唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ダメなブレインはガセとパクリを乱射する。

 nofrillsさんが唐沢俊一の「イギリス人とテロの深い関係」(詳しくは10月27日の記事を参照)について徹底的に検証しています。面白くてためになるのでおすすめです。
 で、今回も唐沢俊一によるイギリスに関係した文章の話である。これも実にヒドい。なにしろガセありパクリあり侮辱ありなのだ。それでは『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)所収「ブリティッシュな銃乱射事件」を紹介していこう。…タイトルが既に不穏だな。

 イギリス男子テニスの期待の星、アンディ・マレーは、その若さと美形であることと、もちろんテニスの天賦の才能(英国ランキング1位にもなった)でおなじみの人気選手であるが、実は彼にはある暗い過去がある。まだ20歳そこそこの若さなのにどういう過去が、と思うところだが、実は彼は、銃の無差別乱射による大量殺人事件の生き残りなのだ。

 1996年3月、アンディがまだ8歳の子供だった頃。彼の故郷、スコットランドのダンブレインという街の小学校に通っていた時のことである。アンディは当時から、テニスと、そしてサッカーが大好きなスポーツ少年だった。彼が学校の校舎に入った十数分後に、2丁の9mmブローニングHPピストル、及び2丁のスミス&ウェッソン357リボルバーを携えた男が、ダンブレイン小学校に入り込んだ。銃オタクであり、軍装オタクだった彼は軍用ジャケットを着込んでおり、そのジャケットには銃と弾丸がぎっしりと装備されていたのである。
 学校の敷地に侵入したその男トーマス・ハミルトンは、地元の私設ボーイスカウトの団長で、倒産した商店の経営者だった。彼は体育館に乱入すると、そこで授業を行っていた5歳と6歳のクラスの児童たちに向けて発砲した。そこにいた子供たちは1人を除いて全員がその場で即死し、女性教師のグゥエン・メイヤーもその場で撃ち殺された。その騒ぎは学校中に聞こえ、多くの生徒たち、教師たちは窓から身を乗り出して、体育館の中の様子を知ろうとしたが、その時、犯人が銃を携えたまま体育館の外に出たのを目撃した途端、全校にパニックが走った。
 ハミルトンは、授業中の教室に入り込んだ。そこの教室の先生は、体育館の騒ぎを耳にしてすぐ、子供たちに、机の下に身を隠すように指示したのだが、ハミルトンは冷静に、児童たちがその下で震えている机にめがけて発砲した。それから、廊下に出ると、ちょうど教室を移動中だった児童の一群に出くわし、これにも発砲して、教師の1人に負傷させた。結局この時、全体で16人の児童と、教師1人が殺された(病院に運ばれる最中に死亡した児童1人を含む)。そして、多くの乱射事件犯人と同様、犯人のハミルトンも自殺した。銃を口にくわえて発射したのである。

 まず、唐沢俊一の頭の中にスコットランドがちゃんと存在していたことに安心するやら驚くやらである。「アイルランド料理のハギス」だの「ショーン・コネリーIRAを支援している」だの、スコットランドの存在を無視しまくった妄言を吐いてきたのだが、一応スコットランドの存在は知っていたらしい。それから、自分は東大の講義を聴講しに行った時に唐沢俊一と話をして、「ちゃんと海外のサイトもチェックして原稿を書いているんだから」と言われたのだが(詳しくは10月23日の記事を参照)、この「ブリティッシュな銃乱射事件」でも「ちゃんと海外のサイトもチェックして原稿を書いている」ことがうかがえる。まあ、wikipediaなんだけどね。

On 13 March 1996, unemployed former shopkeeper and former Scout leader Thomas Watt Hamilton (born Thomas Watt 10 May 1952) walked into the school armed with two 9 mm Browning HP pistols and two Smith & Wesson .357 Magnum revolvers. He was carrying 743 cartridges, and fired 109 times. The subsequent police investigation revealed that Hamilton had loaded the magazines for his Browning with an alternating combination of full metal jacket and hollow point ammunition.

After gaining entry to the school, Hamilton made his way to the gymnasium and opened fire on a class of five- and six-year-olds, killing or wounding all but one person. Fifteen children and a teacher, Gwen Mayor, died at the scene. Hamilton then left the gymnasium through the emergency exit. In the playground outside he fired a number of shots into a mobile classroom. A teacher in the mobile classroom had previously realised that something was wrong and told the children to hide under the tables. Most of the bullets became embedded in books and equipment, though "one passed through a chair which seconds before had been used by a child."[1] He also fired at a group of children walking in a corridor, injuring one teacher. Hamilton went back into the gym and fired one shot with one of his two revolvers pointing upwards into his mouth, killing himself instantly. A further eleven children and three adults were rushed to the hospital as soon as the emergency services arrived; one of these children was pronounced dead on arrival at the hospital.

