一直線に見つめるもの

こんにちは、検索迷子です。


キーボードが不安定なので、ちょっと不便なままの入力です。



透き通るような晴れた日曜日の朝、
遊びではない場所に緊張感を持ちつつ歩いていて、
休日を満喫している人たちとすれ違うとき、
なぜ、自分はこんな大変なことを選んで進んでいるのだろうと思う。
そして、集中の糸が一瞬切れそうになる。


試験会場なり、仕事の場なり、その場につくと、
同じようにあえてつらい道を選んだ、名前も知らない大勢の同志と出会う。
私だけが、この道を選んでいるわけではないのだと気持ちを新たにする。


リフレッシュのための休日を過ごす人もいれば、
キャリアアップのために遊ばない休日を過ごす人もいる。
特に何千人規模の試験会場にいくと実感する。
こんなに学ぶ大人がいるのだと。


この場に来るために自分も時間を割いて、
それなりに努力もして、テキストも書き込みや付箋だらけで、
自習ノートも作ってということが、
誰でもやっていることなのだと目の当たりにする。


試験は大学校舎を使うことが多いのだが、
大人たちがまるで大学生のように、
そこら中に座り込んで、必死にテキストをめくる姿を、
同僚たちは知っているだろうか。


それを何千人規模で見ると、学ばないことが逆に異常に見えてくるくらい、
皆、真剣に何かをつかみにきている。
受験放棄をする三割にならないで、準備をしてこの場に来ている。
まさに、挑みに来ている。



最近、連続していますが、
前回もご紹介した
ジャック・キャンフィールド、マーク・V・ハンセンの『こころのチキンスープ−愛と奇跡の物語』の一節をまたご紹介します。

こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語

こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語

試しもしないで
「できるはずがない」と
言うのなら、
実際に
やろうとする者の
邪魔をしては
ならない。

作者名はありませんでした。


何も行動しない人に、
何か行動している人をとやかくなんて言えはしない。
そして、自分の基準からすると不可解な行動であっても、
自分とは違った行動をすることを理解できないからといって、
排除してはいけない。
人は自分が選んだ道を歩いているのだと、認め合って生きていたい。


一直線に
目標だけを
見なさい。
障害が
目に入らないように。



ヘンリー・フォード

たいへんな道を選び、行動する人に、
目標は必ず手に届きますように。


人と違う道を選ぶことは、
ぜんぜん、おかしなことじゃない。


人と違う道を選べる勇気が持てる、
いつまでも変わり続ける、
たいへんな環境にあえて飛び込む、
そういうことができる強さがあるなら、
開ける道もきっと大きい。


大きな道を開くために、一直線に何かに挑む。


では、また。