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唐沢俊一検証blog

2009-05-13

ゲゲゲのどろろー。

12:13

 唐沢俊一ソルボンヌK子『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)が発売された。内容は次の通りである。

60〜70年代にかけて“日本の黄金時代”を作り上げた天才とそのライバルたち。文化、政治、事件から昭和という時代を紐解く!

つまり、ある分野においてライバル関係にあった人物を対比して描くことで高度経済成長期を描き出そうというのである。唐沢俊一は作品や人物を評価するときに「何かをほめるために別の何かをこきおろす」というやりくちをよく用いているので、もしかしたらうまくいくのでは?と思っていたのだが、残念ながらそうはいかなかった

 最も大きな問題点は、2つの物事を対比して描こうとするあまり、こじつけが多くなっていることである。クローズアップしたせいで物の見方が単純化しすぎているのである。もうひとつの問題点は内容がウスいこと。「おもしろ雑学評伝」と銘打っている割りに、ハタとヒザを打ちたくなるような話が出てこないのだ。…蔵書を処分して本当によかったのだろうか。

 ともあれ、具体的な指摘をしていくことにする。今回は第1章「手塚治虫水木しげる」を取り上げてみる。


 第1章は、1978年3月に行われた「新宿アニメランド」に観客として参加していた唐沢俊一が、手塚治虫おかだえみこ氏との対談を見た話から始まっている。この対談で手塚は『どろろ』が水木しげるの作品に対抗して描かれたものだということを明らかにしている、というのである。実はこの話は『脳天気教養図鑑』(幻冬舎文庫)でもマンガで描かれているので唐沢俊一ウォッチャーとしては旧聞に属する話題である。…ところが、ウィキペディアの『どろろ』ではこのように説明されている。

ちなみに唐沢俊一が生前の手塚に執筆動機を尋ねた際に、手塚は執筆当時の白土三平カムイ伝)、水木しげるゲゲゲの鬼太郎)の作品人気を意識して描いたと答えた。 唐沢の談によれば、以前から水木や白土の作品人気を意識していた手塚が、ある授賞式の折、賞を受賞した水木に向かって『僕だってあなたみたいな妖怪ものぐらい書けるんですよ』と息巻いてそのまま退場したという。

…?

いや、唐沢は手塚に直接聞いてないよ。観客として対談を見ていただけであって。これはウィキペディアに書き込んだ人が間違っているのか、それともどこかで唐沢がそんなことを書いているのか。それから、手塚の水木への発言については、足立倫行『妖怪と歩く』(文藝春秋社)には次のように書かれている。同書P.30〜31より。

 昭和四十一年(一九六六年)の春、講談社漫画賞の授賞パーティーだったと水木は記憶する。貸本マンガ界で苦労した末にようやく大手商業誌に認められたということで、白土三平楳図かずおなど大勢のマンガ家仲間が駆けつけ、祝い、激励してくれた。マンガ界の頂点にいた手塚治虫ともその席で実質的に初めて会った(その前に一度マンガ家の集まりで同席したことがあったが会話はなかった)。ところが手塚の表情はなぜか固く、掛けてくれた言葉も「曙(出版)か何かで描いておられましたね」とそれだけ、きわめて冷ややかな態度だった。

『僕だってあなたみたいな妖怪ものぐらい書けるんですよ』とは言われてないようなのだが(もしかすると、後年手塚が大友克洋に対して「あなたのような絵を描くこともできる」と発言したことと混同しているのだろうか)。なお、パーティーでの出来事をもとに水木は手塚をモデルにした人物が登場する『一番病』という短篇を描くのだが、なぜか唐沢俊一は『一番病』について触れていない。…えーっ?手塚と水木の関係を取り上げるのなら『一番病』をスルーしちゃダメだろう。『宇宙虫』を知らなかったゲームのスタッフを馬鹿にしていた人とは思えないよ(詳しくは5月4日の記事を参照)。余談だが『一番病』を執筆した数年後に水木は手塚と宝塚市で行われたパーティーで顔を合わせ、水木は手塚に「私の故郷ですよ!」と何故か怒られたという。『妖怪と歩く』の中で水木は手塚に対して「あの人、おかしいですよ!」と怒っているが、無理も無いと言うべきか。

 ついでに文章がおかしなところを指摘しておく。P.15〜16より。

2人とも現役のときは、意識はしていても、ライバルというには、あまりに世界を違えて生きてきた2人であった。

 「世界を違えて」ってどういうこと?「たがえて」ってルビが振られているけど、普通は「約束を違える」という風に使うだろう。「異なる世界で生きてきた」とか書けばいいのに。

 

 その後、手塚と水木の経歴に簡単に触れているが、「W3事件」で手塚が「週刊少年マガジン」と関係を断った(その後74年の『三つ目がとおる』で関係は復活する)ことを説明した後で、このようなことが書かれている。P.17より。

