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唐沢俊一検証blog

2009-08-31

リアル脳内メーカーを持つ男。

05:07

 『唐沢俊一検証本VOL.1』タコシェの店頭にあるのを確認してきました。通販も近いうちに再開するはずなのでよろしくお願いします。


 唐沢俊一博覧強記の仕事術』(アスペクト)第3章の続き。P.135より。

 ここまで話してきたように、現在のわれわれに必要な情報のインプット方法は、すべてをまんべんなく覆ってインプットすることではない。むしろ、情報がこれだけ溢れかえっている状態の中で、いかにそれを選択し、選別して自分たちの頭の中に“わかりやすい形で”入れていくか、ということにある。

P.136より。

 現代の情報享受者たちは、もはや、いちいちの情報を個別に選択し、検証している時間がなくなっている。であれば、自分のお気に入りの情報を(もちろん、知識も同様)伝えてくれる自分専用の情報キャスターを選び、その選択眼を信用しよう、という気になる。これは当然のことである。

 「博覧強記」を目指しているのに「お気に入りの情報」だけ集めてどうするんだと思うが、それ以上に盗用癖のある人がこのような発言をしているかと思うとなかなか味わい深い。まあ、信頼できる作家やブロガーを見つけて情報源にするのは悪いことではないが、そこから得た情報を自分で見つけたものであるかのように偽って利益まで得ようとするのは明らかに人としておかしい。現に「漫棚通信」さんはお怒りである。

わたしにとってもっとも腹立たしかったのは、山川惣治の「絵物語」を読んでその要約をするという行為に、そうとうな時間と労力を要していることでした。

絵物語が絶滅してしまった現在ではわかりにくいかもしれませんが、新書判で全三巻の「絵物語」は、まさに大長編です。

あのころの絵物語は現代のマンガと違い、読むだけで相当な時間がかかります。「サンナイン」は中日新聞に連載されたもので、新聞連載小説のようなものを想像してみてください。

ましてその要約は、複雑な物語のどこを選びどこを捨てるか、が腕の見せどころ。複数の人間が別々にこれをおこない、同じものができるはずがないのです。

ネット上の文章をコピペして文末をいじるだけという唐沢氏の行為は、まさにわたしの時間と労力を「盗んだ」ものであり、謝罪の有無は別にして、今も腹にすえかねております。

 難解なものをわかりやすく説明すること、膨大な情報をコンパクトにまとめることは実に多大な労力を必要とするものなのである。それだけでなく、それらの行為には技術やセンスも要求されるのであって、誰がやっても同じというわけにはいかない。唐沢俊一はそういったことを理解していないのではないか。ベテランのライターなのに。

P.136、P.138より。

 つまり大事なことは、よい情報を取り入れるだけではなく、あなた自身が「よい発表者」となり、その情報をアウトプットすることによって初めて、その情報は「よい情報」として第三者に認識されることになるのである。そのために必要なのが、ある特定範囲に関する一種の権威ともなる知識の蓄積であることはこれまで縷々、述べてきた。

 情報の価値はアウトプットする人間、つまりあなたによって決まる。これを忘れないで欲しい。

 「よい発表者」になろうとするのであれば、まず他の「発表者」に対して敬意を払うべきだろう。盗用について謝罪もできない人間にあれこれ言われても。それから、もうひとつ大事なことだが、信用できる情報源を見つけるのはいいとしても、そこの情報を鵜呑みにしてはいけない。それにしても「ある特定範囲に関する一種の権威ともなる知識の蓄積」って一体なんなんだろう。


 P.138には「「オタクの話」がつまらない理由」とある。おお、それは他人事ではないから興味がある。どんなことを言っているんだろう。

 博覧強記と、ただの物知りとの違いが、ここまで本書をお読みになった方にはおわかりだと思う。博覧強記人とは、知識と情報のインプット・アウトプットのバランスがとれている人、どちらかというとインプットよりアウトプットの方に力を入れ、頭の中の知識を活用できる能力を開発している人、ということになる。

 …いや、だから「本書」の「博覧強記」は明らかな誤用だからね(詳しくは6月27日の記事を参照)。唐沢俊一ももっとアウトプットの方に力を入れたほうがいいと思うけどなあ。「ワシントン殺人事件」の惨劇をくりかえさないためにも。「カリフォルニアの温泉の用心棒」というのもあったっけ。…アウトプット以上にインプットにも力を入れないとダメだな。

