Hatena::ブログ(Diary)

唐沢俊一検証blog

2009-02-13

唐沢俊一は自分をオタクだと思っていない。

17:16

 「唐沢俊一検証blog」をやっているうちに唐沢俊一オタクではないのでは?」と思うようになってきた。なぜなら、唐沢は『機動戦士ガンダム』と『新世紀エヴァンゲリオン』を批判し、『宇宙戦艦ヤマト』のファンでなく(詳しくは2008年10月28日の記事を参照)、『ゴジラ』と『ルパン三世カリオストロの城』のストーリーを理解できていないのだ(詳しくは2008年11月6日12月20日の記事を参照)。さらに過去には『ウルトラマン』を批判していたこともある(詳しくは2008年11月19日の記事を参照)。…こうなってくると、日本のオタク文化の根幹を成す作品をことごとく否定しているか、まるで理解できていないわけで、唐沢俊一が何をもって自分をオタクであるとしているのかわからなくなってしまったのである。ちなみに、『エヴァ』について唐沢俊一は『実録!サイコさんからの手紙』(宝島社)収録のコラムでこのように書いている。

なにしろ「キチガイアニメ」という肩書がアニメファンの間で通り相場になったようなアニメである。

 そうなんだろうか。少なくとも自分が『エヴァ』を好きなのはそんな理由じゃないんだけど。「鬼畜」なら「キチガイアニメ」を擁護すればいいのに(なお、『サイコさん』収録のコラムでは伊藤剛さんとのニフティ会議室でのやりとりを紹介しているが、自分には単に噛みあわないやりとりとしか見えない。話の合わない相手を「サイコさん」にしてしまえばラクなんだろうけど)。

 

 さて、岡田斗司夫オタクはすでに死んでいる』(新潮新書)を検証しようと思い立って、「そういえば『オタク対談』でも「オタクは死んだ」とか言ってたっけ」と思い出して、『オタク論!』(創出版)を読み返していたら、唐沢俊一が「自分はオタクではない」と発言していたのでビックリしてしまった。どうして今まで見逃していたんだろう。というわけで、今回は『オタク論!』から唐沢の問題発言も収録されている「オタクは死んだ、のか?」(P.188〜199)を取り上げてみる。実はこの回の対談も相当おかしな内容なのである。

岡田 あのイベント(引用者註 「オタク・イズ・デッド」)後にブログに氾濫した感想を読むとうまく伝わっていないようなんですけど、僕は「最近の若いオタクはダメだ」という世代論を語ったんじゃないです。自分たち自身の中で起きている変化として捉えたかったんですよ。「オタクは死んだ」と言うからには、僕も唐沢さんも死んでいるはずなんです。お前らはもうダメだ、ではなくて、死んだんだからさっさと認めて葬式を出して、身軽になって明日から楽しく生きていこうよ、と言いたかった。

 

 詳しくは『オタクはすでに死んでいる』の検証をするときに書くが、「うまく伝わっていない」のは岡田氏が「うまく説明できていない」もしくは「誤った考え方をしている」からである。なんで受け手に問題があるかのような書き方をするの?それにどうしてオタクが身軽になる必要があるのかわからない。ほとんどのオタクは今でも気軽に楽しく趣味に生きていると思うけど。

岡田 このイベントで僕が言いたかった問題の本質は、「オタク共通の誇りや、共通の文化のようなものがなくなってきている」ということです。

 僕の住んでいた大阪には、在日朝鮮人がたくさんいます。彼らは子どもや孫に自分たちの文化を一生懸命に教えます。子ども朝鮮学校に生かせたり、チマチョゴリを着せたり、ご飯もみんなと違うものを食べたりする。自分たちは朝鮮人だというアイデンティティを、行動やプライドでようやく保っているわけです。

 それから、コーラを飲んでTシャツを着ているネイティブ・アメリカンは、インディアンの血を継承している子孫かもしれないけど、いまもインディアンであるとは言えないですよね。

 これと同じことがオタクにも言えると思うんです。『オタク学入門』でも書いたんですが、オタクには色々なジャンルがあって、その全てを分かっていないといけないんじゃないかという義務感を持っているのがオタクだと思うんです。例えば、僕は唐沢さんの好きな「古書」というのは正直分からないんですが、だったら唐沢さんに聞けばいい。また唐沢さんは僕ほどプラモデルを好きじゃなくても、分からないからいいやではなく、時間があれば分かろうとしますよね。この感覚が急激になくなってきているんです。若い人の間だけではなくて、僕らの間でもなくなってきていると思います。

(中略)

岡田は萌えを分かってない、と言われても、萌えなんてわからなくていいもん、と思ってしまうんですよ。前は分かってなくてはいけないと思っていたのに、それが喪失されてきたことが、オタク文化がなくなってきた、オタクは死んじゃったなと思うところなんです。

…なんというか、保守派の雑誌でよく読む話だなあ。「オタク」を「日本人」と置き換えたらそのまんまだ。…しかし、なんで「ネイティブ・アメリカン」なの?「コーラを飲んでTシャツを着ている日本人は…」とすればいいじゃん。まあ、だいぶ前に小林よしのりが「欧米のライフスタイルで生きている日本人って一体なんなの?」と問題提起してるんだけど(結局、小林よしのりは良くも悪くもその問題をずっと追求し続けているわけだ)。保守派の人は「日本人共通の誇りや、共通の文化」を守れと言うけど、岡田氏はそれをオタクにあてはめているわけだ。…というか、オタク共通の誇りや、共通の文化」って本当にあるのかどうか怪しいものだが。

 それに「オタクには色々なジャンルがあって、その全てを分かっていないといけないんじゃないかという義務感を持っているのがオタクだと思うんです」という定義もわからない。いろんなジャンルに興味を持つかどうかは人によるとしか言えないのではないかと思うし、岡田氏の論法だとひとつのジャンルを極めることだけを考えて他のジャンルに脇目も振らない人はオタクじゃなくなってしまう。岡田氏はともかく唐沢俊一プラモデルのことを分かろうとしているとは思えないしなあ。…この定義は今のオタクを批判しようとして編み出されたものなのではないか?と邪推したくなってしまう。

 そして、岡田氏が「萌え」を分からなくていい、と考えるようになったのは、単純に岡田氏が歳をとったせいである。ほとんどの人間は年齢を重ねると流行を追っていかなくなる、それだけの話であって、「オタクの死」を意味するものでもなんでもない。…まあ、分からなくていい、と思っているのに『オタクはすでに死んでいる』で「萌え」を考察しているから大変なことになっているんだが。続いては唐沢俊一の発言。

唐沢 オタクという人たちが死んだというより、オタクというくくりが死んだということですよね。これまではオタクの基礎教養として古いアニメからちゃんと見ていたので、世代が違ってもなんとか話ができたんです。でも今は、放送されているアニメを24時間追いかけるので精一杯でしょう。年寄りが子どもに、またその子どもが親になって子どもに語り伝えて形作られてきたような文化が、危機に瀕している。これはオタクに限らず、日本人のアイデンティティの危機だと思いますよ。これだけグローバルな世の中になると、一体どこで自分たちのアイデンティティを保てばいいのか、と。

