Hatena::ブログ(Diary)

唐沢俊一検証blog

2009-06-22

How Deep Is Your Gase.

20:41

邦題『ガセはからさわの中に』。


 『パチスロ必勝ガイドNEO』8月号に掲載されている唐沢俊一エンサイスロペディア』第27回ではサタデー・ナイト・フィーバーが取り上げられている。


 パチンコの大当たりを“フィーバー”と呼ぶ、その語源が1978年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』である。

 『サタデー・ナイト・フィーバー』は1977年に製作された映画である。日本公開が翌年の78年。

リズムアンドブルースの名曲にも『フィーバー』というのがあるが、非常に抑えた感じの曲で、どちらかというと“微熱”的な意味合いであった。それが、いきなり大当たりのお祭り騒ぎを指す言葉として日本に定着してしまったのは、この映画の影響がいかに大きかったか、を表しているだろう。

 “Fever”はオーティス・ブラックウェルが別名義で作った曲(エディ・クーリーと共作)で、1955年にリトル・ウィリー・ジョンが歌ってヒットしている。その後、ペギー・リーやエルヴィス・プレスリーがカヴァーしたことでも知られている。なお、ブラックウェルはプレスリーの『冷たくしないで』やジェリー・リー・ルイスの『グレート・ボールズ・オブ・ファイアー(火の玉ロック)』を作詞・作曲したことでも知られている。しかし、“Fever”の歌詞を読む限りでは「“微熱”的」と言えるかどうかは疑問である。

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 だが、フィーバーするという言葉が完全に日本語化した現代の目で、もう30年も前のこの映画を観ると、ちょっと意外の念に打たれるはずだ。

 この映画は、必ずしもディスコでのダンスに青春を打ち込むトラボルタ(主人公のトニー青年)の姿を肯定してはいないのである。そこらへんは社会派であるジョン・バダム監督の面目躍如だ。彼が働くのは、ニューヨーク下町ブルックリンのペンキ屋である。ブルックリンマンハッタンとは橋一本でつながっているものの、高級住宅街のマンハッタンとは世界が違う、暗く貧しい市街である。トニーはブルックリンでの鬱屈した青春のハケ口を、マンハッタンディスコで、日常の自分とは全く異なるディスコ・キングとしてスポットライトを浴び、喝采を受ける。

 だが、トニーはインテリの彼女と出会うことで自らの真の姿を見つめることの大事さに目覚め、虚飾の存在に別れを告げることを決意する、というのが映画のストーリーなのだ。なかなか苦みを含んだテーマを持つ話なのである。

…うーん、どうしたものかなあ。ひとつひとつ説明していくか。

 まず。ジョン・バダムは社会派なのだろうか。彼のフィルモグラフィーを見てみると…、『この生命誰のもの』は社会派なのだろうが、基本的には娯楽映画の人なのではないか。『ブルー・サンダー』『ウォー・ゲーム』『ショート・サーキット』とはいい感じだがw ちなみに、彼の妹は『アラバマ物語』の子役として知られているメアリー・バダム。

 次。トニーが通っていたディスコ地元ブルックリンにある“2001ODYSSEY”という店。DVDのコメンタリーでジョン・バダムは「トニーたちは貧乏だからマンハッタンディスコには行けない」と言っている。

 そして、ストーリーの説明がヘン。「インテリの彼女」ってどうして名前も挙げないのかウィキペディアを参考にしたのだろうか。

ニューヨークのペンキ屋で働くトニーは、変わりばえのない毎日の生活にうんざりしていた。彼の生き甲斐は土曜日の夜(サタデーナイト)にディスコで踊り明かすことだけ。ある日、ディスコで年上の女性ステファニーに出会う。インテリで自立しており、将来設計を持つスティファニー原文ママ)に影響されたトニーは、自分の生き方を考え直すようになる。

 しかし、ウィキペディアの説明は若干言葉が足りない。『サタデー・ナイト・フィーバー』では家庭、貧富、人種といった様々な問題が出てくるのだ。そして、ダンス・コンテストでの不正や友人の死によってトニーは「自分の生き方を考え直すようになる」わけである。ちゃんと見ていればそのことはわかるはずなのだが。

