山の上から

by kenken321

2018/01/04 (Thu)

[][]新年の抱負ならぬ今年度の第四四半期に向けての覚書 22:07


新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

去年は当たり前にしていた新年の挨拶も、今年は少し重みを持つようになりました。「何でもない」すなわち「何事もない」昨年を過ごせたからこそ言える挨拶なのだと思います。

おかげ様で無事平穏に過ごせた有り難さとともに、多くの人々と色んな出来事に出逢ったことの有り難さが印象深い、とても有意義な1年でありました。ここから年度末までの3ヶ月間、これまでしてきたことを敢えてこれまで通りにしてみたいと、自信の無い人間にも思えるだけの内容があったように思います。足を延ばせば延ばしただけの成果が得られるのだと、これから先の長い道のりに対して勇気をもらえる出逢いをいただいたことに感謝しながら、まずは年度末までやり尽くして、そこから何が見えるのか楽しみです。



追伸

聴いている音楽を挙げると心境の変化が表れているかもしれません。ジャンル(というもの自体、今の音楽にそぐわないかもしれませんね)を越えてこんな音楽まで聴くことになるとは自分自身意外でしたが、とても楽しんで聴いています。


・『KiLLER BiSH』BiSH

・『THE GUERRiLLER BiSH』BiSH

・『身から出た唄』竹澤汀

・『(p)review』竹澤汀

・『ドラマチック』クラムボン(10年以上前にMD(!)にダビングして持っていたものをユニオンディスクで購入)

2017/04/09 (Sun)

[][]有機体的世界観 00:21


20歳の頃から時間が経つのが遅いと感じているのですが、この1週間も割と長い時間に感じました。

大抵の方は歳を重ねるに従い時間が早く流れると言われるのですが、そういう意味では私はちょっと歳の重ね方が人と違うのかもしれません。

先日5年ぶりの更新をした際には、4月第1週の手帳はほとんど白紙だったのですが、振り返れば色々と考えさせられること、そして得ることの多い1週間でした。

思い返せば年明け早々に日吉大社で御神籤を引いた頃(というのがとても前に感じますが)から、今年はぐっと堪えてここ10年間の総括にしようと決意したのですが、そこから次男1歳の誕生日があり、妻と私の誕生日があり*1、そして割と精神的に大きな出来事もありました。

三十数年生きてきて、自分の後輩を見送るなんて考えてもみなかったのですが、これも何かの機縁なのだろうと思います。その前後から考えていたこと、出会ってきた人のことに思いを巡らす、本当に大きな機会になりました。

そしてこれは良くも悪くも私の性格というか、やはり有機的に物事を捉えて繋げていくことしかできないと思っているのですが*2、こういう出来事に出逢うとその思いを強くします。

 

少し話が前に飛びますが、私が今の会社に「異動」した*3のが、東日本大震災の1ケ月半ほど前のことでした。同年9月に結婚を控えていた私にとって、とても複雑な心境だったのを、今振り返ってもとても鮮明に覚えていますが、実はこの結婚式の日は、今では震災の影に隠れてしまった豪雨災害が紀伊半島を襲った日でもあります。1年半後、熊野三山を中心にした小旅行をしましたが、傷痕なんて言葉では足りないほどの惨状で、山も河もその姿が豪雨の前どうであったか、想像もできない有り様でした。

 

有機的という話に戻りますと…この2011年という、日本にとって深く刻まれてしまった年に聞いた音楽が、この3月に私に起きた出来事にとっても、とても意味深いものに感じたのですね。それが、前回の追伸に記した熊木杏里の『and...Life』でした。この冒頭に収録されている『Hello Goodbye & Hello』という曲こそ、私やその周りでこの出来事を受け止め切れなかった皆さんに必要なのじゃないか、と。

この曲は震災直前に封切りが発表されていた、新海誠監督『星を追う子ども』の主題歌として書かれたものです。映画をほとんど見ない私は当時、この映画をリアルタイムでは見ていないのですが、今回のことがあって何故か思いだされたこの曲を改めて聴き、そしてそれが映画と分かち難いことを今更ながらに知って、先週末初めて見ることとなりました。

