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唐沢俊一検証blog

2009-07-02

小室直樹も小諸諸島でも持ってねぇ。

06:47

なんだお前も唐沢マニアか それなら最初に言ってくれよ

この前中野で見つけたんだよ ガセとパクリの専門店を


 卓球と瀧のしゃべりの面白さは世界一なんじゃないかと思いつつ、唐沢俊一博覧強記の仕事術』(アスペクト)第2章の続き。

 唐沢俊一「最も良質な情報を得られるのは「本」である」としている。P.63より。


 「本」というものは、一番、効率的、効果的に情報や知識や見識を広めることを可能にする媒体である。また、映画も本と並んで、優れた媒体である。それらを教養の基礎に置くのはごく当然、自然なことである。

 なぜ、本や映画が良質な情報を持つのかというと、それは媒体の持っている「規模の自浄作用」と言うべきものの結果である。ネットや携帯電話の情報と異なり、本や映画というのは、発信するだけで大変なコストを必要とする。それだけに、何でもかんでも発信するというわけにはいかず、さまざまな基準で情報を選別し、選ばれたものだけが本や映画となり、読者や観客に届くわけだ。規模が大きい媒体だけに、その自浄作用で、良質な情報が優先して発信されることとなる。

 正直に言ってこの話を信じることはとても出来ない。何故なら、唐沢俊一のガセとパクリだらけの本を何冊も読んできたからだ。本当に「自浄作用」がはたらいているのなら、あんな本が何冊も出版されたりはしない。そして、この『博覧強記の仕事術』も「自浄作用」がはたらいているとは思えない惨状を呈しているのである。本というものはずいぶん簡単に出せてしまうものなのかもしれないと思ったりして、出版業界への信頼が若干薄れてしまったのだが。それに手前味噌で恐縮だが、当ブログの方が唐沢の本よりは「自浄作用」がはたらいている。多くの方々のご指摘によって、自分の記述に訂正と補足が加えられ、より適切な内容へと変化していっているからだ。ネットだからといってバカにしたものではない。

P.64より。

 本というのは、良質な情報が簡便な形でパッケージされており、しかも手軽に購入することができる。

 「大人の勉強」の基本は、本を読む、というのが一番手軽でためになるのだ。いささか古典的であるが、事実なのだから仕方ない。これはネットの時代になり、電子的媒体がどれだけ普及しても変わらない。むしろ、ネットの普及で本を読む人間が減り、今後は本を読む(=博覧強記人)と、ネットでしか情報・知識を得ない人に完全に二分されるような気がする。

 個人のブログやサイトから盗用をくりかえしている唐沢俊一は「ネットでしか情報・知識を得ない人」の方だろう。「ちゃんと原典にあたれ」って何度書いたっけなあ。原典にあたらないせいで間違いも多くなってしまったわけだからね。

P.64〜65より。

 もちろん、ネットで情報を手っ取り早く得るということの利点は限りない。しかし、ネットの弱点もまさにそのコンビニエンスなところにある。ネットで得た情報というのは、基本的に頭の中に、区分なく記憶されていく。重要度による区分けというものがない。早い話が、お総菜の胡麻よごしの作り方と、国際政治における外交理論といったものが、ランダムに頭の中に入ってくる。整理がつかないのである。

 意味がわからない。お総菜の作り方と外交理論がゴッチャになるって、筒井康隆『亭主調理法』じゃないんだから。それはネットの問題じゃなくて記憶する側の問題なんじゃないかと思う。

 なお、この続きで、コナン・ドイル『獅子のたてがみ』から「私の頭は言わばごたごたした収納部屋みたいなもので、ありとあらゆる荷物がその中に収蔵されている−あんまりにもたくさん詰めこんであるので、何を入れたかぼんやりとしか思い出せないことになっても無理はない」というホームズの言葉が引用されているのだが、出典が明記されていないのでネット上から拾ったんじゃないのか?と思ってしまう。「ネットより本が優れている」という話をしているのだから気をつけて欲しいところだ。

