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唐沢俊一検証blog

2008-11-18

1981年の「祭り」。

23:23

 1980年11月21日発売のぴあ12月5日(当時は隔週誌)の読者投稿欄「YouとPia」に「山賀龍一」氏の「望怪獣論“本当の怪獣映画とは…”」というタイトルの文章が掲載された。

 いつの時からだろう。怪獣が子供のオモチャになってしまった。キャラクター・トイの波に乗り、超合金だのビニール人形だの…。

という出だしから分かるように、怪獣映画が子供向けになってしまったことを嘆き、『ゴジラ』のように大人の鑑賞に耐える本当の怪獣映画を待ち望む文章である(だから「望怪獣論」なのである)。

 この文章を読んで触発された22歳の青年が「新怪獣論」というタイトルの文章を書き『ぴあ』編集部へと投稿した。投稿された文章は「12/5号「望怪獣論」へ…本当に優れた新しい怪獣映画を!」というタイトルで『ぴあ1981年1月2日号に掲載された。以下に全文を紹介する。

12/5号当欄、山賀氏の「望怪獣論」を読んでとりあえず一筆。

 最近いろいろな所でこういった意見を耳にします。僕も小さい頃から怪獣に親しんできた人間ですから、怪獣映画復活にあえて異を唱えるものではありません。しかし、そういった意見のファンの人達と話していてどうしても一つ、ひっかかる所があるのです。どれは彼等が東宝怪獣映画、なかんずくゴジラを、やたらあがめたてまつり、神聖化してしまっていることです。あれを越える怪獣映画を作ることは出来ない、なんてことを彼等はいうのです。本当にそうなのでしょうか。いや、あえていってしまえば、僕にはどうしてもあれがそんなに優れた映画であるとは思えないのです。

 子供の頃見たゴジラ、あれは正直にいって大変コワかった。暗い夜空をバックにヌッと立っているゴジラの姿は悪魔のようなイメージとして心に焼きつきました。しかし、それはあくまでもイメージとしてであって、子供に映画としての出来云々がわかるはずもありません。それから数年たち、怪獣少年から映画少年となった僕が再びゴジラを見た時の感想は「アレ、コンナもんだったのかナ」ということでした。特撮は確かにあの頃の作品としては頑張っていたのかもしれません。しかし、映画としての完成度とすると、はっきり言ってオソマツの一言なのです。まず、改めて見てみて、ゴジラがやけに早く出て来てしまうのにガッカリしました。恐怖映画の定石としては、ここは出来るだけゴジラ本体の出現を後の方に延ばすのがスジでしょう。「JAWS」においては前半、鮫は全く姿を現わさず、海中風景→背びれ→シルエット→本体と徐々にその姿を小出しにしていって恐怖感を盛り上げていっています。「ゴジラ」にはそういった細かい神経が殆んど感じられません。しかも冒頭いい雰囲気を出していた高堂国典はじめとする島の住民が、後半全く出て来ない。ゴジラの恐ろしさを最もよく知っている彼らを中心に、離れ小島という極限状況の中で話を展開していけばこの映画、倍はコワくなっていたことと思います。しかし、ゴジラ氏は島を見捨てて東京へ出て行ってしまうのです。これはいうまでもなく、この映画がそもそも身長50メートルの化物がビルをぶち壊し、火を吹いて戦車を踏みつぶすという、お子様向けの発想からなっているためであります。もともと身長50メートルの生物というだけで考えてみれば「アホか」の一言です。ましてやそれが火を吹いてジェット機をはたきおとすに至ってはこりゃ、迫真性だのリアリズムだのの彼岸にある。ならこれは純粋なファンタジーなのかというと、原水爆問題などという現実問題をとりあげているから始末に悪い。何かそこだけ浮き上がっているような感じなのですねえ。最も理解に苦しむのは、ゴジラ原爆の申し子―その洗礼を受けた唯一の国である日本の持つ恐怖のイメージ―として設定しておきながら、それを倒すのにオキシジェン・デストロイヤーなどという新兵器を持ち出すことです。何のことはない、それでは原爆よりオソロシイものがもうこの世にあることになるじゃありませんか。この映画は原水爆の恐怖を描くのか、オキシジェン・デストロイヤーの恐怖を描くのか、首尾一貫していません。