 しかし、日本においては、そのような作品テーマは全くと言っていいほど目を向けられなかった。逆に、ディスコに白ずくめのファッションに身を包んだトラボルタもどきを大量に出現させ、セクシーに腰を振るダンスを大流行させた。フィーバーという英語は、日本ではバカ騒ぎの大盤振る舞い、といった意味になり、やがてこの意味でパチンコに転用されて定着していく。

 日本でも『サタデー・ナイト・フィーバー』のテーマはしっかりと理解されている。『キネマ旬報増刊 世界映画作品記録全集1979年版』P.44より。筆者は渡辺祥氏。

ドロップ・アウトすら出来ずに、何かを求めてウツウツとする七〇年代の若者が自立に目覚める一種の青春映画であり、その根底には、失業や人種間対立などの問題意識が流れている(以下略)

双葉十三郎『ミュージカル洋画ぼくの500本』(文春新書)P.132より。

下層的なブルックリンと上流的マンハッタンディスコに集る(原文ママ)若者たちの人種問題とならんで、この映画に盛りこまれた興味深い要素である。

「目を向けられなかった」と思っているのは唐沢のチェックが甘いからだろう。

 それから、1978年といえば、唐沢俊一青山学院大学の学生だったわけで、当時のディスコブームを実際に知っているのではないか?と思うのだが…。

 ……これは日本人が理解度の低い、まじめなテーマを受け入れようとしない軽薄な国民であることを意味するのだろうか?

 私は必ずしも、そうではないと思う。

 78年という時代は、まだバブルという言葉すらなかった時代だが、日本経済は順調な成長を続け、日本人が太平を謳歌していた時期だった。この年に、あの『スター・ウォーズ』第一作が公開され、一方で『さらば宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットでオタク文化というものが勃興したのもこの年である。

 『サタデー・ナイト・フィーバー』のテーマが日本では理解されなかった、というのが全くのウソだった時点で腰がヘナヘナになってしまうのだが、またしても『ヤマト』について適当なことを書いているので腰がゲル状になってしまう。むぎゅうううう。

 単純に考えてみてもすぐにおかしいと気づくのだが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』は宇宙戦艦ヤマト』の映画版第二作である。つまり前作がヒットしなければ製作されなかったわけだし、『ヤマト』の再放送を求めたファンたちの行動は「オタク文化」にはつながっていないのだろうか。

 さらに大きな変化は、日本歌謡が、この年あたりを境に大きく様変わりをしたということだ。それまで主流だった“情”の世界と“怨”の世界を歌う演歌、艶歌が衰退し、サザンオールスターズ(この年デビュー)のようなポップスが一世を風靡した。なにより歌謡番組ではピンクレディーが全盛で、日本風な旧来の伝統を文化の範疇で徹底的に改変しつつあったと言える。

 1978年は確かにピンクレディーの全盛期で演歌はパッとしなかったのだが、翌79年になると、小林幸子『おもいで酒』、八代亜紀『舟唄』といったヒット曲が出ているほか、千昌夫『北国の春』、村木賢吉『おやじの海』がロングセラーとしてヒットしている。歌謡曲の変遷を語るのならグループ・サウンズやフォークも関連させて書くべきであって、唐沢の書き方は乱暴である。

 あと、桑田佳祐青学出身なんだから、当時青学の1年生だった唐沢はそのことに触れたらいいのに。

 もちろん、改革というものは、旧勢力の強い抵抗にあう。そのことは、オタク文化を広めるための運動に関わっていた私が実体験済みである。事情は歌謡界、他の文化界においても同じだろう。

…えーと、唐沢俊一がどんな「オタク文化を広めるための運動」をしていたのか、どんな「旧勢力の強い抵抗」に遭ったのか、さっぱりわからないんだけど。そんなこと、今までに書いたり語っていたりしてたっけ? 札幌アニソンのサークルにいたときも抵抗されたとか書いてなかったと思うけどなあ。

 世間の人々は、旧文化のワク組みをぶち壊すにあたって、自分たちを鼓舞するような、ノセてくれるような、エネルギーを与えてくれるような何かを求めていた。『サタデー・ナイト・フィーバー』のディスコ・ミュージックに、人々はその要望を託したのではないか、と私は思う。

