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唐沢俊一検証blog

2008-09-01

トラブルが多いのは意ジッパーりなせい?

00:41

 「Zipper」10月号の「Ozipper」というコーナーに唐沢俊一が登場している。「オジサマたちの10代教えて!!」というコンセプトで、唐沢俊一若き日の思い出を語っている。唐沢について知っている人にとってはおなじみの話が大半だが、ツッコミどころがいくつかあったので書いておく。

僕には、昔『そっくりショー』っていう番組の司会をしていた芸能人の叔父がいて、夏休みは公演を手伝っていたんで、大人の世界の仕組みがわかっていたんです。自分が好きなことやるには、2番手が有利だって。

高校のころに「注目されていないモノを自分の力で日の当たる場所へ出す」という、プロデューサー的な感覚が芽生えましたね。

 唐沢俊一はしばしば「自分はプロデューサーに向いている。プロデュースをしたい」という意味の発言をしているが、いい機会だからはっきり書いておくと、唐沢俊一プロデューサーには向いていない。何故かというと、プロデューサーというのは基本的には表に出ない仕事であるにもかかわらず、唐沢は目立とうとしすぎなのである。たとえば、「七人の侍」と「東京物語」の監督の名前を知らない者はいないが、プロデューサーの名前を知る者がきわめて少ないことからもそれはわかる(ちなみに前者は本木荘二郎、後者は山本武)。唐沢が言う「2番手が有利」というのは、おそらく作品が失敗するときに批判の矢面に立たされることがないという意味なのだろうが、その代わり作品が成功したときに賞賛を浴びることもないのだ。唐沢はいい所取りをしようとしているかのように見えて、ムシが良すぎるように思える。それに他人とトラブルを起こしてばかりいる点もプロデューサーには向いていないように思う。目立ちたがりを改めないとプロデュースは今後もうまくいかないのではないか?と思われてならない。

 

 さて、「プロデューサー的な感覚」が芽生えた唐沢俊一が最初にやったのが「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブ結成である。

高校2年のころアニメの『宇宙戦艦ヤマト』が放送されたんですが、初期で打ち切られてしまった。だけどすごく面白かったから、「『ヤマト』をブームにしよう!」と思ったんですよ。北海道の片隅で。

(中略)で、最初にやったのが、仲間たちと全員で『ヤマト』のレコードを1軒の店だけで買うんです。そうすると、全国でもその店でだけバーンと売り上げが上がる。それとアニメの再放送の嘆願書を出したり、ラジオへのリクエストハガキも出しまくった。その結果、『ヤマト』の関係者が「北海道で『ヤマト』を盛り上げている子たちに会いたい!」って来てくれて。

 唐沢のコメントを受けてインタビュアーは「すごい!まさにブームを作り出したと!その後、『宇宙戦艦ヤマト』は映画化もされて今も語り継がれる作品に…」と言っている。「『ヤマト』のブームを起こした」というのは、唐沢俊一の持ちネタのひとつだが、実はこれには重大な疑惑が持たれている。その理由として「唐沢のファンクラブは他の『ヤマトファンクラブに比べて結成がだいぶ遅い」「ヤマト』の関係者は全国をまわっていたため、北海道に来たとしても別に特別なことではない」ということが挙げられる(詳しくは唐沢俊一まとめwikiを参照)。唐沢の活動は『ヤマト』のブームにそれなりに貢献したのだろうが、『ヤマト』のブームを起こしたというのは明らかにオーバーである。それに実に不思議なのだが、浪人時代にそれほど『ヤマト』に熱中していたにも関わらず、唐沢の著書ではヤマト』についてほとんど書かれていないのだ。『ヤマト』からは卒業してしまったということなのか、それとも『ヤマト』に熱中していたのではなく、活動すること自体に熱中していたということなのか。…しかし、これはインタビュアーも唐沢のガセに加担していてよろしくないなあ

 インタビュアーから「挫折はなかったんですか?」と聞かれた唐沢は次のように答えている。

すごいのがありますよ(笑)。『ヤマト』の活動の後で東京の大学に通ったんですけど、そのときにテレビで一人芝居をやるイッセー尾形を観たんですよ。それで衝撃を受けてイッセーに長い手紙を送ったら「会いたい」と言ってくれて、仕事を手伝うようになったんです。一時はブレイン的な位置にまでいったんですよ。

それがね、舞台の前説に出たときに、「イッセーの魅力はこういうことだ!」ってギャグを混ぜて語ったら、客をめちゃくちゃ怒らせてしまって…それがショックで事務所を辞めたんです。

 唐沢のコメントは若干事実をボカしている。唐沢が客を怒らせたのは、ギャグを混ぜて語ったからではなく、客をバカにするような発言をしたからである(要するにブラック・ユーモアをやろうとして失敗したのだ)。そして、唐沢がイッセー尾形のスタッフを辞めたのは、客を怒らせたことにショックを受けたからではなく、イッセー尾形をはじめ他のスタッフが唐沢をフォローしてくれなかったことに唐沢が逆ギレしたためである(詳しくはまとめwiki参照)。ボカしているあたり、本当に反省しているのか?と思われても仕方ない(なお、『裏モノ日記』(アスペクト)では、イッセー尾形のスタッフを辞めた経緯がもっと詳しく書かれている)。

