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唐沢俊一検証blog

2009-03-09

僕は本当に呆れて物も言えません。

14:26

 現在発売中の『フィギュア王』133に掲載されている『唐沢俊一トンデモクロペディア』第46回『B級映画怪人伝/ケニー・ダンカン』にはいくつかおかしなところがあるので指摘しておく。

 まず、唐沢俊一が監修・出演した『BS熱中夜話』の『マニアック映画ナイト』について説明されているのだが、

 番組は『熱中夜話』というタイトルで、そういう映画にハマっているマニアたちが大挙出演したのだが、

とあるが、実際に『マニアック映画ナイト』を観覧した人のブログにはこんなことが書かれている。

私らはマニア代表って事で司会席後方に鈴なりになっているわけですが、正直、

「何を語ればええっちゅうねん!」

これは控え室で私の周りにいた人の総意。どうやら私以外の人にとっても「守備範囲外」の作品群だったようです。

種を明かせば、放映著作権の問題で「パブリックドメイン」になっているような旧作(ほとんどがモノクロ、大半が日本未公開、一部サイレント)になってしまったという“大人の事情”。

当然、製作側としては「誰も語らず盛り下がったらどうしよう」という不安を抱きます。このリスクを回避するために「セミプロ」を仕込んでおりました。

これが痛し痒しで。こういう人が率先して発言すると「あ、こんな詳しい人がいるんなら俺らは無理して喋らなくてもいいか」という空気を醸成してしまうんですね。

とのこと(詳しくは3月2日の記事を参照)。また、当ブログにも、いつもの『BS熱中夜話』と比べて観客に元気が無かったというコメントがいくつか寄せられてきており、唐沢の監修に問題があったのではないか?という疑問をおぼえるところである。

 で、本題であるエド・ウッドの作品に出演している俳優ケニー・ダンカン(Kenne Duncan )の話となるのだが、こんなことが書かれている。

 そんな中で、ただ一人、プロの俳優が出演している。その名はケニー・ダンカン

 この名を聞いてピンとくる人は映画マニアというより、昭和史マニアの方に多いかも知れない。ジョン・ウェインとも共演した、ハリウッドの人気西部劇スター、というフレコミで、1951(昭和26)年の7月に来日した人物だ。

 拳銃と投げ縄の名人だと宣伝され、戦争のため主演映画は日本では公開されていないが、ハリウッドでは有名人で、当時の日本(やっと米軍の占領時代が終わったばかり)では彼が来日するということで、国民全員が興奮したと言って過言でない。なにしろ、彼は戦後初めて、日本にやってきたハリウッド・スターだったのだ。

「Household Industries歴史館」によれば、ケニー・ダンカンが来日したのは1951年6月27日らしいのだが、さて、ここで昭和史のおさらいをしてみようと思う。サンフランシスコ講和条約が発効し、日本国が主権を回復したのは1952年4月28日のことである。つまり、ケニー・ダンカンが来日した1951年6月27日の時点では、日本はまだ連合国軍の占領下にあったことになる。…これは小学校の社会科のテストに出る話なんだけどなあ。

 その後で、トニー谷がケニー・ダンカンのショーの司会をしたことで世間に認められた、と書かれているが、これと同じことを快楽亭ブラック師匠も書いている。ただ、トニー谷はそれ以前に日米野球の司会をしたり「第1回帝劇コミックオペラ」に出演しているようなのだが。

 次に、ケニー・ダンカン美空ひばりの対談の模様が書かれているのだが、この対談がどこから引用されたものなのか出典が明記されていない。おそらく、当時の雑誌から引用しているのだろうが、どうして横着なことをするのか。「世界の三面記事・オモロイド」さんから盗用したときのように、

もちろん、紹介サイトとはいえ、参考にした際にはその旨の表記が必用ではないか、というご意見もおありと思いますが、参考サイトに複数のものがある場合、雑誌掲載などに際しては読者の煩雑やスペースの問題を考え、それらを省略する場合もあります。

と言いたいのだろうか。だけど、『トンデモクロペディア』が掲載されているページの下の余白に出典を記すことは十分可能だと思うので、やはりこれは単なる横着だろう。読者としては多少煩雑であっても出典を明記することを希望したい

