2009-10-03 野島康三のネガからガムプリント(ゴム印画)を作る
■野島康三のネガからガムプリント(ゴム印画)を作る
野島康三(1889-1964)が「芸術写真」の時代に手がけたガムプリントは、同時代においても、そしてその後この技法が用いられなくなってから現在に至るまで、写真史上に類を見ないほどの完成度に達しているものであった。
しかしながら現在、そのことについて、技術面でも、また歴史的な意味づけの面でも、正当かつ的を射た評価がなされているとはいえない。(ここで「正当かつ的を射た」というのは、ただたんに顕彰することではなく、批判的な検証を正しく加えるということだ。)このことは、我々の「写真史」が、歴史を忘却することで成立してきたこととも関係がある。
今回、野島のオリジナル・ネガ・フィルムからガムプリントを制作する機会を得た。以下に具体的な作業プロセスの記録を示すとともに、作業にあたっての考察を書きとどめておく。
*「野島康三ガムプリント制作」コンテンツ:目次
野島康三について
《仏手柑》 野島康三 1930年 ブロムオイルプリント 京都国立近代美術館蔵
銀遊堂の比田井さんからお話をいただき、松涛美術館 『野島康三 肖像の核心展』の展示資料として、野島康三が残したネガフィルムからガムプリント(ゴム印画)を作ることになった。
■ 野島康三
野島康三についてはwikipediaに記事がある。
野島 康三(のじま やすぞう。1889年2月12日-1964年8月14日)は、日本の戦前期を代表する写真家のひとり。美術に対する積極的なディレッタント(英,伊:dilettante、好事家、学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)としても有名。
初期のピクトリアリスムの重厚な絵画的な作品から、のちにストレートな表現に移行した。特に、ポートレイトやヌード写真に長ける。
東京写真研究会で活躍。野々宮写真館開設、1932年に中山岩太、木村伊兵衛とともに雑誌『光画』創刊、1939年には国画会に福原信三とともに写真部創設などの活動を行う。
ディレッタントとしては、1919年に東京神田神保町に「兜屋画廊」を開廊し、各種展覧会(旧フュウザン会、日本創作版画協会の作家など)を開催(同画廊閉廊後は、自邸にて)するとともに、少なからぬ美術家に資金的な援助も行った。
ともあれ、野島康三とは、写真家であるだけにとどまらず、画廊経営、写真誌の発行、また芸術家たちに物心両面にわたる個人的な援助を行うなど、戦間期における芸術シーンの重要なキーパーソンのひとりである。
そして、野島にとってのガムプリント(ゴム印画)作品とは、上記記事における「初期のピクトリアリスムの重厚な絵画的な作品」にあたる。
今回の松涛美術館の展覧会に先行した、京都国立近代美術館での展示『生誕120年 野島康三展 −ある写真家が見た日本近代−』のリリース文にもコンパクトな野島の紹介がある。
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2009/375.html
京都国立近代美術館 野島康三展ポスター
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