P.137より。

 いわゆるオタクという人々がいる。自分が嗜好を持つさまざまな分野に対し膨大な知識を蓄えている、いわば知識方面での肥大者である。

 彼らが自分で書いているブログを読むと、その知識の該博なことに驚くことが多い。

 しかし、その知識が、社会に役立てられることというのは極めて希である。オタクたちだって、自分が得た知識は他人に聞いてもらい、感心して欲しいことは一般人と同様だ。にもかかわらず、一般人たちはオタクの話を聞こうとせず、オタクたちが仕入れた知識はオタクたち同士の間でぐるぐると回って、それで終わりになってしまうことが多い。これは何でなのか。

 そんなの簡単。オタクの知識が社会から見て「どうでもいいもの」だからである。社会に役立てられないのは当たり前だし、オタク自身も自分の知識が社会から見て無意味であることをわかっている。まあ、時たまどういうわけか面白がられたりすることもあるんだけど。

 ところが、唐沢俊一オタクと一般人との間で、フォーマットの統一が行われていないからなのである」という答えを導き出している。「フォーマット」の使い方が若干気になるが、要するに、オタク以外の人間にも伝わる説明ができるオタクがいない、ということらしい。…ここらへんは岡田斗司夫とともに「オタクの第一人者」として未だにマスコミに起用されることの多い唐沢らしい意見と言えるだろうか。唐沢が言うには、たとえば50代の人に堀北真希について説明するときには、『ケータイ刑事銭形舞』を持ち出すのではなく『篤姫』の和宮であると説明する気配りが必要なのだという。P.141〜142より。

 こういう“気配り”を、会話におけるフォーマット統一というのである。オタクに最も欠けている資質が、このフォーマット統一である。自分の知識を相手に伝えるとき、相手と自分の間には、まずベースとなる共通の知識、共通の価値観というものが設定されていなければならない。たとえ自分の知識がそこの知識と重ならず、自分の価値観は相手の価値観とまったく異なり、共通の世界基盤の上にいないということがわかっていても、そのことを相手に伝えるためにも、共通となる認識のやりとりの場を設置し、整備しなければならないのである。

 でも、それだったら、唐沢も福田沙紀について説明するときに「美少女クラブ31」を持ち出さない方がいいような(詳しくは5月21日の記事を参照)。あの文章を読んでいたら唐沢が福田沙紀のことを知らないのが一発でわかっちゃったもんなあ。あと、最近の唐沢俊一ごく限られた価値観の中で活動していることが多いような気がするのだが。マニアックな雑誌での連載といい劇団での客演といい。「トンデモ本大賞」の会場の「できあがった感じ」を思い出す。

P.142より。

 オタク文化と今、呼ばれているものは、この、前準備を全部取っ払い、いきなりオタク情報を投げ掛け合う、というところで成立している。

 アキバという、歩いている人間のほぼ九割が自分と同じフォーマットで会話している場所に集まり、一目で同族とわかるファッション(チェックのシャツに肩掛けカバン)に身を包んでいれば、前置きなしに

「○○たん、萌え〜!」

と叫んでも、誰も不思議には思わない。いわば、アキバオタクにとり、フォーマット済みの場なのである。

ははははははは!!!

…もう、笑いすぎて腹が痛い。この「アキバ」って一体どこのことなのよ。少なくとも秋葉原のことじゃないよね。自分は秋葉原にはわりと多く行っている方だと思うけど、「○○たん、萌え〜!」と叫んでいる輩など見たことないし、そんな風に叫んでいる人間がいたとしたら万世橋警察署のおまわりさんが駆けつけます。あと、いかにもなオタクって実はそんなに見かけないけどなあ。外国人も多いし。…いやあ、凄いなあ。「オタク第一世代」の代表(?)が語る「脳内アキバ」。

P.142〜144より。

 私の記憶では、このフォーマット済み文化が台頭し始めたのは、七〇年代末の、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開の頃からだったように思う。あの時分、映画館の前に立っていると、いきなりスケッチブックを広げてこちらの目の前に差し出し、