 いわばこの映画のディスコ・ダンスは、明治維新の際の“ええじゃないか”に相通じるものがあるのではないか、と思う。理性や理屈では世の中を変えられるのは、そういうものを超越した闇雲なパワーだ。ちょうどアメリカからやってきたこの映画の、能天気なパワーをその改革に利用したのだと思う。

 日本のパチンコ、パチスロ業界もまた、70年代後半に大きな変化を遂げた。いま現代のパチスロ文化を享受しているわれわれだが、たまには30数年前の、大きな変革の波を、この『サタデー・ナイト・フィーバー』台をプレイすることで追体験してみてはいかがだろうか。

 「ええじゃないか」と明治維新を関連させることは有り得るとしても、サタデー・ナイト・フィーバー』がヒットした後で一体どのような「改革」が日本であったというのか。ディスコが「ええじゃないか」ならパラパラだってYOSAKOIソーランだってオタ芸だって同じように「ええじゃないか」になってしまうのでは。ダンスや踊りは「ええじゃないか」にしとけって感じなのだろうか。粗雑な分析というほかない。


 『サタデー・ナイト・フィーバー』というのは語ろうと思えばいくらでも語ることのできる映画である。たとえば、『ウエストサイド物語』と関連させて人種問題を語るとか、トラボルタが『パルプ・フィクション』で復活した話とか(ユマ・サーマンと踊るシーンはあまりにも有名)、スタローンが続編を監督しているとかいくらでも語れる。トニーの部屋に貼られているポスターだけでも結構話を膨らませられるくらいだ(『ロッキー』、『燃えよドラゴン』のブルース・リー、『セルピコ』のアル・パチーノ、そしてファラ・フォーセット)。…っていうか、『サタデー・ナイト・フィーバー』を取り上げておきながら、ビージーズのことが一言も出てこないってどういうことなんだ? 

…『エンサイスロペディア』を取り上げるたびに「ここまでひどい記事はない」と思っているのだが、毎月コンスタントに最低記録を更新しているのは凄いと思う。どこまで落ちていくのか、逆に楽しみになってきた。

※追記 discussaoさんのご指摘に基づき訂正しておきました。


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藤岡真藤岡真 2009/06/22 21:01 >もちろん、改革というものは、旧勢力の強い抵抗にあう。そのことは、オタク文化を広めるための運動に関わっていた私が実体験済みである

 『ぴあ』投書欄で、手塚治虫、松本零士と論争し、叩かれたという大嘘のことでしょう。

O.L.H.O.L.H. 2009/06/22 21:23  ディスコなんかに行く男も女も、ふふふ、不良だ!と、上京したてで友達もおらず、東京の片隅のこじんまりしたアパートで一人悶々と過ごしていた唐沢青年、きっと冷静に見られなかったんです。
 察してあげましょう…(;_;)

garo13garo13 2009/06/22 21:31 ご無沙汰しています。
以前、パチスロの話題の時に書き込みさせていただきました者です。

それにしても唐沢氏は相変わらずですね。

>フィーバーという英語は、日本ではバカ騒ぎの大盤振る舞い、といった意味になり、やがてこの意味でパチンコに転用されて定着していく。

パチンコで「フィーバー」という言葉が使われるようになったのは「CR機(カードリーダー機)」が登場してからですが、日本で最初のCR機が登場したのは1992年で、ブームを引き起こしたのは複数のメーカーの機種が出て来た翌年の1993年以降です。
実際にホールのアナウンスで「フィーバー」という言葉が多用されるようになったのは、私の記憶が正しければ、1994年、1995年くらいからだったと思います。
これは映画「サタデーナイトフィーバー」の公開から17〜18年も後のことであり、すでに世の中に「フィーバー」という言葉が定着していた時代です。

唐沢氏は「パチンコに転用されて定着していく」と書いていますが、「すでに定着していた言葉をパチンコ業界も利用した」というだけの話です。
薄っぺらなパチンコやパチスロの知識しか持たない唐沢氏が、何とかパチスロ雑誌のコラムの文字数を埋めるために、「フィーバー」という単語があたかもパチンコによって一般化したという自論を捏造して、強引にまとめているだけのおかしな文章です。