震災と無関係に作られた映画とその主題歌が、こんなにも震災後の世界にとって意味深いものであることに驚くばかりで、当時この映画と音楽に救われた方がとても多かったのではないかと思います。長野県出身の新海誠と熊木杏里が紡ぐ美しい描写と、それに反して異常なテンポで進む不条理なストーリーを、私は不思議というよりはむしろとても自然な気持で見ました。

自然に見られた理由には、世界で起きている出来事とそれを受け止める人間との間にある埋め難いギャップなのではないか、と感じたことがあります。人智で計ることなど到底できない世界があって、それは天変地異のような大きな出来事であろうが、身近な人の生死であろうが同じなのだと。また悦ぶべき事柄であろうが、哀しむべき事柄であろうが同じなのだと…こんな当たり前のことが、繰り返しの日常の中ではつい忘れられがちです。「時の流れなどない、ただ人間の心が流れているだけだ」と聞いたことがありますが、まさにその通りで、結局きっちりと日々の出来事に“Hello”や”“Goodbye”ができているかどうかなのです。

時計を前に進めるために、今できることを、と思いを新たにしています。日常を急に変えても歯車は噛み合いませんが、気持ちを変えることで世界は違ってくるはずです。前回の覚書に少し加筆し、前述の『星を追う子ども』ともう一つ、新たに手元に置いて繰り返し聴いている音楽があるので、これを記して今日の更新と致します。

私が稀代の雨男だということは有機的に繋がりますでしょうか(笑)

<最近聴いている音楽

・『Change your mind』雨のパレード

*1:女性の本厄にあたるので、厄除けもいきました。
吉田神社http://www.yoshidajinja.com/

*2:「有機的世界観」を卒業論文の題材にしたのも遠い昔のことのようです。
諮問の際には「良くできたブックレポート」と卒論として惨憺たる評価を賜りました(笑)
『科学と近代世界』アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドhttp://shoraisha.com/main/book/9784879840141.html

*3:前職の会社代表からは「出向」と言われましたっけ…いずれにせよ、普通の所謂「転職」とは少し違う形での「異動」であったのだと、捉えて今は働いています。

灰色な人灰色な人 2017/04/09 00:44 けんけんけーん!

Facebookでは見てますがこちらではといった感じでご挨拶。お久しぶりでございます。
相変わらずの飲んだくれでございます。ご家族皆様壮健そうでこれからもお元気でいて頂きたいところです。
ちなみに吉田神社は私の祖母が空襲後に過ごした家の近くなのであります。一度祖母やら家族と訪れたところ、ご存じな方がいらして驚きました。

最近はyoutubeで「SAVAN URBAN CHORD」、「椎名恭平」をよく聞いております。
SAVANのカホンプレイヤーと椎名恭平さんは我々と同い年なのであります。
よろしければ是非にー!!!

2017/03/31 (Fri)

[]新年度の計画

ご無沙汰している方もそうでない方もいらっしゃいますが、皆様お元気にされていますでしょうか。

私はいろいろありながらも、おかげ様で何とかやっています。


2017年の3月が終わり4月を迎えるにあたって、自分と自分の周りにいてくださる皆様へ、書き留めておきたい思いがあって、言葉を探しているところです。

戯言になるかもしれませんが、後になって振り返るためにも記しておこうと思います。


大学を卒業してから10年目の春を迎えましたが、相変わらずこうして言葉を綴っているのも、何かの宿命なのかもしれません。こんな人間が営業と書かれた名刺を持ち続けていることが今でも不思議でなりませんが、言葉を傍らに何とかやってきたように思います。

