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Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-06-13

[]Carla Nappi, "The Global and Beyond: Adventures in the Local Historiographies of Science," Isis 104, 2013: 102-110. http://www.jstor.org/stable/10.1086/669850

Isis Focus読書会*1のためにブログ更新。

Carla Nappiは、最近層が厚くなりつつある英語圏における中国科学史の若手のホープの一人である。現在ブリティッシュ・コロンビア大の助教授。2009年に、The Monkey and the Inkpotという中国の自然誌についての本を出版している。

この文章においてNappiは、Isisの読者層である英語圏科学史家とその研究テーマの世界的拡大を、ローカルな個別研究という歴史記述の増大としてとらえ、科学史が現在分岐点にあるものと考える。そして、その将来進むべき方向に関して、幾つかの選択肢を問う形で、問題提起をしている。問題提起の仕方は若干未整理に思えるが、おおよそ次のようなものであろう。

第一は、中心化を保つか、それとも脱中心化するか、ということである。すなわち、現在のように科学史とそうでないものの境界を明確に保ち、英語を支配的な言語として維持し、現在、正統とみなされている叙述の仕方や、証拠の提示のしかたを維持するという途を選ぶか、それとも、脱中心化の道、すなわち、そのような明確な基準からはなれ、また、History of Science Societyを科学史の中心的な機関とすることからも離れ、多様な声の間の対話を行う、という途を選ぶか、ということである。

第二のものは、「グローバル」に関わる。西洋中心的な科学史から離脱し、「グローバル」な科学史を志向するにあたって、当然、単一のグローバルな科学史というものはあり得ないので、ローカルな科学史の個別事例から出発し、そこから全世界的な科学史の織物を作ることになる。しかし、その過程で様々な困難に直面する。一方で、その地域の特定の研究対象をその地域についての包括的な言明に一般化する本質主義の危険があり、他方で、個別事例をどうやってより大きなストーリーにまとめて行くのか、という問題がある。あるいは、知識をグローバルに捉えるときに、知識の循環のモデルを維持するのか、それとも、それによって生じる物象化の問題等をさけて、他のモデルを採用するのか、という問題がある。

第三の問題は、「翻訳」と評価に関わる。Nappiは、科学史には世界各地にいろいろなやり方があることを、中国科学史の研究者としての彼女自身の経験から述べ、「グローバル化」を志向したときに、それら多様な科学史のやり方の間の関係はどのようなものであるべきなのかを問う。それらは互いに、貢献しあうべきなのか。それらの間での言語的・知的な「翻訳」がなされ、共通に了解されるような科学史が目指されるべきなのか。そもそもそれは可能なのか。これに関わる一つの問題が言語の問題である。現在History of Science Societyの支配的な言語は英語であるが、もし「グローバル化」を志向するならば、英語圏にはないメンバーには困難が生じることになる。言語だけでなく、世界各地の科学史のやり方においては、当然、評価基準が違う。これらの様々な評価の仕方があるときに、どうやって「グローバル」な標準を決めることができるのか?

Nappiはこれらの問題はどのようなやりかたが支配的になるべきか、という問題ではなく、科学史家個人それぞれの選択の問題であるとする。そして、より包括的で、開放的な途を選び、最近の科学史の新しいやりかたをいろいろ試してみることを選ぶならば、この分野についての基本的な考え方を変えるかもしれないと示唆する。そして、こう言って結ぶ:「それは危険な場所だ。しかし私はそこにいるだろう。」

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