「ゴロウデラックス」での、草なぎ剛さんのホスピタリティ

こんにちは、検索迷子です。


2016年4月28日放送のゴロウデラックス第203回で、『Okiraku 2』が課題図書となり、草なぎ剛さんが初めて同番組にゲスト出演されていたため、感想を書こうと思う。書籍レビューについては過去3回行っており、最下段にリンクを掲載している。

Okiraku 2

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Okiraku 2 豪華特装版

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今日は、ゲストの草なぎさんに着目して感想を書くが、後日、稲垣さんについても触れたいと思っている。一つの記事で書くには、濃厚な番組だったということもあり、side-Aとside-Bのように、着目点を別にして、お二人の素敵さを書き分けたいと思う。

「ゲスト」の概念を変えた草なぎさん

番組は、草なぎさんが登場する冒頭から、驚かされることばかりだった。
稲垣さんが以前食べて、気に入っていた様子を覚えていて再現した、「タモリさんのおでん風玉ねぎ」を自宅の鍋ごと持参し、コレクションするジーンズを多数持参してジーンズ談義を披露し、稲垣さんに自作のギター曲を歌ってプレゼントしていた。


本の宣伝をする番組なのに、なかなか本の話題にいかなかったり、違う話題が番組の時間の大半を占めていて、一見、草なぎさんは自由にふるまっているように見えた。でも、きちんと事前打ち合わせがあってのことだと、番組の流れから十分わかった。


番組の空気からは一貫して、草なぎさんが稲垣さんをどれほどたいせつに思っているかという、愛情の深さがひしひしと伝わってきた。草なぎさんが「ゴロウさんに僕は、歌を作ってきました」と発言したとき、外山さんも「吾郎さんのことすごいお好きなんだっていうのが、伝わってきますね」と言っていたが、本当にその通りだと思った。


番組中の草なぎさんを観ながら、草なぎさんは終始笑顔で、稲垣さんを大好きなことを一ミリも隠さず、最大限の愛を注いでいると思った。


たとえとして適切かはわからないが、その素直な感情表現は、感情の駆け引きをせず、常に全身で嬉しい楽しいを表現する、犬の愛情表現にも近いと思った。嬉しいときはしっぽをふるし、笑顔になるし、おなかをだして転がる。そして何よりも、人間の笑い声を喜び、ほめられるとますます賢く、飼い主に忠誠心を見せていく姿とか、まるで犬のような素直さと無邪気さで、稲垣さん大好きオーラが全面的に出ていた。


草なぎさんの素直さというのはバラエティのなかでよく見かけていたと思っていたが、こんなにも、相手に尽くしたい、相手を喜ばせたい、相手を笑顔にさせたいという感情表現がものすごく豊かに、こんなにストレートに出る場面というのは本当にめずらしいと思った。


それは感情表現が下手というよりは、人見知りだったり、相手との距離感でそこまで表現できなかったり、あるいは番組上そういう感情を見せることがなかったりしたのだろうが、今回ここまで、全面的に「うれしい、たのしい、だいすき」が全開の草なぎさんを観たのは、とても新鮮だった。


草なぎさんはこの番組で、「ゲスト」という概念を変えたと思った。呼ばれる側が、MC側をもてなすという新しい形で番組に参加していた。それはやはり、MCが稲垣さんだからというのも大きいだろう。

「ホスピタリティ」は双方向の満足で成立し、豊かな時間を創る

この日の草なぎさんと稲垣さんの空気感を、何か言葉で表現できないかと考えたいたところ、「ホスピタリティ」という言葉が浮かんだ。


草なぎさんは、登場シーンでお鍋を置くなり、すぐに「何を持って来たら、皆さんの心が掴めるかなと思ったら、自分の料理がいいと思って」と発言している。


この一言は、よく考えたらとてもすごいことだ。ゲストなのに、自分が話を聞かれる側という受け身の姿勢の出演ではなく、ホスト側である、稲垣さんと外山さんの「心をつかむ」ことを既に考えてきている。


面白いエピソード、気の利いた一言を用意しておくといった番組への関わりかたではなく、自作の料理、ジーンズ、自作の歌と、草なぎさんは複数の仕掛けを用意して、それを惜しげもなく、ホスト側に提供している。


たぶん、他のゲストのかたのときと同じような感じで、番組進行をしようとしていた稲垣さんは、他の作家さんのかたとは全く毛色が違う、「本の説明や、宣伝色」のなさに面食らいつつも、一つ一つのサプライズに心から驚き、テレもしていたように見えた。


草なぎさんは、稲垣さんの番組に呼ばれて、全力で稲垣さんを喜ばせようとして、稲垣さんの喜ぶ姿にまた満面の笑顔になっていた。人を笑顔にするのが好きなかたなんだなと思ったし、人の笑顔によって、自分も笑顔になるという、典型的な幸福感の輪の広がりがそこにはあった。


