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唐沢俊一検証blog

2009-10-18

唐沢俊一の最終目的地は?

23:57

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 今回は『フィギュア王』79に掲載された唐沢俊一『カラサワ流奇想怪想玩具企画』第17回手塚治虫というキャラクター」を取り上げる。


手塚という存在を日本マンガ史の中で出来るだけ相対化させようという動きが最近のマンガ研究界では大きいようだが、そのこと自体は否定しないまでも、やはり手塚は日本のマンガのテクニック史の節々に顔を出しているのである。そればかりではない。私は、日本のオタク史は、手塚治虫から説き起こすべし、という主張を唱えている人間なのである。

 一九五〇年代後半から六〇年代生れのオタクを、通称第一世代と呼ぶ。オタクライフスタイルを作ったのがこの世代なのだが、その彼らのモデルとなったのが、手塚治虫ではないか、と私は見ているのだ。

 というわけで、唐沢は手塚治虫こそがオタクのモデルとなった人物だと書いているのである。

 第一に、『バンビ』にのめりこんで何十回も観て全てを記憶してしまったことが「オタク」的だという(『ぼくはマンガ家』によれば80回以上観たとのこと)。小林信彦も『ウエストサイド物語』を30回以上観たんじゃなかったっけ。なお、唐沢は『バンビ』の日本公開を「昭和二十四年、有楽町スバル座で」と書いているが、正しくは昭和26年5月公開である(IMDb)。

 第二に。

オタクは仕事より趣味を優先させるのが常だが、手塚医学校を卒業したとき、四国の無医村の病院への赴任を勧められたが、

「その村では映画が見られない」

 という理由で断っている。医者としての自覚とか使命感などというものはなかったようだ。また、そういう人格を疑われるような話をツラリとして語ってしまう無神経さもまた、オタク的ではある。

 この話も事実のようだ(ただし『ぼくはマンガ家』で手塚は「三日に一度はネオンの灯を見ないことには気が休まらない」ので話を断っている)。しかし、「自分には向いていない」と決断することも立派な責任のつけ方ではないだろうか。この論法が通るなら、唐沢俊一に対しても「親の後を継いで薬剤師にならなかったのは…」とか言えてしまうし、だいたい唐沢にライターとして「自覚とか使命感」があれば盗用なんてしていないだろう。「人格を疑われる」のはむしろ唐沢の方ではないのか。…っていうか、一般のオタクのみなさんは仕事と趣味を両立させているはずだし、別に無神経でもないと思うのだが。

 第三に。

(前略)仕事が忙しくてなかなか結婚できず、独身生活が長く続いたときには、独りで映画館で映画を観ながら、

「オレの女房はマンガなんだ……」

 と自分に言い聞かせていたという。独身オタク諸氏なら、この“マンガ”の部分に、フィギュアとか、ゲームとか、萌えキャラとか、いろんな文句を当てはめて自らに引き寄せられるセリフであろう。そして、いよいよ結婚となるわけだが、その理由が“美人だったから”だという。凄い。後には手塚氏も、自分の妻の案外性根の座った人格に尊敬の念を抱くようになったようだが、結婚当時の彼は自他ともに許す面食いで、美人以外の女性は女性でない、という思想の持ち主だったそうである。なにしろ、後に練馬区富士見台虫プロを設立したとき、男性社員の面接は人にまかせても女性社員の面接は全て彼がとり行い、その結果、当然のことながら美人だけが入社を許され、大根畑しかないような富士見台駅にやたら美人が降りるという噂が立ち、

「美人と結婚したいなら富士見台に行け」

 とまで近郷近在で言われたほどだったという。話半分にしても傑作で、外見を何より重視するオタクの根性が、ここでも現れている。

 オタクが本当に「外見を何より重視」しているのならもう少し自分のオシャレにも気を使うんじゃないかなあ。唐沢俊一オタクはみんな「チェックのシャツに肩掛けカバン」だと決め付けていたけど(詳しくは8月31日の記事を参照)。それにオタクだから「面食い」というわけでもないだろうし。