何よりも無理を感じるのは、今回の「サタデーナイトフィーバー」という新機種が「パチスロ機」であるのに、それを何とか「パチンコ」の話に結びつけようとしている点です。
唐沢氏は最後のまとめとして、

>日本のパチンコ、パチスロ業界もまた、70年代後半に大きな変化を遂げた。いま現代のパチスロ文化を享受しているわれわれだが、たまには30数年前の、大きな変革の波を、この『サタデー・ナイト・フィーバー』台をプレイすることで追体験してみてはいかがだろうか。

と書き、何とか体裁を整えていますが、1970年代後半に「手打ち」から「自働打ち出し」に進化したパチンコはともかくとして、1977年に日本で初めて0号機が登場したパチスロに関しては、市民の娯楽として一般に広がったのが数年後の1980年代であり、「パチスロ業界」には「70年代後半に大きな変化を遂げた」などという事実はありません。
結局、「サタデーナイトフィーバー」→「フィーバー」→「パチンコ」という軽薄な思いつきだけで書いた文章を体よくパチスロ雑誌用に仕上げただけ、と思わざるをえません。

TOSHITOSHI 2009/06/22 21:31 いつも楽しく拝見しています。

>『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』は『宇宙戦艦ヤマト』の映画版第二作である。つまり前作がヒットしなければ製作されなかったわけだし、

これは少し勇み足のご指摘ではないでしょうか。『さらヤマ』はその後20年近く、劇場アニメ配収日本一を誇っていた作品で、劇場『ヤマト』など及びもつきません。このヒットを基点にオタク文化を語るのはひとつの見方として間違っていないと思います。

アニメブームやオタク文化の始まりを考えるとき、基準となる出来事はいくつかあって、1976年の「劇場『ヤマト』の公開で行列ができた」時点とする見方がある一方、1978年の『さらヤマ』『スター・ウォーズ』等のビジュアルSFブームのヒットを基点とする見方もあるでしょう。

唐茄子唐茄子 2009/06/22 21:44 >78年という時代は、まだバブルという言葉すらなかった時代だが、
>日本経済は順調な成長を続け、日本人が太平を謳歌していた時期だった。
この人は第二次オイルショックを知らないんでしょうか?
1978年夏頃から深夜のテレビ番組が1時台で終了したとか、ネオンの自粛があったとか、1979年にはガソリンスタンドが日祝日前面休業になったとか、全然順調じゃなかったんですけどね。唐沢より若い自分だってその事は経験として覚えているのに。

『サタデー・ナイト・フィーバー』に関して言えば、この数年まえからディスコは世界的に大ブームでそれに乗るような感じで映画が登場したような印象です。ディスコの歴史なんかは唐沢は知らないのでしょうが。
あとトラボルタが続いて『グリース』というオリビア・ニュートンジョンと共に高校生を演じるという無茶なダンス映画に出演したとか、かつて『小さな恋のメロディ』の主題歌を歌ってたビージーズがブームに乗ってあんな曲を歌っていたとか。
個人的には便乗してグループ名を『フィーバー』と名付けた1979年デビューのキャンディーズのエピゴーネングループが好きでした(まったく関係ない話)。
他には1978年放送の水谷豊主演「熱中時代」の主題歌「僕の先生はフィーバー」、演歌の大御所・三橋三智也がトラボルタのマネをしてカップ麺「激めん」のCMで「フィーバー」を日本語に訳し「激れ!激れ!」とパロディをやっていたとか、パチンコに流用される前に充分定着していた言葉ですよ。
というか、パチンコはそんなに世間に対して影響力がないのでパチンコ機に使われて定着なんてデタラメも良い所。普通にパチンコと縁がない子供達にも定着していた言葉です。

粗忽亭主人粗忽亭主人 2009/06/22 22:47 フィーバーということばがパチンコによって定着したかどうかはともかく、

> パチンコで「フィーバー」という言葉が使われるようになったのは「CR機(カードリーダー機)」が登場してからですが、日本で最初のCR機が登場したのは1992年で、ブームを引き起こしたのは複数のメーカーの機種が出て来た翌年の1993年以降です。

というのはちょっとちがうと思います。
Wikipediaの「フィーバー (パチンコ)」の項目参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC_(%E3%83%91%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B3)