 その当時マガジンの編集長だった内田勝は、対抗策として手塚的作品の対極にある、オトナの世界の漫画を描いてきた作家たちを、続々少年漫画誌に呼び込んだ。前記のさいとう・たかを佐藤まさあき、さらには『巨人の星』を描く川崎のぼる影丸譲也ビッグ錠など、みな貸本漫画出身の作家である。水木もその中に含まれていた。

 要するに「マガジン」が水木しげると同じ貸本漫画出身の作家を起用していた、と言いたいわけだが、どうして白土三平の名前が出てこないのだろうか(『ワタリ』は「マガジン」で連載されていた)。この後で唐沢は『どろろ』について解説しているのだが、『どろろ』は水木だけでなく白土からも影響を受けた作品とされているのだから、触れないのはなおさら不可解である。…もしかすると、手塚と水木に話を絞ろうとしてわざと白土の存在を省いたのかもしれないが、そういうことをすると、どうしても話の流れに無理が出てくるのでやめておいた方がいいと思う。

P.19より。

 手塚の本当の偉大さは、この、自分の業界トップとしての立場も省みず、ライバルの得意分野にも平気で手を出すというチャレンジャー精神にあるのではないかとも思うのだが、実のところ、“妖怪なら”と思った時点で、手塚はアウェイの戦いを強いられたことになる。

 京極夏彦などの考察によれば、それまで民俗学などで専門用語としてしか使われておらず、一般的な認知のほとんどなかった“妖怪”という言葉をポピュラーな用語として広めたのは水木しげるであり、かつ、人を驚かしたりとり殺したりという怪奇な“行為”、怪奇な“現象”に名をつけただけであった妖怪に、今のようなキャラクター性を与えたのも水木であった。

 いわば“妖怪”というテーマでは、手塚は水木の掌の中を飛び回るだけという宿命に陥っていたのである。

・・・するとなんだろうか。妖怪の出てくるマンガはみんな「水木の掌の中を飛び回るだけ」と済ませてしまっていいのだろうか。『犬夜叉』も『うしおととら』も『妖怪始末人トラウマ!!』も『ぬらりひょんの孫』(雪女かわいい)も。もちろん、そんな決め付けはアホのすることである。当然作品ごとに評価しなくてはならないのだ。『どろろ』も「週刊少年サンデー」連載時には人気を得られなかったが、今では高い評価を得ている。さすがに夏目房之介氏はそんな雑な批評をしていなくて、『手塚治虫の冒険』(小学館文庫)で『どろろ』に登場する妖怪が水木作品の妖怪に比べてずっと人間くさいことを指摘している。さらに夏目氏は水木作品の特徴である点描を手塚が取り入れていることも指摘している。『どろろ』を論じるのなら夏目氏の所論は読んでおいて欲しい。

 それから「アウェイ」というのは「敵地」を意味しているのだから、「不得手なテーマに取り組む」という意味で使うのは適当ではない。たとえば、唐沢のガセやパクリを面白おかしく語り倒す「唐沢俊一検証LIVE」という集会があったとして(開催予定はありません)、そこに唐沢俊一がゲストとしてやってくるような状況を「アウェイ」というのだ。…いやいや、ダマして連れていこうなんてそんなことはもちろん考えてませんよ。ええ。

 さらに言えば、『どろろ』が連載されていた1968年に手塚が「業界トップ」にいたかというと疑問がある。その時期の手塚は劇画の台頭に押されて苦しんでいて、1968年から73年までを「冬の時代」と自ら呼んでいたくらいなのだ(『ブラック・ジャック』で復活するのはみなさんご存知の通り)。

P.20より。

 手塚の代表作、『鉄腕アトム』がアニメ化されたのは東京オリンピックの前年、1963(昭和39)年のことだった。この番組は、平均視聴率が30%を超えるという凄まじいヒットを記録した。高度経済成長はそのピークを迎えつつあり、三種の神器とか、3Cなどと言われたカー、カラーテレビ、クーラーなどの電気製品が都市部を中心に爆発的な勢いで普及し始め、国民のあいだに科学技術信仰のようなものが定着していた時代だった。その心理に、科学の素晴らしさ、未来の素晴らしさを訴えかける手塚治虫の漫画は、ピッタリとフィットしたのである。

 さあ、どこから突っ込もうか。まず、ケアレスミス(唐沢用語だと「ケアミス」)から指摘すると、1963年は昭和38年である。それから、電化製品のいわゆる「三種の神器」は白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機、「新・三種の神器」または「3C」はカラーテレビ・クーラー自動車である。

…しかし、唐沢俊一『アトム』が1951年から連載されていたことを素っ飛ばしているのがまるで理解できない。1959年には実写版も作られているくらいなのに、『アトム』が1963年になっていきなり人気が出たかのような言い草だ。それにアニメでも映画でもドラマでも人はテーマで見るのではなく面白いから見るのであって、『アトム』のアニメ第1作は作品として純粋に面白かったから人気を博した、それだけの話なのではないか?

