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唐沢俊一検証blog

2010-03-22

キャラメル拾ったら箱だけ。

17:46

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 今回は『パチスロ必勝ガイドNEO』5月号に掲載されている唐沢俊一のコラム『エンサイスロペディア』第36回北島三郎を取り上げる。


 演歌パチスロは、ある種とても似た者同士だと思う。ユーロビートだのヒップホップだの、常に時代の最先端を担う音楽が台頭してくる中でも揺るがずその牙城を保っている演歌の姿は、最先端ゲームが次々生み出されていく現代にあって、昔から変わらぬ娯楽の王者として君臨し続けているパチスロを思わせる。

 出だしからずっこける。パチスロの1号機が登場したのは1985年なんだから、パチスロっていうのはそんなに古い娯楽じゃないんだけどなあ。それに毎回毎回「○○とパチスロは合っている」と書く必要はない…、と『エンサイスロペディア』を取り上げるたびに書いているなあ。

 しかし、そんな風に言われる割に実は演歌の歴史というのは古くはない。いや、古くはないどころか、なんと今からたったの47年前、1963(昭和38)年が演歌誕生の年だったという説がある。この年に、それまで大ざっぱに“歌謡曲”といったくくりでまとめられていた歌のうち、独自の音階を持ち、こぶしと呼ばれる歌い方を特徴とする一群の歌を“演歌”と呼ぶという慣習が確立したというのである。

 「古くはない」と言っているのに演歌の起源について説明してくれていない。1963年に誕生したのでなくても古いのだろうか。「演歌=1963年誕生説」についてはウィキペディアを下敷にしたものと思われる。

 そして、その演歌元年の直前、昭和37年に発売され、翌年にかけて大ヒットした歌が、星野哲郎作詞、船村徹作曲の『なみだ船』。それを歌ったのが北島三郎だった。彼を演歌歌手第一号と認定しても文句は出ないと思われる。北島三郎こそ、日本人の本質を、その歌手活動の当初からずっと歌い続けてきた、日本を代表する歌手なのである。

 『エンサイスロペディア』第14回には次のような記述がある。

 私は『よこはま・たそがれ』ヒットの時期に中学校一年生だったが、美空ひばりに代表される当時の演歌が大の苦手で、紅白歌合戦のときも、演歌系の歌手が出てくると自分の部屋に逃げていってしまったものだ。

 美空ひばりが「演歌歌手」なら北島三郎が第一号と言えるのかどうか。


 では、演歌が、いや北島三郎が歌う日本人の本質とは何か。演歌元年とされる1963年という時代を考えてみよう。当時日本は高度経済成長のまっただ中。地方から東京への人口の流入はとどまるところを知らなかった。“集団就職列車”というものが仕立てられ、故郷を離れて東京に出稼ぎに来る若者たちが乗ってきた。その数は63年がまさにピークの頃で、7万8000人に達したという(労働省統計)。彼らの中にはそのまま東京で家庭を持ち、帰らない者も多かった。つまり高度経済成長期というのは、言葉を変えれば故郷喪失者を大量に産んだ時代であると言える。自らも北海道から単身上京し、その生まれ故郷から北島という名前という名前を恩師の船村徹より与えられた北島三郎が、そういう故郷喪失者の切ない気持ちを歌にしたとき、人の心を打つものが出来るのは当然だろう。『なみだ船』は、ニシン漁に従事する流れ者の漁師であるヤン衆の寂しさを歌った歌だし、永六輔作詞の『帰ろかな』はまさにそういう故郷への思いを歌った歌である。そう、演歌が歌う日本人の心の原点とは、都会から、はるか遠いふるさとの山川を思い浮かべて歌う悲しい故郷喪失者の心のつぶやき、なのであった。雪国日本海、駅、別れと言ったキーワード演歌に多いのは東京への出稼ぎ者の多くが北国出身者だったからである。

 いや、全ての日本人が上京してそのまま暮らすわけじゃないから。東京で生まれ育った人もいれば故郷でずっと暮らす人もいる。なのに「日本人の本質/原点」とか言われても。北国出身の唐沢俊一演歌にグッとくるのかもしれないけどね。それから、集団就職をテーマにしたヒット曲といえば井沢八郎ああ上野駅』なのだが、あれは演歌なのだろうか?と少し疑問に感じる。