「これ、僕の描いたヤマトの改造案なんです」

と話しかけてくる人がいて、驚いたものだ。まだ、

「あなたもヤマトがお好きですか」

と“挨拶”を前置きに話しかけてくるのはいい方だった。

 それまで横のつながりを持たず、引きこもりに近い形でアニメ特撮映画の知識を収集することだけに没頭していたオタク(まだそのような言葉はなかったが)たちが、『ヤマト』ブームで、街へと進出し始め、自分と同じような仲間がたくさんいることを知り、嬉々として“横のつながり”を持とうと話しかけてくる。それはいいことだったかもしれないが、逆に、前置きなしに話が通じる相手がこれだけたくさんいる、と思ったことで、オタク以外の、一般社会人たちとの共通基盤を作る必要性を認めなくなってしまった。これは、今にして思えば一大痛恨事だったと思う。

 一般社会人たちは、同じ日本人でありながら、自分たちと話のまったく噛み合わないオタクたちを気味悪がり、また、オタクたちは、一般社会人と話が通じないことを、むしろ自分たちのエリート意識(多少歪んでネジ曲った)をくすぐる事実として認識し、互いの溝はどんどん深くなっていった。

 もちろん、一般社会人側にも、オタクたちの方へ一歩歩み寄ろうとする姿勢が必要だとは思う。しかし、日本社会において、これだけ基盤を広げたオタクたちが、まだ実際には差別的な扱いを(殊に心理上において)受けていることは、その地位向上や、何よりオタクたちのリアル人生の充実において、大きな損失になっている。

 岡田斗司夫眠田直らと一〇年ほど前にオタクアミーゴスというユニットを結成し、オタ知識を日本の文化向上のために役立てようといろいろ活動してきた身として、このオタク非オタクの両サイドの意思の疎通の障害というのがいかに大きな壁であったか。

 自分の蓄えた知識、仕入れた情報を死蔵しないためにも、博覧強記人たちはオタクの踏んだ轍を再びたどってはいけない。知識はアウトプット、それも一般社会人に向けてアウトプットして初めて有益なものとなることを覚えておいてもらいたい。

 …まさか『博覧強記の仕事術』というビジネス書オタク史について長々と語るとは。ビジネスマンもビックリしていることだろう。しかし、この文章にはいろいろと気になるところがある。

 ひとつめ。『ヤマト』のスケッチブックの話は、『裏モノ日記』2002年7月11日にも出てくるが、「映画館の前に立っていると」という説明がどうも曖昧だ。岡田斗司夫も『ヤマト』が公開されたときに劇場の前に徹夜で並んで、時間を潰すためにマニアックな話をしたと言っていたが、唐沢も岡田と同じようなものなのだろうか。それにしても、この日の日記に出てくる「オタク史座談会本」はちゃんと出ているのか。

 ふたつめ。『ヤマト』のブームでオタクたちが同好の士を見つけたせいで一般社会人と話が通じなくなってしまった、という話の流れは不自然だろう。じゃあ、『ヤマト』ブームがなかったら話が通じるようになっていたのだろうか? 唐沢俊一は「ガンダム論争」の時も「『ゴジラ』が成功したせいでSFファンが非SFファンをぶちのめすようになった」という「風が吹けば桶屋が儲かる」式の理論を展開していたが(詳しくは2008年11月20日の記事を参照)、基本的に「ブーム」というものが嫌いなのだろうか。

 みっつめ。「オタク」が「一般社会人」から気味悪がられるようになったのは、宮崎勤事件以降のことではないか。

 よっつめ。オタク」であることと「一般社会人」であることは両立する。どうして両者を分けて対立させようとするのかわからない。

 いつつめ。オタクアミーゴスって「オタ知識を日本の文化向上のために役立てようといろいろ活動してきた」のか。「オタク非オタクの両サイドの意思の疎通の障害」を取り除くために努力してきたのだろうか。そんな高尚な目的があったとは。岡田さん、眠田さん、そうだったんですか? 単に面白映像を見るだけの集まりだとばかり考えていたよ。申し訳ないなあ。

 

 …オタクに対する見方が間違っているだけでなく、博覧強記人たちはオタクの踏んだ轍を再びたどってはいけない」という文章に見られるように自分の望んだ結論に導くためにオタクを都合よく利用しているのがひっかかる。なんだっていきなり「オタクたちのリアル人生の充実」なんか訴えているのか。アキバにしてもオタクにしても脳内でメイクしすぎだって。帽子の中は夢工場なのかも。


次回で第3章の検証を終了する予定。

おまけその1

おまけその2

脳内メーカー オフィシャル・ハンドブック

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ケータイ刑事 銭形舞 DVD-BOX

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NHK大河ドラマ 篤姫 完全版 第壱集 [DVD]

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博覧強記の仕事術

博覧強記の仕事術

O.L.H.O.L.H. 2009/09/01 06:09 >チェックのシャツに肩掛けカバン

 職場が御徒町なので秋葉原にもよく行きますが、そういう人はあまり見かけませんね。

 この帽子の下は謎だらけ男は、フォーマットをコンセンサスの意味で使ってます?