物事の良い面を表現するのが営業だとしたら、あまりにも私は営業向きではないし、余計なことばかり言葉にしてきたように思います。表があれば裏があり、光があれば影ができることを感じつつ10代を過ごし、20歳の頃に哲学を通った(通り過ぎた、くらいか)ためか、私は疑わしいことに敏感で、裏側を見て、反対の面まで伝えないと気が済まない。30歳を越していくらか面の皮が厚くなったとはいえ、今でも所謂売り込みは大の苦手です。

でもこの余計な言葉たちを携えて行くしかないのだと、開き直れるようになったのも齢を重ねたおかげかもしれません。面倒な人間には面倒な人間にしか進めぬ道がきっとあるのでしょう。どうぜ先の見えぬ世の中です。真っすぐ行ったら落とし穴、なんてこともままあるのだから、どちらが正解、どちらが楽、など考えても致し方ありません。


さて、そこで面倒に面倒を重ねた道を、勝手気侭に描いてみます。

皆様からどんなご批判を受けるのか、何も反応されないのか、はたまた奇特な賛同者が現れるのかは乞うご期待ということで、下記の計画をご笑覧いただければ幸いです。


<2017年度事業計画>

事業年度:2017年4月1日〜2018年3月31日

事業予算:0円(2017年3月31日現在)

事業目的:滋賀県の生産者と消費者との情報交換を行ない、活性化を図る

事業対象:滋賀県の生産者ならびに消費者。

事業形態:組織化,企業化は、「現段階では」前提としない。

     既存組織の従業員や個人事業主、その他の個人に対し、参画にあたっての必要要件は設けず、あくまで情報交換とそれに伴う活性化に資する人材を広く募る。


お堅くなってしまいましたが、平たく言うと「滋賀県の魅力をPR」なんてお題目は、良くも悪くも滋賀県人には不向きでしょう、私もそうです、ということ。良いものがたくさん埋もれているのはどこの土地でも同じことですが、発信力や自信の無さはもはや性格として付き合っていくしかないのだと思います。

良いものがあって良いものが欲しい人がいる、そんなシンプルな構図を捉えなおしたら、無理に売ったり無理に買ったりすることなく、自然に良いものが残るのではないでしょうか。良いものが途絶える前に、良いものを手に入れられなくなる前に、やってみたいと思います。



追伸という名の本当の覚書

<最近聴いている音楽

・『Silent Passage』大野愛果

・『Fantôme』宇多田ヒカル

・『daybreak』Aimer

・『and...Life』熊木杏里

・『HEPTAGON』Goose house

<最近読んでいる本>

・『十一面観音巡礼』白州正子

2012/05/14 (Mon)

[]中欧旅行 part3 00:11

2012年3月12日(月)

ほんの少し続き


ホテルへチェックイン

ものすごく巨大なホテルだった。1000室,会議の収容人数は5000人らしい。

スポーツ団体の少年少女達が団体用フロント(一般のフロントと別!)にごった返し、なかなか入れなかった。

ポーター対応できず自分達でスーツケースを部屋に上げる。狭いエレベーター(4人くらいが限界),自動で消えてしまう照明の廊下を抜け部屋に入る。

5〜6人は入れるかと思える部屋にベッドが2つだけ。洗面所も広大で、共産圏のパワーをまざまざと感じる。色々と落ち着かない部屋だったが、自由時間によく歩いたことと、そして何よりPrahaの力に圧倒され疲れていたので、そのまま眠りに落ちる。



2012年3月13日(火)

<Czech Cesky Krumlov〜Austria Wien>


レストランは「一般の」フロント奥にあったが、廊下の長さが尋常ではなかった。サイズと味は当然比例しないが、何となく多く食べるくせがついてしまい、結局腹いっぱいに食べる。