D

 そして、演歌は「故郷喪失者のつぶやき」というテーマに限定されるものではないし、北島三郎の初期のヒット曲である『兄弟仁義』は「故郷喪失者の心のつぶやき」とは言えないだろう。…どうも自分の話に都合のいい曲だけを抜き出しているような。


 だが、北島三郎演歌は、単に故郷を懐かしむばかりではない。彼の代表作とされる『函館の女』は、(おそらく)東京での暮しに破れ、待つ者もない北の故郷に帰った恋人に会いたさのあまり、波頭を乗り越えて会いに行ってしまう男の物語である。もちろん、そこでついに巡り合うことは出来なかったという悲劇なのだが、サブちゃんの歌唱はあくまでバイタリティにあふれ、悲劇を悲劇と感じさせない明るさを持っていた。演歌高度経済成長へのアンチテーゼではなく、応援歌であったのだ。

 「社団法人日本埋立浚渫協会」のサイト星野哲郎が『函館の女』について語っている。

「(函館の女は)最初、東京へ出てくる歌だった。でもディレクターの言葉で函館に変えた。函館は日魯漁業の本拠地で、船員時代の土地勘があった」

 …じゃあ、やっぱり演歌が「故郷喪失者の心のつぶやき」と限定されるわけではないんじゃ。で、面白かったのはこの話。

「『逢いたくて〜』のあとのフレーズが決まらなくて。悩むうちにオシッコに行きたくてたまらなくなっちゃった。で、トイレに行って『これだ!』と思いました。『と〜ても我慢が〜できなかったよ〜』とね」

 雑学のスペシャリストだと思われているんだから、こういうネタを書かなくちゃ。


そう言えば、彼は三菱ボールペンや永谷園の鮭茶漬など、高度経済成長期のシンボルみたいなCMソングも多く歌っていた。

 永谷園の『さけ茶づけ』が発売されたのは1970年。一応高度経済成長期に含まれているけどかなり末期なので「シンボル」とまでは言えないような。だいたい、高度経済成長期以降に生まれた自分だって北島三郎が出演した永谷園のCMを見ていたのだから、わざわざ高度経済成長にこだわらなくてもいいのになあ、と思う。

 パチンコ・パチスロファンの年配者には、この時代の記憶を残している人も多いだろう。当時の出稼ぎ者にとり、パーラーで遊ぶことは気軽な数少ない娯楽のひとつだった。今、パチスロの画面中に歌う北島サブちゃんの姿に、悲しくも活気のあったあの時代を偲んでみるのも一興だろう。

 ほとんどの年配者は高度経済成長期のことをちゃんと覚えていると思うのだが…。あとは、パチンコとパチスロの区別がついているのかどうか気になるし、唐沢俊一にとって高度経済成長期とは「悲しくも活気があった」のか、などと考えてしまった。『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)P.220ではこんな風に書いていたんだけど。

高度経済成長期を調べれば調べるほど、当時の社会全体が、まるで覚醒剤を服用したかのようにハイで、常軌を逸した行動も平気で行われていることに呆れ、驚かざるを得ない。何か日本中が、

「自分たちにはできないことはない」

という万能感に支配され、浮かれまくっていたかのような感じである。

 だいぶ違うなあ。


 …とりあえず、「演歌は日本人の本質」とかベタな話をするので驚いてしまった。この人ってこーゆー芸風だったっけなあ。それ以前に演歌が嫌いな日本人だっているはずなのだが…。個人的には「ユーロビート」という言葉が出てきたのが面白かったけどね。「唐沢俊一」と「ユーロビート」という取り合わせが妙にツボ。


替え唄メドレー

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函館の女

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あゝ上野駅/石北峠

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兄弟仁義~任侠シリーズ 義理と人情を唄う~

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うさぎ林檎うさぎ林檎 2010/03/22 18:24 北島三郎と永谷園と謂えば「すし太郎(1977年発売)」を忘れて貰っては困ります。

藤岡真藤岡真 2010/03/22 19:12 あー。さけ茶漬けのCMずっと作ってました。「すし太郎」ってネーミングはわたしが考えたのですが、なにか?
それはさておき、唐沢に歌謡曲の中の演歌の定義を訊いてみたいですねえ。