 原水爆によって生まれたゴジラならば、それが滅ぶのもやはり原水爆によってでなくてはいけないでしょう。それであって初めて、テーマが示されるのではありませんか?オコツになってしまったゴジラが、海の底で「こりゃアンフェアだ!」と叫んでいるような気がします。ズルイよ、ネタに詰まったら新兵器を持ち出すというのは。ゴジラの出現と新兵器の発明、この二つの間には何の関係もない。これだけでもこの脚本はラクダイです。

 ともかく、怪獣ものの頂点といわれるゴジラにしてからがこれなのだから、その後の怪獣映画に“映画”として優れたものが絶えてないのは理の当然かもしれません。その意味で、山賀氏の「望怪獣論」に僕も賛成です。「ゴジラ」の後塵を拝することのない、本当に優れた怪獣映画を希望する次第です。ゴジラは、あの映画が作られた昭和20年代〜30年代の狭間の、社会とか国家、戦争等に対する人々の不安の象徴としてのイメージだと思います。今の時代に生きる我々には、その頃とは違う、新しい不安があります。新しい怪獣を我々は待ち望まなければならないのです。

 この文章の投稿者の名前は唐沢俊一。そして、この文章をきっかけに「YouとPia」では半年以上にわたる論争が巻き起こることになるのであった…。


…というわけで「唐沢俊一検証blog」では、しばらくの間いわゆる「ガンダム論争」を扱っていきたいと思います!長すぎて一回ではとても収まらないのですw

 それにしても、プロになる前の文章とはいえ、唐沢俊一は昔から唐沢俊一なんだなあと思う。ひとつには、文章が無駄に攻撃的唐沢俊一はこの後「ある事件」がきっかけで、

 これで、僕はキレた。これ以降、僕の『ぴあ』への投稿の筆致はどんどん嫌味になり、皮肉になり、攻撃的になっていく。

のだが(『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』より)、もともと「嫌味」で「皮肉」で「攻撃的」なんだから、論争が勃発したのは当然のことだったのかも知れない。

 あと、見る目がないのも今と同じ(昔まともだったら別の意味で哀しいけど)。『ゴジラ』を批判するのはいいとしても、批判するポイントがみんな見当はずれだから、『ゴジラ』ファンはさぞかしイライラしたことだと思う。

 まず、「ゴジラがやけに早く出て来てしまう」だが、じゃあラドンの登場が遅い『空の大怪獣ラドン』はいいのか?そんなのはストーリーの必要に応じて出せばいいだけの話であって、早いからダメというのはおかしいよ。次、ゴジラが姿を現さずに貨物船や民家を襲っているのだって恐怖映画の「定石」だろう。というか、「定石」という言葉をものを知らない人に使われると本当にイラッとするな。そして、「離れ小島という極限状況の中で話を展開していけば」って『キングコング』だってニューヨークに行ってるじゃん。さらに、ゴジラ原水爆で倒せないことは劇中で山根博士がちゃんと説明している。以下セリフを引用。

それは無理です。水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを何をもって抹殺しようというのですか

やっぱり『ゴジラ』のストーリーを理解してないな。ついでに「お子様向けの発想からなっているためであります」というのは、まだ22歳だから勉強が足りなかったと思うことにしておこうか。

…ここまで読んできて、ずっと昔に書かれたプロになる前の文章をいちいち批判するのはどうか?と思われた方も居られるかもしれない。しかし、実は唐沢俊一は今年9月に発売された『唐沢俊一トンデモ事件簿』(三才ブックス)に収録された文章の中で、『ゴジラ』について「オキシジェン・デストロイヤーの開発には、必然性がほとんどない」という「YouとPia」への投稿と同じ論旨の批判をしているのだ(その論旨については11月6日の記事で批判済み)。この点について唐沢俊一は四半世紀考えを変えていないのである。だから、「YouとPia」への投稿を批判する意味は十分にあるものと考える。過去への批判は現在へとつながっているのだ。…しかし、こんなに『ゴジラ』を批判していた人間がどうして梶田興治監督や中野昭慶監督と個人的に付き合うようになったのかいよいよわからない。あと、細かい間違いを指摘しておくと、オキシジェン・デストロイヤーはゴジラの骨まで溶かしてしまったのでオコツになってしまったというのは誤り。それから、ゴジラは劇中でジェット機をはたき落としていない(ミサイルをはたき落とそうとはしている)。もちろん今ではちゃんと知ってるよね?一応フォローしておくと、結論だけはなんだかマトモ。


