海の底には何がある

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ポル・ポト<革命>史 虐殺と破壊の四年間

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 (講談社選書メチエ 305)

高校生くらいの頃だったか、カンボジアの事なんて何も知らずに(というかベトナムの一部くらいに思ってたような気がする)映画の「キリング・フィールド」を見た。で、すっかり衝撃を受けてしまい「こ、これはカンボジアの事についてもっと知らねば」と思ったものだが、そこは高校生。思いついたら即調べるという習慣が着いておらず、そのうち他の事に気が行ってしまって何もせぬままだったことを思い出す。いや、映画館の帰りに梅田の紀伊国屋に寄ってみたけど、手ごろな本が見つからなかったのだったか。

で、一週間ほど前にふらっと本屋でこの本に出くわして、そんな昔を思い出したので買ってみた。筆者はもともと記者だったらしく、わかりやすい文章でポル・ポト政権の興亡が描かれていた。高校生の頃にこの本があったら良かったのに。題では4年間とありポル・ポト政権下の事だけが書かれているかのように見えるが、実際は第二次大戦付近から現代までの歴史が書かれており、なぜあのような事が生じえたのかが歴史的に理解できる。

この本によると、ポル・ポトは野心家だが小心者であって、彼が政権の座に就く事ができたのは、ベトナムアメリカ・中国・シアヌーク王家の思惑がぶつかった所に上手く乗っかったかららしい。で、大虐殺は、本来なら政権につく能力のなかった者たちの稚拙な国家運営と、革命に成功したという自己陶酔・無謬感、さらにその裏返しの不安からくる他者への攻撃性とが複合して起ったものだったと読める。で、有能な者を次々粛正していったために、中国から武器の供与を受けても、それを扱える教育のある兵隊がおらず(少年兵ばかりだったとか)宝の持ち腐れになったらしい。なんともはや愚かしい。タコが自分の足を食いながら残った足で敵(ベトナム)と闘っていたようなものだ、という表現が印象的だった。

ポル・ポトの政策と言うのは、いわば徹底的な反知性主義・農業第一主義だったわけで、ポル・ポト本人もてっきり農民だと思っていたら、実は裕福な家の出で、教員もしていたというのは意外だった。自分の出自を平気で否定できるというのは、何かの病理か?

それにしても、私も最近はすっかり「農業バンザイ」になっていて、ポル・ポトの目指した社会と理念的に重なるところが少しあって(方法論は全く賛成できないが)座りの悪い気持ちになる。

しかし、肥大したエゴに能力がついて行かない人間がうっかり高い地位についてしまい、能力ある人を弾圧して回るって話は、国家よりもっとミクロな社会に目を向ければお馴染の構図である事だ。いろいろと思い出す。