前日は出発ギリギリだったので、早めに部屋を出てフロントへ。スポーツ集団(イタリア人らしい)を脇目にバスへ。

一路Cesky Krumlovへ。前日の疲れもあり半分くらいうとうとしながら、バスは徐々に高度を上げていたようだ。道の脇には黒っぽく固まった雪も残っている。


予定より少し早くバスは村の外の駐車場へ。

降りた雰囲気は昨年行った信州と似たようなところがある。郊外避暑地(のシーズンオフ)といった感じで、駐車場も閑散としている。

谷間のアーチは城(Cesky Kromlov城)のためのアーチだったようだ。アーチをくぐると箱庭というか宝石箱というか、本当にこじんまりとしたそして本当に美しい町並みが見える。Prahaも上からの眺望が素晴らしかったが、Cesky Kromlovのそれは凝縮感というか、何もかもその景色を作り出すために存在するようなものであった。ヴルタヴァ川に抱かれた小さな小さな町はそこへ入る前からこの旅でのハイライトに近づいたことを予感させる。


狭く曲がりくねった路地を抜け、メインストリートと思しき通りに出る。ヴルタヴァ川にかかる木の橋から見上げる城は、そこに建てた手法を考えたくなるような、緻密な計算の上に建っていた。

皆で路地裏(この町は全てが路地裏と言っても過言ではない)のレストランへ行き、昼食を取る。本当にどの路地を切り取ってみても可愛らしく美しい。

現地のガイドさんが遅れていたため、添乗員さんのおすすめスポットを案内してもらう。中心の広場から少し坂を上がったところにある小さな広場は、ヴルタヴァ川を挟んでCesky Kromlov城が一望できる絶好の撮影スポットだった。パノラマにして残しておきたい景色。ガイドさんが到着するまで退屈することはなかった。


展望スポットの向かい、HOTEL ROUGE(ぜひ泊まってみたい!)の隣にある聖ヴィート教会へ。Prahaを見た後では特に何か特徴があるような教会ではなかったが、郊外の教会ということで古ぼけた趣きがある。静かな空間だった。


中心の広場そしてメインストリートというには少し小さな通りを抜け、城へ上がる。

内部は冬期閉館と言われていたのでさほど期待していなかったのだが、いくつかの中庭を通り抜けるなどほとんど内部と言っていいところを通りとても楽しめた。城もPrahaに比べればずっと傷んでいたし、また装飾などもそこまで目を瞠るものではないが、山を登りながら近づきその中をまた登っていく道々はとても印象的で前も後ろもずっと見ていたい、そんな道のりだった。

城を上がりきると先程下をくぐってきたアーチの上へと出る。町そしてヴルタヴァ川を眼下に一望できるその場所はCesky KromlovそしてCzechの中でも5本の指に入るのではないだろうか。

しばらく写真を撮ったり景色をのんびり眺めたりして過ごし、町ではほんの少し自由時間。迷った後にピエロマリオネットを買いCzechの記念品とする。


バスへと戻りWienへ向かう。

道は相変わらず山の中を進み、Swissへと亡命したトラップ大佐映像が思い起こされた。国境はごくごくシンプルに通過。昔は検査所があったようだが、今は建物が残るのみだ。

Czechで買ったルートマップを見ながらAustria最初の街Lintzを通っていることが分かる。車が圧倒的に増えたように感じる。町にはScodaのディーラーもあったが、ドイツ車の割合が増えているようだ。ハイウェイから見える景色も少しずつ変わってきた。ドイツ風なのか黒い屋根に小さい窓、白やピンクの壁の家々が目立ち、オレンジ色の屋根はほとんど見られなくなった。


夕闇が迫りバスはWien市内の環状道路都心部へと進んでいく。ゴシック調の建物が多く建ち並んでいるがPrahaの後では麻痺してしまう。


ホテルは市内の中くらいの通りに面していて分かりやすい場所。綺麗なロビーにはバーもあり、この旅行で最も都会的な趣きだった。

夕食の前に荷物を部屋に上げる。部屋は内角部屋とでも言うべきか。少し広く隣がいない部屋でゆっくりくつろぐことができそうだ。


食事はバーの奥にあるレストランスペース(ここもおしゃれ)で、Wienner Schnizelをいただく。仔牛肉あるいは豚肉を薄く薄く伸ばしたカツレツはかなりのボリュームだったが、一流はもっと皿いっぱいになるほど拡げるらしい。衣の量ばかりが増えるではないかと思ったが、レモンと塩だけであっさりとした味付けではあった。デザートはザッハトルテ風のケーキ。スーパーは閉まっていたのでここでワインを呑んだ。白ワインはAustriaでは美味しいと聞いていたので白にしたが、確かに美味しかった。