 そして、ケニー・ダンカンが実は「ハリウッドの人気西部劇スター」でも「拳銃と投げ縄の名人」でもなかったことが書かれているのだが、それに続いてこんなことが書かれている。

 それでも彼にはやはり役者の才能があったのだろう、尻尾を出すこともなく日本国民をだましおおせて大金を儲け、笠置シヅ子主演の『女次郎長ワクワク道中』なんて映画に特別出演して“ヨウ言ワンワ”と笠置の『東京ブギウギ』をパロった日本語のセリフまで言っている。

 「よう言わんわ」という歌詞が出てくるのは、『東京ブギウギ』ではなく『買い物ブギ』。タイトルに「東京」ってあるのに「よう言わんわ」という歌詞が出てくるのはおかしいと思わなかったんだろうか。まあ、唐沢俊一はケニー・ダンカンが来日した1951年にはまだ生まれてなかったから、間違いがボコボコ出るのは不思議じゃないとも思えるが、『社会派くんがゆく!』でかつてこのようなことを言っていたことを考えると弁護するのは難しい。

唐沢 今、仕事で昭和二十年代文化の資料をいろいろ見ているんだけど、こういう国民全員が貧しかった時代が、本当にいい時代だったなって実感できるんだよ。みんなが明日に向かって希望の目を開いて頑張っているし、全員が似たような貧乏だから、他人を妬むということもない(笑)。

…どんな資料を見たら、連合国軍の日本占領の時期を間違えたうえに、『東京ブギウギ』と『買い物ブギ』を間違えるんだ?わてほんまによう言わんわ。

※追記 「裏モノ日記」2001年3月17日唐沢俊一は「ケニイ・ダンカン」と美空ひばりが出てくる青江徹『興行師』という本を読んでいるが、これが今回のモトネタなのかもしれない。

ハヤタ隊員ハヤタ隊員 2009/03/10 14:05 トニー谷がケニイ・ダンカンのショーの司会で世に認められたという記載は、
小林信彦氏の「日本の喜劇人」にも書かれてますし、特に問題はないと思います。

ただ、美空ひばりとの対談の出典が書かれてないというのは、
常識がないといわれても仕方がないですね。
原稿を書くために引っ張り出してきているわけですから、
煩雑ということはないと思いますし。

ちなみに、美空ひばりって、歌手の方ですよね。
先日、大都映画の本を読んでいたら、戦前の女優さんで同姓同名の方がいらっしゃったと知りました。
(松竹歌劇団出身で、1940年に大都入社、1943年に結婚引退だそうです。)

藤岡真藤岡真 2009/03/10 14:15 1951年だと美空ひばりは14歳。12歳でデビューしたとはいえ、ハリウッドの「スター」の対談相手はきつかったのではと思ってしまいます。

yonoyono 2009/03/11 01:01 BS熱中夜話、猫と新撰組の回をみる(総集編やってるんです)とやっぱり唐沢さんの監修の仕方(と番組の構成も)がまずかったんでしょうね(猫の回は本当濃ゆかったなあ)

kensyouhankensyouhan 2009/03/11 10:09 コメントありがとうございます。

>ハヤタ隊員さん
「美空ひばり」はあの「美空ひばり」です。
トニー谷のブレイクについてはウィキペディアの記述などを考慮してあのように書きました。村松友視の本も読んでみようかと。『日本の喜劇人』は豪華版が出てますけど、買うべきかどうか。

>藤岡さん
『トンデモクロペディア』によると、ケニー・ダンカンは年明けまで日本に残って「15歳」の美空ひばりと対談しています。これが本当なら、ダンカンは6月末に来日していますから、ずいぶん長期滞在になるんですけど。ちなみに『女次郎長ワクワク道中』は51年10月公開です。

>yonoさん
そうなると弓削Dじゃなくて唐沢のやりかたがまずかったってことなんでしょうか。

ハヤタ隊員ハヤタ隊員 2009/03/11 14:02 >『トンデモクロペディア』によると、ケニー・ダンカンは年明けまで日本に残って「15歳」の美空ひばりと対談しています。

ケニイ・ダンカンの来日期間は1951年6月27日から同年8月17日と書かれているブログもあり、若干疑問が残ります。
http://d.hatena.ne.jp/nostalji/20050502

対談の出典を知りたい!