 岡田氏に比べると唐沢俊一の話はまだマトモ(!)である。岡田斗司夫、どんだけヒドいんだって話だが。でも、今だって世代が違っても話はできると思うけど。むしろ、今の方がソフトやCSが充実していて古いアニメを見やすいかもしれない。『ガンダム』の本放送以降に生まれたのに『ガンダム』に詳しい人はいくらでもいるだろう。…しかし、岡田氏だけでなく唐沢も妙に「保守」的だなあ。「オタク保守親和性がある」と言ったのは大月隆寛だったっけ。

唐沢 僕は「自分は実はオタクではない」というコンプレックスを持った人間でもあるんですが、それなのになぜ岡田さんや眠田直さんとともに「オタクアミーゴス」を名乗ったり、オタク文化の担い手みたいなスタンスを取ったかというと、昭和33年生まれというのは、戦争も体験していなければ、飢餓学生運動も体験していない。それではどこにアイデンティティを求めたらいいのかというと、僕らが共通に経験した高度経済成長の文化、中でも子ども文化が世代のアイデンティティになるんじゃないのかと思ったわけです。

 はい、問題発言きました。…そりゃあコンプレックスもあるでしょう。これまで検証している限り、唐沢がまっとうなオタクだとは思えないもの。加えて問題なのは、唐沢俊一が自分の意見を通すために「オタク」を名乗っていたということである。戦略的に振る舞ったのか、商業的にメリットがあったのか。それにしても、唐沢の「世代のアイデンティティ」って上の世代も下の世代も否定する効果しかもたらしていないような気が。同年代の方々のためになっているのかどうか。再び岡田斗司夫の発言。

岡田 今のオタクは文化的なアイデンティティではなく、個人のアイデンティティが大事なんですよね。だから自分が好きなものに関して、これは勉強しないといけない、という考えではなくて、僕は僕のままでいいんだ、だってオタクなんだもん、と個人の脆弱なアイデンティティを補完するものになってしまっているんです。

(中略)

今の若いオタクの人たちというのは自分がオタクであることが、自分のアイデンティティとイコールなんです。

 僕や唐沢さんは、オタクである部分を抜いても、「あ、これ好きだ」ということを平気で言えるし、こんなもの好きじゃないと言われても割と平気なんですけど、オタクアイデンティティにしている人は、自分が好きなオタク作品を否定されるとヨタヨタになってしまうんですね。個人というのは一人一人の差のことをいうわけですから、となると共通文化を持てるはずがない。では何が残るかというと、同族同士の果てしない抗争ですね。お前にはこれが分からないから違うとか、お前は年齢が離れているから違うとか、バベルの塔が崩壊して、言葉が違っている者同士の間には喧嘩しか残らないんですよ。それがオタク文化が沈没している最後の様相だと思います。

…「唐沢俊一検証blog」として『オタク対談』を取り上げるときに困惑することがあって、それは「唐沢俊一より岡田斗司夫の方がおかしい場合がある」ということである。誤った理屈を編み出す能力は唐沢より岡田氏の方が高いかもなあ。「岡田斗司夫検証blog」もやらなきゃダメなのかい?

 まあ、それにしてもこの発言はヒドい。まず、自分の好きなジャンルについて勉強するかどうかは、これも人によるとしか言えない。岡田氏のまわりの若いオタクがどうかはわからないけどね。っていうか、「個人の脆弱なアイデンティティ」とか言っておきながら「「最近の若いオタクはダメだ」という世代論を語ったんじゃないです」ってよく言えるなあ。

 それに「僕や唐沢さんは、オタクである部分を抜いても」という部分からは、唐沢俊一だけでなく岡田氏も「自分は実はオタクではない」と思っているとも受け取れてしまう。現にダイエットとかしてオタク業界から離れつつあるようだけど。ヨタヨタになってるのは誰なんだろう

 面白いのは「お前にはこれが分からないから違うとか、お前は年齢が離れているから違うとか」という部分で、岡田氏は実際のところ「萌え」がわからないこと、若いオタクとのジェネレーション・ギャップを相当気にしているんだなあ、というのがわかってしまう(オタクの集まりで岡田氏が「萌えが分からない」と発言したところ「信じられない!」と周囲から口々に言われたらしい)。まあ、岡田氏が「お前にはこれが分からないから違う」と今までに言ったことがないのか気になるところだし、「ぴあ」の「ガンダム論争」を見る限り昔だって話の通じない人はいたんだけど。昔をやたら美化するのはどうだろう。細かいことだが、言葉が違ってしまうと「お前にはこれが分からないから違う」と口げんかすることもできなくなると思う。再び唐沢俊一の発言。

唐沢 オタクSFは重なる部分があると思うんだけれども、それぞれが「これは違う、あれは違う」と言って衰亡していったというのを我々は見ているはずなんだけどね(笑)。

 僕たち、特に僕は、団塊の世代のように強迫観念的に国家を否定しなければならないという世代と、それより下の強迫的にオタクであらねばならないとか、個人の自我を確率しなければならないという世代に挟まれたエアポケット的な世代で、本当に“おいしいとこ取り”だったと思いますよ。

 逆に言うとオタクというくくりを作って、その中の広報や宣伝で矢面にたって、アカデミズム系の人たちのオタクに対する誤解や批判に抵抗してきたというのは、あまりにその狭間で好き勝手な人生を送ってきたことに対する責務感でもあるんです。

 責務感があるのなら盗用なんかするなよ。盗用のせいで「オタク第一世代」や「と学会」のイメージがどれだけ悪くなったことか。アカデミズム系の人たちに抵抗してきたというのなら、東浩紀にももっとちゃんとした批判をやってほしかった(詳しくは2月5日の記事を参照)。責務感など抱かずにどうぞ好き勝手なことだけしてくれればいいと思うんだけど。あ、もちろん盗用はしちゃダメだよ。

唐沢 前に、ある一世代下のノイズ好きのライターから、「なぜ岡田さんの“ロケット”というのはオタクとしてのアイデンティティになり得て、僕の世代が“ノイズ”というのをアイデンティティにしてはいけないんですか」と訊かれたことがあるんです。そのとき言ったのは、ノイズというのは頭で理解するものだけど、ロケットがカッコいいというのは身に付けた教養や知識ではなく、子どもの頃に面白い、カッコいいと感じた情動から来ているものだ、ということでした。

 たとえばアポロを見た同じ世代は同じものでバーッと洗礼を受けちゃったわけですよ。大人になってから、アニメという中心に付随する形で、歌舞伎中世の歴史がどうだという知識がついてくるかもしれないが、それは共通認識足り得ない、ばらばらのものになってしまう。そのように答えたんです。