現に1980年代に大学をサボってパチンコに通っていたわたしなどは日常的に耳にしていたことばでした。

tochicatochica 2009/06/22 23:01 翻訳を生業としていますが、feverを「微熱的」などと訳したら職が危うくなります。感情について用いられるfeverはintense emotion「激しい感情」「極度の興奮状態」の意味であり、体の熱について用いられる場合の多くは(文脈によりますが)「高熱」の意味です。
オーティス・ブラックウェルの「フィーバー」は抑えた曲調でそうした激しい情熱を歌っているのであって、「サタデイ・ナイト・フィーバー」はそれをアップテンポで歌っているに過ぎません。
私は唐沢氏と同年生まれですが、ディスコブームは高校時代から相当に盛り上がってましたよ。ディスコの好きな子たちは学校にステップの足型が載っている雑誌を持ってきていて休み時間や放課後に練習していました。私がディスコに行くようになったのは大学時代からですが、そのときには相当出遅れた感じがしたものです。みんなもう、上手くて。

Meitei,S.Meitei,S. 2009/06/22 23:30 >フィーバーという英語は、日本ではバカ騒ぎの大盤振る舞い、といった意味になり

という書き方が、いまいち気持ち悪いです。そもそも英語の「fever」には「興奮状態、激情」という意味があるんだから、語義が大きく変わったわけではあるまい、と。

「多義語であるfeverが日本ではバカ騒ぎの大盤振る舞い、といった意味のみで使われるようになった」ということを言いたいんだろうけど、読んでてどうも引っかかります。こんなことをいちいち気にしてたら、唐沢先生の文章は読めないのかな。

そういえば、けいおんのOPで4人がステイン・アライブごっこ(ビージーズのPVの方)してるように見えるのもやっぱり気にしすぎ、ですかね。

savemangasavemanga 2009/06/22 23:38 >もちろん、改革というものは、旧勢力の強い抵抗にあう。そのことは、オタク文化を広めるための運動に関わっていた私が実体験済みである。事情は歌謡界、他の文化界においても同じだろう。

本当にどの口が言うか、としか思えませんね。
「宮崎勤事件をきっかけに始まったオタクバッシング」に対し「反対なんかやるより頭を下げてやり過ごせば嵐は過ぎ去る」なんてことを平気で言ってましたし。
この唐沢の主張は「唐沢理論」としてオタクの間では知られてますが、伊藤剛氏が協力しているというだけでマンガなどの規制反対運動をバカにしてるのが見え見えでしたから。
唐沢のそういった発言はイベントでも繰り返し行われていたようです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/648/1040796290/133

通りすがり4号(ピンク)通りすがり4号(ピンク) 2009/06/22 23:58 >1978年の『さらヤマ』『スター・ウォーズ』等のビジュアルSFブームのヒットを基点とする見方もあるでしょう。

俺は「さらヤマ」などという略し方をする奴にしたり顔で語ってほしくない。それに「前作がヒットしなければ製作されなかった」というのは勇み足ではない。

金平糖金平糖 2009/06/23 00:43 パチスロはほとんど知らないわけですが
パチンコでフィーバーという言葉が使われたのは
1980年三共フィーバーではないかと
パチンコ界に一大改革をもたらした機械ですね
個人的にはパチスロのフィーバーはこれから来てると思ってたんですが
パチスロのほうが先だったんですかね?

フィーバーという言葉自体は78年に大流行して
フィーバーという言葉がフィーバーしてましたね

garo13garo13 2009/06/23 04:19 >粗忽亭主人様

そうですか。
私も80年代からパチンコ、後にパチスロに通うようになりましたが、私の通っていたホール(渋谷、新宿、四谷、池袋など)では、ホール内のアナウンスで「フィーバー」という言葉を連呼するようになったのは、90年代になって「ミラージュナイト」や「アメリカンドリーム」などのCR機が登場してからで、もっとも連呼するようになったのが90年代半ばに「ギンギラパラダイス」や初代の「大工の源さん」など爆発力のある機種が登場してからだったと記憶しておりました。

