(8)SMAPの「夜空ノムコウ」を歌い継ぐ景色

こんにちは、検索迷子です。
今日の記事は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第8回である。ブログ主旨については、最下段にリンク先を掲載している。


今日は、「夜空ノムコウ」の話を書こうと思う。

夜空ノムコウ

夜空ノムコウ


私は、趣味でボイストレーニングに通って、月に数回「夜空ノムコウ」を歌う練習をしている。その話題は、SMAPさんの『夜空ノムコウ』を歌うでも触れた。ボーカリスト志向はまるでなく、ましてや歌が得意なわけではない。つい最近、今世紀になって初めてカラオケに行ったくらいカラオケすら無縁だった。歌は好きだが、人前で歌うなんてと思っていた。


でも、単に声を出すと元気になるのと、逆に、元気でいないと気持ちが後ろ向きとなって張った声が出せない、という発見に声を出したり、歌う楽しさがわかってきた。だから、いつも声をしっかり出せるほど元気でいたいという理由で続けている。そして、その練習曲として「夜空ノムコウ」を選んだのも偶然のことだった。


解散報道直後のレッスンのとき、私は緊張していた。SMAPを思う気持ちから感極まって、涙声で歌えないのではないかと思った。


でも、それから数回レッスンに行き、私はごく普通にレッスン中に歌っている。我ながら拍子抜けで、私に感情はないのかともちらっと思った。でも、その理由ははっきりとしていて、私はこの曲をレッスン中は単に課題曲と見ているからだ。


譜面台に楽譜を置き、音符と歌詞と見ながら、息継ぎや伸ばす長さ、音程、抑揚の強弱、リズム、腹筋と背筋の使い方、口内での声の響き、声の飛びかたなど、さまざまな切り口で、教わった通りに「きれいに歌える」よう頭はフル回転していて、とてもではないが気持ちが乗る余地がないのだ。歌詞だけならそらで歌えると思うが、もはや楽譜で細かいチェックをしながらでないと、心配で歌えないという段階だ。


感情を乗せて歌うというのは、実はとても難しい。だから自分は素人なんだなと、つくづく実感する。歌として一曲をパーツごとに成立させることに必死で、まだまだ聞き手に気持ちや、歌詞の意味を届けるような域には程遠い。仮にいつか弱点を補強して、楽譜を見ないでそらで歌えるくらいになり、誰かと一緒の場でカラオケで熱唱したとしても、たぶん自分が気持ちいいだけで、一緒にいる人の心に響くというレベルで歌うなんて、いつかはそこまで行きたいが、いまはまるでできそうな気がしない。


だからこそ思うのは、SMAPは「夜空ノムコウ」を発表した1998年当時から、この曲の持つ雰囲気やメッセージを、多くのひとに伝えてきた凄さが実感できる。本人たちは、歌が上手ではないグループと謙遜をしているが、
歌の上手さは音程ではなく、本当に気持ちなんだなと思う。


そして、自分1人で歌ってみてはっきりとわかったのは、SMAPの5人の声、特にユニゾンと呼ばれる全員の声が重なる部分が、独自の世界観を生み出して、それ自体が大きなメッセージ性や心地良さを生み出しているということだ。以前、SMAPさんの『Otherside』の重なる声や、SMAPさんの『雪が降ってきた』の息遣いの記事で5人の声の重なりについて書いたが、あらためて5人の声の持つ力を感じている。


私は声の専門家ではないが、この「伝える力」をいかんなく発揮するSMAPの声の分析は、まだまだこれからも続けたいと思っているテーマの一つだ。

夜空ノムコウ」が響き渡る景色

夜空ノムコウ」を、見知らぬかたたちと共有した3つの時間について書きたい。


ひとつめは、レッスン中のことだ。
まさに先日の「夜空ノムコウ」のレッスン中、先生にアドバイスをいただいている間、ふと、スクールの別のブースから耳慣れた音楽が聞こえてきた。ふと耳を澄ませば、それは「夜空ノムコウ」だった。


私の通うスクールは楽器クラスもあり、ボイストレーニングでも指導する先生にもよると思うが、カラオケ音源を本人が持ち込んで歌ったり、先生のキーボード演奏により歌ったりする。私は先生のキーボード演奏でレッスンをしているが、どうやら別室でもキーボード演奏がされているようだった。


お話し中の先生に向こう側のブースを指さし、「先生、向こうのお部屋でも、夜空をやってますね」と言うと、先生も気づいてくれて、どの先生がレッスンをしているのか調べてくれた。どうやらそこでは、ボーカリスト志向のかたのレッスンが行われていたようだった。私は、「夜空ノムコウ」を原曲の男性キーより上げて、女性キーで歌っているが、そのお部屋では原曲キーで歌われていた。


生徒さんが男性かどうかまではきかなかったが、何か不思議な感じがした。同じ時間に同じスクールで、同じ歌を歌っているひとがいることに、なんだかほっこりするような気分になった。また、その可能性があるかどうかはわからないが、私の通うスクールは、ジャニーズ事務所に通うジュニアのかたも、自腹で通学されていると聞いたことがある。伴奏しか聞こえなかったが、心のなかで同じ歌を歌うその人に、お互いがんばりましょうとエールを送った。


