(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神

こんにちは、検索迷子です。
今日の記事は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第4回である。
コラボブログの主旨については、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段で紹介している。
さっそく、今日の内容を進めたいと思う。

いま、水泳大会の話題を持ってきた理由

ここ最近の報道で、安易に素人分析を書くのがためらわれて、言葉に慎重になりすぎて逆に書けない状況が続いていた。だから、何をどう書くかを選ぶことすら、考えすぎていたような気がする。でも、どのみち話題の核心には触れられないのならば、いい形でSMAPを表現したいと思っていた。


そんなとき、たまたま凪さんとやりとりをしていて、私が大好きなSMAPの映像の話になった。それが今日紹介する、凪さんのブログ記事『SMAPとココカラ【3】「アイドルキックオフ生水泳大会」』での、木村さんの姿だ。


私と凪さんがコラボしようと思ったきっかけの一つに、私自身がSMAPに関する素材を何も所有していないことがあった。リアルタイムでの視聴、記憶でしか記事が書けないため、記憶を補ってくれる素材があれば、もう少し何か書けそうな気がしていた。


しかし中には、お金を出しても買えない、流通されていない素材がある。それがテレビ番組での過去映像だ。だから、レポートに徹して事実を記録し、私見を最小限に抑える凪さんのブログのスタイルに触発されることも過去に何度もあって、ずっと愛読してきた。でもその時点ではSMAPを題材にブログを書くなんて考えもしていなくて、心のなかで一人でSMAPへのリスペクトを深めるばかりだった。凪さんと偶然にもお近づきになったことで、凪さんのレポートに私見を加えることで、何か映像の持つ力を補えないかと思ってこのコラボスタイルが生まれた。


それで、雑談で水泳大会の話をしていた際に、私があまりにこの映像が好きで、熱弁をふるうのが(実際は、文字でのやりとりだが)面白いと思ってくれたのか、まさかまさかの書き起こしをしてくださった。


私は現在はSMAPファンではないが、過去に木村さんのファンで、一年間だけファンクラブに入っていたことがある。その経緯は、草なぎ剛さんと木村拓哉さんでも触れている。


スマスマだけはずっと観ていて、特に「アイドルキックオフ」の企画が好きなのだが、今日紹介する水泳大会は、木村さんの人間性が表れていて、とても好きな回だ。

木村さんが見せた、チーム勝利のために身を挺(てい)した姿

私は過去、木村さんのファンだったとはいえ短期間だったこともあり、水泳大会の映像を観たときに、私は木村さんをちっともわかっていなかったと思った。木村拓哉さんは、チームのために自己犠牲ができる人なのだと、この映像でつくづく理解できたのだ。


それが、凪さんのブログでレポしていただいた、2種目目「青春ストリート 走れ!スケートボーイズ」の箇所だ。正直、これを映像で観たとき、感動に震えたくらい好きな映像だ。それをこうして残してもらって、個人的にとても嬉しい。まさか、この話題を自分のブログで書けるなんてと驚いている。


ゲームは単純で、マッスルボーイズと呼ばれるムキムキの男性たちに、5人で立ち向かっていき、水中に落として倒しながらゴールを目指すというものだが、2回やって2回ともあっさりとメンバーは水中に放り出されてしまった。ゴールできそうな見込みはなく、アイドルが水中できゃぴきゃぴしているというゲームで終わるのかと観ているほうものんきな気分だった。


それで、3回目に挑戦するとき、「アルゼンチン式」という(たぶん)架空の戦略らしきものを立てて臨んだ。これは、いつものSMAP団体競技のように、木村さんにゴールを目指してもらおうと暗黙の了解だったと思っていた。あとで触れるが、これは木村さんの戦略とは実は違ったのだとわかる。


3回目をスタートして、体重の軽いSMAPメンバーは序盤に、軒並みプールに落とされていく。稲垣さん、中居さん、香取さんが最初にプールに落ち、木村さんが先を行き、草なぎさんが後に続いた。