確かに80年代の元祖フィーバー機の時代にもアナウンスで「フィーバー」と言っていたとは思いますが、「連呼」するほどではなかったように思います。
ご指摘のウィキペディアの中にも書かれていますように、「フィーバー」は三共の登録商標であり、他メーカーは三共の「フィーバー」に対抗して「ブラボー」「パニック」「ターボ」「エキサイト」などの呼び名を使っていたため、当時は1メーカーの登録商標だけを連呼していたとは思えません。
うっすらとした記憶からの発言で申し訳ありませんが、当時は「フィーバー」だけでなく、「132番台、ブラボー!」とか「258番台、大パニックのスタートです!」とか、他メーカーの名称も同じように使っていたと思います。
そして、どのメーカーのどんな機種が大当たりを引いても「フィーバー」と連呼するようになったのは、90年代に入って何十箱も積める爆発力のある機種が登場してからだったと記憶しています。

私の記憶違いであれば申し訳ありません。

てつてつ 2009/06/23 04:23 いつも楽しく読んでいます。

引用だけを読めば、前半では断定。
その後「いえる」「だろう」で、後半は「思う」「思う」だ。
腰砕けも甚だしい、という意見は、事実であった、といえそうだ。
実際そのような憶測が、巷にあっただろう、と私には思える、と思ったんです。それだけです。

私は唐沢氏と同年代ですが、80年代は「羽根物」全盛でした。
ドラムが廻る機種が大半を占めて,止めたのが85年くらいかな。
私も唐沢氏なみに記憶が薄いのでなんともですが。
「熱中時代」の歌詞を見る限り「熱風」くらいな意味でしょうね。
まず日常会話で使いません、日本語化なんかしてませんよ。

通りすがり5号通りすがり5号 2009/06/23 07:04 ダンスで戦うバトルフィーバーJってあったよね。
ヘッダー指揮官の潮健児が途中降板したという曰くつきの番組です。

個人投資家個人投資家 2009/06/23 07:27 「サタデー・ナイト・フィーバー」の原作は1976年ニューヨーク誌に実話として掲載された記事ですが、1977年に創作(ガセ)とばれました。

 このことになぜ触れないんだろうな

minomino 2009/06/23 07:41 たまたま海外滞在中に風邪で高熱が出たとき、
"I have fever"で意味が通じたようですので、
微熱はありえないでしょう。高熱です。

もっとも、私もそのとき初めて「フィーバー」ってそう意味だったんだと知ったのですが。

藤岡真藤岡真 2009/06/23 08:02 >garo13様
>粗忽亭主人様

元祖フィーバー機で7が三つ揃うこと(777)をフィーバーと呼んでいましたね。唐沢が言っているのは1980年のそのことだと思います(多分CR機になってからパチンコしたことはないんじゃないかしら)。

SerpentiNagaSerpentiNaga 2009/06/23 11:36 へー。「フィーヴァー」って「微熱的」って意味なのかあ。
じゃあクライヴ・バーカーの「フィーヴァー・ドリーム」は「微熱の夢」だったんだー。
カラサワ先生は博識だなあ。さすが史学博士の原田実が
「シェイクスピア以来」と絶賛するだけのことはあるなあ。(以上棒読み)

……それはさておき、養護教諭が副業の某巫女さんが、
「わたしとてなうなやんぐじゃ。
でぃすこでふぃーばーしてなにが悪い!」(うろ覚え)
とのたまったのは何年代のことでしたか。

grinsekatzegrinsekatze 2009/06/23 12:34 >SerpentiNaga様
クライヴ・バーカーではなく、G・R・R・マーティンなのでは?
まあ、どちちにせよ唐沢大先生は読んでないでしょうけど。

傍聴人傍聴人 2009/06/23 12:46 >もちろん、改革というものは、旧勢力の強い抵抗にあう。
>そのことは、オタク文化を広めるための運動に関わっていた私が実体験済みである。

岡田と一緒になって「今のオタクは」と“強い抵抗”をしたということですね?