P.21より。

 しかし、1960年代も後半になってくると、科学の進歩が本当に人類を幸せにするものなのかどうか、人々は疑問を抱くようになっていた。熊本新潟水俣病四日市ぜんそく、そしてイタイイタイ病という、いわゆる四大公害病に対する訴訟が次々と起こったのも60年代後半だった。人類の不幸は科学の進歩がすべて解決する、といった、単純な思想はもはや、国民に信用されなくなっていたのだ。

 そういう風潮の中、科学の進歩(それはまさに手塚漫画とイコールだと言っていい)へのアンチテーゼとして、人々は水木漫画の古めかしい妖怪、祟り、呪(まじな)いといった世界に魅力を感じるようになっていた。(中略)

 いつの間にか、手塚の描いていた未来は、水木の描く過去に追い越されていたのである。

…いや、手塚治虫は「科学の進歩」ばかりを描いてきたわけじゃないと思うのだが。『鉄腕アトム』について手塚治虫公式サイトでも次のように説明されている。

けれど、一般的には元気いっぱいの正義の子で、原子融合システムによる10万馬力(のちに100 万馬力にパワーアップ)のロボットで科学万能主義のように思われていますが、手塚治虫がアトムに演じさせていたのは、科学と人間は本当に共存できるのだろうか? というメッセージでした。

科学の明るい面も暗い面もあわせて描いていたからこそ『アトム』は今もなお支持されているのである。それに手塚以外のマンガに目を向けると、1972年に「週刊少年ジャンプ」で連載が開始した『マジンガーZ』が大ヒットしているけど(アニメは72年末に放映開始)、マジンガーだって「科学」なんだから、人々が「科学」に魅力を感じなくなったということではないだろう。

P.22より。

 さらには、高度経済成長期、“モーレツ社員”という呼称を名誉とし、仕事自体を自分のアイデンティティにしていた日本人が、オイルショック等の不況を経験し、自分の生き方を見直そうとしていたときに、“多忙”を人気のバロメーターにしてきた手塚の生き方は、時代遅れに映った。

 手塚治虫は自分の多忙さを誇っていたのだろうか。創作に明け暮れて結果的に多忙になっていたのだと思うが(しかも趣味の映画鑑賞も欠かさなかった)。唐沢俊一バルザックについてどう考えているんだろう。

P.22より。

死の床でも原稿を書くための鉛筆を要求したという手塚には、どうして“仕事に殺された”というイメージがつきまとうが、手塚の死の1989(平成元)年以降、対照的に神格化されつつある水木の若者人気は、この、“世間の要求に応えず、マイペースで行く”という生き方に、21世紀の若者たちが羨望と共感を抱いたことによるだろう。

 勝手に決め付けないで欲しいなあ。手塚の生き方を「素晴らしい」と思う人だっているはずだ。「仕事に殺された」のではなく「人生をかけてひとつの仕事に打ち込んだ」と考えれば、そこまで必死になることができた人に憧れ、自分もそうありたいと考える人だってきっといる。手塚治虫が今でも「漫画の神様」と呼ばれているのは、手塚の作品だけでなく手塚の生き方そのものが尊敬されているあらわれなのではないか。

 それに唐沢俊一は誤解しているが、水木しげるの人気は水木の生き方に対する人気ではなく、水木しげるのキャラクターに対する人気である(呉智英氏たちがアピールしてたおかげだろう)。だって、妖怪漫画を書いている人がまるで妖怪みたいなんだもの。面白すぎるって。それに普通の人間は水木のようには生きられないことはちょっと考えればすぐにわかる。だいたい、ただ単にマイペースで生きているだけであれだけの作品を描けるわけが無いのだ。かなりの努力をしているに決まっている。…そもそも「1989(平成元)年以降」「21世紀の若者たちが羨望と共感を抱いた」ってどういうことなんだろう。1990年代は一体どうなっていたのか

P.23より。

 しかし、これも京極夏彦に言わせると、ちょっと、いや、かなり違うらしい。要は水木のいう理想の“なまけ者”とは、“働かなくても食える”才能のあるなまけ者、なのだそうである。

「なまけ者になるには、才能と努力が必要だ」

 と、水木は言っている、生まれつきの才能がある者が努力をすれば、巨万の富を得られるので、あとは何もしなくても生きていける、のだそうである。何のことはない、努力はやはり必要なのだ。しかし、努力の方向性が、手塚と水木では全く違っていたのではないか、と思わざるを得ない。