 こういう人物に影響を受けた第一世代が、極めてオタク的な人格形成をとげたのも、無理はない気がするのである。論より証拠、彼の息子の真氏は、そういう親父の背中を見て育って、立派なオタクとなった。

 いや、父親に影響を受けるのと作家に影響を受けるのはわけが違うだろう。ある作家のファンだからといって、その作家の性格に似てしまうわけでもないのだから。手塚の作品を見た人間が、性格まで手塚に似てくると言うのは何やらホラーみたいだ。唐沢俊一自身がどのようにして手塚に影響を受けたのか、という話をすればよかったと思う。本当に受けていればの話だけど。

 それに手塚治虫に「オタク」的な部分があったということは、オタク第一世代」以前の世代の人間にも「オタク」がいたとも考えられるのではないのだろうか。そうなると、オタク第一世代」は実は「第一世代」ではなかったという話になりそうなものだけど。…唐沢俊一は無自覚の内にヤバい話をしているような気がする。


 その後、手塚アニメーションを手がけたことについてオタク的行動理念があったとしている。

 日本のオタク発生の出発点に手塚治虫の名を置くことには、異論も多い。手塚の名はマンガ史、アニメ史、SF史、その他の文化に非常に多岐にわたって関わっており、ことオタクに限ってその元祖的存在と位置づけることに意味がないのでは、という意見もある。

 だが、敢えて、ここで手塚という存在がなければ、オタク文化というものの、日本における独自性はなかった、と断言しておきたいと思う。それは、手塚治虫の考案した、ある手法に非常に密接に関係しているのだ。

 として、手塚の用いた動きの少ないアニメーション(リミテッド・アニメーション)によって、日本のアニメファンはアニメの「動き」よりもキャラクターや声優の方に興味を持つようになり、1970年代のアニメブームの下地は手塚の手法が作ったものだったとしている。さらに、

 彼ら(引用者註 アニメファン)が好んだのは自分たちが模写しやすい、止めの多く入った作品であり、また、動きを強調する曲線よりは、シャープな直線を用いたメカニックのデザインの方に賛辞が送られた。

(中略)

 美少年・美少女を中心としたキャラクター設定と、その声を受け持つ声優、そしてメカニック描写。この三点セットこそが、アニメーションの略語としてではなく、独自の意味合いを持った《アニメ》を、日本のオタク文化の基礎にまで成長させた要素だ。いまや、《ANIME》は世界で通用する、オタクが作り上げた日本語になっている。

 日本におけるアニメを語る際に、多くの識者がおちいるのが、アニメーションアニメが同一平面状にあるという誤解であり、またその違いを手塚治虫が無意識に育てあげたという事実を忘れている(または最初から気がついていない)者がほとんどなのである。

 手塚治虫の作ったアニメは動きが少なかった→ファンはキャラや声優に興味を持つようになった→日本独自のアニメが発展した、ということなのだろうか。『ファイナル・デスティネーション』みたいな流れだなあ。…っていうか、「三点セット」のうちメカニック描写は手塚治虫と関係が無いじゃん。あと、日本のアニメが世界的に見て独特のものであることについて「多くの識者」はちゃんと触れていると思うのだけど。

 まあ、唐沢俊一にはぜひとも「日本のオタク史」を手塚治虫から説き起こしてほしいものだと思う。著書の中で1回は必ず手塚へのあてこすりをしているくらいなのだから、やる気はあるんだろうしね。

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夢の砦

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やまだやまだ 2009/10/19 00:40 >彼の息子の真氏は

