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橋の下の蜘蛛   ―短歌の鑑賞、歌集評、書評など― このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-09-05

石川啄木 はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る『一握の砂』

石川啄木(いしかわたくぼく、1886年 - 1912年)のこの歌は歌集では、以下のように3行書きで表記された。

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

石川啄木『一握の砂』
(働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る)
《歌意》どんなに働いても、依然として私の生活(くらし)は楽にならない。私はじっと手を見る。

《解説》
啄木の名前は知らなくても、この歌を憶えている人は多いに違いない。
 この作品を書いた当時の啄木は、家族4人(妻、娘、父、母)を養うために、病弱な体に鞭打って、働きに働いた。こうした無理もたたって啄木は、わずか26歳でこの世を去った。

啄木は、この作品を明治43(1910)年7月26日に詠んだと言われている。前年、東京朝日新聞に校正係として入社。月給による生活を始め、家族を函館から東京へ呼び寄せた。しかし母と妻・節子の折り合いが悪く、家庭の雰囲気は悪かったようだ。

新聞社から給料を得てはいても、暮らしは楽ではなかった。啄木は、会社や金田一京助をはじめとする友人らから借金を繰り返して、なんとかやりくりしていたが、生活を切り詰めてつつましく暮らしていたというわけではなく、むしろ遊興に貴重な金を浪費していた。金田一などは、啄木のためを思い、大切にしていた蔵書を売り払って、金作していたにもかかわらず、当人はそうしたまとまった金を手に入れると、浅草に度々足を運んでは、プロの女性との一夜を楽しんでいた。早い話が、ろくでなしである。母や妻子からは東京で一緒に暮らしたいと催促の手紙が度々届いていたが、彼らを養うことを負担に感じていた啄木は、浪費によって、現実から逃避していた。ここらへんの事情については、『啄木・ローマ字日記』 (岩波文庫) に詳しい。

啄木は校正の仕事のかたわら、歌集『一握の砂』出版の準備や「二葉亭四迷全集」の校正、新聞歌壇の選者などを手がけるほか、いくつもの新聞などに作品を発表していた。なかなかの働きぶりだが、それでもくらしは一向に楽にならなかった。当時の啄木が経験していた、生活の苦しさがこの歌には、率直に表現されている。

この少し前、1910年5月から6月にかけて、大逆事件が起こる。明治天皇の暗殺を計画したという理由で、幸徳秋水ら多数の社会主義者、無政府主義者が検挙、処刑された事件である。

大逆事件をきっかけとして、啄木は、社会主義思想への関心を強めた。日本語で読める文献を読みあさり、かなりの知識を得ていた。当時の啄木は、そうした知的環境のなかにあり、「はたらけど」の歌にも、労働者階級の立場に立つ社会主義思想の影響があったことは間違いない。しかし、啄木は社会主義のイデオロギーを背景にしりぞけ、「ぢっと手を見る」というシンプルな身振りによって象徴させた。こうした手法が、この歌を、永く、そして多くの人に愛唱される作品にしている。

《表現》
歌の形式としては四句の「楽にならざり」で切れる。この四句切れが五句の「ぢっと手を見る」へ移るまでに、鋭く深い間を生み出す効果を上げている。したがって、この歌を読む場合、「楽にならざり」で一端息を止めて、一拍置いて「ぢっと手を見る」と発語する格好になる。この深い間に、啄木の複雑な心情が込められている。

啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」については、こちらのページに解説を記した。

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石川啄木 (コレクション日本歌人選)
一握の砂 (朝日文庫)
新編 啄木歌集 (岩波文庫)
石川啄木歌文集 (講談社文芸文庫)
石川啄木 (明治の文学)
啄木かるた
啄木短歌に時代を読む (歴史文化ライブラリー)

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ふまら&#12436;ふまらゔ 2013/05/07 23:14 国語の宿題の役にたちました!ありがとうございます!

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