 この原稿を書いたときは自分で翻訳するだけの時間はあったようだ。複数のソースから自分で情報をまとめていた「世界の三面記事・オモロイド」さんよりレベルの低い仕事ではあるけど(詳しくは10月13日の記事を参照)。だいたい、銃に大して関心のない唐沢が「スミス&ウェッソン357リボルバー」とか言い出すのがおかしいのである。…もしかすると“Full metal jacket ”を「軍用ジャケット」だと思っているんじゃないか?という疑いは残るが。まさかね。ただ、wikipediaからよく考えもせず翻訳したせいで、この後大惨事になってしまっているのだが。
 
 さて、唐沢はダンブレイン乱射事件には「イギリスならでは、という部分がいくつかある」として、アメリカの乱射事件の犯人が低年齢であることが多いということを挙げたうえで、このように述べている(もちろん低年齢でないアメリカの乱射事件の犯人もいるのだが)。

 それに比べると、このダンブレイン乱射事件の犯人、トーマス・ハミルトンはこの事件のあった時、43歳である。あちらのWebサイトにある写真を見ると、頭のはげ上がった丸顔の男で、何となく漫才師の瀬戸わんやに似ていなくもない(ったって若い読者は瀬戸わんやもよく知らないか)。
 彼はボーイスカウトの団長だった、と先に紹介したが、実は小児同性愛者と噂されており、彼がやっていた店というのも、少年たちの交流クラブ的な性格のもので、ハミルトンはそこにやってきた少年のセミヌード写真を撮影したという容疑で取り調べを受けたことがある。その噂が広まって、店を閉じねばならなくなったのは不当だ、として市に苦情を訴えていたという。そして、(それにも懲りずというべきか)また私設のボーイスカウトを設立したが、この運営に警察による妨害を受けたと、再び抗議の手紙を送っている。

 これもwikipediaからの翻訳。

Hamilton's exact motives remain unknown, though it is a matter of record that there were complaints to police regarding his suspicious behaviour towards the young boys who attended the youth clubs that he ran. There were suspicions prior to the massacre that Hamilton's interest in boys was paedophilic, with more than one complaint being made regarding him having taken photographs of semi-naked boys without the parents' consent. He claimed in letters that rumours about him led to the collapse of his shop business in 1993, and in the last months of his life he complained again that his attempts to set up a boys' club were subject to persecution by the police and the scout movement.

 この続きについてはwikipediaの方を先に読んでもらいたい。

Among those to whom he complained were local MP Michael Forsyth and the Queen.

 つまり、ハミルトンが地元選出の下院議員である(当時のスコットランド担当大臣でもある)マイケル・フォーサイスエリザベス女王に抗議の手紙を送っていたということである。まあ、テンパってしまった人間が取りがちな行動である。そして、これを唐沢がどのように訳しているかというと。

この送った相手が2人いて、1人は地元の警察官マイケル・フォーシス、そしてもう1人はビクトリア女王であった。この民主主義的平等意識の強い名前の並列を見ると、ハミルトンの精神の状態がどんなものだったか分かる。

 本当にこう書いてあるのだ。唖然とするしかない。まず、どうして下院議員が「地元の警察官」になったのか。“local MP ”=地元の警察官って…、“MP”=「マッポ」とでも考えたんだろうか。“MP”は“Member of Parliament ”の略なのだが。しかし、それを上回るのが「ビクトリア女王」だ。…一体どういうことなのか。唐沢俊一の脳内ではイギリスは今でもヴィクトリア朝が続いているんだろうか。ハミルトンはチャーチルアーサー王にも手紙を送ってるんじゃないか?自分はハミルトンより唐沢俊一の「精神の状態がどんなものだったか」知りたいよ。それから、唐沢俊一の担当編集者の豊田拓臣さんにも、さすがにこれはなんとかしてほしかった。

 小児同性愛といえばイギリスが本場、といわれるほどであるが、43歳少年大好き男の、追いつめられた揚げ句、死ぬなら少年たちを道連れに、と思い詰めた犯罪であるとするならば、これはまさにイギリス的な犯罪といわねばならない事件かもしれない。ちなみにこの事件の後、イギリスでは小児同性愛者たちに対する嫌悪感が国民に蔓延し、小児性愛者(ペドファイル)と言葉が似ている小児科医者(ペディアトリスト)が焼き打ちにあって引っ越さざるを得なくなった、という事件まであったそうである。

