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唐沢俊一検証blog

2010-11-25

『村崎百郎の本』に唐沢俊一のインタビューが載っていた。

11:33

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 村崎百郎の追悼本である村崎百郎の本』アスペクト)が本日発売される。自分は昨日入手したのだが、村崎百郎の人となりを知ることができるとともに、90年代の「悪趣味」ブームがどのようなものだったかを知ることができる本だと思う。

 さて、この本の中で唐沢俊一「『社会派くんがゆく!』の十年」と題したインタビューを受けている(P.212〜241。聞き手はアスペクト編集部)。

 最初のうちの数年は、かなり特殊な連載だったと思うんですよね。村崎さんみたいな人と犯罪事件や社会情勢について語るというのは。それが最近は、かなり馴らされてきていたというか、はっきりいえば、マンネリ化していた。マンネリっていうのは別に悪いことじゃなくて、むしろマンネリになっている方が「見たいときに、いつでもそこにあるもの」という認識が根付くから、ある意味、マンネリ上等なところもあったんです。ただ、最近は、あまりに異常な事件が続くことが恒常化してしまっていたために、あっという間に日常に埋没してしまう、そういう意味でのマンネリ感が生じてしまっていたような気がするんです。(以下略)

 『社会派くんがゆく!』は実はかなり早い時期から「マンネリ化」していて、「この国はテポドンが落ちないとどうしようもない」「もういちど鎖国したほうがいい」などというボヤキは初期から出ている。ただ、最近ではかなり影響力も減っていたことは明らかで、2ちゃんねるでも「『社会派くん』ってまだやってたの?」というレスをよく見かけた。「燃料」にならないくらい「マンネリ化」が進行していたと言うべきか。


ちなみに、こないだ木原浩勝さんとトークショーをやった時、聞いていた人から「唐沢さん全日、木原さん新日ですね」って昭和プロレスに例えられたんだけど、『社会派くん』も全くそうで、僕が全日、村崎さんが新日という、区分けができていたと思うんですよね。

常にガチンコであるかのように見せかけてアングルを仕掛けてくる村崎さんに、僕がオールラウンドで全てを受け入れる体制で返していく。何となく自然にそんな組み方ができていった。

 唐沢俊一馬場村崎百郎猪木、ということか。ちなみに、『村崎百郎の本』での京極夏彦のコメントによると、村崎百郎は高校時代空手部の主将だったとのことで、唐沢の「武道の達人」発言はそこから来ているのではないか。


この連載がある程度の支持を得て続けていられたっていうのは、この二〇〇〇年あたり以降、新聞の論説欄みたいな旧来のメディアが、少年犯罪などにまったく効力を持たなくなってしまったことにも原因があると思うんです。「貧困をなくせ」とか「子供の人権を守れ」とかのお題目が社会の不条理に対する措置として効果を上げていた時代っていうのはとっくに終わっていて、逆に「法律で守ってくれるんだから、未成年のうちに事件を起こした方がいい」みたいな、良識を逆手にとった犯罪が増えてきた。個人を守れ、子供を守れ、っていうメディアが良かれと思って言ってきたことが、逆説的に新たなタイプの犯罪を生むことになってしまったわけです。僕はこういう時代の変わり目に不思議に巡り合う運勢があって、「と学会」を結成したのもオウム事件の少し前のことで、あの事件が起こる前までは信仰の自由もオカルト的な好奇心もメディアでは良しとされていたはずなのに、あの事件で一気に問題が顕在化して、オカルティズム批判の需要が生まれた時に、「と学会」という存在があった。『社会派くん』も、子供を守れ、個人を守れ、というきれいごとの言説が無力化してきた時に、「そういうお仕着せって、逆に新たな犯罪の温床になっちゃってるんじゃないの?」という批判精神を打ち出す効果があったんです。(以下略)

 『社会派くん』が「旧来のメディア」に対するカウンターとして作用していたことは認めてもいい。長く続いたことで『社会派くん』もまた「旧来のメディア」になってしまった観もあるけれど。