学 2010/03/22 19:29 ttp://www.togakkai.com/taisyou/index.html

今年もどうですか

yonocoyonoco 2010/03/22 19:54 ユーロビートはおろかポップス全般聞いてなさそうですよね、サディスティックミカバンドの件をみる限り…

>藤岡真さん
本当ですか?>すし太郎
凄いやあw(゜o゜)w

NNTNNT 2010/03/22 20:34 すげぇや藤岡さん!我が家の定番を!
春日八郎、三橋美智也、三波春夫、村田英雄とかが出てこない…って、サブちゃんの台の話だから仕方ないのかもしれないけど、演歌の成り立ちとかいうんだったら、歌謡曲と浪曲と民謡のハイブリッドだとか言えないものでしょうか?聞いてないから知らないのか…。

KAGEKAGE 2010/03/22 20:44 とゆーか得意な音楽分野があるのかとww
アニソンすら怪しいんだもん。

>藤岡さん
さけ茶漬けウチの婆ちゃんが好きだったんですよ、なんか嬉しいww

うさぎ林檎うさぎ林檎 2010/03/22 21:36 >藤岡さん
先程から「♪ち〜らし〜寿司なぁ〜ら〜♪」が脳内でエンドレスになって困っています。
そう謂う事でしたら、責任を取って下さい(笑)。

Liquid LinimentLiquid Liniment 2010/03/22 23:49 > 当時の出稼ぎ者にとり、パーラーで遊ぶことは気軽な和少ない娯楽のひとつだった。

 「和少ない」は原文ママですか?唐沢氏らしい誤変換に見えますが…

藤岡真藤岡真 2010/03/23 07:35 本題から外れてしまいますが。
当時の永谷園は、
お茶漬け海苔;京塚昌子 (肝っ玉母さん)
梅干茶漬け:都はるみ (♪ すっぱいすぅぱぁい梅干茶漬け)
鮭茶漬け:北島三郎 (♪ はーるばるきたぜ鮭茶漬け)
というスターシステムをとっていました。新製品のちらし寿司の素のタレントには、その中から北島三郎が採用されたのです。「大江戸寿司祭」なんてネーミング候補もありました。

にしむらにしむら 2010/03/23 22:00 >藤岡さん
 「大江戸寿司祭り」
 それは・・・えらいことになってたでしょうね。
 ものすごく、やけくそな臭いがします。
 美空ひばりって演歌?歌謡曲の人のイメージがありますが、違うのかな?
 この辺は疎いので何ともなのですが。

通りすがり二号かな?通りすがり二号かな? 2010/03/23 23:24 演歌を語るのならまず語源と言われるバイオリン演歌から始めた方が、
より華麗なウンチク披露になったかもしれませんね。
彼の年齢なら「ラーメチャンタラギッチョンチョン」ての覚えているのでは?

パチスロ狂の詩パチスロ狂の詩 2010/03/24 14:11 初めてコメントします。ことパチスロに関してガセを流されると黙ってられないのですが、20世紀中にパチスロが「娯楽の王者」になったことはありません。当時のパチスロを打ったことのある人ならほとんどが「パチンコ屋にオマケ程度で設置されていた」「薄暗くて打っている人も怪しく、気軽に立ち入れる場所ではなかった」と表現するハズです。唯一「娯楽の王者」と呼んでも差し支えのない期間は、2003年に登場した『パチスロ北斗の拳』が設置されていた頃でしょうかね。パチンコは確実に「娯楽の王者」であった期間はありますけど。とりあえず「パチンコとパチスロの区別が付いてない」というkensyouhanさんの説は間違いないと思います。

知泉知泉 2010/03/24 19:13 音楽のジャンル分けというのは本当に難しい。「演歌」はジャンルとしての明確な定義がない音楽です。
今回のテーマである北島三郎の音楽に関しては、初期の曲は音楽的に見るとポップスのニュアンスを和風に翻訳した物だと思っています。唐沢氏が取り上げている「なみだ船」なんて、演歌というよりボレロです。

日本の流行歌は大正時代昭和初期に西洋音楽の影響を受け誕生していますが、その時の影響はジャズやシャンソンでした。昭和30年代後半、歌謡界はポップスやロックンロールの日本語訳が多くなり、和製ポップスも誕生しつつありました。その頃、その流れに対して、意図的に和テイストを強めて作られた解答が「演歌」なのではないでしょうか。それら演歌の編曲や演奏などは明らかにポップスの影響を受けています。ド演歌と言われるような曲のメロディを分解するとロカビリーの翻訳だったりします。
「演歌」というと、その中に「湯の町エレジー」などの古賀政男のメロディーも含まれてしまうので話は複雑になってしまうのですが(古賀メロディは演歌ではないと思うのですが、演歌歌手が好んで歌うので演歌という括りに入ってしまう事が多々あります)。