藤岡真藤岡真 2009/09/01 06:33  唐沢は「博覧」という概念をキモに論を勧めていますが、これは従来からある「プレゼンテーション」に他ありません。「プレゼンテーション」の解説書なら、数十年も前から、数多く出版されています。『博覧強記の仕事術』と謳いながら「博覧強記」の意味は間違え、「プレゼンテーション」という言葉も知らない。イヤハヤ…。

通りすがり33号通りすがり33号 2009/09/01 07:51 >みっつめ。「オタク」が「一般社会人」から気味悪がられるようになったのは、宮崎勤事件以降のことではないか。
1984年の山崎浩一「なぜなにキーワード図鑑」におたくという単語こそ出てこないもののカルト映画好きの不気味な連中としてイラストつきでそれっぽい人たちが解説されています。

tochicatochica 2009/09/01 08:30 昔からマニアックな趣味を持つ人たちは多くいたわけですが、そういう人たちが社会性や社交性を持つことと、その趣味の知識を一般の人に伝えることはまったくの別問題ですね。

むしろ社会性においてはその趣味以外の部分で他の人と通じ合う話題があるか否かが問題で、「え、そんな趣味があったの」と意外に思われるくらいの方がよいでしょう。

唐沢氏は一般向けに薄めたオタク話をするのが生業ですから、「社会に役立つ」というイメージでオタク文化を消費する裾野が広がってくれないと困るのでしょうが。

mailinglistmailinglist 2009/09/01 08:39 気味悪がられてはいたんじゃないですか。ただ、一般人の側に彼らを指弾する言葉がなかっただけで。当時はおたく族と呼んでいたんではなかったかな。宮崎事件以降におたくと呼び捨てるようになって、そこに宅八郎が出てきたという印象ですが。おたくのカナ表記に大塚英志がこだわっていたのは有名。

のえのえ 2009/09/01 09:18 > 唐沢が言うには、たとえば50代の人に堀北真希について説明するときには、

50代の人が「篤姫」を知ってると思いこんでる時点で「気配り」ではなく「決めつけ」ですね。「チェックのシャツに肩掛けカバン」→オタク、50代の人→「篤姫」。なるほどフォーマットしてますね、奴らは○○であるというイメージ毎に。

JoJoJoJo 2009/09/01 09:50 いつもブログの更新を楽しみにしております。唐沢氏とは畑のちがうジャンルの文筆業者です。初コメント失礼いたします。

私は宮崎事件の頃10代のオタクでしたが、事件以前からわれわれの多くは日陰者でした。
マンガやアニメを趣味とする者は学校では冷笑や無視や揶揄の対象でしたねェ。なかにはそうでない方もいたのでしょうけど。
そこにあの事件が起きて、オタクを気味の悪いものとして公然と扱う理由が生まれた感じでしたね。
もともと日陰者だったのが、さらに肩身が狭くなったという…。
そのイメージが唐沢氏にああいう文章を書かせたのかもしれません。でも、当時と今とではだいぶ時代が変わりましたからねェ…。氏の意見が普遍性に乏しいことはまちがいないかと。

トンデモブラウトンデモブラウ 2009/09/01 10:14 アニメ・ファン系のマニア層をオタクと呼ぶというのを初めて知ったのは、大学時代かな。
『ホットドッグ・プレス』とかで、「彼らは二人称として『お宅』と言う。」にたいなことが書いてあって、そうではないフリークなマニア仲間で「おぉそう言えば・・・なるほど」と感心した記憶があります。
同時期には、ホームレスのことを『(ボクの街の)ボブ』と呼んでました。(ボブ・マーリー由来。ジャマイカ人は怒るんじゃまいか?)
懐かしい・・・もっと勉強しとけばよかった。

yonocoyonoco 2009/09/01 12:05 僕も検証本買いにいったその足で、秋葉原行ってきたんですが、オタクはいても萌え〜とか言う阿呆はいませんでしたな