 あと、「僕はこういう時代の変わり目に不思議に巡り合う運勢があって」じゃなくて、オタクにしろトンデモ本にしろ後からブームに乗ろうとしただけでしょう。「と学会」が「オカルティズム批判」の団体と言われると首を捻ってしまう。


 まして、対象になる事件に対してストレートに怒りや罵倒をぶつける村崎さんという人がいてくれたおかげで、僕はある程度、俯瞰した視点から、ちょっとひねくれた物の見方をすることができた。アプローチのやり方こそ真逆なれど、コンビネーションとしてはうまく行っていたんじゃないかと思います。ただ、僕みたいなひねくれた物の見方では、ネットなんかではまず受け入れてもらえないし、正確に受け取れない人は八割以上だと思います。僕は物書きのスタンスとして、やはりどこかにひねりを入れて自分の刻印を刻まないといけないと思うタチなんだけど、ストレートではない物言いというのは、容易には受け入れられなくなってきている。(以下略)

 「八割以上」の人が正確に受け取れない話をする方に問題があると思う。「理解されない俺カッコイイ」という考え方から早く卒業することをおすすめしたい。そもそも「ひねくれている」ことが問題なのではなく、話に間違いが多いのが問題なのであって。


 鬼畜ブーム初期のライターは、村崎さんにしろ僕にしろ、人が読んで顔をしかめるようなネタを書くのは、今の社会の矛盾や醜悪さをカリカチュアしたもの、あるいは拡大して見せたものがすなわちこれだ、目をそむけちゃいけないよというメッセージを伝えようとしてたんだけど、その後に出てきた若い人たちには、単にストレートにグロテスクなものにはしゃいでるだけ、というタイプが多かった。それじゃ一般に拒否されても当然です。それ以降、鬼畜ブーム、悪趣味ブームが急速に終息していったのも当然でした。(以下略)

 自分は「悪趣味」や「鬼畜」にあまりのれない人間なのだが、「メッセージを伝えようとしてた」のが「単にストレートにグロテスクなものにはしゃいでるだけ」より上等だとは思えない。むしろテーマをくっつけようとしているだけ胡散臭さを感じてしまう。そして、シャレのわかる人間とわからない人間はどの世代にもいるのであって、「若い人」をことさら批判する必要はないのではないか。唐沢俊一だってシャレがわかっているのかどうか。

 ちなみに同じ『村崎百郎の本』の中で、根本敬は「悪趣味」ブームに影響を受けた「若い人」に苦言を呈しながらも、ホットドッグ・プレス』が「悪趣味」を特集した時(1996年8月25日号)にブームが終わったと思った、と語っている。結局、「悪趣味」が一般化してしまったのが最大の問題なのだろう。あらゆるブームに共通することではあるが、とりわけ「悪趣味」の場合は一般化してはいけないジャンルなのだろうし。


 よく言われたのが、「こいつら、口ではそう言っていても、全然鬼畜じゃないじゃん」ということなんだけど、別に反良識的なことをひたすら言ってりゃ鬼畜なのかっていうと、そんなことはないんですよ。「何とか頑張れば、世の中はよくなる」とか「人間は向上していく生き物だ」とか「世界は平和になる」とかいう希望、その手の希望を一片たりとも持っていない人間を指して「鬼畜」というんです。物事に対する建設的な解決策とか、進むべき場所、行き着く場所が絶対にあるという信念に対して、「そんなもん、ねえよ」とはっきり言える人間が鬼畜なんです。宗教上の教義や民族のアイデンティティは個人の命を犠牲にした上でないと成立しないし、社会の安定は個人の存在や自由をある程度犠牲にした上でないと成り立たない。それを理解し、その上で、無茶な理想を掲げている暇があったら、残酷な現実に直面しながらどうやって生きていけばいいのかを考える方が重要なんじゃないの、と“至極冷静”に考えて口にするのが「鬼畜」なんです。

 そういう「鬼畜」がビジネス本を書いたり「萌え特区」について語ったりするのもおかしなものだが。それに、前回書いたことにも関係するが、「残酷な現実に直面しながらどうやって生きていけばいいのか」と真剣に考えていたら盗用なんてやれるわけがない。理想をバカにしながら現実的になることもできないのは最悪なスタイルだと思う。