木村さんがまず最終地点にいき、そこで大放水の攻撃を受けた。映像を観るだけでも放水の凄さがわかり、目も開けていられないほどだったに違いない。ここで放水の水圧で落ちてしまうのかと思ったら、木村さんは身をかがめて落ちないようにそこで伏せたまま粘り続けた。そのとき、後ろから草なぎさんが来て、草なぎさんにも放水が当たり始め、放水が二人に分散して、木村さんに当たっていた水圧が弱まった。


ここで、木村さんは草なぎさんに放水が当たったことをきっかけに、自分がゴールに向かうのかと思った。ゴールを決めるのはいつも木村さんという、SMAPの勝利の方程式がここで発揮されるのかと思ったのだ。が、木村さんはそうしなかった。ここで、後ろの草なぎさんをしっかり見つめて、自分が滑り落ちそうななか身体を思いっきり伸ばして、草なぎさんの手をつかみにいき、ぐいっと自分のほうに引き寄せた。そして、自分の身体を下敷きにして、浮島となった巨大なビート板の滑りやすさを避けるため、草なぎさんを自分の身体の上に乗せて押し出し、ゴールまで送り込んだのだ。ゴールまではわずかに距離があったが、そこは草なぎさんが自分の脚力と腕力で、まさに根性でたどり着いた。木村さんは草なぎさんにゴールを託した。


書いてしまえば、あっさりとしてしまうことだが、このシーンは何度見ても、心がわしづかみにされる。木村さんのとっさの判断力や、メンバーを信じる気持ち、自分の手柄よりもチームにとって最良の選択ができるひとなのだとわずか数十秒でわかるのだ。


木村さんが自分でゴールを目指すこともできたと思うのに、木村さんはそれをしなかった。いま、ここでゴールを託すのは自分ではなく草なぎさんだと瞬時に判断をした。草なぎさんの負けず嫌いなことや運動神経の良さもわかったうえで、草なぎさんの手を引き「俺はいいから、お前が行け!」と言わんばかりに、自分の身体を盾にするかのように文字通り、身を挺して先を促した。


たかがゲームと言われればそれまでだが、これがもし、遭難しそうな場面や、タイタニックの沈没のように誰が救助ボートに乗り込むかという場面、生死をわける場面でも、木村さんという人は自己犠牲ができる人なのではないかと思ったのだ。


と、ずっと木村さんの瞬時の判断だと思って記憶していたが、いま、改めて見返して見て、これは木村さんの作戦だったと今さらながら、チームの最適なフォーメーションを判断していた事前の策があったのだとわかった。


この競技、1回目は木村さんが先頭で、草なぎさん、中居さん、稲垣さん、香取さんの順で走っていたが失敗している。最初木村さんは、先頭で走るほうがゴールに有利だと思ったのだろう。2回目、メンバーはスタートラインに縦一列に並び直しているが、木村さんが後ろに並び直すのを中居さんが瞬時に察し、フォーメーションを変えるのだとメンバーがわかったのか、稲垣さん、中居さん、香取さん、木村さん、草なぎさんの順番となり、木村さんは意図的に4番目に入っていた。そして草なぎさんを5番目にして、おなかにパンチを入れるようなポーズでカツを入れていた。


そして、3回目、メンバーはさもそれが当たり前のように2回目通りに並んでいたのだ。誰も何も確認すらしていない。まさに、あうんの呼吸だ。木村さんは、最初からゴールを草なぎさんと一緒に目指そうとしていたのだと思った。一緒にゴールするか、どちらかが援護射撃をするか役割はさておき、ともにゴールに向かって戦える同士だと、自分と近いスポーツにかける負けず嫌いさを信用して、最後の役割を託していたのだ。そうか、最初から草なぎさんとともに勝ちにいっていたのだと思った。もちろん、そんなやりとりはどこにもない。でも、ちょっとしたやりとりでそれが伝わってくるのだ。この魂の結びつき、信頼の深さを実感して、映像を繰り返してみて驚いてしまった。