 「水木しげるのマイペースな生き方に憧れる若者が多い」→「水木のように生きるには才能と努力は必要」→「でも水木と手塚とでは努力の方向性が違う」…何が何やら。考えをまとめてから文章を書いて欲しい。じゃあ、結局水木の生き方というのはどういうものなのか、水木と手塚の努力はどのように違うのか。唐沢の書き方だと手塚の努力が間違っていたかのようでイラッとくるけど。

P.24より。

 敗戦後の手塚が、日本の復興・発展と足並みを揃えるように、縦横無尽の活躍を見せていくのは、戦後の日本を担った人々と手塚治虫がほぼ、同時代人であったことが大きい。

 手塚治虫水木しげるは6歳しか離れていないのだから十分「同時代人」だろう。区別する必要はないと思う。

P.24〜25より。

 同じように、“あるべき明日の日本”というものを具体的なイメージとして日本人が描くのに最も役立ったのが、手塚治虫の漫画であった。人々は手塚の漫画に描かれた21世紀を理想として働いてきた。

 一方の水木は、そのような作品をほとんど描いていない。水木が描いたのは、経済優先の世界で、その非情さに押しつぶされる庶民の姿ばかりである。

 『昭和ニッポン怪人伝』という本が、2人の人物を対比することで昭和の時代を描こうとしているのであるからある程度はやむを得ないのかもしれないが、それにしても無理して時代の分析を絡めすぎ。おかげでかえって2人の実像を歪めてしまっているのではないか。時代を超えたものを描いているからこそ手塚も水木も素晴らしいのに。

P.25より。

 手塚治虫水木しげるは、共に日本の戦後のイメージを形づくってきた天才である。双方の作品を対比して、どちらが優れているか、などを論ずるのはナンセンスであろう。

 しかし、まぎれもなく、21世紀に入って10年が経過しようとしているこの現在、国民が支持しているのは、水木的な生き方、水木的個人主義であろう(水木しげるが生み出したキャラクター中、最も人気があるのは水木自身が“日本人の姿”であると言っている「ねずみ男」である)。

 かつて21世紀を舞台にした手塚の『鉄腕アトム』で日本人たちは自分たちの理想の未来を夢見たはずなのに、どこでどのように、その理想が変わってしまったのか。あるいはその理想の追求があまりに急だったため、未来の姿に変化を生じてしまったのだろうか。

 これで第1章は終わり…っておい!前の方で「水木的な生き方」の条件として「生まれつきの才能がある者が努力」をすると書いていたじゃないか。「生まれつきの才能がある者」なんかそうそういないんだから支持したってしょうがないだろう。そもそも「水木的な生き方」を国民が支持しているかどうかわからないし。どこの国民に聞いたんだ

 それに『ゲゲゲの鬼太郎』で人気癸韻妖怪ねずみ男らしいが(ただし鬼太郎と目玉のおやじを除く)、オリコンスタイルによるとねずみ男の人気の理由は次のようなものらしい。

「弱虫で、ずるいところが可愛い」

「少し間の抜けたところに愛着がわく」

「いなくなると、さみしいキャラだから」

「裏切りと協力がいつも同居している」

「裏切っても最後は仲間になるから」

要するにコメディ・リリーフとしての人気であって「日本人の姿」はあまり関係がないのではないか。

 締めの文章はよくあるノスタルジーにすぎないのでコメントしないでおく。


…今回の唐沢俊一の文章の問題点が、前出した夏目房之介手塚治虫の冒険』にそのまま出ているので、同書P.17より引用する。

 マンガについて知識人知識人予備軍が、雑誌や投稿欄でさかんに発言をはじめたのは、60年代以降、とくに70年代前後からでした。発言する知識人大衆文化にかかわる文芸批評家とか映画評論家、あるいは美術評論家といったふうに専門分野を他にもった人たちでした。彼らの多くがマンガをどう批評したかっていうと、たとえばアトムは戦後の科学万能信仰を象徴しているんだとか、『巨人の星』はいつも勝利がテーマになるから高度経済成長時代の反映なんだとか、描かれた人物やテーマをいきなり大衆社会の動向や大衆の反映像に読みかえてしまう。おおざっぱにいうと、マンガ批評って基本的にはそういうことでした。じつは今でもそればかりやっている人が多いんです。僕にいわせれば、それはいちばん重要な、マンガが表現される過程、表現として描かれるしくみをとばしちゃってる。

つまり、唐沢は40年前のスタイルのマンガ批評をやっていたということだ。まあ、作品と社会を結びつけて論じるのはアリなんだけど、唐沢は手塚治虫にしろ水木しげるにしろ作品について全然語ってなくてきわめて安易にやってしまっているからなあ。困った困った。…あ、そうだ。ゲンナリしてしまった人は口直しに漫棚通信さんのエントリーを読んでみて下さい。…一体どっちがプロなんだろう