kokada_jnetkokada_jnet 2009/03/11 16:10 >『日本の喜劇人』は豪華版が出てますけど、買うべきかどうか。
豪華版は、従来の版の最後の部分「タモリとたけしについての記述」に、ほんの少し加筆しただけのものですから・・。
特に購入される必要はないと思います。私も図書館で読みました。(下巻に「これがタレントだ 1963・1964」という単行本初収録の文章が入っていますが・・。特にトニー谷とは関係なかったはずです)

kensyouhankensyouhan 2009/03/12 07:14 コメントありがとうございます。

>ハヤタ隊員さん
追記でも書きましたが、青江徹『興行師』がネタ元かもしれません。

>kokada_jnet さん
書き下ろしがないのは知ってましたけど、ファンとしては買っておくべきかと思って。
小林信彦は、こないだ「週刊文春」のコラムで「マスコミが麻生政権と民主党の批判を一緒にやっているのはおかしい」と書いていたので「ハァ?」と思ってたら、現在のような事態になったわけで、「お気の毒に」と思うとともに「ざまぁ」と思っていますが。小説や芸能については素晴らしいセンスなのに政治については致命的にダメなのが凄いなあ。

kensyouhankensyouhan 2009/03/12 17:39 唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板にこのような書き込みがあった。

>検証さん、トニー谷のブレイク時期についてカラサー並のウィキ丸のみを露呈したからといって、ノビーに八つ当たりイクナイ。
>ノビーはブレイク前から生トニーを見ているし、きちんとノートを取ってるんでこれはひっくり返らないと思うお。
>古参のファンはとっくの昔から政治経済音痴はよく知ってるんで、もう何を言おうと「ハァ?」「お気の毒に」「ざまぁ」を通り越して「アーハイハイ」で流してる。

…いや、他のサイトも参考にしてるよ。たとえば、http://d.hatena.ne.jp/inainaba/20050523/1116851159とか。
>昭和24年アメリカの野球チーム・サンフランシスコ・シーノルズが来日その歓迎会の司会で
>「レデ  ィス・アンド・ジェントルメン・グッドイブニング」と 第一声を放ったのだが 客席はしらけてシーンとしていた、
>とっさに口から出た言葉が「レディス・アンドジェントルメン、アンド、オトツツァン&オッカサン」と言うと場内は大爆笑、ボードビリアン、トニー谷 誕生の瞬間である。
基本的なことだが、自分はトニー谷がケニー・ダンカンのショーの司会をする以前からあちこちに出演していた事実を挙げて、ブレイクがもっと早かった可能性を指摘したのであって、ケニー・ダンカンのショーでトニー谷がブレイクしたことを否定しているわけではないことを間違えないで欲しい。まあ、『日本の喜劇人』だけで決め付けるのもどうかと思うので、もう少し調べてみよう。
あと、小林信彦の「政治経済音痴」についてはもっと真剣に考えるべきである。おかしいことを書いていたらおかしいと言うべきであって、スルーしていたらますますおかしくなってしまう。小林信彦の「政治経済音痴」のスルーがアリなら唐沢俊一のガセとパクリをスルーしたっていいと思うけど。「唐沢俊一の古参のファンはとっくの昔からガセとパクリはよく知ってるんで、もう何を言おうと「ハァ?」「お気の毒に」「ざまぁ」を通り越して「アーハイハイ」で流してる」としてもいいんじゃないだろうか?実際そういう態度を取っている人も多いらしいし。
ついでに書いておくと、『うらなり』での事実誤認の多さを小谷野敦に突っ込まれていることも真摯に受け止めるべきだろう。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070423

だおだお 2009/03/12 22:25 いつも楽しく拝読させていただいております。2ちゃんねるでの私の書き込みを取り上げていただけて光栄に存じます。

さて、上においてkensyouhan様が引用されている文章を読む限りでは、あくまでもトニー谷の持ちギャグ誕生の瞬間の描写であって、
世間的にポピュラーなタレントになったシーンでは無い様に見受けられますがいかがでしょうか?