演歌はコブシと言っても、種類が色々あります。その時代以前から活動をしていた美空ひばりのボーカルスタイルのコブシは演歌のそれではなくジャズのビブラート唱法です。三波春夫・三橋三智也・村田英雄などはコブシが利いていますが演歌というより民謡のコブシです。
北島三郎などの演歌のコブシは唸りという要素が加わっていて、洋楽で言うビート感が全面に出てきます。
北島三郎は東京声専音楽学校で勉強していますし、デビュー曲「ブンガチャ節」なんて陽気な寮歌みたいなメロディで「演歌」では無いです。
1963年演歌誕生説は確かにありますが、演歌=日本人の本質というのは余りにも単純な発想です。

通りすがり三号通りすがり三号 2010/03/24 19:27 >バイオリン演歌

唐沢俊一は以前実話週刊誌に借金のコラムを書いていたとき毎回冒頭でバイオリン演歌を一編ずつ紹介していました。
知っているはずです。

通りすがり4号通りすがり4号 2010/03/26 17:59 東京にお住まいの方、4月3日のシネパトスの唐沢トークショーに行って「本を捨てる」どうなりました?って聞いてください。

鏨 2010/03/26 20:21 今年は行きますか
ttp://www.togakkai.com/taisyou/index.html

kensyouhankensyouhan 2010/03/27 02:54 コメントありがとうございます。

>うさぎ林檎さん
自分も『さけ茶づけ』より『すし太郎』の方が印象が強いですね。

>藤岡さん
それは凄いですね。「大江戸寿司祭り」ですか。
唐沢俊一の演歌の定義というのは、文中で引用した部分にあるように「独自の音階」「こぶし」を特徴とするということなんじゃないでしょうか。

>学さん
>鏨さん
同じ方でしょうか。
一応今年も行くつもりです。今回は猫遊軒猫八さんも参加されるとのことです。
ただ、去年のレポートを見ていただければわかるはずですが、自分は大人しく観覧して大人しくレポートを書くだけなんですけど。

>yonocoさん
>KAGEさん
まあ、音楽全般に疎いのはわかりきっているんですけど、「ユーロビート」が出てくるのが面白かったので。

>NNTさん
村田英雄の『王将』は1961年でしたっけ。

>Liquid Liniment さん
自分の誤記だったので訂正しておきました。

>にしむらさん
『柔』とかは演歌なんでしょうか。

>通りすがり二号かな?さん
>通りすがり三号さん
じゃあ、バイオリン演歌のことを書いておけばよかったんでしょうね。唐沢の場合、前に書いていた文章と整合性がないのはよくあることですが。

>パチスロ狂の詩さん
唐沢俊一は『エンサイスロペディア』のプロフィール欄で「大学時代はパチンコ、パチスロの鬼だった」と書いているので、当時の事情を知らないはずがないと思うんですけどね。ただ、唐沢の大学時代にパチスロがあったのかどうか、疑わしいのですが。

>通りすがり4号さん
質問コーナーでもあるのなら自分も行きたいんですけど、シネパトスのイベントではないんじゃないでしょうかね。

くしまつとむくしまつとむ 2010/03/28 23:10  パチスロといわれる前から、「パチスロ」のようなものが、パチンコ店またはパチンコ会館(ホール、パーラーという様なものではなかった)にありました。
 それを「パチスロ」0号機時代と書くのもわかりにくいのではしょってしまったのかも知れません。
 私が高校のときのバイト先の先輩(昭和32年生)がはまっていたので覚えています。
 なので33年生まれの唐沢氏が混同してしまうのでしょう(ライターとしては致命的ですが)。
 浅草にも結構、パチスロもどきができるお店があったようですが、パチンコ好きとしてはゲーム性にかけるきらいがあり、「スマートボール」や「雀球」「アレンジボール」的な存在で人気はイマイチした。

kensyouhankensyouhan 2010/03/29 02:33 コメントありがとうございます。

そうですね、唐沢もそういった具体的な思い出を語ってくれればいいんですけどね。