…えーと、この調子で『昭和ニッポン怪人伝』残り10章もやりたいと思いまーす。突っ込みどころが多くて今から涙目になってますorz

※追記 足立倫行『妖怪と歩く』の記述に基づいて、一部訂正しました。

どろろ (1) (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)

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少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎(1) (講談社漫画文庫)

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昭和ニッポン怪人伝

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妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる (文春文庫)

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妖怪パラダイス (2) 一番病 アイランドコミックスPRIMO

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ワタリ (1) (小学館文庫)

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犬夜叉 56 (少年サンデーコミックス)

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うしおととら 19完 (小学館文庫)

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妖怪始末人トラウマ!! (1) (秋田文庫)

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手塚治虫の冒険―戦後マンガの神々 (小学館文庫)

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774774 2009/05/13 13:30 いやいやいや・・妖怪といえば井上円了かと存じますが、本当に京極夏彦さんはそんなこと言ってるのでしょうか。
かなり前のテレビブロスの水木しげる先生のインタビューでは「他人より重い石を持て」と言ってなまけろなんて言ってません。

O.L.H.O.L.H. 2009/05/13 14:15 手塚、嫌い!が前提に有って書かれたような文章ですね。


「誰でもピカソ」に水木しげるが出演したとき、有名な『なまけ者になりなさい』を指して「ぼくぐらい金持ちならなまけ者になれますが、そうじゃない人はあくせくしなきゃいけない」というようなことをおっしゃってましたので、(記憶で書いてるので不正確です)ファンは妖怪キャラクターとあわせて、ご本人のこういう掴み所のない、人をケムにまいたようなところを面白がっているのではないかと。それを広めたのは荒俣宏、京極夏彦ですから、ほぼ同じファン層だと思います。


>手塚の死の1989(平成元)年以降、対照的に神格化されつつある水木の若者人気は、この、“世間の要求に応えず、マイペースで行く”という生き方に、21世紀の若者たちが羨望と共感を抱いたことによるだろう。
この人、『バブルの崩壊』を忘れてませんか?
その後広まったのは「世間の要求に応えず、マイペースで行く」ではなく、企業というものが絶対ではないという不信感と不安なんですが。


>1990年代は一体どうなっていたのか。
タイトルが『昭和ニッポン怪人伝』ですから、平成以降のことは調べなかったんですよ、きっと。

abeabe 2009/05/13 14:34 >774さん
>本当に京極夏彦さんはそんなこと言ってるのでしょうか。


似て非なる発言ならありますね。

「ほぼ日刊イトイ新聞 京極夏彦はいつ眠るのか。第2回」
http://www.1101.com/suimin/kyogoku/2007-12-18.html

唐沢氏の文章はニュアンスが大幅に違っています。

うさぎ林檎うさぎ林檎 2009/05/13 15:07 >この調子で『昭和ニッポン怪人伝』残り10章もやりたいと思いまーす。
・・・なんかの罰ゲームみたいですね(笑)。
検証班さんの犠牲的精神(だってお金出したんですよね?)を深く深く尊敬します。

いつも読んでますいつも読んでます 2009/05/13 15:53 「昭和ニッポン怪人伝」は現在、アマゾンで5万位以下。
「オタク論2」も4千位以下で、唐沢さんは完全に終わってますね。
他の人の本に書いてあることの再構成ばかりじゃ、買う価値ないので当たり前ですが。

774774 2009/05/13 20:54 >>abeさん
> 京極夏彦などの考察によれば、それまで民俗学などで専門用語としてしか使われておらず、一般的な認知のほとんど>なかった“妖怪”という言葉をポピュラーな用語として広めたのは水木しげるであり、かつ、人を驚かしたりとり殺した>りという怪奇な“行為”、怪奇な“現象”に名をつけただけであった妖怪に、今のようなキャラクター性を与えたのも水木>であった。
いえ、最初に気になったのはここの部分です。

abeabe 2009/05/13 21:21 >774さん
申し訳ありません。やらかしてしまいました…。
お目汚し、大変失礼しました。

774774 2009/05/13 22:44 いえいえ、私もよく失敗し判り難かったかも知れません、どんどん突っ込んでください。

コバイアコバイア 2009/05/13 23:17 >死の床でも原稿を書くための鉛筆を要求したという手塚には、どうしても“仕事に殺された”というイメージがつきまとう
この、過労死に追い込まれたサラリーマンみたいな書き方には、本当に「ダメだなあ、この人」と思いました。
この最期のエピソードは、死の寸前に至っても手塚の創作への意欲が消えることはなかったということでしょう。「チャレンジャー精神」云々以上に「手塚の本当の偉大さ」を示すものではないですか。
自称「作家」でありながら、どうして素直に「凄い」と思えないのだろうかと。

個人投資家個人投資家 2009/05/13 23:26 >人死の床でも原稿を書くための鉛筆を要求したという手塚には、どうして“仕事に殺された”というイメージがつきまとうが

 医者がガンであることを告知していなかったから、手塚先生は、退院してばりばり作品を書くつもりで「ベートーベン」や「ネオ・ファウスト」の構想を練って、アトリエの改造やらもしていたはずだが?
 仕事に殺されたんじゃないよ。
 
 どうしても手塚治虫を貶めたいのかね?