とにかく、誰が歌っているかというよりも、いま、この時期、同じ時間に、1998年発売の「夜空ノムコウ」を真剣に練習する人が私以外にいるということに親近感を覚えた。その親近感と同時に、SMAPに対する気持ちも沸き立って少し気持ちが揺さぶられた。それでまたレッスンに戻ったところ、歌っている最中にいきなりぐわっと気持ちが揺れて、歌いながら涙声になりかけて、慌てて軌道修正をした。そっか、私は感情が乗せられないのではなくて、まだ一番大事な気持ちを、あえて乗せないようにブレーキをかけながら歌っていたのかもしれない、と思いながら歌い終えた。


2つめの話は、解散報道直後のレッスンのことだ。
報道直後初めてのレッスンで、先生はこのブログでSMAPのことを書いていることを知っているので、先生と報道の話をしていた。そのとき、私の直前にレッスンをしていた生徒さんの話になった。普段は演歌を練習されている70代の男性が、SMAPの報道の影響で、演歌ではなく「世界に一つだけの花」を歌いたいと言われたという。

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花


これは購買運動が始まったくらいの時期だろうか。聞くとそのかたは、以前に「夜空ノムコウ」を練習されていたという。この曲がお好きだという。だが、今風のカウントの取り方やリズム感が、どうしてもご年齢的に合わず、何度も練習したがなかなか上達せず、断念したという経緯があったらしい。ある意味、SMAPの曲は難しいという失敗体験を持たれたかたが、SMAPの歌が好きだと改めて気づいて、再度SMAPの曲に挑みたいという気持ちに先生も打たれたという。私もその話を聞きながら、涙ぐみそうになった。その後、実際に練習されたかどうかまではきけていないが、この「歌って応援したい」という気持ちの尊さに胸が打たれた。


3つめは、スーパーでの話だ。
報道直後のある日スーパーで買い物をしていたら「夜空ノムコウ」がBGMに流れた。私は品物を選ぶ手が止まり、立ち止まって脳内で歌っていたところ、20代のカップルのかたが「あ、夜空だ」と、いきなり二人で歌い始めた。スーパーで迷惑な、とはちっとも思わず、二人は本当に心地よさそうに歌いながら品物を選び、フルコーラスを歌い切っていた。ふと見ると、周りでも数人が品定めをしながら小声で歌っていた。


ごく普通のスーパーの、なんでもない一場面なのだが、もうこれだけで、ああSMAPの曲ってすごいなと思わされて、そのあと私はぼんやりとして胸がいっぱいになり、買い物に来たのにおなかもいっぱいな感じになり、買い物をしたのかどうかも覚えていない。


と、3つの「夜空ノムコウ」を見知らぬかたたちと、歌う気持ちで共有した時間を書いた。


最近、ブログを書きながら、SMAPを応援するってどういうことなのだろうと試行錯誤をして、たとえば、先日は、草なぎ剛さん主演「スペシャリスト」の感想と見どころといったドラマを応援記事を書いたりした。その「SMAPを話題に文章を書いて表現する」という形は、ずっと続けていこうと思っているが、今回、「SMAPの楽曲の良さを、歌い継いで伝える」という形もあるのだと気がついた。


購買とか視聴率とか、目に見える形や数字で表れる効果はないのかもしれない。だけど、SMAPが世の中に生み出してくれた楽曲の素晴らしさを、人の心や、自分の心に届けるようなことが何かできるのかもしれない。


それが道を歩きながらの鼻歌であったとしても、カラオケでの熱唱であったとしても、大勢の合唱だとしても、人がいようがいまいが関係ない。私たちは歌詞カードがなくても、仮にサビだけだったとしても、SMAPの歌が歌えるのだ。そういう歌をSMAPは多数届けてくれた。自然と心にそっと染み込ませてもらったかのように、知らずに歌えてしまう曲がある。ならば、歌っていこうと思った。歌い継ぐというのも、一つの応援の形になるのだと思うのだ。


CDという形を購入するのも一つの応援だし、その楽曲そのものを歌って、歌の持つメッセージを受け取り続けたり、咀嚼し直したりするのもまた、応援なんだと思う。歌えば歌うほど、歌う自分のコンディションによっても歌詞の持つ意味の解釈も変わる。もっと言えば、発売から18年経過した自分自身の受け止め方も、歌うSMAPの表現方法も違っているのだと思う。歌は、歌われてこそ命が吹き込まれるんだと最近つくづく思うのだ。


これから、春に向けて卒業や就職などで、環境が変わるかたも多いだろう。「世界に一つだけの花」もいいが、「夜空ノムコウ」もメッセージソングとして使われるといいなと思う。1998年当時、SMAPが2016年の現在、この歌を歌っているなんて思いもしなかった。でも、彼らは今でもこの歌を届けてくれる。ならば、ずっと「あの頃の未来」が、今よりもさらに先にあると信じたいと思う。


私もいつか、「夜空ノムコウ」に感情を乗せて、誰かの心に粉雪くらいの大きさでも、何かを伝えられることを目標に、歌い継ぐ一人でいたいと思う。それが誰かに向けてというおおげさな場面でなく、永遠に自主練だったとしても、声に出して歌うことでSMAPの素晴らしさを、私自身がまず再確認できると思っている。そして、その思いをまた言葉に綴っていければ、そういう応援の形もありかなと思っている。


それではコラボブログのバトンを、凪さんに渡します。


では、また。