2012/04/01 (Sun)

[]中欧旅行 part2 01:29

2012年3月12日(月)

<Czech Brno〜Czech Praha>

天候:Czech Praha…曇りに次ぐ曇り


起床

前日と同じように8時に荷物を出す。綺麗な部屋,ホテルだったが荷物の集め方なども手際よく安心できる。

食事は夕食を食べた「0階」から階段を上がったフロアで、高級感漂うレストランビュッフェスタイルだった。

ひとつひとつがやはり洗練された雰囲気で都会的。

ホテル内で会議があるのか、ビジネスライクな人が多く見られ、昨日までの朝食とは少し違う空気感だった。

コーヒーも美味しくいただき、時間ギリギリ集合場所へ。


私たち2人が最後になってしまったが、無事定刻通り出発。

ハイウェイはどんどん高度を上げ、山の中を進む。途中から霧が立ち込め小雨も混じる中、木陰には少し残雪もあった。

標高をかなり上がった所に位置するサービスエリアで休憩。水とスナックチェコ全図のロードマップを買い求め、車内で眺めながらPrahaへ向かう。


渋滞もなくスムーズにPrahaへ入る。

街並みは今まで通ってきた中欧各国,各都市と比べて破格に美しい。

古い建物の美しさは当然のことながら、新しい建物調和が保たれ、大通からの景色はどこを切り取っても絵になる。

Praha城を目指しバスは市内を抜けていく。

途中でヴルタヴァ川に沿って走り、Smetanaを思い出す。

オレンジの屋根、薄い緑色屋根などを眺めているとCzechそしてPrahaに来たのだという感が強くなる。

旧市街を脇目にバスはヴルタヴァ川を越え、Praha城へ登っていく。遠くから見ても美しいPraha城は近づくにつれその緻密さが顕わになり、目を瞠るものだった。


衛兵が2人城門に立ち、微動だにせずに(と言いたいがカメラや人の動きに目だけ反応する)城を守っている。

城内(?)のレストランにて昼食。グヤーシュと豚肉,ライスの付け合せ。グヤーシュはHungaryのものより幾分マイルドだった。ライスはタイ米のようなパラっとした米。


食後は現地の日本人ガイドの方とともに市内観光

昨日のBratislavaのガイドさん同様、東欧的なウィットに富んだ方だった。聖ヴィート大聖堂の内部へ入る。圧倒的な上への意識,天へ通じる空間を感じる。気が遠くなるほど長い年月と財をかけ築かれたPraha城は宗教的にはもちろん、政治的にも大変重要なものだったのだろう。戦争の度に破壊と再建を繰り返したというその姿は、ただただ息を飲むしかなかった。

たくさんの聖人像や壁画(フレスコ画),ステンドグラスと合間合間にある美しい装飾とそれらに守られて眠る墓の数々…ひとつひとつの歴史を知っていなくてもその力を誇示されると訪れる人間はひれ伏すのが自然ではないだろうか。


城の外へ出て歴史的な建造物群の中を歩く。

王宮現在の外観を一瞥しただけでは良く分からないが、下層から順に何世紀にもわたって建てられ、今もそれぞれの時代の建築を受け継いで幾層かに積み重ねられている。時代を反映した様式がミックスされている様は聖ヴィート大聖堂とも通じるところだ。

中へは入らなかったが、聖イジー修道院やイジー教会もゆっくりと見てみたい旧跡のひとつだ。こちらもロマネスク様式以降のいくつかの時代の建築が重層的になっており、壁の造りひとつ取ってみても部分部分で異なる様相を見せている。