だおだお 2009/05/13 23:35 >>774様が気になっている部分は、京極夏彦は「妖怪の理 妖怪の檻」の中で「妖怪」の意味に時代や使用者による変遷があった事を書いています。
江戸時代に賑わった黄表紙本の頃もキャラクターを得た怪異が描かれていましたが、それはまだ「化け物」と呼ばれていたと。

では唐沢がこの文脈で提示した
「いわば“妖怪”というテーマでは、手塚は水木の掌の中を飛び回るだけという宿命に陥っていたのである。」
というのはどういう状態を指すのでしょうか? 考えられるのは

?水木しげるの妖怪漫画よりも後発の2匹目のどじょうの上、世評も水木より得られなかった場合。
?水木しげるが新たに妖怪に与えた属性を、古伝からのパブリックなものと勘違いして自作に使用してしまった場合。

さて、唐沢の唱える自説の引き合いに出された京極夏彦自身は「どろろ」をどう評価しているのでしょうか? 同書p250には

>漫画の神様とまで謂われる手塚治虫にも『どろろ』(一九六七−一九六八)という傑作漫画があります。
>『どろろ』にも"妖怪"はたくさん登場します。さすがは手塚治虫、江戸の化け物絵などから材を採り、
>オリジナルながらも本物の"妖怪"を装った、いかにもなフォルムのキャラクターが登場しています。

>ただ、それでも『どろろ』がどこか"妖怪"漫画らしくない佇まいなのは、やはり作者である手塚の顔が
>透けてしまうこと──テーマ性、ドラマ性が全面に押し出されていること──手塚作品として
>完結してしまっていることに由来するのでしょう。

>『どろろ』は、手塚作品としては申し分の無いできばえではあるのです。しかし、作者である手塚治虫は現代人です。
>登場する"妖怪"が、その手塚の作家性を色濃く感じさせる「手塚キャラ」であった場合、
>それはどうしたって前近代的ではあり得ない、ということになります。

とあります。京極が定義する「妖怪」としては大いに疑問符が付く(手塚の創作した『物語』を背景に獲得してしまっているため)ものの、
逆にそれを以て水木しげるが興した「妖怪漫画」の同一軸には「どろろ」が並んではいない独立した作品であることが示されていると思います。
手塚独自のガジェットやモチーフもパロディやオマージュとして後の他作品で消費されていますね。(『MADARA』やゲーム女神転生のアイテム妖刀ニヒルなど)

これは余談ですが、?についてはkensyouhan様が挙げていらっしゃる「妖怪始末人 トラウマ!」の作者である魔夜峰央が
「パタリロ!」中に水木しげるデザインの独特な頭の形と蓑を着ている油すましを登場させていたりします。

まあ、「トラウマ!」においても対象をダイヤに変える光線を吐く「ダイヤモンド妖怪」と
同一の妖怪をモチーフにした(カ○ワ車です)「皿輪入道」に、対象を皿に変える光線を眼から出させたり、
作品の資料としてきちんと鳥山石燕の原典にあたっているはずですので、わかってやっているパロディと考えて間違いは無いと思いますが。

kensyouhankensyouhan 2009/05/14 09:00 コメントありがとうございます。

>774さん
まあ、「妖怪」をポピュラーにしたのは水木先生なんでしょうけど。『昭和ニッポン怪人伝』の巻末には参考文献が挙げられているんですけど、京極さんの発言の出典は挙がってないのでチェックのしようがなくて困ります。

>O.L.H.さん
手塚批判をやりたいのならそれこそ『一番病』を取り上げればよかったんですけどね。モデルが手塚治虫だということを踏まえて『一番病』を読むと可笑しくてしょうがないですけどね。今一番手に取りやすいのは『畏悦録』(角川文庫)かな。

>うさぎ林檎さん
いや、そりゃあまあ、金を惜しんではいられませんからね。金もさることながら『昭和ニッポン怪人伝』の検証は時間がかかってしょうがないんですけど。サバンナ八木の「ヒザ中心の生活」ならぬ「検証中心の生活」になってしまってます。

>いつも読んでますさん
自分はAmazonのランキングについて詳しくないのですが、発売直後で1万位以下(このコメントを書いている現在)というのはあんまり良くはないんでしょうね。唐沢の著書の売れ行きというか発行部数の推移を調べられればいいんですけど。