 ところが僕たちより下の人間、つまり後からオタクになった者たちというのは、「オタク足るべき」というのがまず先にあって、それならばアニメを見なくてはいけないだろう、という後付けの強迫観念で見ている人たちが大部分。アニメを見ている分量がいくら多くても、それは個々の人間の解釈に最終的に収斂してしまうわけで、全体的なオタクというククリにはなり得ないんじゃないかと思うんですよね。「個人でなければならない」「“何々の一員”ではありたくない」という戦後の教育が出てしまうんですよ。

…もうなんというのかなあ。どうして岡田・唐沢は「俺らの世代は他の世代とは違うんだぜ」アピールが激しいんだろう。ものすごい「強迫観念」を感じる。

 いや、唐沢より下の世代のオタクだって取り立てて「オタク足るべき」と考えているわけじゃないし、強迫観念アニメを見ているわけじゃないだろう。自分のことを例に出すと、自分は物心がつく前から特撮番組が大好きで、それこそ「情動」でオタクになったようなものだ。今も昔もオタクになるきっかけというのはだいたい「情動」によるものではないだろうか?ノイズミュージックに「情動」を感じることもあると思うが) それに今だって単純に「見たい」から特撮アニメを見ているのであって「見なければならない」と思っているわけではない。普通の人から見ればものすごい量かもしれないが、好きだから、楽しいからこそ見られてしまうのだ。もしかすると、唐沢俊一は過去に「強迫観念」でなんらかのジャンルをお勉強したことがあるのかもしれない。だから、他人も「強迫観念」でアニメを見ていると考えてしまっているのだろうか。みんな好きでやっているだけなんだけどね。そして、好きで楽しくやっているうちにそのジャンルに携わる「流れ」へと参加していくようになるのである。どうしてそれを躍起になって否定するのかさっぱりわからない。…それにしても、岡田氏は現在の若いオタク「これは勉強しないといけない、という考え」ではないと言っているのに、唐沢俊一「後付けの強迫観念で見ている」と言っていて、それって真逆じゃないか!?と驚いてしまう。なにがなんでも若いオタクのことを否定したいのか、二人とも相手の話をちゃんと聞いてないのか。

岡田 もう一つは、エリートの戦闘機パイロットが、「日本とアメリカが戦争になっても、東京は爆撃できない」と言うんです。練馬にはアニメスタジオがある。東京のどこかには氷川神社がある。そんな国を大統領の命令とは言え破壊できない。もちろん自分はアメリカという国に絶対の忠誠を誓っているし、何よりもアメリカ人の男でありたいと子どもの頃から思っていたんだけど、日本を爆撃することはできない。

 これを聞いたときに、「オタクは民族なんだ!」と思ったんです。

 紀田順一郎氏がよく書いているセルゲイ・エリセーエフ神保町への爆撃を防いだとされるエピソードにそっくりだ。古本好きも民族なんだろうか。というか、唐沢俊一はなぜこのエピソードに触れない?

唐沢 ところで、今、この民族を研究する民俗学とか文化人類学という学問は本当に人気がないんですよね。我々が大きな文化の流れの中に生かされているという感覚を若い人は嫌うんですよ。僕は僕でありたい、というのがあって。「たったひとつの小さな花」ですよね。だからオタクというくくりの中で、「同じオタクじゃないか」とは言いたくない。オタクだけど俺とお前とはこんなに違うという独自性を尊びたい。岡田さんのように個性の強い人や「と学会」の人のように、何かの分野でアイデンティティを形作れている人は突出している。でもほとんどの人はそこまでのオタクにはなりきれないでしょう。

 結局「自分はここが違う、そこが違う」と、同じカッコの中で、ギリギリのところで綱にしがみついている自分という自我が見えてしようがない。ネットの世界ではものすごい反動が来ているじゃないですか。自分の好きなものでまとまろうとしてもまとまれないから、何かが嫌いだというところは共通だろうということで、共通の敵を作ってまとまっている。例えば『マンガ嫌韓流』(山野車輪著)などはいい例ですよね。

 数年前、自分は大学で民俗学の授業をとったこともあるが、授業はいつも盛況で民俗学の人気がないとは感じなかった。仮に民俗学文化人類学が人気がなかったとしても、それは「僕は僕でありたい」という気持ちとはまるで関係ないと思うんだが。しかし、岡田・唐沢の方が「自分はここが違う、そこが違う」とつまんないどうでもいいことを言い立てているようにしか思えない。外野から見れば若かろうと歳をとってようとオタクオタクだよ。

唐沢 中国歴史書で『蜀碧』という本があるんですが、蜀の国を黄献中という盗賊が一時期乗っ取った話なんです。普通は国を乗っ取ると、その国には善政を敷いて、国民に信頼されたところでよその国を侵略するんだけど、この黄献中がユニークなのは蜀の国の人間を殺して殺して殺し尽くすんです。他の国の人間に自分の国の人間を殺されるのなら、自分が殺してしまおうと。これを初めて読んだときに思い出したのが古いSFファンのことで(笑)、何かを徹底して好きだというときに、破壊衝動が生まれるわけですよ。

 SFファンやミステリーファンの濃い人たちによくいますが、とにかくこれもダメあれもダメだと否定して、一体なぜお前はSFファンになったのかと聞きたくなるまでに何でもかんでも否定する人がいるんです。どんなに好きな分野でも、そこがいかにダメかということを滔々と語るんです。自分の好きなジャンルを否定して、なんでそんなに楽しそうなの、と思うんだけど、そういう人のサイトやブログを見ていると、蜀碧の黄献中を思い出してしまうんですよね。

 「愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記」ですでに指摘されているが、『蜀碧』に登場する盗賊は「張献忠」である。それから「何でもかんでも否定する人」ってガンダム論争」の時の唐沢俊一のことだよね。確かに『ガンダム』とファンを批判する唐沢は実に楽しそうであった。いや、検証しながら「この人は何が好きなんだ?」って困ってしまったからなあ。「本当にアニメ特撮が好きなわけじゃないのでは?」と思ったけど。

唐沢 開田裕治さんなんかは、たとえ自分の中ではあまり気にくわないような作品であっても、それが特撮である、怪獣映画であるというくくりがあると、まずけなしません。ある程度名前のある人が特定の作品をけなすと、それがその分野全体の沈滞につながってしまうから。それは古くから特撮という世界に関わってきたファンの義務、というふうに思っている。それが今の若い人たちにはない。ガメラだろうとなんだろうととにかくけなしまくって、それでアイデンティティを保っていますね。

 日本人ひとりひとり、自分が自分だと言えるほどみんなアイデンティティは強くない。自分は自分だと言えと焚き付けているアーティストや文化人というのは「自我肥大者」という奇形児なんです。そういう人たちに焚き付けられて、個性や才能、知性、教養、経験というのがない人間たちが「自分が自分が」と言ってしまったらどうなるか。アニメとかマンガに熱中できるのは若い時代ですから、彼らが40歳になってアニメを見続けられなくなった時に、ふと、それに代わるアイデンティティを満たせるかというと、すごい空虚感、自己喪失感に苛まれるんじゃないかと思うんです。そういうふうに人のアイデンティティのことを心配すると「唐沢なんかが考える問題じゃないだろう」と言われるんですが、考えざるを得ないですね。国家とか社会とか、オタクではとても背負いきれなくなったアイデンティティをどこに着地させるのか。