政治経済音痴についてもこのブログで取り上げられている方のように既知の事実を捻じ曲げたり誤認する訳では無く(皆無とは申しません。)
現状で進行している状況についての感想が奇異であったり、(意見百出、十人十色ですね)
分析に基づく今後の予測が滅多に当たらないという意味であり、(専門家でない上に確実な未来が見える人間が存在するわけもなく)
血液型性格判断は正直私は辟易しておりますが、
倍以上生きてらっしゃる方の人生経験中に何かしら信ずるに足る根拠があったのならば、私ごとき若輩者がどうこう言うのは不遜と存じます。

最後に「うらなり」ついての小谷野敦という方の突っ込みですが、色々と思う事はありますが
(それは江戸時代の人が「ラッキー」と言うたぐいの小説的手法なのではないかとか)、最後の

>まさか小林はこの「中国」をシナのことだと思っているのではあるまいな。いや、いくらバカでも、そんなことはありえまい・・・。

と短編「素晴らしい日本文化」においてシナと広島や鳥取辺りの地方を混同する中国ギャグは本人がすでに使っている事を知らずにこのように口汚く罵っている事が、
ある作家の作品を3作しか読まずに「オエライセンセイが叩いておられるから自分も全否定するのダ」という虚しさを体現しているなあという感想以上のものを覚えず、
ましてや真摯に受け止めるなどとは何かのご冗談かと勘ぐってしまいます。(ウィキの記述を丸のみする限りではずいぶん香ばしいエピソードの多そうな方ですね)

もちろんファンが対象の作品全てに目を通さなければいけないなどという事はありませんので、(私も「うらなり」を読んでいません)
上でファンを名乗ってらっしゃるkensyouhan様が全くこの部分に引っかからずに堂々とご紹介された事についてはただ
「上記の作品をお読みになっていないだけなのだ」と思うだけであります。

以上、コメント欄をお借りしての長々としたファンレターに最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
これからも楽しい唐沢検証を期待しております。

discussaodiscussao 2009/03/12 22:39 【一時ROM解除】
>ついでに書いておくと、『うらなり』での事実誤認の多さを小谷野敦に突っ込まれていることも真摯に受け止めるべきだろう。

↑『猫を償うに猫をもってせよ』は私も好きですが、kensyouhanさん、『うらなり』も読まずに小谷野さんの主旨を鵜呑みされてるわけではないだろうことを切に祈っております。「大衆文芸評判記2007」は、こんなこと説明するまでもないですが、三田村鳶魚の本のタイトルから借りているわけですが、三田村翁に一刀両断された大衆文学の諸作品はそれで文学的価値を下げたわけではないですよね?いや、俎板の上に乗せられた作品は玉石混交だった、という後世の意見もあるけれど、要するに三田村検証と文学的価値は関係ないということです。
『うらなり』についていえば、おそらく『夢の砦』の裏バージョンという印象が強いのですが、つまり世間知らずで自己中心的な自己を第三者の視点から描いた、小林信彦が一貫して描き続けている主題なんだと思います。「事実誤認」というのも、三田村式検証でなら小谷野指摘通りですが、小林信彦は平明な表現法を志向する作家(もしくは小谷野式に「下手な」作家)なのであまり有効な批判となってないのでは?というか、小林信彦の小説への評価がありながら、小谷野文の批評だけで『うらなり』を断じてしまえるkensyouhanさんの文学的メンタリティに危うさを感じてしまいます。これがもしかりに、『夢の砦』や『ぼくたちの好きな戦争』、あるいは小説ではないけれど『おかしな男』そのほかを「下手で」面白くない読み物と認識なさっているなら、それはそれで一貫した批評精神ととれますが、「小説や芸能については素晴らしいセンス」というから、おそらく「読みもしないで小谷野文を鵜呑みにして」という風な疑念を抱きました。違っていたらごめんなさい。では検証がんばってください、応援しております(「悪しき相対主義」だけど)。
【再ROM】

kensyouhankensyouhan 2009/03/13 01:57 コメントありがとうございます。なんだか余計なことを言ってしまったなあ。

>だのさん
>「上記の作品をお読みになっていないだけなのだ」と思うだけであります。
最初の2ちゃんのレスで「ウィキペディアを丸呑み」と書いたりすぐ断定する癖がおありのようですね。小林さんは呉智英が『サルの正義』で「シナ」について論じたことを評価してましたけどね。
それから事実誤認があること自体はやはり批判されるべきではないんでしょうか。小谷野敦氏の人柄を問題にしたってしょうがないでしょう。「アンチ唐沢はニート」とか言ってる荒らしじゃあるまいし。