>コバイアさん
そこは素直に感動するところでしょうね。手塚先生の熱意を見習って欲しいです。

>個人投資家さん
今回の文章はいつもの唐沢と比べて手塚先生への悪意は薄いのですが、どうしても滲み出てしまうのかと。

>だおさん
京極さんと夏目さんの『どろろ』への評価がよく似ているのが面白いですね。妖怪を取り上げたマンガでも作者によって違いが出るのは当然なんですから、そこを考えないと。

宅八郎宅八郎 2009/05/14 16:51 ブログ主さんも読者のみなさんも、大変なマンガオタクのようで、そちら方面の知識と教養のないボクには分からない面がありました〜〜(すみません)。
ボクがこの唐沢俊一検証ブログにたどり着いた経緯を記しますと、最初に手塚治虫の『W3』事件について確認しようとして、「漫棚通信」さんのページを見に行ってみたんです。そして、他のエントリーを見ていったりしました。
そうすると(いくらなんでもボクより年上の方だと思いますが)、大変な知識と資料と見識を持った方だということを、あらためて知りました(ただし、何年か前にこのブログを数度か読んだ記憶はありました)。

さて、そこで唐沢俊一と幻冬舎による「盗作事件」の詳細なやり取りを読んだわけです。すごく興味深く面白かったです。その中のコメントでは本来の古くからの漫棚通信Fan(ではないのかもしれない、実は)から、「本来の漫画コラムがブログのあるべき姿で、このような延々続くトラブルの記録は粘着質で気持ち悪い。さようなら」みたいな発言がありました(要約は適当です)。

世の中にはトラブルそのものを嫌う方もいますし、「粘着」という言葉をマイナスのキーワードとして使う方もいます。さらに何らかのリスクを犯さずに外野として言いたい放題言う立場もあり得ます。
ボクとしては漫棚通信さんの「元来の漫画資史料収集分析コラム」に圧倒されながらも、この唐沢・幻冬舎との一連の対応のやり取り自体に一種の「文学性(?)」さえ感じて大変感動しました。

実を言いますと、ボクは過去に幻冬舎社長の見城徹氏に「宅さん小説を書いてみませんか」と誘われたこともあったのですが、その時点では書けませんでした。
もし、書くとしたらこういうものを書いてみたいです。最終的に幻冬舎担当編集者が「死ぬ」みたいな、ね(笑い)。→生命的・霊的な死というんじゃなくて、退社みたいなね→それに近い迷惑はやって来ちゃった人間ですが・・・。

長くなりましたが、そこからミステリー作家・藤岡真さんの存在を知って、藤岡さんのところから、この「唐沢俊一検証ブログ」にたどり着いたんですよ!

前置き長くてすみません。
以下に整理します。
1.妖怪について
過去に韓国語(朝鮮語)翻訳で調べたことはありますが(最初はヨーロッパでの妖怪研究者のやり取りから始まった)、民俗学的知識の裏付けなど良く分かっていません。
ボクは1962年生まれですが、妖怪と言えば、水木しげる=鬼太郎みたいな世間一般的なイメージですね。ただし、『どろろ』は漫画もアニメも見ていましたが、自分の中では別物でした。
なお、ボクが幼稚園の時に初めてしてみたコスプレ(昭和40年頃)は「ゲゲゲの鬼太郎」でした。
あ、友人の大泉実成というライターが水木しげるさんとは仲良しで、ここだけの話、水木しげるさんの娘さんとボクがお見合いする話はありました〜(実現しなかったですが)。

2.唐沢俊一が語る手塚治虫と水木しげる
まず、唐沢はボクよりも数歳年上になりますが、「オタク第1世代」ということにはなるかとは思います。
そこで、ちょっと当時の記録がすぐに出てこないのですが、唐沢が観客として行ったらしい1978年3月「新宿アニメランド」ですが、ボクも行っていた可能性はあります(それって紀伊国屋ホールだったか、分かる方いますか?)。確か、手塚治虫とおかだえみこ対談は見た記憶があるんですが。

ここから続くブログ主さんの記述はきわめて論理的整合性があって、唐沢の不思議さはかいま見えました。
また『一番病』は読んだことあります(じつは恥ずかしいのですが、『宇宙虫』は読んだことがありません)。
ブログ主さんの整理は優れています。ただし、唐沢の「虚像と実像」については、世代の問題もあり、もう少し「当時」の関係者からの調査は必要かもしれません。


3.手塚治虫というマンガの神様について
これはね、「オタク」ないしは「オタク第1世代」の一般論では決してないんですが、ボク個人のとらえ方について記させて下さい(うざいようでしたら、削除および読者は読み飛ばして下さい)。