粗忽亭主人粗忽亭主人 2009/06/23 13:39 >garo13様
>藤岡真様

たしかにいわゆるスリー7のことをフィーバーとよんでいた記憶があります。
フィーバーは三共の登録商標なのでしょうが、他社のものでもこの手の機種は通称「フィーバー」で通っていたように記憶しています。ソニー以外の携帯ステレオでもウォークマン、ヤマハ以外の電子ピアノでもエレクトーンと一般的によばれていたように。
garo13様がおっしゃるようにホールのアナウンスではフィーバーを連呼してはいなかったように思います。わたしの記憶では「198番台、スタート」というのが普通だったような。
なお、わたしがパチンコをやっていたのは80年代の一時期だけですので、その後についてはよく存じません。まあ、80年代でもフィーバーというパチンコ用語はあったよ、という程度の意と御理解ください。

儒学者儒学者 2009/06/23 16:44 78年発売の演歌には、(ヒットしたのは翌年からみたいですが)280万枚を売り上げた渥美二郎の「夢追い酒」もありますよ。

SerpentiNagaSerpentiNaga 2009/06/23 18:55 >grinsekatze様

>G・R・R・マーティンなのでは?

うわぁそうでした間違えた!
恥ずかしい!!

……あまりの恥ずかしさに私もフィーヴァー(発熱)してしまったので、ちょっと緊急入院してきます。
コンパニオン・アニマル・クリニックへ。

ブラックウッドブラックウッド 2009/06/23 20:27  かの「ロードス島戦記」でドラゴンがばら撒く疫病に「ドラゴン熱」(ドラゴン・フィーバー)というのがあったのを思い出しました。グループSNKの皆さんは未翻訳のゲーム暦の方が長かったらしいので、英語サプリか何かに似たようなルールがあって、それを参考にしたのかもしれません。
 ま、英語で「熱」の意味はとりあえずあるのかなあ…とぼんやりおもったもので。すんません。

おやぢおやぢ 2009/06/23 23:55 >SerpentiNaga様
うる星やつらのサクラ先生のセリフですね。連載当時からのファンですのでうろ覚えですが、初期のエピソードでしたのでたぶん70年代の話だったと記憶してます。

discussaodiscussao 2009/06/24 07:10 >“Fever”はオーティス・ブラックウェルが別名義で作った曲(ジョン・クーリーと共作)で、1955年にリトル・ウィリー・ジョンが歌ってヒットしている。
↑たぶん「ジョン・ダベンボート(O・ブラックウェルの別名義)&エディ・クーリー」の(いわゆる)ケアミスなんでしょうね・・・。あるいはジョン・ルーリーとゴッチャになってしまったのかな?

唐沢俊一の記述はどうでもいいけども、<「“微熱”的」と言えるかどうかは疑問である。>とするkensyouhanさんの記述については、「ん〜・・・そうかあ・・・」みたいな感情を抱きます。もちろん音楽はどう感じてもいいのですが。
ピーター・バラカンが『魂(ソウル)のゆくえ』の中で「恋にしびれて」(リンド&リンダースではなくてAll Shook Upのほうね)の歌詞に触れており、O・ブラックウェルの歌の革新性を強調しておりました。「フィーバー」にしても(歌の内容は熱病であっても)ロミオとジュリエットが出てきたりして、ストレートなR&Bの歌詞とは違い<非常に抑えた感じの曲>というイメージを私は持っています。そしてかつてブルースのお勉強のために読んでいた鈴木啓志も、おおむねそんな紹介の仕方でした。音楽スタート時のアイドルがシンギング・カーボーイのテックス・リッター(「ハイ・ヌーン」のオリジナル)という人ですので、ピーター・バラカンが褒めていることもあわせ、ファンクの先駆的な人といった扱いだったようなカンジでした。
なおオリジナルのリトル・ウィリー・ジョンのバージョンは、ジェームス・ブラウンが先生と慕うだけあって、1955年にしてかなりソウルフル。といってもボビー・ブランド、アル・グリーンやO・V・ライト的なコントロールされた唱法の原型であり、わかりやすくいうとリトル・リチャードやレイ・チャールズなどの直情的な歌唱法と比べ<非常に抑えた>印象があります。
てなワケで、よく引き合いにだされるザ・フーばかりでなく、<洗練されたブラック・ミュージック>もたまにはどうでしょうか?というコメントでした。

kensyouhankensyouhan 2009/06/24 11:05 コメントありがとうございます。

>藤岡さん
あれが「運動」なら2ちゃんの荒らしだって「運動」でしょうね。

>O.L.H.さん
まあ、自分もクラブやディスコに行ったことはない(たぶん)ので、気持ちはわからなくもないです。しかし、それだったら、当時のブームに乗れなかったことを書けばいいと思うのですが。