唐沢俊一は1998年に発売された『別冊宝島・投稿する人々』(宝島社)に収録された『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』で、「ガンダム論争」を振り返っているが、「YouとPia」への最初の投稿についてこのように書いている。

 この号のみ大宅文庫のバックナンバーが欠落していて、詳しい引用をすることができないが、要するに、山賀氏の“今、大人の鑑賞に耐える怪獣映画を!”という意見には賛成するものの、『ゴジラ』という映画を大傑作としてあがめ、結局怪獣ファンたちが揃いも揃って、ゴジラの復活だけを望んでいるのはいかがなものか、という意見を述べたものだった。

 投稿の大意を記憶を辿ってざっと書いてみると、イメージとしてはともかく、映画作品として見ると、『ゴジラ』の構成はかなり弱いことが分かる。それは、まだ日本に怪獣映画という伝統がなかったのだから無理もない。あの作品が名作とされるのは、ひとえに第五福竜丸事件によって原水爆の恐怖を、今の我々とは比べものにならないくらいに身近に感じていた当時の人々の潜在的な恐怖に、ゴジラという異形の姿が与えられたからにほかならない。

(中略)

べつに論争を望んでいたわけではなく、ただ、当時一年に四百本近くの映画を見まくっていた映画青年として、ごく当たり前の感想を述べたにすぎない文章である。実際問題として、ゴジラと同年に作られたジョージ・パル製作の『宇宙戦争』などを見ると、その演出の細かさ、人間の配置と動かし方のうまさ、特殊撮影の技術などで、日本のそれがとうてい足元にも及ばないことを、映画ファンの筆者は徹底して思い知らされていた(現在のB級カルトマニアとしての目から見ればまた別である。しかし、当時の筆者はまだ純真だったのだ)。

 「ゴジラという異形の姿」うんぬんは『トンデモ事件簿』に収録された文章とよく似ている。それにしても、「YouとPia」への投稿で唐沢俊一は『ゴジラ』について「特撮は確かにあの頃の作品としては頑張っていたのかもしれません」として、あくまで「映画としての完成度」を批判しているのに、どうして『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』ではゴジラ』の特撮を批判していたことになってるんだろう?やっぱり自分のことを記憶しておくのも「病的に苦手」なんだろうか。それに『ゴジラ』の特撮や演出が『宇宙戦争』に比べてそんなにも劣っているんだろうか?具体的に説明してほしいところだが。「YouとPia」への投稿でも『ジョーズ』より『宇宙戦争』を持ち出して批判すればよかったのに。まあ、それ以前に宇宙戦争』が作られたのは1953年で、『ゴジラ』の前年なんだが

 あと、「映画青年として、ごく当たり前の感想を述べたにすぎない」って、当時の映画青年はみんなそんな風に思っていたのだろうか?当時幼稚園児だった自分にはわかりようもないので、1980年当時の事情をご存知の方からお話を聞きたいところだ。コメントお待ちしています。

…「望怪獣論」に対して「YouとPia」へ投稿された唐沢俊一の文章は、特撮ファンの間に波紋を広げたらしい。『ぴあ』1月30日号に唐沢俊一への反論が載り、そして、唐沢俊一の身にも「ある事件」が起きるのであった。

                                         (つづく)

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唐沢俊一のトンデモ事件簿

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WOOWOO 2008/11/19 00:11 単純な誤記だと思いますが、『宇宙戦争』の製作年は1953年ですよね?