ボク自身は幼少の頃から手塚治虫については不思議な違和感がありました。もちろん、手塚治虫の影響を受けた漫画家さんの影響は受けましたが、当の手塚治虫さんについては微妙な感覚だったんです。
『どろろ』は大好きだったんですが、子供心に違和感を感じた面があったり、『マグマ大使』には相当な違和感を感じていたり・・・です。何のことかわからない方のためにキーワードを記すとしたら、「手塚が描く性的イメージ」と「偽ヒューマニズム」ですかね。

さて、そこで唐沢俊一です。
ボクは唐沢俊一が手塚治虫について書いた本を一冊も読んでいません。なので唐沢批判でなされる「そこまで手塚治虫が嫌いなのか」という指摘も良く分からないんです。
手塚治虫に恐怖するかのように違和感を持つ宅八郎と、手塚を嫌悪する(?)唐沢俊一が似たもの同士なのか、似て非なるモノなのか、把握できません。
それで言うとね、ボクは『週刊SPA!』で90年にデビューしているのですが、手塚治虫『マグマ大使』について書いた原稿があります。ところが、ボクとしては自分自身の感覚で書き上げるとしても、「世の中の人たちにとっては神様ということになっているしなあ」みたいな葛藤があって(今となって思えばボクはダメだった)、結局原稿の密度が落ちてしまったために、後の単行本化の際にはコラムの収録を捨てました。

似た感覚とボクが勝手に言ってしまったら、怒られるかもしれませんが、(何年前ですか?最近ですか?)、やはり同世代の竹熊健太郎さんが、より若い世代の伊藤剛さんの評論「テヅカ・イズ・デッド」(未読です)をブログで取り上げようとした何回かの原稿を途中まで読んだんです。
ところが、おそらく竹熊さんは若い伊藤さんがお書きになった本に「自分自身が刺されようとしているようにお感じになったこと」、さらに「手塚治虫を取り上げていること」から、思考を迷って長々と記した気配が濃厚で、文章が迷走してしまっている印象があって、ボクは最後まで読むことができませんでした。
竹熊さんほどの方が文章を迷走させてしまって、まとめきれないという感覚でしたね。
竹熊さん、ごめん!

あ、最後に笑ってもらえるかも知れない話を書いておきますね。
手塚真さん、るみ子さんには面識があります。
もう、ずいぶん前ですが、手塚真さんに「手塚治虫先生は多くの大傑作をお残しになった。しかし・・・、手塚治虫が残した最大の駄作は手塚真さん、あなたです!」と言ってしまって、まわりがどん引きしたことありました〜〜っは。

宅八郎宅八郎 2009/05/14 17:16 追記
「唐沢俊一検証LIVE」というイベントをもし開催するのであれば、ですが。
ボクは現在は音楽活動をしているので、唐沢俊一の声・発言などがサンプリングできるのであれば、「唐沢俊一RAP」という音源をリミックスしてみたいです。加えて、合いの手で「岡田斗司夫ボイス」も欲しいなあ〜。

それをテーマ曲として流したいですね〜♪

何年も見ていなかったために、去年、ボクはテレビを人にあげてしまって家には何の役にも立たないDVD+HDDレコーダーがあるだけで、テレビ見ない人間なのです(自分が出たテレビさえ見れない)。唐沢俊一出演番組もチェックできないんです。

どなたか、唐沢俊一名言の音声をお持ちでしたら、ご提供下さればありがたいです(MP3やAACでも良いですが、可能であればWAVやAIFFが音質的にうれしいです→アップロード&ダウンロードでも良いです)。

以下がボクに到達可能なメールアドレスです。
apple.mayumi.love.takuhachiro@gmail.com

kensyouhankensyouhan 2009/05/14 19:59 コメントありがとうございます。

>新宿アニメランド
そうです。紀伊國屋ホールで行われています。
唐沢俊一は阿佐ヶ谷の下宿に入ったのと同じ日に紀伊國屋ホールのイベントに参加したと本で書いていますが、おそらくこの「新宿アニメランド」のことでしょう。そして、その次に御茶ノ水で行われたアニドウのイベントで長文の感想文を渡して入会したとか。

>唐沢俊一が手塚治虫について書いた本
「本」と呼べるほどしっかりしたものは書いていないですね。あちこちでちょこちょこあてこすりをやっているだけで。でも、どうして唐沢が手塚を嫌いなのかは結局のところよくわかりません。「ぴあ」で批判されたとカンチガイしたせいなのか、「俺はあの手塚治虫とやりあったんだぜ!」とハッタリをかましたかったのか。

>唐沢俊一検証LIVE
テーマ曲を作っていただけるのはありがたいのですが、どんなイベントにしたらいいのか。…ってすっかり開催することになってますねw まあ、今後の盛り上がり次第では検討してもいいかなあ、と思います。唐沢か唐沢と親しい人をゲストで呼べればいいなあ。