P.66〜67より。

 ネットの情報や知識はそれが画一された画面、画一された字体でしか読むことができない。それを脳の中に記憶するとき、自分でその区分けを意識して行わないと、それこそ惣菜のレシピと外交理論がごっちゃになってしまう。本による知識もそれは変わらないが、しかし、本の場合、本そのものの造りで、まずこちらに無意識のうちの区分けを可能にさせるのである。岩波の本に書いてあった知識は、正統派だろうがちょっと堅苦しい、カッパブックスに書いてあった知識は通俗だが時に鋭かったりする、といった色分けを、皆さんも普段何気なしにやっていることだろう。ネットで得た知識が緊急の際に役に立たないのは、このフィルターがないからなのである。せいぜいが“2ちゃんで得た知識は下手にひけらかすと火傷をする”というくらいの分類がある程度か。とはいえ、ネットの中で唯一個性を発揮しているのがあの掲示板というのはそう考えると凄い。

 だからネットで見たって惣菜のレシピと外交理論はゴッチャにならないって。しかもその根拠が「画一された画面、画一された字体」って。…いや、あの、字体だけでなく字の色や大きさを変えて読みやすくする工夫をしているサイトやブログなんていくらでもあるんだけど。うちのブログだってそれくらいやっているよ。むしろ本の方が字体は統一されているだろう。

 それにしても、岩波書店カッパブックスというのもなかなか凄いなあ。「いまどき?」って思っちゃったよ。岩波を意識しているあたりなんとも権威主義である。…自称「鬼畜」が権威主義的だというのはいろいろ考えさせられるけど。それにカッパブックスは最近新刊を出しているのかどうか。これじゃ「俺の若い頃は…」という話でしかないもんなあ。読者も困るよ。実際のところ、オタク話でも「俺の若い頃は…」ばかりやっているのだけど。

 そして、ネタ元によって知識を区別せずにどんどんつながりを持たせていくのが博覧強記というものなんじゃないか?と思う。 

 あと、2ちゃんに限らず出所が確かじゃない知識をひけらかすと大火傷をすることを唐沢は肝に銘じておくべき。火傷しすぎて骨さえも残っていない気もするけど。ついでに書いておくと、2ちゃん以外にもネット上には匿名掲示板というものはたくさんあるからね。


 その後で、唐沢は「いい本に出会うということは、実際の学校でいい師に出会うのと同じである」と書いている。P.67より。

 私は二〇歳の頃、小室直樹氏にハマった時期がある。当時、私は政治学というものがよく理解できず、いろいろな政治学の本を読んでいた。しかし、高邁な理論をいくら語られても、実際の国際政治の現状とは乖離していたりして、なかなか膝を打つものに出会えなかった。そんなとき、さっき“通俗だが時に鋭い”とイメージしていた光文社カッパブックスで、小室直樹氏の『新戦争論』に出会ったときは「コレだ!」と直感したものだ。情に流されず、論理にかまけず、現実的な目で国際紛争を解決する手段としての戦争を論じたこの本は、それからしばらくの私の“師”となった。

 まずは時空のゆがみを指摘しなければ。『新戦争論』が出たのは1981年唐沢俊一23歳のときである。どうして自分の過去のことをこうも覚えてないのか。

 次に「高邁な理論」。一体どんな本を読んだのだろう。『リヴァイアサン』とか? 当時唐沢は大学生だったのだから、共通科目の授業で「政治学入門」とか受けてみればよかったと思うけど。入門書から入ればそんなに苦労することはないんじゃないかなあ。まあ、本気で勉強する気があればの話だが。