しかも、同時期に海外のアニメーション研究会に入ったんですけど、そこでかなり強気な持論の原稿を書いていたんです。結果、敵を作りすぎてそこにもいられなくなった。それまで、誰にも叩かれたことがなかった。そういう人間は、人との絆が作れないんですよ。結局そのふたつの自信を打ち砕かれる出来事で、心のガスが無くなって、田舎に帰ったんです。

 「アニメーション研究会」というのは「アニドウ」のことだろう。「強気な持論の原稿」というのもどんなものなのか(『ぴあ』での論争を見る限り反対者を罵倒するようなものだったと推測されるが)。しかし、「人との絆が作れないんですよ」と反省しているんだったら、もう少しトラブルを起こさないようにできないものか

それから2年間。実家が薬局をやってたんで、暗い蔵みたいな部屋で薬の処方箋を打ち込む作業をしていました。パソコンだけがある部屋で黙々と。

きつかったですよー。でも、そのままじゃいけないと、処方箋の仕事が終わったら、そこで思いつくまま原稿を書いたんです。

 このときの生活について、唐沢は『猟奇の社怪史』(ミリオン出版)で次のように書いている。

二十代後半の頃、それまでの文弱におぼれた怠惰な生活(演劇関係のプロデュースとか、文筆の徒としての活動とか)に一時見切りをつけて、田舎に引っ込み、真面目な事務員生活をしばらく続けたことがあった。白壁に囲まれた部屋にパソコンの端末と資料保管用のキャビネット、それにロッカーがあるきりの寒々しい部屋で、朝八時から夕方六時までここに一人で詰め、せっせと事務仕事をしていたのだが、このとき、どういうものか無性に肉体を鍛錬したい、という欲望が湧いた。その部屋にダンベル、エキスパンダー、グリップなどを運び入れ、空き時間を作ってはせっせと鍛錬にはげんでいた。食事は一日サバ缶一個(これは高タンパクで、下手なプロテインよりずっと筋肉を作るのに効果的である、第一安い)、後はヨーグルト。数ヶ月そういった生活を続けた結果、腹筋に段々がつき、肩が膨張してきて、といった肉体的な変化の他に、精神的な変化がぐんと出てきたことに自分でも驚いた。まず、下着を付けなくなる。自分の肉体の線を、なるべく露出したくなるのである。医療事務の会社だったので事務用白衣が支給されていたが、裸の上にそれをはおるのである。白衣には長袖と半袖があったが、冬場でも半袖を着るようになる。二の腕を剥き出しにしたいのである。さすがにブリーフはつけるが、それも出来るだけ小さく局部を覆い隠すだけのようなものを選ぶようになる。弟がこれを見て、キモチ悪いので頼むから普通のパンツを履いてくれ、と言った。

 要するにかなり危ない精神状態にあったわけだ。しかし、逆に『猟奇の社怪史』の方で「文弱におぼれた怠惰な生活に一時見切りをつけて」と事実をボカして書いていたことが分かってしまったな

そして書きためた原稿を持って、2年ぶりに東京へ行って出版社に持ち込んでみた。今でも忘れないのが、2年前に他人を傷つけるようなことしか言わなかった僕が、緊張で出版社の門をくぐれないんですよ。最後は、缶ビール買って公衆トイレで一気して、勢いつけていきましたね(笑)

 このくだりで、唐沢は自分の小心さについて告白している(「他人を傷つけるようなことしか言わなかった」からこそ肝心な時に小心になってしまうのだと思うが)。しかし、その小心さを嘲笑うべきではない。自分も小心な人間なので、そのときの唐沢はつらかっただろうと思わず同情してしまった(甘いかな?)。問題なのは小心であることではなく、唐沢が自分の小心さを忘れていることである。小心さを忘れて虚勢を張ってしまった人間がのっぴきならないところまで追い詰められているにも関わらず、小心さのせいで素直になることもできないでいるというのが唐沢の現状だ。自分が小心な人間であることを唐沢は思い出すべきだろう。

今の若い子って、自信があるものって外に出すと壊れるかもしれないから、大事に自分の中で守っているでしょ?大丈夫、若いうちは傷付いて挫折したって、修復はいくらでも出来るから。「自分の才能は自分を食べさせていけるものなのか?自分を満足させてくれるか?」っていうテストは、若いうちに試しておいたほうがいいの。

 「DAICON7」で藤岡真さんから逃げて、その後も理由になってない言い訳ばかりして、挫折することをメチャクチャ怖がっている唐沢に「挫折しても大丈夫」って言われてもまるで説得力がない。こちらの方こそ、唐沢にもっとちゃんとした対応をとるよう願いたいのだが。それこそ「修復はいくらでも出来るから」と言いたい。まあ、『血で描く』を出したのも「自分の才能は自分を食べさせていけるものなのか?自分を満足させてくれるか?」っていうテストの一環なんだろうね。