>garo13 さん
パチスロについては「0号機」のことなのか?とも思いました。そう考えないと、唐沢俊一のプロフィールに「大学時代はパチスロの鬼だった」とあるのも通らなくなってしまうんですけど。

>TOSHIさん
『さらば宇宙戦艦ヤマト』が大ヒットしていたとしても、前作がヒットしなければ第二作が作られなかったことには変わりが無いと思います。
それから、唐沢俊一は今までに1978年をオタク文化の起点とする見方を取っていないはずです。

>唐茄子さん
78年の経済事情については本に載せるときに追記しておきます。こんなに間違いだらけなんだから本に載せないとw 
唐沢も唐茄子さんくらい当時のことを書いてくれればよかったんですけどね。勉強になりました。

>tochicaさん
「微熱」は“slight fever"ですかね。 

>Meitei,S.さん
「アッ、アッ、アッ、アー、ステイン・アライブ、ステイン・アライブ」でビージーズの3人が廃墟から顔を出すのと、軽音部の4人が水路閣(レンガのアレ)から顔を出すのが似てますね。
最初の学園祭で流れたPVはラルクの『ドライバーズ・ハイ』っぽかったですが。
…しかし、来週から何を生きがいにすればいいんだorz

>savemangaさん
あー、ありましたね「唐沢理論」。いずれ検証してみよう。
しかし、そこでも伊藤さんがからんでいるんですか。ここまで来たら「片想い」に近いな。

>てつさん
ディスコ・ブームと「ええじゃないか」を結びつける珍論を書かなくてもネタは山ほどあったはずなんですけどね。

>通りすがり5号さん
『星を喰った男』でも『バトルフィーバーJ』降板の件は出てこないんですよね。まあ、唐沢は見てないんでしょうけど。

>個人投資家さん
そもそも「原作」があったことも知らないんじゃないかと。

>minoさん
自分も道を歩いていると外国人によく話しかけられるので今度試してみます。京都のお寺に行った時も外国人用のリーフレットを渡されたから、外国人に見えるのかなあ。

> SerpentiNagaさん
『血の本』シリーズを読み返したいですね。あとルマルシャンの箱を開けたり鏡に向かって「キャンディマン」と5回唱えたり。

>傍聴人さん
もはや唐沢俊一は「旧勢力」ですよね。

>儒学者さん
1979年のオリコン1位になってますね>『夢追い酒』
この点も本にするときに追記しておきます。

>ブラックウッドさん
山本会長はディードリットをやったんですよね。

>discussaoさん
「エディ・クール」については訂正しておきました。
“fever”について自分は歌詞の内容から「“微熱的”と言えるのかどうか疑問」と書いたのであって、曲については判断を保留しておきました。リトル・ウィリー・ジョンの方も一応聴きましたけど。
THE WHOは2回くらいしかネタにしていないと思いますけど、もっと書いていましたかね? たぶん音楽ネタで一番多いのは筋少だと思いますけど。モータウンが好きなのでブラック・ミュージックもいろいろ聞きたいんですけどね。

discussaodiscussao 2009/06/24 23:27 Eddie Coolっていうのはヒップホップ系の人なんでしょうか?よく知らないなぁ。

私が知っている「フィーバー」の共作者Eddie CooleyはEddie Cooley and The Dimples名義のシングル「PRISCILLA」なんかをリリースしてるR&Bシンガーでコンポーザーのひとですが・・・
コメントが多い回なんかは大変だと思うんで、私のような傍系の話題は無視していただいてもけっこうですよ。お体をたいせつに。

kensyouhankensyouhan 2009/06/24 23:37 コメントありがとうございます。

また訂正しておきました。
いや、記事の中にリンクを貼った“Fever”の歌詞には“Eddie Coole”とあったのでそれに従ったまでです。たぶん「エディ・クール」と読むんだろうなあと思って。まあ、検索をかけたら仰る通り“Eddie Cooley”みたいなので「クーリー」に直しておきました。そちらこそお体を大切になさってください。