kensyouhankensyouhan 2008/11/19 00:14 コメントありがとうございます。訂正しておきました。

WOOWOO 2008/11/19 00:59 私が指摘するより前に気づかれていらしたのですね。
失礼しました。

そもそも唐沢青年の言う「ゴジラがやけに早く出て来てしまう」に疑問を感じてしまいます。
『JAWS』の鮫がなかなか姿を現さないという演出は、低予算ゆえの苦肉の策(機械仕掛けのサメ鮫の故障が多かったのも一因)と言われていますが、『ゴジラ』からの影響を指摘する人もいます。
↓こちらでも取り上げられていますが・・・

http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200605/article_16.html
> 20分くらいで徐々に姿を現し始め、ゴジラの全身が
>スクリーン上に現れるまで、じつに45分掛かります。
>顔だけとか、背中だけとか、音だけとか、足跡だけとか
>少しずつ姿形を見せていく様子はサスペンスとしても
>優れていて、スピルバーグ監督の『JAWS』でも
>同じような演出をサメに対して用いていました。

O.L.H.O.L.H. 2008/11/19 01:09 >僕が再びゴジラを見た時の感想は「アレ、コンナもんだったのかナ」

唐沢映画少年君、それは君が『ひねくれた物の見方を身につけてしまった』からだよ。

EBCDICEBCDIC 2008/11/19 01:22 >当時幼稚園児だった自分にはわかりようもないので、1980年当時の事情を
>ご存知の方からお話を聞きたいところだ。コメントお待ちしています。

今回の「YouとPia論争」を読んで私が思い出したのは、当時「月刊スターログ」という雑誌でも、「スターウォーズや未知との遭遇のような最新のSFX技術を駆使した洋画群に比べて、邦画は未だに旧態依然とした吊り特撮ばかり」というような読者投稿をきっかけに論争が巻き起こっていたことです(別の雑誌かもしれません)。

yonoyono 2008/11/19 01:30 ウン十年のタイムラグがあるとはおもえない文章(と言い訳)に「横着する人間は学習もしない」と思いますなあ

(自分がガノタだから他人事とも思われない事もあり)ガンダム論争への考察楽しみです!

nyannnyann 2008/11/19 02:30 >「映画青年として、ごく当たり前の感想を述べたにすぎない」って、
当時の映画青年はみんなそんな風に思っていたのだろうか?

たぶん望怪獣論氏の方が当時の一般的な映画青年(恥ずかしいなあw)の見方だったのでは?
唐沢氏の方がひねくれた映画ファンなんですよ。
今回は出てませんが次回以降出ると思うけど、望怪獣論氏は『ゴジラ対ガイガン』から悪夢の『ゴジラ対メガロ』を経て、
『ゴジラ対メカゴジラ』までのことが念頭にあるからこういう文章を書いたのであって、唐沢氏はくどくど書いてますが、
要するに「そんなことねー。ゴジラだって恥しかったぜ」と言ってシリーズ全体がレベルが低かったって言いたい訳でしょ。
まあ、当時はハリーハウゼンより文楽や歌舞伎の型を取り入れたゴジラの方が絶対的に素晴らしいって時代だったから、
唐沢氏は余計にひねくれてジョージ・パルの『宇宙戦争』なんかを出してきたんだろうけど、比較で出すなら『原子怪獣あらわる』
だろうと。本多演出をけなしたから福田純や中野昭慶との交流が出来たのかな?しかし、唐沢氏がこれぞゴジラ映画と絶賛したのが
『ゴジラxメガギラス』ってのも納得できませんけど、確かあの時は「手塚昌明はファーストゴジラの精神を受け継いで」とか
言ってませんでしたっけ?変な朗読会やるよりも、一度ロフトプラスワンで樋口尚文vs唐沢俊一のガチンコ対決が見たいなあ。

WOOWOO 2008/11/19 02:34 ゴジラの登場(第一作)ですが、映画冒頭の栄光丸が襲われるシーンでは怪光のみ、大戸島へ上陸するシーンでは崩れ落ちる民家の向こうに体の一部だけが見える・・・と、徐々に姿を現します。
ゴジラファンであるスピルバーグが実際に真似たかどうかはわかりませんが、この演出はまさに『JAWS』の先駆ではないでしょうか?
観賞する毎に特撮は勿論、本編の演出や脚本の見事さについて新たに発見させられる作品です。
本編のテーマと特撮部分とが分離していない希有な作品だと思います。