>discussaoさん
えーと、自分は『うらなり』が小説としてダメであるという話なんてまったくしてないんですけど。「事実誤認がある」というのと「文学的価値がない」というのはdiscussaoさんが仰ったとおりまったく別の話ですから。あと、「『うらなり』での事実誤認の多さを小谷野敦に突っ込まれていることも真摯に受け止めるべきだろう」と書いてありますけど、小谷野氏の『うらなり』の評価に賛同しているわけではありません。事実誤認が多いのは小説としてマズいという話しかしてないので自分としては困惑するしかありません。小林信彦の小説についてはいずれこのブログとは別の場所で細かく論じてみたいですけどね。

とはいえ、お二方に誤解させてしまったのは自分の説明不足のせいなのでそれは申し訳ないと思います。以後気をつけます。

(最初のコメントに追記をしたことをお断りしておきます)

discussaodiscussao 2009/03/13 07:56 説明下手で主旨が伝わらず、誤解を招いたこと申し訳ないです。私はkensyouhanさんが『うらなり』をどう評価しているかはまったく問題にしていないつもりです。
私が問題としているのは、小谷野批評を鵜呑みにして<事実誤認が多いのは小説としてマズいと>いう、kensyouhanさんのいつにない批評性のなさです。もしよろしければ『うらなり』の事実誤認について箇条書きで指摘してくださればありがたいのですが、敢えて小谷野批評から「事実誤認」らしきものを詮索するとマドンナとの再会が神戸駅となっている箇所くらいで、ほかは小林・小谷野のスタイルやスタンスの違い以上のものは見当たらず、仮に「神戸駅」が問題とされるならば相当瑣末ないいがかりといえ、むしろ以前私が指摘した、高島俊男が指摘した呉智英の「事実誤認」のほうがよっぽど重大でしょう。すかさずkensyouhanさんは呉智英をフォローなさっていましたが、こういうのはダブル・スタンダードなのではないでしょうか?なおかつ、読みもせず批評されているということでは、岡田斗司夫(や唐沢俊一)のことをあんまり言えないような気もします。
最初のコメントで「文学的メンタリティ」などと言ったのは、以上の問題と「小説や芸能については素晴らしいセンス」と書かれたkensyouhanさんの小林信彦の小説にたいする一貫性を欠いた批評性を併せて述べた意味です。これはいずれ書かれるかもしれない「別の場所で」論じたほうがいいので取り下げます。話がデカくなるし。

なお、以上煩いことを書いてしまいましたが、kensyouhanさんの誠実周到なところは認めているつもりなので、悪意と取らないでいただけるとありがたいです。

kensyouhankensyouhan 2009/03/13 11:51 コメントありがとうございます。

>kensyouhanさんのいつにない批評性のなさ
うーん、他人の意見に乗っかったことがマズかったんでしょうか?『うらなり』を読んだ上で小谷野さんの指摘を見て「そうなのか」と思ったわけなんですが。ただ、自分はふだん他人の意見に乗りやすい方なんですけどね。伊藤剛さんが「BSマンガ夜話」の出演をキャンセルされたときも、「伊藤さんの意見しか取り上げてない」と批判されましたから。

>もしよろしければ『うらなり』の事実誤認について箇条書きで指摘してくださればありがたいのですが
『うらなり』について唐沢俊一の本並みに細かくチェックしたわけではありませんが、必要ならばやってみようかと。

>ほかは小林・小谷野のスタイルやスタンスの違い以上のものは見当たらず
小谷野さんの指摘というのは「当時の風俗としてはおかしい」というものですが、三田村鳶魚も『大衆文芸評判記』でそういうことを多く指摘していますよね。「武士はそんなことをしない」的な。それを「スタイルやスタンスの違い」としていいものかどうか。あと、小谷野さんも指摘しておられますが、昭和9年に「第一次世界大戦」(『うらなり』P.136)はどうかと思います。

前回は説明不足だったと書きましたが、むしろ「事実誤認」「真摯に受け止めるべき」などと刺激的な言葉遣いをしたのがいけなかったのだと反省しています。唐沢俊一検証という本筋から外れていたこと、コメントだったということで油断がありました。以後気をつけます。

だおだお 2009/03/13 20:45 昨日は不躾な私のコメントに対してのご返答をいただき、ありがとうございました。
本日はkensyouhan様もこだわっておられる「事実誤認」について、またこの場をお借りして書かせていただきたいと存じます。

