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橋の下の蜘蛛   ―短歌の鑑賞、歌集評、書評など― このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-05-02

寺山修司 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 『寺山修司歌集』

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

《歌意》マッチに火を点けると、火に照らされて海に霧が深く立ち込めている情景が浮かび上がる。私が命を捧げて守るに値するほどの祖国はあるのか。

《解説》 場所は波止場、時間は夜に近い夕暮れだろうか。暗がりの中、ロングコートを着た男が独り海を見つめ、タバコに火を点すという場面が目に浮かぶ。乳白色の霧の中にて、マッチの炎の周囲だけが赤く照らされる。やや日活の無国籍アクション映画のような場面を想像してしまうのは、コートを着た寺山修司の写真が記憶にあるためかもしれない。

 寺山のこの歌は、1957年1月に出版された作品集『われに五月を』の「祖国喪失」と題された一連に収録され、さらに翌年出版された歌集『空には本』にも収録された。歌人が「身捨つるほどの祖国」と詠う背景には、太平洋戦争において、大日本帝国のため、天皇のためと信じて、戦い死んでいった上の世代の姿がある。寺山の父は、太平洋戦争の末期にインドネシアのセレベス島で死んだ。

 この作品が発表された当時の日本は敗戦から立ち直り、復興に向けて走りはじめていた。そうした戦後の復興の中にあって、人々は国家の軛から解放されて自由を謳歌しているはずだった。一方で、高度経済成長期に突入した明るさのなかで、信じるべき理念を失った不安や虚しさが、人々の内側からじわじわと精神を蝕みはじめていた。一部の敏感な精神の持ち主は、多くの人が希望に満ちた未来像を語るのを横目で見ながら、足元から忍び寄る虚無の影を確かに見ていたに違いない。

 霧に閉ざされた海のイメージは、当時の社会に広がり始めた不安や虚しさを象徴している。また、「身捨つるほどの祖国はありや」という切迫した問いかけに、国家ばかりか、命をかけて信じるほどのものは、自分には何も無い、という宙吊り状態の不安定な気分を聞き取ることができる。

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