P.68より。

 そして、本による師のいいところは、「見限ることができる」という点である。

 『新戦争論』に出会い、さかのぼって『ソビエト帝国の崩壊』『アメリカの逆襲』を読み、さらにその後の著作もむさぼるように読んだが、次第に『新戦争論』にあったような論理の緻密さがなくなり、粗っぽさが目立つようになっていった感があった。それは、ベストセラー学者になった小室氏に執筆の時間がなく、ほとんど書きなぐりのようになっていったこともあるだろうし、田中角栄三島由紀夫織田信長と、扱う人物が多岐にわたりすぎて焦点がぼやけるといった、多作家の事情もあるだろう。だんだん、新刊が出ると買うが読まずに積んでおく、という惰性状態になっていき、やがて、見切って、いかにも売らんがための新刊は買わないことにした。それでも、他の本すべてと比較しても『新戦争論』の素晴らしさは際立っており、この人に出会えたことを私はいまだに幸運に思い、時々、落語立川流のパーティや古書市などで見かけるとドキドキしてしまう。著者と読者の関係としてはいい関係なのではないかと思う。現実の先生と袂を分かつというのは、それなりに面倒くさいことがつきまとうが、本の師であれば、「わかったからもう読まない」というだけで事足りる。この気軽さは独学ならではのものだ。

 本、というのは、「自分で選ぶことのできる師」であるのだ。

 「論理の緻密さがなくなり、粗っぽさが目立つようになっていった」「いかにも売らんがための新刊」とかあれこれ好きなことを言っておいて「著者と読者の関係としてはいい関係なのではないかと思う」とまとめられても。悪口を言った後で「でも本当はいい人なんだよねー」とか心にもないフォローをする人か。それに小室直樹への批判はそのまま唐沢俊一にもあてはまっているし。「扱う人物が多岐にわたりすぎて焦点がぼやける」って『昭和ニッポン怪人伝』のことか? 角栄三島も出てくるしね。まあ、個人的には、唐沢俊一と自分も「著者と読者の関係としてはいい関係」だと思っている。ただし、唐沢は「師」ではなく「反面教師なのだが。

 それにしても、気になるのは小室直樹を見限るのはいいとしても、そこからあらためて政治学を勉強したのか?ということだ。小室直樹の著書の中で取り上げられた政治学の理論に興味を持ち、もう一度自分で読んでみようと努力したのだろうか。好きな本の中で紹介されている本や映画を自分自身の眼で確かめて世界を広げていくことは「博覧強記」になるために必要だと思うのだが。「師」を見限るのはより高い目標を目指すためであってほしい。

 もうひとつ気になるのは「高邁な理論」だ。どうも唐沢俊一には「高邁な理論は難しくて理解できない」という思い込みがあるような気がするのだ。東浩紀氏を批判したときと同じパターンだね(詳しくは2月5日の記事を参照)。もしかして「自分が理解できないからこの理論が高邁だからだ」とか思っていたりして。そういう思い込みは「博覧強記」になるための障害でしかないと思うけどなあ。…『博覧強記の仕事術』を読み進めていくと「この人は博覧強記に向いてない」という思いが強くなっていくばかりだ。

FLASH PAPA

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電気グルーヴのメロン牧場-花嫁は死神

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電気グルーヴの続・メロン牧場―花嫁は死神 上

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電気グルーヴの続・メロン牧場−花嫁は死神 下

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くさり―ホラー短篇集 (角川文庫)

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新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす (1981年) (カッパ・ビジネス)

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リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

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博覧強記の仕事術

博覧強記の仕事術

no_datano_data 2009/07/02 08:10 氏自身の著作はおいとくとして、なぜ毎年イベントが開けるほどトンデモ本が出版されるのかを説明していただきたいです。自浄作用があるのに。

tochicatochica 2009/07/02 09:53 学生時代社会学を専攻していたので、小室直樹氏がタルコット・パーソンズの構造−機能分析を解説、敷衍した文章を30年ほど前に読んでその論理的な明晰さに驚いた記憶があります。小室氏自身は多芸(?)多趣味な人なのでカッパの本などは独特な読み応えのあるものになっていますが、学問的には十分な実績のある人ですね。

