませんが。

masudakomasudako 2012/01/29 01:27 温暖化の件で、わたしはOreskesと違って、Nierenbergが委員長をつとめたNational Research Council (1983)の報告書は今のIPCCを基準として偏向してはいない、と思うのですが、今のIPCCがNierenberg委員会の持ちこんだ偏りを引き継いでいるとは言えるかもしれません。地球環境と相互作用する人間社会に関する科学を経済学で代表させてしまったことです。今から見ると、文化人類学、あるいはWallersteinやFrankなどの世界システム論的歴史学が、もっとかかわるべきだろうと思います。ただしそうならなかったのはNierenbergなど特定のkey personのせいではなく、学問全体と政策との接点の構造のせいだと思います。

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