私自身、SMAPのスポーツチャレンジ企画で毎回凄いと思っていたのが、木村さんと中居さんは、最適フォーメーションを模索し、ほんの一言、またはほぼ無言や木村さんの動きでメンバーがそれを察し、暗黙の了解でそれに従い、集中力を切らさず競技に専念していることだ。バスケットなどの企画ではそれを意識させられることが多かったが、まさかこの水泳大会でもそれが生きていたとはびっくりした。たかがテレビの企画という姿勢ではなく、いつでも全力投球で勝負事に挑むひとなのだと、あらためて木村さんを見直したのだ。


木村さんにとって、負けていい戦い、負けると最初からあきらめる戦いはないのだ。どんな場面でも勝ちたい、負けたくないというその気持ちに、瞬時にスイッチが入り、策を練るのだ。その気持ちがメンバーに伝播し、バラエティの視聴者がのんきに楽しんで観ているような場面ですら、本気を出し、その本気度に集中力がさらに深まって、達成が無理そうなことに可能性が見え始める。その結果を出すための過酷さや汗に、観ているほうも夢中となり、会場のみならず空間を越えた視聴者の応援が乗り移るかのように、実際の勝利や結果につながり、奇跡って起きるんだというシーンを何度も見せてもらった。この本気で全力で挑むシーンに何度、感動をもらってきたことか。


たかが水泳大会とは言えない。ここには、木村さんの魂のありかたの一端が宿り、私はこの木村さんが一列に並ぶシーンから始まり、草なぎさんに思いっきり手を差し伸べ、自分を盾としたそのまっすぐな美しさに感動して、泣いてしまう。なぜここまで、まっすぐな美しい精神を持っていられるのだろうと驚く。


このあとのインタビューで、川端アナから「タックン、ツヨチャンにゴールを譲りましたね」とあったが、木村さんは「俺、泣いていいですか」としか答えていない。草なぎさんは「タックンが壁になってくれて」と言って、感動話になるのかと思いきや、直前に負傷した爪が痛い、プールに入るときは爪を切らないとだめですね、と笑いにして、木村さんが苦笑いしていたのもまたご愛敬だ。この話を自分の手柄とか、感動話に持って行かないのもまた、木村さんがそこを美談にしたり押しつけがましくないからだと、バラエティらしい終わり方となった。


この個人的に好きだった、水泳大会の話を、誰かに語る日がくるとは思っていなかったが、機会があればぜひ視聴していただきたいと思う。


私は今日のブログを、現在のSMAPが置かれている立場や、思考と結びつけて書こうと思えばできたが、今はそれをしない。この番組は2002年のもので、それから13年以上が経過し、今現在の彼らがこの時のままかどうかを断定するのはちょっと怖い気もする。彼らも13年分大人になり、また違った考えで行動する大人になっているかもしれない。


ただ、過去、確かにこういう美しき時間が存在して、それが基盤となり今があるのだと思いたくて、記事を書いた。だから、報道と過去を結びつけて、SMAPは過去にこういう絆や、出来事があったから今でもこうだ、とは断定できないながらも記事にしようと思った。今日は、自分が大好きだったこのエピソードを紹介できて、一番うれしいのは書いた私かもしれない。


自分にとって思い出深いエピソードも、SMAPにとっては覚えていないような出来事だってあるし、意図していない無意識の行動だってあるだろう。それを語ることに何か意味はあるのだとしたら、単純に書き手の気持ちの浄化に過ぎないエゴかもしれない。私は私の思い出と向き合っているだけかもしれない。その距離感は冷静に持ちながら、でも、彼らに迷惑をかけない範囲なら、過去の思い出映像を神聖化してもいいかなと思って紹介した。


とにかく、私が何年も一人で大好きだと思っていた映像が文字化できて、良かった。素材を提供してくれた、凪さんに感謝しながら、コラボブログのバトンを渡したい。


では、また。