先に、「ホスピタリティ」と書いたが、これは、草なぎさんが稲垣さんにとか、稲垣さんが草なぎさんに、という一方向のことではない。イメージとして、「ホスピタリティ」というと、サービスを提供する側の「おもてなし」の精神という使われ方をすることが多いような気がするが、改めて言葉を少し調べてみたら、もっと広い意味での解釈もあるとわかった。


それは、「ホスピタリティは、客人と主人が、共に喜びを共有する相互満足によって成り立つ」ということだ。そして、そこで信頼関係を高めて、何かを共に創り上げて、社会を豊かにしていく波及効果も期待できるというくらい、「おもてなしの心」は社会や人の心を、温かなものに変えていく力を持つのだ。少し言葉の解説を補うために、以下のサイトから言葉の意味を引用する。

日本ホスピタリティ推進協会「ホスピタリティとは」


 ホスピタリティとは接客・接遇の場面だけで発揮されるものではなく、人と人、人とモノ、人と社会、人と自然などの関わりにおいて具現化されるものである。


 狭義の定義では、人が人に対して行なういわゆる「もてなし」の行動や考え方について触れていて、これは接客・接遇の場面でも使われるホスピタリティのことである。主人と客人の間でホスピタリティが行き交うが、それは一方通行のものではなく、主人が客人のために行なう行動に対して、それを受ける客人も感謝の気持ちを持ち、客人が喜びを感じていることが主人に伝わることで、共に喜びを共有するという関係が成立することが必要だ。すなわち、ホスピタリティは両者の間に「相互満足」があってこそ成立する。


 つまり、主客の両方がお互いに満足し、それによって信頼関係を強め、共に価値を高めていく「共創」がホスピタリティにおける重要なキーワードなのである。


 広義の定義では、ホスピタリティが主人と客人の二者間の話にとどまらないことを言っている。社会全体に対して、その構成員である人々が、ホスピタリティの精神を発揮することで、相互に満足感を得たり、助け合ったり、共に何かを創りあげることができ、それによって社会が豊かになっていくという大きな意味でもホスピタリティは重要である。
(後略)


草なぎさんの稲垣さんへの思いは、稲垣さんを笑顔にし、二人の気持ちが通い合った笑顔は、そばにいた外山さんだけでなく、番組スタッフ、視聴者をも温かい気持ちにしてくれるものだった。ホスピタリティって、こういう素敵な伝播の形をとるのだと、お二人の笑顔を観て思った。稲垣さんを笑顔にしようと一生懸命な草なぎさんが、ぐるりと一周回って、観ているこちら側にも伝わってきて、幸福感の輪って広がるものだなとしみじみと思わされた。


ホスピタリティがあふれるっていうのは、このお二人のような、人の笑顔を作ることに、丁寧に時間や対話を重ねる姿勢を持つひとのことなのだとわかる、本当にいい回だと思った。

書籍の宣伝よりも、人を伝えることのたいせつさ

最後に、本の宣伝という切り口での感想も書いておきたい。


私は、この回の放送を「ブックバラエティ」として、本自体の話題がたくさん聞けるのを、とても楽しみにしていた。本好きとしても、『Okiraku 2』を書籍として面白いと思っていたため、何を稲垣さんや外山さんが朗読にチョイスし、草なぎさんが自著をどう語るのか、すごく興味を持っていた。


草なぎさんが本に対して、「なんか、くだらない話が多いんですけど、そのなかに結構、大事なことが隠されている。SMAPのこともあるし、他のメンバーのこともあるし、なんか、その時、呟いていることが本になった」という発言を受けて、草なぎさんの内面の奥行きの深さに、ダイレクトに触れるような箇所が選ばれるのかと思っていた。


実際に朗読されたものを聴いて、少し、あれっと思ったのは事実だ。稲垣さんと外山さんは、毎回朗読箇所を直接選んでいるのかまでは存じ上げないが、番組としてキャッチーな話題になりそうなものが選ばれ、朗読されていた、という印象だった。


朗読されたうちの一編は、香取さんのNY舞台観劇の際、稲垣さんとのNYで過ごした時間に着目した「'09 win. 明けましておめでとうございます。'10年は年男・草なぎ(注:原文は漢字)剛をよろしくね!」だった。外山さんが朗読した直後、稲垣さんは「アイドルのエッセイだね」と笑っていた。そのときお財布を忘れて、稲垣さんに買ってもらったというジーンズも持参し、そのあとの趣味のジーンズの話題にもつながりやすい一編だったのだろう。


もう一編は、「'14 spr. 僕らSMAPの未来は中居くんにかかってる!」から、結婚観の箇所を稲垣さんが朗読したが、これは朗読直後、草なぎさんがすぐに「いつだろう。これちょっと前なのかなぁ」「なんか、また考え変わってくるね」と発言していたことから、今現在の心境とは少し違うようだったが、そこから稲垣さんと結婚観の話が膨らんで、それもまた面白い場面になったと思う。


