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唐沢俊一検証blog

2009-01-31

ブラッド・タイプでブルーになる。

13:25

 唐沢俊一スレッド2ちゃんねる一般書籍板の荒らしの人は、自分のことを揶揄するときに「いかにもなオタク」のAAを貼るのだが、自分はそれを見るたびに「似てねぇ〜っ」とひどいモノマネを見たときの関根勤のようなリアクションをしてしまうので、伊藤剛さんのコメントを取り入れてなんとかしてほしいと思う今日この頃。自分でAAを作る能力の無い人にそのような要求をするのは残酷だろうか?藤岡真さんだって「やる夫」には似てないだろうから、心底呆れておられると思うが。

 お遊びはここまでにして本題。『唐沢俊一雑学王』(廣済堂)P.74より。

 しかし、日本で血液型による性格判断という考え方を初めて示した高校教諭の古川竹二氏は、それを差別の撤廃につなげようと考えていたのである。

 古川竹二が血液型と性格の関係をテーマとした論文を発表したのは1927年だが、それ以前に1916年に原来復(きまた)が同様のテーマの論文を発表している。…っていうか、古川竹二は東京女子高等師範学校の教師であって「高校教諭」ではない(現在なら大学教授にあたる)。師範学校は戦前に存在した教員の養成を目的とした教育機関のことで、古川が勤務していた東京女子高等師範学校は現在のお茶の水女子大学である。

 それにしても、文章の続きを読むと首を捻らざるを得ない。

 昭和になって日本にも西洋式の知能検査が導入された。しかし人間は生まれつきの知能だけで優劣がつくのだろうか。頭がよくても、気が弱いためにそれを発揮できない子供もいる。古川氏はそう考え、知能に加えて性格も、人間を測る基準にしよう、と思いついた。そして、その性格を分類するよりどころとして、血液型を使おうと考えた。

 この文章を読む限り、古川竹二は血液型を新たな基準とすることでより正確に「人間を測る」「性格を分類する」ことを目指したわけで、それって差別の撤廃」とは言えないんじゃないか?と思うのだが。結局のところ、「血液型性格診断は現在では差別のもとになっているが、そもそも差別を撤廃しようとして始められたものである」という話を書きたかっただろうけど、それだったらもう少しツジツマを合わせてくれないと。

 なお、同じコラムの中にある血液型のガセビアについて安岡孝一先生が指摘されているので、読んでみて欲しい。

※追記 「西洋式の知能検査」は明治時代に日本に導入されたので、「昭和になって日本にも西洋式の知能検査が導入された」というのは誤り。

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藤岡真藤岡真 2009/01/31 16:22 >昭和になって日本にも西洋式の知能検査が導入された
 「西洋式の知能検査」ってなんでしょうね。「知能測定尺度(ビネー・シモン法)」が作成されたのは1905年(明治38年)。久保良英によってビネー法の日本での本格的な標準化がなされたのが1919年(大正8年)のこと。しかし、日本で、高等教育の学校の入学試験で知能検査が開始されたのは1947年(昭和22年)になってのことですから、「昭和になって」というより「戦後になって」でしょう。
>頭がよくても、気が弱いためにそれを発揮できない子供もいる。古川氏はそう考え、知能に加えて性格も、人間を測る基準にしよう、と思いついた
 のはいつのことなのでしょうか。古川氏は1940年(昭和15年)に没しています(データは総てwikipedia)。

KoichiYasuokaKoichiYasuoka 2009/01/31 21:14 ん、呼ばれたかな? えっと、古川竹二の1924年の論文に『メンタルテストに就て』(幼兒の教育, 第24巻, 第2号(1924年5月), pp.48-54; 第3号(1924年6月), pp.80-89)ってのがあって、中等学校の入学試験においてビネー・シモン風のメンタルテストが応用されているのを、かなり強く批判しているんですよ。で、その3年後に、かの『血液型による氣質の研究』(心理學研究, 第2巻, 第4輯(1927年8月), pp.612-634)を発表するので、まあ、メンタルテストに対するアンチテーゼとして「血液型による気質」を掲げたのは間違いないだろう、と。ただし、唐沢俊一がこのあたりの論文をちゃんと読んでいるとは、とても私には思えませんけどね。

藤岡真藤岡真 2009/01/31 21:37 >1924年の論文に『メンタルテストに就て』(幼兒の教育, 第24巻, 第2号(1924年5月), pp.48-54; 第3号(1924年6月), pp.80-89)ってのがあって、中等学校の入学試験においてビネー・シモン風のメンタルテストが応用されているのを、かなり強く批判している

 その論文が、1924年(大正13年)に発表されているということは、「昭和になって日本にも西洋式の知能検査が導入された」というのはガセということでOKなのですね。

KoichiYasuokaKoichiYasuoka 2009/01/31 22:29 古川竹二に関する限り「昭和になって日本にも西洋式の知能検査が導入された」ってのはガセでしょうね。付け加えるなら「差別の撤廃」ってのも、かなりガセっぽい。と言うのも、古川竹二が次に発表した『血液型による氣質及び民族性の研究』(教育思潮研究, 第1巻, 第1輯 (1927年10月), pp.208-234)って論文、私が読んだ限りでは、どう見ても民族差別なんですよ。

gryphongryphon 2009/01/31 22:44 まあ「差別はいけない。われらキリストの前に平等なり」という論者が他宗教の弾圧を率先したり、「身分ではない、税金を払っている市民はみな政治的発言権があるのだよ」という主張が無産者と有産者に差を作ったりなどは、ままある話ですからね。
「従来の差別の撤廃」につなげようとしたというのを驚かしのレトリックとして「差別の撤廃」というのは「結果的に、それが別の差別を内包してしまった」というところにも記述で目を配っていれば、個人的な感覚ではまぁ許容範囲かな、と思います。

kensyouhankensyouhan 2009/01/31 23:29 コメントありがとうございます。勉強になるなあ。

ここにある古川竹二についての論文でもビネーの知能検査について書かれてます。「昭和になって…」はガセでしょうね。追記しておきます。
http://www.happycampus.co.jp/docs/963550568886@hc07/16722/

> gryphon さん
もう少し丁寧に書いてくれればよかったんですけどね。「高等学校」と「師範学校」を間違えたりいつものことながらやることが雑で損をしてます。

粗忽亭主人粗忽亭主人 2009/02/02 15:13 そもそも戦前に「高等学校教諭」という職があるわけありませんね。旧制高校はいまの大学の教養課程にほぼ相当(もしくはそれ以上)するもので、その教員の肩書きは「教授」「講師」等ですから。

KoichiYasuokaKoichiYasuoka 2009/02/02 19:04 確かにgryphonさんのおっしゃる通り、古川竹二自身がダブルスタンダードなので、結構、話がヤヤコシイんですけどね。『メンタルテストに就て』でも「吾々は、教育者と云ふ立場に於ては、凡ての兒童を平等に取扱ふべきものである。優秀者のみを愛顧すべきではない」と書いてながら、実は、東京女子高等師範附属中学とかの入試にメンタルテスト使いまくってて、その結果報告までやってるんですもん。

kensyouhankensyouhan 2009/02/03 22:16 コメントありがとうございます。
あと、当時と今とでは差別についての考え方が違うということを頭に入れておくことも大事だと思いますね。

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