相変わらずのブーメランを投げる感じで「ああ、まだ三章だったんだ」と思ってしまいます
まだ続くのか…

SawaharaSawahara 2009/09/01 12:47 いやほんとうに唐沢俊一は世間が自分の小屋の広さしかないんだなあ…と。

B.E.P.B.E.P. 2009/09/01 19:32 唐沢氏は何かに精通している人(オタクや学者やその分野の権威)を見ると反射的に嫌悪感を抱く傾向にありますね。唐沢氏自身が何の専門分野を持たないことのやっかみでしょうか。

ブラックウッドブラックウッド 2009/09/01 20:11  いやあ、今回はブラック過ぎて笑えませんでした。
 本来ならばkenshouhanさんがやっている仕事を「オタク第一世代」である唐沢さんがやるべきなんですよね。
 オタクはみんな路上でいきなり「萌え〜」と叫んでるみたいなどアホな偏見を「それは違う!」というのが期待された役割だったはずだし、実際そういう第一世代の論客っていましたよね。それを当の唐沢さんがやって嘲笑されているというのはおぞましい構図というほかありません。

 そもそも「萌え」というジャーゴンは解釈が千差万別なので濃いオタクほど扱いに慎重になるものです。「ヤオイ」とか「リミテッドアニメ」の言葉の定義を盾に東浩樹氏をこきおろしていた人の書く記事とも思えません。
 いやもうひたすら残念です。

のえのえ 2009/09/01 21:25 「萌え」ってコトバ自体はネット上で使用する「ネタ言葉」であって、実際に口に出して発声する言葉ではなかったのではないかと思いますが、実際に「萌え〜」とか発声させたのってオタクをネタにしたテレビのバラエティ番組が最初だったんじゃないですかねぇ、よく知りませんが。

それはそれとして。
検証本、買ってきました。「通販予約ではなく店頭取り置きは可能か?」と問い合わせたら、いきなり「取り置きしたので一週間以内に来てね(意訳)」と返事が来たのには驚きましたが、よく売れてるんでしょうね、問い合わせたら即取り置きしてくれるくらいなので。

店頭ではばっちり中の島に平積みされてましたが、他の本と比べると真っ白な表紙がなんか違和感(笑 さらに手に取って裏を見るともっと違和感がありましたが(申し訳ないが裏表紙のイラストはいらないと思います、電車ん中で読めないし)。

ラーオラーオ 2009/09/01 22:44 検証が進むほどにわからなくなってきたんですが、この人は自分を「おたく第1世代」と言っておきながら、どうしておたくをこき下ろすんでしょうか??
おたくが蓄積する知識が役に立たなくても、趣味だからいいじゃないですか。
ちゃんとした学術研究だって、一般の人にとってなんの役に立つんだって言われてしまいますけどねぇ。

>チェックのシャツに肩掛けカバン
??おたくと言うより蛭子さんでは? そういえば、おたく初期世代の人は紙袋必須でしたね。
私はその当時、マンガ・アニメ・特撮おたくとかSFの人より、アイドルおたくの人の方が怖かったです。
当然、宅八郎さんも怖かったのですが「宅八郎にはブレーンがいて、一郎から七郎までいてうんぬん」とおっしゃってるのをどこかの記事で読んで、それがあほらしいけど面白くて。以来見方が変わりました。

そういえば、とんねるずのノリさんがコントでアイドル追っかけキャラを気持ち悪〜くやってたのを思い出しました。

mailinglistmailinglist 2009/09/02 00:34 今日『トンデモ美少年の世界』を読んだんですけど、唐沢自身は、少なくともこの箇所においてはおたく世代ではないつもりなんですね。「そこらへん、そのあとに輩出したいわゆる“オタク族”たちとはちょっと違っていた」(http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081028)

いまアマゾンで唐沢の著書一覧をざっとながめましたが、やはり自著には「オタク」をつかっていない。オタクアミーゴスがあるばかり。

唐沢の自己認識は、B級、トンデモ、猟奇、カルト(『美少年の世界』でも、カルトは何語と尋ねられて回答できず、情けない)、雑学、トリビアといったあたりで、オタクの自己認識は薄いようですね。それこそ空気を読んで「俺は第一世代」とか言ってるのでしょう。