 開田氏のような立場を良しとするかどうかは考えが分かれるところだろう。やはり批判すべき点はきちんと批判すべきだ、とも考えられるのだから。まあ、唐沢俊一は「特定の作品」をけなしまくっているけど、「その分野全体の沈滞につながって」ないから別にいいのかな。

 それにそこまで他人のアイデンティティを気にする唐沢俊一こそ「自我肥大者」だろう。岡田氏もそうだけど、自分が何者であるかに不安があるから、他人のことを過剰に心配したり批判したりするのではないか。この対談当時、50歳を目前にしていた2人が「自分」をそんなに気にしているというのがなんとも。自分探しは人生の早い時期に済ませておこう一般ピープルはそこまでアイデンティティのことなんか気にしてないから大丈夫だよ。まさしく「唐沢なんかが考える問題じゃないだろう」。まず自分のことをしっかりしてほしい。

岡田 僕は「オタク・イズ・デッド」というイベントをやっていて、それがお葬式であると同時に「よかったね」という話にしたかったんです。オタクが文化的なアイデンティティでなくなり、個人的アイデンティティになっているわけだから、誰もオタクを代表することはできない。

 オタキングなんかいらないし、本田透君であろうと、東(浩紀)さんであろうと、オタクを代表できないんですね。代表している人との差ばかり気になってしまうからです。オタク文化人のような人がエクスキューズしても、「だからこれはいいんだ」「そうだそうだ!」というアイデンティティをもう持てないわけですね。だったら個人個人が「僕はこれが好きです」と言うしかないんですよ。

 結局、そういう話になるのか。「オタキングは俺一代限り」宣言というか。まあ、本田透東浩紀も「オタクの代表者」と呼ばれたくはないと思うけど。なんで、そんなに「オタクの代表」にこだわるのかなあ。残念なお知らせだけど、自分は岡田氏や唐沢俊一は「オタクとして有名な人」であっても、オタクの代表」だと思ったことは一度もないし、岡田氏や唐沢の話も「そういう考え方もありますかねえ」程度に考えている。岡田氏や唐沢にはもはやオタクへの影響力はさほどないのだから、「オタクの代表」についてそんなに気にしなくてもいいと思う。個人個人が「僕はこれが好きです」と言っていくのは、今も昔もオタクの基本スタイルだし、そのことはそんなに悲観すべきことでもないだろう。…岡田氏の話でいつもひっかかるのは「誰かがオタクを代表しなくちゃいけない」「オタクはまとまっていないといけない」という強い思い込みがあることだ。それらの「思い込み」については『オタクはすでに死んでいる』の検証で深く考えてみたいと思う。

唐沢 ただ、「みうらじゅん」という個人で引き受けてしまうと、彼の欠点は大きなことが言えない。あくまでも「マイブーム」なんです。「マイ」というマイナーな分野で食っているから、それは、みうらじゅんが言ってることであって、世代なり国家なり地域なりという何者も代表できない。あれはあれで自分を鎖で縛ってしまったわけですよ。「マイ」という言葉で。

 僕はもう少し高所に立った見解・見地を言いたいなと思うので、みうらじゅん的なマイブームではなくて、自分の好きなものを語るときにもそこに共通項や文化的な必要性を語りたい。そこがみうらじゅん唐沢俊一の完全に違うところであり、すごく似ているようであり相容れないところでしょうね。全く同じ世代で、同じようなものを見て育ってるんですけど、彼とは話が合わないんですよ。

 このくだりはものすごく面白い。だって、高所に立って客観的なことを言おうとしている唐沢俊一よりも、「マイブーム」として自分自身を追求しているみうらじゅんの方がはるかに普遍性のある意見を言っていて、世間に受け入れられているのだから。もちろん、みうらじゅんの「マイブーム」全てが受け入れられているわけではない。しかし、みうらじゅんには「自分はこれが好きだ」という確信があって、その確信が時には「マイブーム」を本当の「ブーム」へと変化させていくのだと思う。ケンドーコバヤシのおかげで越中詩郎がブレイクしたのも似たようなものかな。岡田氏も唐沢も「自分はこれが好きだ」という確信が決定的に欠けているから、若いオタクに対して余計なことを言いたくなるんじゃないか?確信さえあれば他人のことなんか気にならないはずだよ。まあ、みうらじゅんケンコバと比較した場合、単純に才能の有無の問題なのかも知れない。能力のない人間が高所に立ったところで転げ落ちて大怪我するだけだ。


…ツッコミどころが多すぎて、またしても長文になってしまった。今回の記事で大事なのは、唐沢俊一が「自分は実はオタクではない」と思っていたことである。じゃあ、どうしてオタクじゃないのにオタクの代表者を名乗ったのか、いつからオタクを名乗りだしたのか、などなど、いろいろと気になることが出てきた。たしかに、唐沢俊一はデビュー当時からオタクを名乗っていたわけではないのだ。やっぱり「オタクアミーゴス」あたりからか?岡田斗司夫については『オタクはすでに死んでいる』の検証でより深く突っ込んでいきたいと思っている。この人もかなりの面白物件だったんだなあ。

 それにしても、この2人が「オタクの第一人者」としてメディアに登場しているというのはどうにもおかしなことである。なぜそういう事態になっているのか、そのことも今後考えていかなければなるまい。…ガラでもなくマジメにさせられてしまう対談であった。

オタク論!

オタク論!

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

新ゴーマニズム宣言〈1〉 (小学館文庫)

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マイブームの魂 (角川文庫)

マイブームの魂 (角川文庫)

やってやるって!!

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774774 2009/02/13 18:04 こんばんは、岡田さんの「オタクの迷い道」という本も「俺はお前たちとは違うんだぜ」
というメッセージが多数ちりばめられていますね、玩具コーナーでアルバイトしていたとき
の話で梱包やデモンストレーションが誰よりも上手かったとか。単行本には唐沢俊一氏との
対談も収録されていますよ。

nyannnyann 2009/02/13 18:58 >みうらじゅん

漠然と雑に組み合わせてみると「みうらじゅん、泉麻人、山田五郎」って「綺麗なオタアミ」って感じがするんですがw
山田五郎がおたくネタからニュースのコメンテーターまでやってるのを見ると唐沢さんが目指すところはこの辺かなとか。
しかしおたくを切り口に「高所から客観的なことを言いたい」と願っているのがそれが出来ていない唐沢氏に比べて、
山田五郎は易々とそれを成し遂げてしまっているから「高所から客観的」なんてそんな特別な技能でも何でもないんじゃないかと。
荒川強啓デイキャッチの木曜コメンテーター山田五郎と金曜の宮台真治は凄く面白いおたく話芸で、これを毎週仕事の合間に
聞くのが最近「マイブーム」なんですが。そういえば「きれいなオタク」界隈は山田五郎と宮台真治っていう軽いのと重いのが
仲良く同居してますねえw