唐沢氏もせっかくカッパの本で小室氏を「師」と仰いだのなら、その思想の上澄みだけをすくったあげくに劣化したと「見限る」のではなく、思想の源流に遡って理解を深めてもよかったのではないかと思います。唐沢氏は「突き詰める」とか「理解を深める」といったことに興味を持たないのかもしれませんが。

shimatorishimatori 2009/07/02 13:28 ちょっと待った!
唐沢俊一「博覧強記の仕事術」って発売したばかりなのにアマゾンで3万8千位だよ。
今の出版業界ってさ、アマゾンで最初の三週間に200位以内に入らない勢いのない本は、初版8千部完売することが難しいんだよ。
この十年くらい、唐沢って一度も200位以内に入ったことないでしょ。
オレがアスペクトの社長だったら、こんな売れない著者の本ばかり作ってる編集者、即刻クビだよ。

yonoyono 2009/07/02 16:29 なんか唐沢さんの今回の本のテーマが
「博覧強記になる方法」
じゃなくて
「いかにブーメランじゃないか、とつっこまれる方法」
について書いているみたいです


「本は悪くないわ!悪いのは糞本を作った奴らよ!」
というのは言っておきたいなあと
余談
本の冒険家の端くれとしては唐沢さんみたいな本をかきわけて良書を見付ける喜びもあるのですよと思ったり

クウガ555クウガ555 2009/07/02 17:33 唐沢また頓珍漢なことを・・・・。
前回の投稿の返答を見る限りは
社会派くんがゆく!逆襲編の剣批判はやらないようですね。
しかしこの本の唐沢と村崎の平成ライダー批判は
死闘編以上に頓珍漢でイラっときます・・・。
なのでここでも
取り上げてほしいですね。

藤岡真藤岡真 2009/07/02 21:42  瀧と安室の掛け合いが好きでした。卓球が細川ふみえに無理矢理唄わせた唄もよかった。

tennteketennteke 2009/07/02 23:39 こんにちは。
手元に実物がないので細かいことは間違っているかもしれませんが、
浅見定雄という人が、イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」を徹底的に批判した
「にせユダヤ人と日本人」という本を書いたのですが、その中で別件を引用して
「あまりにも間違いだらけの本のため裁判を起こして返品・返金を要求したが、敗訴した」
という例を挙げてました。
(あまりにも間違いだらけの本のため裁判を起こして賠償を要求した、だったかな?)
それを読んでいたので、勝間和代さんの
「ネットの情報は信憑性が低いが、書籍は大勢の人の手を渡っているので信憑性が高い」
にも、眉に唾付けて読んでおります。

パットマンXパットマンX 2009/07/02 23:52 本の信頼性に関して言えば、出版界では何かの参考資料が必要な場合「必ず印刷物を参照するように」という半ばルール化した部分はあります。その意味では唐沢俊一が述べる「良質な媒体としての本」は的を射ていると言えるでしょう。安易にネットから拾って来た情報が間違っていて、そのまま活字となってしまった例は数多くあります。このblogを読んでいる人には言わずもがなですが。
しかし正しいことでも、それを説く人間がそれと真逆のことをしでかしているとするならば、その厚顔無恥ぶりはハラ立ちを通り越して滑稽ですらあります。
ガセ&パクリ以外にも年号などの単純間違いも多い唐沢俊一の著書ですが、これは担当編集者の責任も相当大きいということができるでしょう。
通常、大手の出版社であればきちんと校閲を通します。ちゃんとしたプロの校閲者ならば、原稿に対して例え博識と言われる作家でさえもシッポを巻くほどの正確で緻密な検証(校閲)をしてくれます。そこには数字などの単純ミスの入り込む余地はありません。またかなり内容についても矛盾点を指摘したり、理屈としておかしいところには「何ページではこう言っていますが?」というカタチで一冊全体としての統一感も見てもらえます。但し弱小出版社の場合だと、予算削減の理由から、校閲を通さずに担当だけが見て、あとは著者校正だけで終わりという場合も少なくありません。これに関しては以前に町山智浩氏が指摘していたように「編集者の責任」というのは大きいと思います。
つまりクオリティの低い、または不良品をよく検品もせずにそのまま売ってしまう担当編集&出版社の罪ですね。