モトラモトラ 2009/09/02 01:54 オタクの痛いファッション例に「全身、何のアクセントもなく黒ずくめになりがち」というのがありますけど、あてはまりそうな御仁が約一名いらっしゃいますね。

個人投資家個人投資家 2009/09/02 08:12 >情報がこれだけ溢れかえっている状態の中で、いかにそれを選択し、選別して自分たちの頭の中に “わかりやすい形で”入れていくか、ということにある。

 現実のビジネスは全く違います、
 「不完全な情報しか手に入らない状態でどうやってプランニングして意志決定を行うか」
ということが求められています。

kensyouhankensyouhan 2009/09/03 14:16 コメントありがとうございます。

>O.L.H.さん
一応文中で「フォーマット」について説明があります。ただ、それが合っているのかどうか。PC関連に詳しい人にチェックしてほしいところ。

>藤岡さん
「博覧」=プレゼンテーションだったんですか。それなら『雑学王が語るプレゼン術』というタイトルにでもしておけばよかったのに…、と思いましたけど、それだと本の中に満遍なく雑学を盛り込まないといけないから無理か。

>通りすがり33号さん
情報ありがとうございます。「オタク」という概念については『オタクはすでに死んでいる』を検証するときに詳しく書いてみたいと思います。

>tochicaさん
「オタク=社会性がない」という思い込みというか偏見があるわけですね。

>mailinglistさん
「オタク」のイメージが一般化されたのが宮崎事件以降ということでしょうね。マイノリティも存在を認識されなければ差別されないわけで。
唐沢俊一はオタクではない、と個人的には考えてますし、本人もライターとして活動を始めたころは(今でも?)そういうつもりはなかったでしょう。その後、岡田斗司夫や特撮関係者(流れとしては、潮健児→平山亨→その他の人々)と関係を持っていったことで「オタク」の仕事を手がけるようになっていったということなのではないかと。「オタク」を名乗っているといろいろ都合がよかったのでしょう。

>のえさん
DocomoのCMにも出てますけどね>堀北真希
ただ、年配の人に若手のタレントを説明するのって凄く難しいと思います。「気配り」しても限界があります。小林信彦が70歳を過ぎて堀北真希や長澤まさみのファンをやっているのがいかに凄いかという(最近は綾瀬はるかに移行しているような)。
『検証本』を電車の中で読めないという事態は想定してませんでした。…っていうか、自分はタコシェに納品しに行くときに余裕で車内で読んでましたけど。イラストでもないと殺風景で仕方ないし、全体的には好評なので次も画伯に頼むつもりなんですけど(次は中にもイラストをつけてもらおうかと考え中)、どうしましょうかね。ブックカバーでもつけましょうか。

>JoJoさん
唐沢俊一自身に差別された経験があるのかどうか。この人は失敗談をあまりしない人なのでよくわかりません。

>トンデモブラウさん
相手のことを「おたく」と呼ぶ人に会ったことがないですね。もし会えたとしたら「本当にいた!」と感動してしまうかも。

>yonocoさん
唐沢俊一も秋葉原に行って「萌え〜」と叫んでみればいいんじゃないでしょうか。

>Sawaharaさん
「井の中」しか知らないのはしょうがないけど、「大海」について知ったかをするのはやめておいたほうがいいですね。

>B.E.P.さん
「ただのバカ」に「専門バカ」を批判することはできません。

>ブラックウッドさん
「オタク」や「萌え」というのは概念自体が不明確なので慎重にならないといけないでしょうね。あ、「ツンデレ」も。そういった概念を粗雑に扱っているあたりで「外部」の人間だとバレてしまうんですけど。

>ラーオさん
いわゆる「オタク」ではない福田和也の方が正確な認識をしてましたよ。「ユニクロとかがあるから最近のオタクはわりとオシャレになってきている」って。福田氏は大学で学生に教えているから変化がわかるんでしょうね。唐沢俊一は若い人とつきあいがないんだろうなあ。…あ、でも、岡田斗司夫も大学で授業を持っているのにトンチンカンだから、結局は人によるのかも。

>モトラさん
まあ、どんな格好をするにしても「よれよれ」はやめた方がいいですね。

>個人投資家さん
唐沢俊一は「不完全な情報」を集めて確実性を上げていく作業を怠っているんでしょうね。他人が整理した情報を「完全な情報」だと思い込んでいるのがガセの温床なのかもしれません。