みたかみたか 2009/02/13 20:22  おたくとしてどうこうというより、岡田さんという人そのものが、なんだか妙な発想をする人なんじゃないかと、数年前から思っているんですが。

 離婚をブームにしようとした時は、離婚をするのはかってとはいえ、それをなぜ他人にもすすめるのかと思いました。
 彼の書いた本を読んでもさっぱり理由がわからないのです。
 結婚は良い制度ではないというのなら、そもそも最初から結婚しなければ良いだけのことです。わざわざ結婚してから離婚する理由が、全く書かれていない。本にはただ、結婚が良くないとしか書かれていない。でも彼は、非婚ではなく、あえて離婚をすすめるわけです。
 意味不明。

 落語の新しいスタイルと称して、漫談のようなものをやっていた時も、妙でしたね。
 彼はどうも噺家さんたちが落語を「話芸」と呼んでいることを、ほんとうに話すだけの技術だと解釈したようです。しかしちゃんとした落語家さんはみんな、落語のことを「最小単位の演劇」だと、言っています。
 つまりストーリーを語るだけでは落語にはならない。何人もの人を演じ分けて初めて落語になるのだということが、彼はわかっていなかったのです。
 落語を改革すると言っていたわけですが、改革されるもととなる文化がどんなものだか理解していなかったら、どうすることもできないでしょう。

 きわめつけは、レコーディングダイエットと称したダイエット法です。
 食べた物を全部記録して、カロリーを計算して書き出すという方法は、何十年も前からあった当たり前のダイエット法です。なのに、それを自動でできるようにしたウエッブサイトを著作権侵害だと差し止めたのには、呆れ果ててしまいました。
 そんなこと言い出したら、糖尿病の食事も、腎臓病の食事も、栄養士の仕事も、全部著作権侵害になってしまいます。

 いったい何を考えて生きているんでしょうかね。

nanasinanasi 2009/02/13 20:36 つくづくキモチワルイなあ、と思うのは、岡田氏が名乗っていた「オタキング」というのは、”芸名”ではなく本気の(自分でつけた)”称号”だったんですね。
唐沢氏も自分に色々名付けるの好きですよねw
普通、そういうのは人から呼ばれてはじめて意味をなすのですがw

うさぎ林檎うさぎ林檎 2009/02/13 22:14 イタタタタ・・・・・痛さ全開の会話ですね、ある意味リッパ。
こんなコトは遅くても大学生時代までに友人の下宿とかで、徹夜の飲みですませておくべきです。
いい年こいた大人の会話とは思えない、読んでるこっちが赤面しますって。
こんな「俺たちは自信が無いんだぁぁぁーーーーーー!!!!」って話を、大真面目に金取って、自慢げに・・・・・・あなた方こそ本当に大丈夫なんですか?人の心配してる場合じゃないですよ。他人を下げたって、自分は上がりませんって。
今からでも遅くないですから。ちゃんと年を取った方がいいです。時間はみんなに平等に流れてますよ、持ち時間は無限じゃないってわかってます?
はっきり言ってオタクかどうかなんて、生きてく上で然したる問題じゃないんですケド。
いや、頭がクラクラしました。コッチガ、ハズカチイ。

kokada_jnetkokada_jnet 2009/02/13 22:31 以前も書きましたが唐沢俊一は、竹熊健太郎さん曰くの「オタク密教的なオタク」ではあるんだと思うんですよね。
オタク的な事物は一応チェックしながらも・・、それに「真剣にはまる」人を斜めから見て(サブカル的なメタな視線で高所から見て)、とことん小馬鹿にしていくという態度が・・。
ただし、あまりにガサツなので、その論理がまったくボロボロになってしまっているわけですが・・。

bowlbowl 2009/02/14 00:37 みうらじゅん氏は「マイブーム」と言う言葉が独り歩きし過ぎて(膾炙し過ぎて)
大変だ、的な事を仰ってましたよ。雑誌のインタビューだったかと思いますが。
なので、無理矢理自分で「マイブーム」を作らざるを得ず大分苦しくなって来た、とかw
(取材などでほぼ「最近のマイブームは?」と訊かれるらしいので)
自分が発信した事に対して責任を持つと言う意味でもみうら氏の方が良いですね。

ねじねじ 2009/02/14 00:49 こんばんは。いつも楽しく拝見しております。
「オタク」という言葉の定義は正直よくわからないのですが、服飾デザイナーをしている友人が「私、服オタクなの!」と嬉しそうに言ったことを思い出しました。
心から楽しみながら、ジャンルの異なるものを吸収する姿勢に「オタクかつプロ」を見たように思えました。

そのように好きなものを自然に吸収していったのなら、もし歳を重ねて興味の方向がずれたとしても、唐沢さん、岡田さんのようなことは言わない気がします。

>けなしまくって、それでアイデンティティを保つ
ではなくて、好きなものを持つことでアイデンティティを築き上げるのではないでしょうか。

お話とずれてしまっていましたらごめんなさい。
なんだかすっきりしなかったもので、投稿させていただきました。

barrelbarrel 2009/02/14 01:10 M君事件以後、おたくは世間から攻撃対象となり差別されてきた。それを『オタク学入門』で「粋の眼」とか「霞の眼」(←これはバオーの博士)とかいろいろ言って、世界に通用する文化にまで引き揚げたのが自分だという自負が、岡田にはあるんじゃないですか。
けれども、その後の岡田およびオタク・アミーゴスの唐沢も含めた言動を見ていくと「やっぱりオタクってヤな奴だ」「オタクは根性腐っている」という印象がどんどん強まってくるという…(笑)。オタクを世界に誇れる立派なものだとした張本人が、なんのことはない、実はオタクの最も醜い面をさらして、オタクの品位を真っ先に汚していたわけですね。今後の検証、楽しみにしております。

discussaodiscussao 2009/02/14 02:58 言いたいことがありすぎて収拾がつかないなぁ・・・

?「それから、コーラを飲んでTシャツを着ているネイティブ・アメリカンは、インディアンの血を継承している子孫かもしれないけど、いまもインディアンであるとは言えないですよね。」ん〜・・・<ここだけ切り取らないで文脈で考えろ!>とか言うのかなぁ、でも、明らかに差別的な発言ですよねェ・・・。穏当に<かなり偏見のある発言となってしまっている>としとこうか・・・。

?「開田裕治さんなんかは、たとえ自分の中ではあまり気にくわないような作品であっても、それが特撮である、怪獣映画であるというくくりがあると、まずけなしません。(中略)それが今の若い人たちにはない。ガメラだろうとなんだろうととにかくけなしまくって、それでアイデンティティを保っていますね。」まぁ唐沢、その説教は誰よりも先に30年前のオノレにしろ、という以外言いようがない・・・。