kensyouhankensyouhan 2009/07/03 02:09 コメントありがとうございます。

>no_data さん
「自浄作用」が働かないからこそトンデモ本は作られるんでしょうね。むしろ作者と出版社は共犯と呼ぶべきなのかも。

>tochicaさん
著作に書かれていることからさらに遡り、知識をつなげていくことが「博覧強記」になるためには大事だと思います。ただ、唐沢俊一は雑学にしても、知識同士につながりをもたせることにあまり興味がないようなんですね。間違いが多い原因のひとつだと思います。

>shimatori さん
おっと「ちょっと待った」コールが。
まあ、とりあえず最近では200位どころか3桁になったこともないようです。自分は「売れる」「売れない」にはあまり興味がないのですが、厳しい世界なのですね。
唐沢俊一の著書が具体的にどれくらい売れているのか調べられればいいんですけどね。どうして売れない本を出すのか、元は取れているのか、ということを考えると面白そうです。
売れるといえば、神保町の三省堂に行ったら副島隆彦と植草一秀の共著が「今週のベストセラー」に入っていたので一瞬眩暈がしました。『博覧強記の仕事術』はやっぱりサブカルコーナーにありましたが。「と学会」運営委員よりもトンデモさんの方が売れてるとは。…まあ、ある意味「夢のコラボ」なので自分も買ってしまうかもw

>yonoさん
最近は「ツッコミ待ち」のために本を書いているような気がしてきます。

>クウガ555さん
手元に本がないので、あらためて読んでみたら取り上げてみようと思います。

>藤岡さん
まさか藤岡さんが電グルにも対応してくるとは。
>細川ふみえ
『にこにこにゃんにゃん』には卓球本人が歌ったヴァージョンもありますけど実に気持ちが悪かったですね。

>tennteke さん
従来のメディアからのネットへの攻撃の激しさというのはなかなか面白いですね。そのうちターニング・ポイントが来そうな気もしますけど。

>パットマンXさん
自分が以前ちょっとした論文を書いたときは基本的には本を参考にしろと言われましたが、ネットの情報も条件付きで参考にすることが許されていました。もちろん、取り上げるときはサイトの名前とアドレスを明記していましたが。とはいえ、さすがにウィキペディアや個人のブログは参考にはしませんでしたが(やったらたぶん怒られていたと思う)。
>出版社と編集者の問題
唐沢俊一の本を検証していると出版社のレベルをだいたいうかがい知ることができますね。
たとえば、三才ブックス、ミリオン出版、楽工社というあたりはヤバめ。白夜書房と大和書房も入れていいかな。
ただ、これらの会社は小規模なこともあるのでやむを得ない面もあるかと好意的に解釈できなくもないのですが、老舗の筑摩書房と早川書房がダメだったのはちょっと意外。筑摩は『トンデモ一行知識』シリーズがガセだらけだったし、早川は『星を喰った男』で著作権管理に問題があるところを見せてしまったうえに『薬局通』『キッチュワールド案内』はガセだらけ。そうそう、忘れていけないのは幻冬舎。『新・UFO入門』事件での対応はヒドすぎ。
唐沢と仕事をしても大怪我をしなかったのは講談社くらい?とも思いましたけど、それも今後の検証次第ではどうなることか。まあ、会社全体がダメというわけではなく、編集者によって違いはあるんでしょうけど。

藤岡真藤岡真 2009/07/03 10:23 瀧/卓球だと、「だっこしてチョ」とか。細川さん涙目でした。

のえのえ 2009/07/03 12:30 > 「本」というものは、一番、効率的、効果的に情報や知識や見識を広めることを可能にする媒体である。また、映画も本と並んで、優れた媒体である。それらを教養の基礎に置くのはごく当然、自然なことである。