映画監督(本人いわくヴィジュアリスト)の手塚眞さんですね。
ご本名は「真」ですが、「眞」で何年もお仕事をなさっておられるのですから、
「眞」と書くべきだと思います。
ちなみに、私は、手塚眞さんには何度かお会いしたことがありますが、
「監督は、お父様の影響を受けられて、立派なオタクになられましたね」と言ったら、多分、お怒りになると思います……。
実際、映画については、どんな物も物凄く良く御覧になっていますが、現在のマンガやアニメや特撮などには、あんまり興味をお持ちでは無いようでした。

yonocoyonoco 2009/10/19 04:56 前の、○○萌え〜!と叫ぶオタクの時もそうでしたが、オタク像が80年代の雑誌に載ってたようなステレオタイプなんですよね>唐沢さんのオタク
偏見を持ってるのは、啓蒙したがってる本人という…

discussaodiscussao 2009/10/19 05:49 > それに手塚治虫に「オタク」的な部分があったということは、「オタク第一世代」以前の世代の人間にも「オタク」がいたとも考えられるのではないのだろうか。そうなると、「オタク第一世代」は実は「第一世代」ではなかったという話になりそうなものだけど。

これは私がこのところ泥縄で得た知識による解釈なんで話半分で聴いてほしいのですが、
岡田斗司夫が定義した「オタク・クロニクル」では先行する過去として「青少年SF世代(第一・第二・第三)」に触れており、さらに別の参考資料として津野海太郎や高平哲郎らの晶文社関連についての本を援用すれば、高平らの世代(「サブカルチャー第一世代」:命名は津野海太郎)=全共闘世代=青少年SF第一世代が「オタク」に先行する世代であるのは客観的な事実なんだと思います。
そして先行する世代が葛藤を抱えながら使っていた「われわれ論」が世代移行とともに形骸化して、「オタク第一世代」に顕著な強迫的かつ排他的な共同体意識となって破綻した(まだしてないのか?)事情が伊藤剛『マンガは変わる』序文ほかに述べられています。
私はこの様に理解しているので、<「オタク第一世代」は実は「第一世代」ではなかったという話>は了解済み事項に近いです。

問題は「オタク第一世代」というか具体的に唐沢俊一や岡田斗司夫および周辺の人間が、自世代の客観的な総括を提出できない点であると思います。
この二人については、理由は別々違うだろうけれど自己検証とか歴史認識が欠如しているにも拘らず、適当で都合のいい自己像を描いて過去を創作しており、ある意味斎藤環の定義する「おたく」の〔1.理想自我と自我理想が接近してること、2.虚構コンテクストと親和性が高く情報の正確さより虚構想像能力が優先される〕というのにぴったり当てはまります。二人の虚構性能力については既に疑問視されているので、これも「かつては」付きの話ですが。

前エントリでkensyouhanさんが<たかだか30年近く前の出来事でもたやすく改竄できてしまうのだな>と書かれていらっしゃいましたが、「オタク史」の提示ってのは今のところ「捏造、ボロが出てきたら改竄、さらに改竄」といった体で、「オタク第一世代」の歴史観は実は空洞なのではないでしょうか?私も<「オタク史」を知らないか?>かと訊かれたら「知らないです」と答えますし。

discussaodiscussao 2009/10/19 06:21 連続で失礼します。
手塚治虫に「オタク」的部分があるってのは、ようするに「サブカルチャー第一世代」が植草甚一や双葉十三郎や野口久光や淀川長治らに抱いていたマニア先駆者への畏敬のバリエーションでしょ?ことさらに手塚のマニアックさだけ拾っても、杉浦茂とか対比されるものも並列に論じなければ意味はないし、この辺に歴史観の欠如が証明されてしまう。というか杉浦茂を出した時点で、手塚よりも杉浦のほうが圧倒的に「オタク」に近いのがバレて唐沢説が破綻するのか……。

藤岡真藤岡真 2009/10/19 07:34 >「オレの女房はマンガなんだ……」
 と自分に言い聞かせていたという。独身オタク諸氏なら、この“マンガ”の部分に、フィギュアとか、ゲームとか、萌えキャラとか、いろんな文句を当てはめて自らに引き寄せられるセリフであろう。