?みうらじゅんについては前からハナシに出していたので、唐沢さんが取り上げていることに意外とも「やっぱりな」とも思いますが・・・。少なくとも「ゆるキャラ」「マイブーム」などについていえば、みうら本人のカテゴライズを超えてポピュラリティを得てしまっており、唐沢・岡田両者の業績と比較するかぎり前者はメジャーで後者がマイナーなのは明白では?(ただし、そのことはみうらじゅんの仕事としては必ずしも成功とは言えず、あくまでも個的な営為としてのディレッタントの道が本道らしい。)

?山田五郎の『20世紀少年白書』(だったか?)という昭和33年前後生まれのタレント文化人との対談集があって、岡田君も唐沢君もでております(もちろんエロ友みうらじゅんも)。山田教授にすれば万博世代としての共通認識の確認を取りたかったようなのですが、唐沢君の場合あんまり突き詰めてボロボロになるのを回避したためか自分のキャリアの話に終始しておりました(が、大学時代から文化人デビュー?に至るまでの経緯が、覚悟はしていたけれどかなり「時空を歪ませ」ているようで、気になってしょうがない。まぁ検証しないけどね私は)。まぁそれに限らず、同世代相手に2人とも自慢話の花盛り、一読どうでしょうか?(ヤダよ><)

まだ言い足りないけど寝ます。追加するか『オタクはすでに死んでいる』検証まで沈黙するかは起きて考えます。

はりはり亭はりはり亭 2009/02/14 03:18 >それから、コーラを飲んでTシャツを着ているネイティブ・アメリカンは、インディアンの血を継承している子孫かもしれないけど、いまもインディアンであるとは言えないですよね。

ひどい。これはひどい。ネイティヴ・アメリカンのこと一つに関していってもひどいが(現在のネイティヴ・アメリカンに関するレポートや文学作品を一つでも読んだのだろうか)、敷衍して一つの集団に関する言い草としてもひどい。社会学や民俗学(ジャーナリズムでも)ではこの手のレッテル張りがいけないと言うのは常識に属することではないでしょうか。

>もう一つは、エリートの戦闘機パイロットが、「日本とアメリカが戦争になっても、東京は爆撃できない」と言うんです。練馬にはアニメスタジオがある。東京のどこかには氷川神社がある。そんな国を大統領の命令とは言え破壊できない

文化財があったから京都を爆撃しなかった、というのと同じ論だと思うんですけど、これは今日ではかなりあやふやな話だったとされているのではないでしょうか。ましてや現在アニメスタジオがあるから東京を爆撃できないだあ?単なるリップサービスと解すべきでしょう、本当にあった話なら。あと東京にもあるかもしれないが、氷川の本社は埼玉にあります。

tamakotamako 2009/02/14 03:34 とりあえず、日本国籍を持ちながら外国人の家族を持ち外国で暮らしている私には「それから、コーラを飲んでTシャツを着ているネイティブ・アメリカンは、インディアンの血を継承している子孫かもしれないけど、いまもインディアンであるとは言えないですよね。」という発言には本気で怒りを覚えます。
岡田理論でいくと、こちらの国の食べ物を食べ、服を着て、本を読んで、という私は日本人じゃないのですね。この国で着物を着て毎日3食バカ高い日本食を食べないと私は日本人とは言えないのですね。こんな浅はかで薄っぺらな考えを軽々しく口に出すのはやめていただきたいです。
日本人とは何か、日本人である自分は何なのか、は、こちらの国に来てからよく考えることです。珍しく唐沢の言う通り、この国の人達に協調しながら上手くやっていこうとすれば、日本人としてのアイデンティティーを保つのは非常に難しいです。
しかし、私は日本人とはこうあるべき、とは主張しません。本当に人それぞれですから。
そもそもオタクはこうあるべき、と一つの型にはめることがそもそも理解できません。しかもその論理一つ一つが自分の矮小な経験だけから来ているものというのにあきれます。
ああ、腹が立って色々言いたいことがありますが、この辺にしておきます。
岡田検証も楽しみにしています。

藤岡真藤岡真 2009/02/14 07:05 >エリートの戦闘機パイロットが、「日本とアメリカが戦争になっても、東京は爆撃できない」と言うんです。

 なにを以って「エリート」としているのか。アメリカでエリートと言ったら“ジョック(Jock)”以外にはなく、ジョックは肉体派アスリートでオタクではありません。オタクは“ナード(Nerd)”と呼ばれ、ジョックの対極にあるもの。スポーツをやらない、インテリ、アート系は総てナードに分類されます。アメリカの青春ドラマなどで、しばしばアメフトの学生が「嫌な奴」として描かれるのは、そもそもTV番組の制作者がナードであるからです。また、ビル・ゲイツもスピルバーグのそうした価値観からは、全くエリートとは看做されていません。ジョックの典型はジェラルド・フォード大統領で、ミシガン大学フットボール部でハインズマントロフィーを獲得した名選手、かつイェール大学ロースクールに学び大統領になったというヒエラルキーの頂点に立った存在です。
 こうしたアメリカの事情も知らずに、「オタク」はすでに英語として通用していて、アメリカ文化に多大な影響を与えているように錯覚しているのは日本人だけで、そもそもオタクはエリートなんかにはなれないのです。

おがくずおがくず 2009/02/14 10:02 >「みうらじゅん、泉麻人、山田五郎」
この辺の人はオタクというより、昔ながらのマニアって感じですね。群れずにドライな感じ。
町山、赤田といった編集系の偉人も。杉Jあたりはちょっと違うか。
唐沢サンも昭和特撮や古本、B級芸能など守備範囲はむしろそっち寄りなハズだったのですが…。

>岡田氏
オタキングを引退しつつある今となってはどーでもいいのですが、
キングを名乗るには守備範囲狭すぎ。モーオタ、プオタなど生モノにはからきし弱い。
落語を「着物を着てやるトーク」と解釈したのは酷かった。
M−1好きは微笑ましい。
ただ、DAICON〜ゼネプロ、一番オタクが燃えた時にトップランナーだった事は確か。

>ノイズ
ノイズ愛好家も、新宿小滝橋ダイカンプラザ界隈を徘徊してる人々は結構香ばしいのですが、
それでもやはりプログレオタやメタルオタのダメダメっぷりに比べると、
ハマる対象に半端にアート臭が漂い、オタク属性としては「う〜〜ん」と思ってしまう。
私は、オタクとは「世間から正当に認められていないダメなものにハマるダメな人」と思っているのですが、
ノイズはテクノと並んでオタクが愛でるには、ダメ度が微妙に低いと思ってしまうのです(偏見!)。

古賀古賀 2009/02/14 10:49 >それに「オタクには色々なジャンルがあって、その全てを分かっていないといけないん
>じゃないかという義務感を持っているのがオタクだと思うんです」という定義もわから
>ない。いろんなジャンルに興味を持つかどうかは人によるとしか言えないのではないか
>と思うし、岡田氏の論法だとひとつのジャンルを極めることだけを考えて他のジャンル
>に脇目も振らない人はオタクじゃなくなってしまう。