つまり、えろ本やぽるの映画で(笑

SawaharaSawahara 2009/07/03 13:08 黒い帽子に黒い服。内藤柚だと思って見てみりゃアンタ、唐沢俊一だって。嗚呼。

唐沢バッカじゃねえの、ぜぇーんぶブーメランじゃん。
「牽強付会」にすら遠く及ばない。
唐沢の論旨論拠をいちいち「唐沢の存在」が否定する。
なんだこりゃ。
アスペクトはいつからこんなお粗末な出版社に成り下がっちまったんでしょうか。

abeabe 2009/07/03 21:22 >なぜ、本や映画が良質な情報を持つのかというと、
>それは媒体の持っている「規模の自浄作用」と言うべきものの結果である。

もう10年前になりますが、大学のゼミで、
教授が開口一番「本や活字を信仰してはいけない」と仰いました。

すぐに理由が解りました。
何百人もの優秀な学者さん学徒さんが、
何十年もかかって編纂した長大な辞典にすら、
残念なことに間違いがちょいちょいあったんです。
主に引用ミス(←唐沢語でなく、正しい意味での)。
ぶっちゃけると『大漢和辞典』(大修館書店)。
「引用で誤記」「引用の訓点が間違っている」
なんてことが、自分で引いていて何度かありました。
(どの漢字のどういう箇所かは思い出せません…)


私はサークルにかまけて学業そっちのけの劣等生でしたが、
「本だからって正しいとは限らない」ことは体感しました。
と同時に「原典に当たる」ことの重要さも。
唐沢氏はよっぽど講義演習に出ていなかったのでしょうね…。


余談ですが、私は29才なのでkensyouhanさんより年下です。

エイチエイチ 2009/07/03 22:57 小室直樹氏の本って、魔法がかかってて、読後なんか頭が良くなったような、分かったような気になっちゃうんだな。
昔、浅田彰氏が、「小室氏の弟子は頭が良いつもりの人間ばっかり」と皮肉を言ってましたっけ。次元が高すぎる場所での言葉ですが。あ、副島氏もお弟子さんです。
唐沢氏が「見切った」とか、「袂を分かった」とかエラそうに言っているのは魔法の所為もあると思ったりしないでもない。

eg_2eg_2 2009/07/03 23:19 >卓球と瀧のしゃべりの面白さは世界一
「詐欺で逮捕ってお似合いだよね(笑)」って先日の電気live言ってましたわ。
将来的に「別の人」でこの台詞を言う機会がないことを願います。

kensyouhankensyouhan 2009/07/05 17:36 コメントありがとうございます。

>藤岡さん
おお、実体験だ。フーミンは『魔弾戦記リュウケンドー』に出ていたので「こっち側」の人ですね。

>のえさん
ことによると、「エロ動画はけしからん!我々の頃はビニ本が…」とか語りかねませんね。

>Sawaharaさん
>内藤柚
気になったので『とらぶるクリック』を読んでみましたが、確かに似たような格好をしてますね。これがアリなら、冬コミでは唐沢俊一を萌えキャラ化した「からさわたん」をデザインしたもらおうかな。
そういえば、昨日読んだのっち『超常現象の夜更け』に「唐沢勇一」というキャラが出てたな。

>abeさん
年下の人がいてくれると励まされます。「唐沢問題」はある世代における特殊な問題ではなく普遍的なものだと思っているので。
本もネット上の情報も鵜呑みにしないことですね。

>エイチさん
宮台真司も小室門下ですね。凄いメンツ…。

>eg_2 さん
電気のライブも一度行ってみたいなあ。一度卓球と瀧が地元のタワレコでトークライブを開いたので行ってみたのですが、“Nothing's Gonna Change ”のジャケットについて聴かれた瀧が「ああ、これは僕です」と答えるなど適当さ全開で死ぬほど笑いました。オーケンに影響を受けた人は珍しくありませんが(雨宮処凛も「オーケンチルドレン」だと言っていた)、電気の影響を受けている人も実は結構いるんじゃないかと思うのですが。