…正直、国交断絶ものなんじゃないかって思うんだが。「小児同性愛といえばイギリスが本場」って。そういえば「露骨なお稚児趣味」を「英国上流社会の伝統」とも言っていたが。唐沢俊一の脳内ではイギリスの少年たちは大変なことになっているようである。あと、ここは大事なところだが、ハミルトンは「小児同性愛者」である疑いはあっても確定しているわけではない

 ともあれ、銃がアメリカほど野放しでないイギリスでこのような事件が起こったという事実は、イギリス中に衝撃を与えた。オーストラリア制作のテレビコメディ『ホーム・アンド・アウェイ』で、登場人物の父親が、子供が仲間外れにされたことに怒って、ライフルを持って学校に立てこもる、というエピソードをちょうど放映するところだったが、この話はイギリス側の拒否により、イギリスでの放映を禁止された。

 ここもwikipediaから翻訳したもの。

Episode 1,954 of Australian soap opera Home And Away, in which the estranged father of a Year 7 student of Summer Bay High brought a rifle into the school and held headmaster Donald Fisher hostage all afternoon and overnight (throughout the episode), was not shown at all in the UK. References to the siege in other episodes were edited out by ITV, the then UK broadcaster of the show.

 何でも歌にしてしまうアメリカでは、早速ボブ・ディランが反応し、ダンブレイン生まれのミュージシャン、テッド・クリストファーにこの事件のメモリー・ソングとして、自作の「ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア」を演奏させ、レコーディングさせた。この曲は1996年12月にリリースされ、その月の英国チャートのベストテントップになっている。

wikipediaより。

With the consent of Bob Dylan, a Dunblane musician named Ted Christopher wrote a new verse for "Knockin' on Heaven's Door" in memory of the Dunblane school children and their teacher. The recording of the revised version of the song, which included brothers and sisters of the victims singing the chorus and Mark Knopfler on guitar, was released on 9 December 1996 in the UK, and reached number 1. The proceeds went to charities for children.

…まさかとは思うが、“Knockin' on Heaven's Door”がこのために作られた曲だと思ってないだろうな唐沢俊一は洋楽の知識は皆無に等しいからなあ。あと、「メモリアル・ソング」ではないかと。

 生花業界もこの事件に反応した。殺された女性教師の名前を取って、スコットランドのバラ育苗園“コッカーズ”が“グゥエン・メイヤー”と、もう1つ“潔白(イノセンス)”と名付けた新種のバラを販売し始め、人気商品になった。この売り上げの一部はスコットランドの小学校を支援する基金に寄付されたそうだが、被害者の名前を取るのはともかくとして、“潔白”というのは誰のことを指すのだろうか?女性教師が犯人に性的ないたずらはされなかった、という意味か?しかし、それは当然で、犯人はペドフィリアだったのである。じゃ、児童生徒のことなのか……。

wikipedia

At least three flowers have been named after victims of the shootings. Two roses, developed by Cockers of Aberdeen, were named "Gwen Mayor" and "Innocence" in memory of the teacher and the children.

 この場合の“Innocence”はどう考えても「無垢」という意味だろう。わざとひねくれた解釈をしているのか英語の知識がないのか。

 もっと直接的な影響もある。この事件の1か月後に、マーチン・ブライアントという男がタスマニア(オーストラリア)のポート・アーサーで、35人の人間を殺した。ブライアントは精神鑑定にかけられ、彼の殺人行為は、ダンブレイン事件に影響されてのことであった、と結論づけられた。

wikipedia

A month later, Martin Bryant killed 35 people in the Port Arthur massacre in Tasmania, Australia. The chief defence psychiatrist in the case has revealed that the Dunblane massacre, and in particular the early treatment of Thomas Hamilton, was the trigger in Bryant's mind for the Port Arthur massacre.

 大事件の後に必ず出てくる陰謀論も盛んになった。最も有名な主張としては、この事件の裏には、これをIRAアイルランド独立運動)の過激派のせいにしよう、というMi6(ジェームズ・ボンドもいたイギリスの情報局)の手が動いている、というものがあり、これはいまだに、インターネットで盛んに唱えられている。

 アイルランドはもう独立してるって!