さて、昨日kensyouhan様にご紹介いただいた小谷野敦の「うらなり」評最後の文章

>初稿では確か「中国辺」とあってそれを直した、とある。これは確認していないが、小林は、要するに「異国的」な都市ということだろう、と書いている。
>ちらりとある疑念が頭をよぎったのだが、まさか、と思っていたが、「異国的」というのが、どうも気になる。
>まさか・・・まさか小林はこの「中国」をシナのことだと思っているのではあるまいな。いや、いくらバカでも、そんなことはありえまい・・・。

という文章を、私は「小林信彦が中華人民共和国と日本の中国地方を混同している」と読みとり、(まさか「指輪物語」の中つ国ではありますまい)

>短編「素晴らしい日本文化」においてシナと広島や鳥取辺りの地方を混同する中国ギャグは本人がすでに使っている
(ちなみに小林氏が冗談で書いた「日本野球についてのデタラメな知識を披露するアメリカ人のエッセイ」に対して
本気にした某大学教授が「中国新聞」に反論を寄せたことについて、続編でまたその疑似人格に
>「私への批判を中国の新聞に投じたことでも明らかである。なぜ、堂々と日本国内の新聞にのせないのか? 中国の民衆がこのような論争に興味を抱くとでもお考えなのだろうか。
と言わせるというものです)

と書いたのですが、それに対するkensyouhan様のコメント

>小林さんは呉智英が『サルの正義』で「シナ」について論じたことを評価してましたけどね。

を読む限りにおいてはkensyouhan様は呉智英の「中国」と呼ぶか「China」と呼ぶか的な読み方をされていらっしゃるように取れる文を書いておられるようにお見受けしてしまいます。
まさかご自分が誤認されたままの文章を他人に「真摯に受け止めるべき」ことだと提示されるなどとは……また私の勝手な断定癖だと良いのですが。

もう一つ、

>小谷野敦氏の人柄を問題にしたってしょうがないでしょう。

と書いていらっしゃいますが、私が小谷野敦氏の「うらなり」評を真摯に受けるに値しないと考える理由は
上記のとおりの言い掛かりやスタンスによるものだと書いており、()内の「香ばしいエピソード」はその最後にくっ付けたオマケです。

しかし、この2つの指摘を持ちまして、私がkensyouhan様の能力に対する疑問を大向こうに示していると思われるのは心外です。
私の文章に関してkensyouhan様の誤読を誘ってしまうのはひとえに私の文章力の問題であり、全ての責は私に帰するものです。
同時に、一人の人間の能力には必ず限界がありますし、あるのが当然かとも存じます。

筒井康隆の日記や小林信彦のエッセイを読んでいると、この世代の文筆家達が文中に自分の不明な事柄を書いたり、事実の誤解や誤認があると、
もっと専門的な知識が深い同業や他業種の友人知己からすぐに指摘が来ることに驚かされます。

今、私の手元にある和田誠と三谷幸喜の映画対談本「これもまた別の話」の中でも、疑問を提示したすぐ次の回に石上三登志から連絡があって情報の補完があったりします。
とり・みきの漫画を読んでいても、そのようなやり取りが描かれる事によって、水木しげるの点描をペンでは無く毛筆の先で打っている事がわかったりします。
京極夏彦の京極堂シリーズには「誰が何を知っているのか知っていればそれは全知全能さ」という趣旨のセリフがあったと思います。

そして私たちはそのような人間関係に恵まれなかった上に(自分から遠ざけたのか、それとも…?)
自分の身の丈以上の知識を持っているように見せたがった男の顛末を知っているはずです。

…などと、とりとめのない事をつらつらと書き連ねましたが、kensyouhan様のこれからのご活躍を心から期待しております。以上、またお付き合いいただきありがとうございました。


追伸:2ちゃんねるの唐沢スレッドにおいて1レスだけこの件に関する書き込みがありましたが、私ではございません。(3/12の夕方頃からOCNがアクセス規制されているもので)

kensyouhankensyouhan 2009/03/15 16:13 コメントありがとうございます。
いや、「小林信彦」と「シナ」で連想したので書いてみただけのことなので、深読みされる必要はありません。ご指摘には大変感謝しています。

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