 というわけで、やっぱりヘンなインタビューであった。「裏モノ日記」を読む限り、唐沢俊一自身はすごく満足しているみたいなんだけど。

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猟奇の社怪史

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藤岡真藤岡真 2008/09/02 08:34  またヤマトのガセかとも思いましたが、呆れるだけで怒る気にはなれません。50歳を過ぎ、取り巻きを従えてパクリで食い繋いでいる男は、未だにそれしか誇るものがないという悲しい現実に気が付いていないのですね。50歳の作家で、著作は『血で描く』一冊。新人賞にも文学賞にも全く縁がなく、作品も仲間内のお追従的な評価しかされない。プロデューサーを自認しているが、その代表作とはなんなのでしょうか。映画監督もしたようですが、作品は? インタービューに応じながら、結局、浪人時代の手柄(それも嘘)しか出てこないのは、小学生のとき運動会で一等賞だったことを一生の誇りにして生きているようなものでしょう。そんな栄光すらない人間は「凄い!」と言ってくれるでしょうが、それだけのことです。

kensyouhankensyouhan 2008/09/02 16:19 コメントありがとうございます。
インタビューのテーマが10代の頃の話を聞くというものなので、『ヤマト』の話が出てくるのはしょうがないんでしょうけどね。
唐沢俊一が本当に『ヤマト』を好きなのであれば、多少話を膨らませていても大目に見たいと思うのですが、どうも『ヤマト』をダシに自慢話をしているだけなんじゃないか?と思われてなりません。
『ヤマト』は今でも人気のある作品ですから、どこかで『ヤマト』のファンブックが出ることがあれば唐沢俊一に原稿を頼んでみたらいいと思うのですが。

kokada_jnetkokada_jnet 2008/09/04 10:55 唐沢的な「自分が自分が」というプロデューサーもいて、そういう人がそれなりの結果を残す場合もありますよね。それこそヤマトの西崎氏みたいに。
そういう、「自分が自分がという、自己主張が強いプロデューサー」になら、かなり向いているんだと思います。ただし、当然ながら、周囲とトラブルを起こすわけですが。

ちなみに、残念ながら「ヤマトの原稿を頼んでも」、「自分の札幌時代の活動内容(=自慢話)なら書いてもいい」と返答されるような気がします。
ペリー・ローダンについての文章を頼んでみるのがいいんじゃないでしょうか?

kensyouhankensyouhan 2008/09/04 12:35 コメントありがとうございます。
>それこそヤマトの西崎氏みたいに。
西崎義展は問題の多い人なんでしょうけど、『ヤマト』にかける情熱は凄まじいものがありますからね。唐沢俊一にも西崎氏ほどでなくてもある程度の情熱があればプロデューサーになれるかも知れませんが。
>ちなみに、残念ながら「ヤマトの原稿を頼んでも」、「自分の札幌時代の活動内容(=自慢話)なら書いてもいい」と返答されるような気がします。
唐沢の場合は何を書かせても自慢話になってしまいますけどね。ただ、それでも内容を読めば『ヤマト』についての知識や愛はわかるので、やってみる価値はあると思います。

通りすがり通りすがり 2008/09/15 22:37 亀レスすいません。
>プロデューサーというのは基本的には表に出ない仕事
日本でもハリウッドでもプロデューサーで出たがりな人は多いですよ。例えば日本だと角川春樹さんの名前が浮かびます。
ハリウッドの出たがりプロデューサーについては町山さんや柳下さんが映画秘宝でよくネタにしていますね。
70年代ならパニック野郎アーウィン・アレン、自伝「くたばれ!ハリウッド」が映画化されたロバート・エヴァンス。
今だと中身スカスカな大作を量産し続けるジェリー・ブラッカイマーでしょう。
もう聞いたかと思いますが、町山さんがアメリカ特伝で「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」がそういうプロデューサーを
パロっているそうですね。

通りすがり通りすがり 2008/09/15 22:40 すいません。訂正です。

町山さんがアメリカ特伝で→町山さんのアメリカ特伝によると

kensyouhankensyouhan 2008/09/16 00:25 コメントありがとうございます。
もちろん、出たがりのプロデューサーが多いのは知っています。でも、角川春樹やロバート・エヴァンズが有名なのは、プロデューサーなのに表に出たがろうとしたことも理由のひとつだと思うのです。
それから、ブラッカイマーはハリウッドの名物プロデューサーの系譜に連なる人だとは思いますが、最近ではプロデューサーの名前を表に出してウリにすることが珍しくなくなってきています。映画もそうだし(「スピルバーグ製作総指揮」とか)、音楽業界(この辺は知泉さんにお話をうかがいたいところですが)もそうです。
とはいえ、プロデューサーが基本的に表に出ない仕事であることは今も変わりはないと思います。