岡田さんにとっては「ひとつのジャンルを極めることだけを考えて他のジャンルに脇目も振らない人」はマニアであってオタクではないのです。

岡田さんの考える「オタク」の原型はアニメや特撮などを差別する小説至上主義の古いタイプのSF「マニア」に対する反発から生まれているので。「オタクはすでに死んでいる」のあとがきにもそんなことが書いてあります。

名護名護 2009/02/14 12:49 ええと、よくわからないのですが、「オタクの間で名作と呼ばれている作品を貶したらオタクと名乗る資格はない」とおっしゃりたいのでしょうか。いくら名作でも批判すべきところがあれば批判すべきだし、批判したからといってその作品を全否定したことにはならないと思います。

のえのえ 2009/02/14 13:01 ・オタク→個体/オタク文化→群体(個体の群れ)
・オタクの代表→中川翔子(笑

kensyouhankensyouhan 2009/02/14 13:52 コメントありがとうございます。『オタクはすでに死んでいる』検証もがんばります。

>774さん
実は『オタクはすでに死んでいる』検証のときに『オタクの迷い道』を使うつもりです。バイトの自慢話ならかわいいもんなんですけどね。

>nyannさん
福田和也が「ナンシー関みたいになりたいと思っている若い人が多いけど、彼女の仕事はそんなに簡単なものじゃない」と言ってましたけど、山田さんのやっていることもそんなに簡単なものじゃないと思います。唐沢俊一は簡単に出来ると思っているのかもしれませんが。

>みたかさん
実は岡田斗司夫の最大の問題点はわかっているので、『オタクはすでに死んでいる』検証の結論はある程度決まってます。いかにして結論まで持っていくかを現在考え中です。
落語に安易に踏み込んだのは不思議ですね。岡田氏が唐沢に影響を与えたことは多いと思いますが、唐沢が岡田氏に影響を与えた珍しいケースなのかもと思ったり。

>nanasiさん
自分は「オタキング」というのは「キングスライム」みたいなものだと思ってましたがw かつては外見も似てましたし。
思うに「オタキング」を名乗ったのはマスコミ・世間向けのパフォーマンスだったんでしょうね。『オタク学入門』と「オタク」と「学」をくっつけてオタクが研究に値するものだと考えさせたのと同じように。岡田氏にはそういう才能はあったんじゃないかなあと思います。

>うさぎ林檎さん
どうしてそんなに他人のことが気になるのか不思議です。自分と他人が違っても他人を批判する気になんてなりませんけどね。

>kokada_jnetさん
「オタク」じゃないからこそ「オタク」というものがよく見えた、利用できたのではないかと思います。

>bowlさん
それにしてはいつも「こんなの良く見つけてくるなあ」と感心させられますけどね>みうらじゅん
唐沢俊一よりよっぽどトリビアルなところに目が行ってます。

>ねじさん
そうなんですね。「オタク」という言葉の定義が曖昧だから話がややこしいんです(「萌え」も同様)。
今回の記事のタイトルを「唐沢俊一はオタクじゃない」にしなかったのも、定義によっては唐沢もオタクに含まれ得ると考えたからです。個人的には岡田斗司夫がかつて言っていた「10歳過ぎてアニメを見ていたらオタク」といういささか乱暴な定義が気に入ってますけど。世間から見ればそんなもんだろうなあと。
仰るとおり岡田・唐沢には「好き」という気持ちをもっと大事に考えて欲しいですね。

>barrelさん
唐沢俊一と比べたら岡田氏はそれなりに功績はあるのかなあとは思います。
オタクに品位があるかどうかわかりませんけど、オタク共通の文化とか誇りとか言われるとどうも。そんなもの本当にあったかどうか。そのうち「オタク道」とか言い出しそう。

>discussaoさん
ネイティブ・アメリカンについては自分もひっかかりました。じゃあ、日本人と同じように暮らしている在日朝鮮人は朝鮮人じゃないのかと。
実は自分もこの点に関しては少々コンプレックスがあるので、ついうっかり自分語りをしそうになったのですが、思いとどまって「どうせなら日本人にたとえろよ」と突っ込むだけにしておきました。
「〜でなければ○○人とは言えない」ということを真剣に気にしている人はたくさんいます。それこそアイデンティティに関わる重要な問題なんです。岡田氏はもっと他人のアイデンティティを思いやるべきです。
>まぁ唐沢、その説教は誰よりも先に30年前のオノレにしろ、という以外言いようがない・・・。
そういえばそうですね。「ガンダム論争」の時は『ゴジラ』シリーズは休止していたんですから、余計に問題ですよ。

>はりはり亭さん
ここに出てくる「氷川神社」は『セーラームーン』で火野レイが巫女さんをやっている麻布の神社のことでしょうね。

>tamakoさん
国家や民族に関わる問題はもっと慎重に話して欲しいですね。ネイティブ・アメリカンに関する発言をみると、岡田氏が「自分は何者であるか?」と悩んだことがあるのかどうか疑問になります。

>藤岡さん
ジョックスとナーズについては『映画秘宝』の愛読者なので一応知っています。このことを知っていると、アメリカの青春映画が全然違って見えます。
アメリカの軍人が日本にやってくるとオタク文化にハマることがあるというのは岡田氏が以前に語ってましたが、日本に来るアメリカの軍人ってエリートなんでしょうか。

>おがくずさん
「オタキング」を名乗る割には守備範囲狭いですね。>岡田氏
唐沢俊一もかなり狭いですけど。
自分は音楽全般好きですけど、プログレとテクノと歌謡曲が好きですかねえ。

>古賀さん
たしかにそのように書いてありますね。しかし、それは岡田氏の定義であって世間での「オタク」の定義とは若干ズレているように思います。岡田氏の定義だとルネサンスの「万能人」みたいです。

>名護さん
>「オタクの間で名作と呼ばれている作品を貶したらオタクと名乗る資格はない」とおっしゃりたいのでしょうか
違います。自分はそんなことを書いてません。
>日本のオタク文化の根幹を成す作品をことごとく否定しているか、まるで理解できていないわけで、
>唐沢俊一が何をもって自分をオタクであるとしているのかわからなくなってしまったのである
ですよ。批判するなら批判するための根拠が必要なはずなんですけど、唐沢俊一はそれを示していないからおかしいと言ってるんです。
>。いくら名作でも批判すべきところがあれば批判すべきだし、批判したからといってその作品を全否定したことにはならないと思います。
当ブログの「ガンダム論争」を扱った記事を読んでください。唐沢俊一は『ガンダム』をほとんど全否定しています。『エヴァ』だって「キチガイアニメ」と呼んでいます。これがまっとうな批判なんでしょうか。