続いて駆け足に黄金の小道へと入る。

ここは元々衛兵達が守っていた城壁であったところを、後に衛兵の住居、また更に一般の貸物件として時代下りながら使われていた建物で、現在土産物屋や小さな展示スペースなどになっている。

非常にかわいらしい雰囲気だが、土日ともなると人がごった返し治安の悪いCzechの中でも特に注意すべき場所のようだ。

土産物屋でブックマーククリップ,クルテクのぬいぐるみなどを買い求める。コルナは意外と早く無くなりそうだ。

自由時間いっぱい見物に費やし城壁の外へと出ていく。ここは景色が素晴らしく旧市街の建築物が一望できる。有名なカレル橋はもちろんのこと、麓の宮殿や橋向こうの劇場など整った街並みは他の中欧諸国と比べても段違いの美しさだった。一箇所真っ黒な壁が聳えているが、これは中世時代グロテスクな趣味が流行した際、貴族が自分の屋敷に作った人工的な壁だそう。近づくとより不気味な様相を呈しているそうで、これは次回のお楽しみか。


道が一部塞がれていて立ち往生したりしたが、無事に城のある丘から麓へ下りる。ここでも街の景色は十分に美しいが、カレル橋のたもとから更に雰囲気は一変する。

聖人像などが立ち並ぶカレル橋はPrahaの中でも人気スポットのようで、観光客と大道芸人,物売りなどが平日にも関わらず賑やかだ。人形遣いの男は日本の『サクラ』を演奏する。

橋の石畳,ヴルタヴァの流れとそれを見下ろすPraha城。この景色はどこをどう切り取っていいのか分からなくなるほどだ。切り取ると全部が絵になってしまう。


橋を渡って旧市街の中心部へ。

道が入り組み先がよく見えない街並みはヴルタヴァの曲がりくねった流れのせいかそれとも外壁に対する備えなのだろうか。どちらを向いているのか分からなくなってしまう。

観光案内に有名な天文時計がある旧市街広場にてガイドを受ける。

広場から放射状に道が路地が拡がり、どちらへ行っても見るべきもので溢れている。『プラハの歴史』で目にかかりたいと思っていた聖アネシュカ修道院場所をガイドの方に尋ねる。そんなところをガイドしたことはないと驚かれるが、お奨めしたい場所ではあるとのこと。路地の先で少し難しそうだが行けそうに思えた。

天文時計が動く時間が近かったので皆で見物。仕掛けはとても複雑だが、かなり小さなもので、真正面に陣取らないとよく見えなかった。1時間毎に動くらしいが、おそらく四半時間前には場所を確保しないと、あの人だかりでは難しいだろう。


ボヘミアングラスのショップへ行き、小休止の後1時間半ほどの自由時間。聖アネシュカ修道院を目指す。道すがら重ねていないバウムクーヘンのようなお菓子を食す。素朴だが美味しいと言えるかどうか…砂糖まみれになってしまった。

アネシュカ修道院がなかなか見つからない。どう見ても地図と実際の道が違うのであった。行きのバスからそれと思しき建物を見ていたので、一旦ヴルタヴァ沿いまで出てみると、やはりそれで間違いないようだが、今度は入口が見つからない。もう一度よく見てみると裏へ回るよう書いているようだと、奥様が見つけてくれた。裏へ回るのも少し難儀したが、なんとか正面へ辿り着く。

扉が閉まっている様子…悪い予感がするが近づいてみると、なんと休館日であった。残念だが仕方なく門からの写真だけ収めて中心部へ戻った。

中国人のやっている日用品店で水とワインを買い、土産物屋などを見て回った。天文時計を模した時計を買ったが、店主の兄弟が日本でDJをしているとかで丁寧に応対してくれた。ボヘミアングラスの小さなグラスを3セット買い、自宅そして両家へのプレゼントにする。


夕食はPrahaの繁華街、ヴァーツラフ通り沿いのパブへ。付け合せの「クネドリーキお腹を膨らませるためにあるのだとか)」はパンを丸めて団子にしたような雰囲気。完食はしたが、残している人が多いのは推して知るべし。