 これは二つの意味で変。
 一つは、“マンガ”はフィギュアとか、ゲームとか、萌えキャラとかと違って、オタクが愛するアイテムではないのかってことです。
 もう一つは、手塚は「マンガ」を天職と捉えて捉えてのめり込んでいた。それが「女房」ってことなんでしょう。フィギュアとか、ゲームとか、萌えキャラが好きだというのとは全然違います。それに彼らは「おれの嫁」と言うでしょうし。

kokada_jnetkokada_jnet 2009/10/19 09:57 手塚治虫が日本のオタク文化の感性の源泉であることは。
「マンガに描かれた記号的肉体に欲情する」「さらに、記号的肉体であるからこそ欲情する」という部分に着目した、大塚英志のオタク性愛論で十分言い尽くされている気がしますが。
唐沢のように、あやしげな手塚のエピソードを、ことさらに出して論じる必要など、さらさらないと思います。

個人投資家個人投資家 2009/10/19 20:55 >オタクは仕事より趣味を優先させるのが常だが、手塚は医学校を卒業したとき、四国の無医村の病院への赴任を勧められたが、

>「その村では映画が見られない」

> という理由で断っている。医者としての自覚とか使命感などというものはなかったようだ。

  これはむしろ医者の使命感より、宝塚劇場のあるハイカラな宝塚に生まれ育って、小さい頃からレビューを見ていた手塚治虫の成長環境に原因を求める事が打倒でしょう。

kokada_jnetkokada_jnet 2009/10/19 22:11 >虫プロに美人が多かった
山本暎一「虫プロ興亡記」によると。美人を採用したほうがいいというのは、元「おとぎプロ」の山本氏の提案とされていまして。
その理由は「美人が多い職場には、よその会社の男がなんだかんだと用事をつくってはよりついてくるんで、有能なやつをスカウトしやすい」となっていますね。

コバイアコバイア 2009/10/20 01:58 >オタクは仕事より趣味を優先させるのが常だが、(中略)
>医者としての自覚とか使命感などというものはなかったようだ。

医学専門部を卒業した時点で、手塚治虫は既にプロの漫画家でもありました(この年に『アトム大使』の連載開始)から、四国の無医村に行くのは抵抗があったでしょう。
つまり、仕事を優先して、漫画家としての自覚と使命感によって赴任を断ったとも言えそうです。

kensyouhankensyouhan 2009/10/21 23:11 コメントありがとうございます。

>やまださん
息子さんに向かって「父親に影響を受けている」とはちょっと言いづらいですね。

>yonocoさん
「オタク=エリート」理論を唱えていた岡田斗司夫は唐沢を最初に啓蒙すべきでしたね。

>discussao さん
あ、奇遇ですね。高平哲郎は自分の『オタクはすでに死んでいる』検証のときにも登場する予定です。
まあ、今でも面と向かって説明しろと言われればおおよそのことは説明できると思うのですが、もう少し固めておきたいので今のところは自重しておきます。
ひとつ言えることは、多少他のジャンル(サブカルでも文学でも)に詳しければ岡田斗司夫の理論には全然釣られないということですね。逆に言えば、岡田がいかに他のジャンルを知らないのか、という話になりそうですが。

>藤岡さん
その通りですね。手塚先生は「俺は仕事と結婚したんだ」と言っているのであって、別に「オタク」としてとらえる必要はありません。

>kokada_jnetさん
手塚治虫は日本で一番論評されている漫画家ですから、唐沢があれこれ言っても比較されてツラい思いをするだけかも知れませんね。

>個人投資家さん
『ぼくはマンガ家』で「三日に一度はネオンの灯を見ないことには気が休まらない」と言ってますからね。
自分も繁華街のそばで育ったので気持ちはよくわかりますね(田舎でも暮らしたことがありますが)。「うちからコンビニまで5分もかかるんだよ」とボヤいて怒られたこともあります。

>コバイアさん
漫画家としての自覚と使命感は人一倍あったでしょうね。唐沢俊一はそういう部分も批判してますが。

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