>のえさん
ああ、もう、しょこたんがオタク代表でいいんじゃないでしょうかw
かわいいし歌は上手だし。唐沢俊一よりずっと流行を追いかけてますしね。アイドルとして忙しいのに偉いと思います。

discussaodiscussao 2009/02/14 16:36 >名護さん
>「オタクの間で名作と呼ばれている作品を貶したらオタクと名乗る資格はない」とおっしゃりたいのでしょうか。
ええと、誰のどの発言についての解釈なのかよくわからないのですが、ご教授していただけませんか?
もしかして唐沢氏についてであるならば、<開田裕治さんなんかは>で始まるところなんかは大意「オタクの間で名作と呼ばれている作品を貶したらオタクと名乗る資格はない」旨おっしゃっているように思いますが(唐沢俊一氏が、ね)。ですから、<いくら名作でも批判すべきところがあれば批判すべきだし、批判したからといってその作品を全否定したことにはならないと思います。>という意見は「まったくそうですよねぇ?」と思いました。
でも文脈からすると、名護さんは憎い坊主の袈裟の話がしたいように感じるのですが、違っていたら失礼しました。

はりはり亭はりはり亭 2009/02/14 19:56 >ここに出てくる「氷川神社」は『セーラームーン』で火野レイが巫女さんをやっている麻布の神社のことでしょうね。

昨日投書してから私も思い当たりました。たしかあれは「火川神社」と書くのでしたね。一応オタキングらしい表現と言うべきか...どちらかと言うとあきれちゃいますけど。

藤岡真藤岡真 2009/02/14 22:08  2ちゃんねるのわたしのスレッドにこんなレスがありました。

>978 名前:名無しのオプ :2009/02/14(土) 19:09:56 ID:kb7PKxGo
>今更岡田の発言についてあれこれ言う方が馬鹿だよなw
>岡田の発言が矛盾だらけでテキトーな事しか言ってないなんてみんな知ってるんだから。
>しかしあのジョックス云々には笑った。あそこの連中はお仲間の馬鹿発言には寛容なのね。

 唐沢のシンパの書き込みかしら。限りなく本人に近い文体ですね。「笑った」なんて辺りが。

泉水泉水 2009/02/15 00:23 若輩者ですが初めてお便りします。
唐沢氏って所謂オタク的なものに対しては愛(?)というよりも、他人より優位に立ちたいという個人的な欲求を満たす為の手段にしかすぎないのではないかと思う。だから事実誤認があっても、内容が正しく理解できなくても、中傷じみた批評をしてもおかまいなし。心がないよな。オタクというより転びオタク、オタクもどき、産業オタクといったフレーズを思いつきました。

金平糖金平糖 2009/02/15 03:38 岡田氏は実はどんな人かまったく知らないんですが
>それから、コーラを飲んでTシャツを着ているネイティブ・アメリカンは、インディアンの血を継承している子孫かもしれないけど、いまもインディアンであるとは言えないですよね。

これはひどいですよね。
荒野の真ん中で原始的な生活でもしろと?
私は日本で生まれましたがもの心つく前にアメリカに移って長く住んでましたので
今での日本は「よその国」感覚が抜けないです。
和食全般苦手で肉中心の食生活な訳ですが、日本人じゃないってことなんですかね?
まあ、実際数カ国を渡ってきてるんで日本で生まれ、日本が一番長く住んでる国にはなっても
自分が日本人だと言う感覚は薄いわけですが「アイデンティティ」って何なんですかね?
舶来ものの天麩羅が好物だった徳川家康とか日本人じゃないのかな?
てか、織田信長とか高杉晋作とか歴史上の有名人には日本人じゃない人が多そうだな。
食の話をするなら日本食の代表のひとつと言える「肉じゃが」だって
ワインを醤油に変えただけのシチューだし今、和食と呼ばれてるものの多くは
海外から伝わってきた料理な訳で古来から日本で食べられてたものなんてほとんどないですよね?
何年ぐらい前から日本にあるものなら日本の物と思ってるんでしょうね?

> その全てを分かっていないといけないんじゃないかという義務感を持っているのがオタクだと思うんです。

彼の考えるオタクってのはものすごく範囲が狭いんですね。
私の周りには医療オタク、鋼材オタクとかいるわけですが
こういうのは当然含まれてないんでしょうね。
プラモはオタクだが模型はオタクとは認識してなさそう
模型もオタクだとして彫刻や仏像彫りはオタクじゃないんだろうな
私から見ればフィギュアオタクも仏像オタクも同じオタクなんですが

私自身、絵を描く人なんですが、指を濡らして顔料をこすりつけて直接紙に伸ばす手法で
風景、人物、静物を描いたりします。
自分ではオタクだと思ってるわけですがきっとコレはオタクと分類されないんでしょうね?
メイドとかネコミミとかも描いたことあるんですがコレをメインにすればきっとオタクになりますね。
モチーフが変わるだけでオタクかどうかが変わるのはおかしいわけですが

オタクってのは「お宅」から始まっているわけで
「嫌悪」や「嫉妬」など含んだとしても最終的に相手を認める気持ち
「尊敬」や「理解」があるからこそ「お前」や「あんた」ではなく
「お宅」になるんだと思う。

そう言う意味でも岡田氏や唐沢はオタクではないと思う。

kensyouhankensyouhan 2009/02/15 04:13 コメントありがとうございます。

>はりはり亭さん
劇中では「火川神社」でしたね。とりあえず巫女さんが「バーニングマンダラー」という技を使うのはありなんだろうかと。

>藤岡さん
「には笑った」で唐沢俊一のサイトを検索するとだいぶひっかかりますよ。唐沢俊一は2ちゃんに降臨するときは文体を変えるらしいのでおそらく本人ではないでしょうね。

>泉水さん
岡田斗司夫、唐沢俊一の共通点は自分の願望を持論の中に組み込んでしまうことです。本人達はわかってやってるのかなあ。この人たちが「オタク第一世代」を代表していたことについては今後考えていかねばならないでしょうね。

>金平糖さん
「オタク」という概念を恣意的に設定しているから話がおかしくなるんですね。記事の中でも触れてますけど、岡田氏と唐沢が批判している「若いオタク」像っていうのは実は正反対です。にもかかわらず、2人とも気にも留めないで話を続けている。この2人は本当に仲がいいのかとものすごく疑問。まず「オタク」とは何か?について考えてから話をしてほしいです。でないと「今のオタクは俺の考えているオタクと違う!」という自分勝手な話にしかなりようがないし、実際その程度の話しかできていないような気がします。

おがくずおがくず 2009/02/15 18:08 >なにを以って「エリート」としているのか。

難しいですよね。
僕なんかでも、戦闘機のパイロットになれるのなんて軍の中でも極一部、エリート中のエリート!な〜んて思ってしまいますもの。まあ、軍における本当のエリートは背広組でしょうし、ましてや軍というしばりをなくしたらそれこそキリがない。ただ、田舎のジョックスのほとんどは筋肉バカのまま消えてゆき、アイビーリーグ辺りを出てこそ本当のエリートなのではないでしょうか?

藤岡真藤岡真 2009/02/15 23:09 >田舎のジョックスのほとんどは筋肉バカのまま消えてゆき
 おっしゃる通りです。人生のピークが田舎町のフットボールスターってことなんですよね。いや、「オタク」なんかはそれにすら及ばない存在だと言いたかったのです。