個人投資家個人投資家 2008/11/19 10:09 >それでは原爆よりオソロシイものがもうこの世にあることになるじゃありませんか。

 あるからこそ、平田昭彦が演じる科学者芹沢博士は、「オキシジェンデストロヤの存在を証したら、自分の意志に反して兵器として使われることを強制されるだろう」という軍拡競争の道具にされることを懸念して苦悩したのではないだろうか?
 映画を素直に見る限りそうとしか解釈できないが?

kensyouhankensyouhan 2008/11/19 10:50 コメントありがとうございます。

>WOOさん
>私が指摘するより前に気づかれていらしたのですね
いえ、WOOさんのご指摘で気づいて慌てて訂正しました。確かにWOOさんのコメントから3分しか経ってないので驚かれたかもしれませんが、自分は唐沢俊一と違ってミスをするのがとても怖いのでw
>そもそも唐沢青年の言う「ゴジラがやけに早く出て来てしまう」に疑問を感じてしまいます
自分もチェックしましたが、ゴジラが初めて姿を現すのは映画が始まってから20分過ぎなんですよね。別に早くないと思うんですが。
>観賞する毎に特撮は勿論、本編の演出や脚本の見事さについて新たに発見させられる作品です。
自分もこの間鑑賞してあらためて感心させられました。「古典というのは常に新しい作品のことだ」と誰かが言っていましたが(記憶あやふや)、そういう意味では『ゴジラ』は「古典」と呼ぶべき作品だと思います。

>O.L.Hさん
自分も一時期ヒネて映画を見ていたことがあったので反省させられますが、何事も素直にならないといけませんね。

>EBCDICさん
貴重なご意見をありがとうございます。
『スター・ウォーズ』と『宇宙からのメッセージ』や『惑星大戦争』を比較してたんでしょうか?唐沢俊一以外にも海外の特撮を引き合いに出して日本の特撮を批判する動きはあったということですかね。
唐沢俊一は『スターログ』や『宇宙船』を読んでいたのか少し気になります。

>yonoさん
まあ、人間というのは変わらないんでしょうね。特に20歳を過ぎてからだと。
唐沢俊一の『ガンダム』批判をガノタがどう読むかは興味深いですね。それから「ガンダム論争」の最後に富野監督がコメントを寄せているんですが、これがとても面白い!富野監督も変わらないんでしょうねw

>nyannさん
>たぶん望怪獣論氏の方が当時の一般的な映画青年(恥ずかしいなあw)の見方だったのでは?
そうでしょうね。『ゴジラ』シリーズがだんだん子供向けになっていったのは誰しも認めるところでしょうし。中野稔さんが東大の講義で「僕は最初の『ゴジラ』しか認めない」と仰ってたのも「望怪獣論」と似た考え方でしょう。
>比較で出すなら『原子怪獣あらわる』だろうと。
普通はそうですよね。『原子怪獣現わる』を知らないで『ゴジラ』を批判しているとしたらかなり問題です。
>本多演出をけなしたから福田純や中野昭慶との交流が出来たのかな?
いや、それだと梶田監督とつきあっている説明がつきません。唐沢は梶田監督と一緒に本多監督のお宅に行って監督の奥さんから話を聞いたりしています。…その時に本多監督の演出を批判したのか気になりますが。

>個人投資家さん
だから、素直に『ゴジラ』を見てないんですよ。「原水爆がテーマ」と頭から思い込んでいるから、トンデモない誤解をするんです。唐沢俊一は『ゴジラ』がSFに深刻なテーマを持ち込んだと「ガンダム論争」で書いていますが、実は唐沢こそ『ゴジラ』のテーマにこだわっているんじゃないか?という気がしています。見る前からテーマにこだわるのは一番マズい見方だと思うんですが。作品を見ていて「ああ、これがテーマなのか」と気づくのが自然なんじゃないかと。

それから、
>2ちゃん唐沢スレのみなさんへ
唐沢俊一の『カリオストロの城』評は『B級学(マンガ編)』(海拓舎)に収録されています。「ガンダム論争」が終わり次第、なるべく早く取り上げてみます。

EBCDICEBCDIC 2008/11/19 12:05 >『スター・ウォーズ』と『宇宙からのメッセージ』や『惑星大戦争』を比較してたんでしょうか?