自分としては、草なぎさんの洞察力とか、豊かな感性を伝える文章がもっとあったのではという気持ちがなくもなかったが、結果的には番組が楽しかったこともあり、この2編で良かったのかとも思う。バラエティとしての話題の取り上げやすさや、話のふくらみからすると、稲垣さんとの関係性や恋愛観という話題だったからこそ、重くなりすぎず、ずっと笑顔のまま番組は進行したのだと思った。


これが、コンプレックスや、苦難を乗り越えたといった話や、特定のお芝居や番組といった話題、SMAP以外やタモリさん以外のかたが出てくる話を選んだら、番組はまた違ったものになっただろう。


チョイスされた朗読の箇所もそうだが、草なぎさんはこの書籍を買ってねとも、見てねとも発言していなくて、自著でありながら、がっつり宣伝をしないところも面白いなと思って見ていた。


私はときどき、あるジャンルのアーティストのかたのイベントのお手伝いをしていて、書籍販売を手伝うこともあるが、その際、著者や出版社のかたは一冊を売ることに必死となっている。その熱量が伝わってくるから、お手伝いするときもできるだけ一冊でも多く売れるように、できる限りの協力をする。


普段のゴロウデラックスに出演される作家さんは、新刊の場合はきっと、出版社のかたもスタジオにいるのではないかと推測するが、草なぎさんの場合はどうだったのだろう。ここまで宣伝しなくて大丈夫かと心配になってしまった。


が、草なぎさんは作家さんではないから「本は自分の生み出した子ども」とか、「寝食忘れて書いた」いう感じとはまた異なり、自分のアウトプットするものの一部、というように、ほどよく本との距離感もあるのだろう。また、著名人でもあることから、この一冊の印税が死活問題というわけでもない。


そう考えると、この本は、「過去、草なぎさんがたどった思考の一部」という、「アイドルのエッセイ」といったとらえ方でも、失礼にはならないのだろうなと、番組を観て思った。


なにより、ゴロウデラックスの草なぎさんを観て、愛情あふれるご本人の姿が伝わったことが、買ってねの言葉以上の宣伝効果があるんだろうなと思った。


それは、作家さんの書く、テーマ性や文体といった文字での個性の表現とは形は違うが、草なぎさんの笑顔やホスピタリティが伝わることが、何よりの宣伝なのかもしれないと思った。お人柄が伝わることで、書籍の文章を読みたいと思われるのがタレントさんの宣伝のスタイルとして、十分ありだなと思った。タレントさんって愛されることがお仕事なんだと改めて思い、書籍宣伝のアプローチにこういう形があるのかと発見できた気がする。人としての関心を持たれてこそ、本って読みたくなるものだということが。


今回、「ブックバラエティのゴロウデラックス」としては、斬新に見えた番組ではあったが、これもまた、本の宣伝の形であり、ゲストの登場の形なのだと思うと、草なぎさんのオリジナリティってすごいなと思わされた。


自由なようであり、きちんと場を盛り上げ、場を楽しんでいたからこそ、視聴者は草なぎさんに癒され、パーソナリティに関心を持ち、その結果、本を手にする人もいるのだろうと思う。


愛がぎゅうぎゅうに詰まった、いい回だったと本当に心から思う。本の出版をきっかけに番組に初登場し、本に書かれた数年間以上に濃厚で幸福感があふれる、今この時点での、草なぎさんと稲垣さんの笑顔が引き出された、素敵な時間だった。草なぎさんには、ぜひまた本を出版して、ゴロウデラックスに出演してほしいと思っている。


以下は、草なぎさん書籍の過去レビューです。よければ、合わせてお読みください。

Okiraku 2』以外の、草なぎさん書籍の過去レビュー

Okiraku』の草なぎ剛さんのプラスに転化させる言葉
『クサナギロン』の草なぎ剛さんの「はじめに」の言葉
『月の街 山の街』の草なぎ剛さんの「いい違和感」を伝える言葉


草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(1)で、おまえと呼ばれなくなった喜びを綴った、「おまえの痛み」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(2)で、自信と不安の行きかう感情を書いた、「若者よ!」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(3)で、断れない自分なりに、ここぞという時は意志をはっきり言ったほうがいいという、「”NO!”が言えない」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(4)で、特技のバック転をコワイお兄ちゃんたちにからまれたときの魔法に使っていたという、「警察官は損をする」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(5)で、捨て猫に接して「強く生きる」ことを考えた「目かくしをして正義を判断しろ」と、まえがきで「読み手側の感性に期待する」。
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(6)で、スタッフの死を悼む思い、を取り上げた。


では、また。