 また、この事件のあった3月はイギリスではスノードロップ(マツユキソウ)の季節で、事件当日雪がちらついていたこともあり、この花が事件のシンボルとなった。献花のために葬儀に参列したアン王女が、庭でつんだというスノードロップの花束を捧げたこともひと役かって、この事件の後、イギリスで盛んになった銃器規制キャンペーンは“スノードロップキャンペーン”と名付けられた。

ここの記述はこのサイトからのパクリ。

※注1:ダンブレーン事件

1996年3月13日の朝、数丁の銃を持った男がダンブレーン小学校の体育館に押し入り、授業を受けていた1年生の子供たちに向かって銃を乱射、女性教師を含め18人を殺して自分も自殺したという事件。スコットランドではもちろんこんな事件は日常茶飯事ではありませんので、こともあろうにダンブレーンで乱射事件というラジオ放送の内容が職場に伝わった時には、みな騒然となりました。寒い朝で、雪がちらついていたのを覚えています。ちょうどスノードロップの季節で、献花のため葬儀に参列したアン王女が、庭でつんだというスノードロップの花束を捧げたのが記憶に残っています。
その後犯人がガンマニアだったこと、ボーイスカウトリーダーとして活動していたが不審な行動が多くてクビになり、その後自主的に少年クラブを設立指導していたが、かなり苦情を受けていたらしいことなどが明らかになりました。かなり被害妄想が強い、精神的にも不安定な人間だったにもかかわらず、警察の審査をパスして拳銃所持ライセンスを受け、自動小銃などを多数所持していたことが問題視され、この事件をきっかけに、アン王女の花束にちなんで「スノードロップキャンペーン」と名付けられた銃火器反対キャンペーンが始まり、大量の署名を集めて銃火器規制の大幅引き締めに成功しました。

なお、この事件で殺された女性教師の名前を取って、スコットランドのバラ育苗園コッカ―ズ(Cocker's)がGwen Mayorと名づけた新種のバラがあり、このバラの売上げの一部はスコットランドの小学校を支援する基金に寄付されます。

ハミルトンが何度も精神鑑定を受けた人物にも関わらず、警察の審査をパスして拳銃所持ライセンスを受け、自動小銃などを多数所持していたことが問題視されたのである。

 そのような事実が本当にあったのだろうか?ハミルトンはそれまでに犯罪を犯したわけでもないのに。

 殺人事件、ことにこのような大量無差別殺人、しかも子供が犠牲者という事件が起こると、日本では、早くこの事件を記憶を消し去りたいという方向に話が進む。この事件の5年後に日本で起こった宅間守による池田小殺人事件の時、学校側はすぐ、その事件のあった校舎を取り壊し、一切その事件のことを話に出さないようにしているらしい。それも1つの対処法だろうが、しかし、世界の多くは逆にその事件を記録し、記憶に留め、経験をふまえた上で再発防止に取り組んでいる。どちらが有効な方法か、考えてみる必要があるだろう。

 ダンブレイン乱射事件のあった体育館も取り壊されてますが何か

……あ、記憶に留めるで思い出した。冒頭に取り上げたアンディ・マレーは、その時、「普通の教室にいては隠れていても殺される」ととっさに判断し、校長室に逃げ込んで、そこの机の下に隠れて助かった、とこの事件について話していたが、その後、この小学校の構造上、事件当時アンディがいた場所から校長室には逃げ込めない、ということが分かり、この証言には疑いが持たれているようである。しかし、どうもアンディは、この犯人、ハミルトンとは顔見知りだったらしいのである。顔見知りだったから助かったのか、あるいは、子供時代からハンサムだった彼を犯人のハミルトンが気に入っていたから助けたのか。彼の活躍は亡くなった生徒と先生の霊が後ろで応援しているせいだろうが、一緒にハミルトンも応援しているような気がしてならない。

 気持ち悪っ!!いや、ハミルトンが気持ち悪いわけじゃなくて、こういうことを考えて平気で文章にする唐沢俊一が実に気持ち悪い。一体何を考えているんだろうか。アンディ・マレーとハミルトンが顔見知りだったのは本当らしいが、唐沢のソースはここかな?


…「イギリス人とテロの深い関係」をチェックした時は、「これ以下の文章はないだろう」と思ったわけだが、この「ブリティッシュな銃乱射事件」はそれを超えるヒドさかも知れない。もう一度書いておくが、唐沢俊一は二度とイギリスについて触れないように。お願いだから触れないでくれ。あんまりヒドいものだから日英関係が心配になってきたよ

唐沢俊一のトンデモ事件簿

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ザ・ベスト・オブ・ボブ・ディラン

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