1980年といえば、ILMが「真っ白な雪原をバックにした合成」という偉業(岡田斗司夫著の「オタク学入門」でも触れられていましたが)を成し遂げた「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」が公開された年でもあり、一部の特撮ファンがハリウッド特撮に対して劣等感を抱いていたということはあると思います。

ただし、それはあくまでも70年代から80年代初頭における日本のSF映画(または特撮映画)がパッとしなかった状況を踏まえてのことであり、「ゴジラ」と「宇宙戦争」を比較して「日本のそれがとうてい足元にも及ばない」などということを言っていた人はスターログ論争にもいなかったと思います。たぶん当時のスターログでそんな頓珍漢なことを書こうものなら、それこそ袋だたきに遭っていたのでは。

EBCDICEBCDIC 2008/11/19 12:16 あと、唐沢俊一の「カリオストロの城批評」ということに関連しても思い出したことがあります。

角川書店から発行されていた「バラエティ」という月刊誌にて、(たしか「セーラー服と機関銃」の公開と同時期なので1981〜1982年頃でしょうか)当時としてはかなり異色な「カリオストロ評論」が掲載されたことがあります。たしか、カリオストロの城という映画はストーリーを細かく追っていくと矛盾点や不明点が多々あるということで、裏読みをおこなっていく内容だったと記憶しています。

しかも、それを執筆したのは唐沢俊一のと学会仲間である志水一夫だというのを、たしか本人がどこかで書いていました。

もし入手できるなら、双方を見比べてみると面白いかもしれません。

藤岡真藤岡真 2008/11/19 13:18 >作品を見ていて「ああ、これがテーマなのか」と気づく
「ゴジラ」初見は大学生の頃でしたが(無論リアルタイムじゃありませんよ)、ゴジラによる破壊、放射能、慰霊祭と流れるストーリーで「ああ、これは原爆許すまじなんだな」と気がつきました。後年、この映画が核兵器反対という思想の下に作られているなら安っぽ過ぎるという論評を読んだ記憶がありますが、そうじゃない。当時の日本人が核兵器に対して抱いていた恐怖感を上手く具現化した映画なのだと思います。

kensyouhankensyouhan 2008/11/19 15:41 コメントありがとうございます。
>EBCDICさん
なるほど。じゃあ、唐沢俊一の考え方は当時としてもかなり独特だったわけですか。
『バラエティ』は…なんとか探してみましょう。

>藤岡さん
映画評論家でもたまに「えっ?」と思うような読み違えをしている人がいますけど、そういう人って頭でっかちな傾向があるように思います(娯楽作品オンチの人が意外と多いのにビックリさせられますが)。
唐沢俊一もそういう人たちと似ているような気がします。ただ、世間一般の頭でっかちな人は知識がジャマしている面がありますけど、唐沢俊一の場合はそうじゃないというのが哀しいことですが。

U林檎U林檎 2008/11/20 01:16 ゴジラに襲われ逃げ惑う人々の中に和装の戦争未亡人がいて一緒に逃げる子供に「お父様の所へ参りましょう」と言うシーンがありました。
この時私はこの映画は戦争の爪痕が生々しい時代に作られたのだなと印象を強く持ちました。
前にNHK(だったと思います)大人向けの映画としてゴジラを制作することがいかに無謀な冒険であり、
またそれでこそ制作者側に強い意志が存在していたのだと当時の関係者が語る番組を見た記憶があります。
バカにされきった企画が、一般の大人達に受け入れられ大成功した意味。
これを読めない唐沢俊一こそ「ラクダイです。」

kensyouhankensyouhan 2008/11/20 02:29 コメントありがとうございます。
結局、「原水爆がテーマ」ということに一番とらわれていたのが唐沢俊一だと思うんです。だから、オキシジェン・デストロイヤーについて普通に見てればまずしない誤解をしたりするわけで。

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