 本当に鬼畜なことだけをひたすら言うだけだったら、十年も続きませんからね。鬼畜の顔を被ってでしか言えない真実、というのもあるんです。村崎さんも自分では俺はキチガイだ鬼畜だとかいうけど、知り合って十四年の間、彼に異常性や狂気を感じたことは、僕は一度もないですよ。

変な話、狂気を打ち出そうとする村崎百郎のスタンス自体はとても理性的だったわけ。逆に、そういう回路を持たずに、普通の人とはちょっとズレたことをそのまんま口にしてしまう僕みたいな人間の方が、異常なんです。

 唐沢の自己分析は正しい。本当に「素」で語っちゃっているもんなあ。そのくせ突っ込まれると「あえてやっているんだ!」と開き直るし。

 ちなみに、『村崎百郎の本』の中で宇川直宏根本敬「『社会派くん』で話しているのは村崎百郎ではなく黒田一郎だ」と同じことを言っている。村崎もまた「素」だったのだろうか。


 さて、ここで重要な話題になる。

―その流れで伺いますが、二〇〇七年に、唐沢さんの盗用問題がありましたね。あの時は、連載で取り上げないのはフェアじゃないということで、あえて取り上げたんですが、村崎さんはあまり乗り気じゃなかった覚えがあります。


唐沢 でも、活字になると徹底したアングルかましてくる。面と向かって僕のことをボロクソ言いながら、返す刀で「俺の文章だったらいくらでも無断で盗んでいいよ」とか、ネットの騒ぎそのものを揶揄するようなことを言う村崎百郎のムチャクチャな態度は、常人には理解できなかったんじゃないでしょうか(笑)。鬼畜の態度としては、ああするしかないんでしょう。でも、なんだか、とても気を使わせてしまったような思いがしてなりません。あそこで村崎さんが連載を下りる気になってもよかったんでしょう。でも、彼はそうしなかった。


―正直なことを言わせていただければ、やはりあの騒動以降、この連載の空気が変わってしまった部分はあるかと思います。


唐沢 それは僕も感じています。村崎さんの発言が良識的になっていたのも、そこに原因のひとつがあるのかもしれません。ただ、あの時、ああいう、どこにも属さない立場から全方位でメッタ斬りにするような発言をするのは、村崎百郎にしかできない芸当だったと思うんです。

 盗用発覚時の対談については後日紹介することにしたいが、そこで徹底して突っ込めなかったのが何よりもいけなかったと思う。村崎百郎が連載をやめなかった理由は今となっては知ることはできないが、『社会派くん』はやはりあの時点で終わっておくべきであった。 なお、こんな註がついている。

※12 唐沢さんの盗用問題

二〇〇七年六月に幻冬舎新書として刊行された唐沢氏の著書『新・UFO入門』の一部に、ネットのブログ記事と酷似している箇所があるとして、問題になった騒動。このときのやりとりについては、『社会派くんがゆく! 復活編』を参照。

 なんともぬるい書き方だ。というか、「たまたまカブっただけ」とも読み取れてしまう。アスペクト編集部もなかなか卑劣ですね。


『社会派くん』はよく、「被害者を傷つけるようなことを平気で言う」って非難を浴びてきたけど、猟奇事件の被害者というのは大抵の場合、加害者よりは真っ当に社会生活が営めている人たちなんですよ。加害者の方は、社会的不適格者。どちらかというと僕らがシンパシーを抱くのは、後者の方なんですね。

 加害者にシンパシーを抱くのと被害者を中傷するのは別問題だろう。


よくブログの意見で目にしたのは「村崎は口は悪いが言っていることは真っ当で、本当にひどいことを言っているのは唐沢」という意見なんだけど(笑)、僕は村崎さんみたいに多重人格を作ることもなく思ったことをそのまんま言っていただけだから、自然とそうなるよね。村崎さんはやっぱり、あのマスクを被ることでようやく鬼畜になれる人だったんだと思う。

 「思ったことをそのまんま言っていた」のがマズいのだと唐沢はわかっているのかなあ。


 トリビアブームの頃、周りの人間から『社会派くん』について「唐沢さん、テレビにも頻繁に出るようになって、お茶の間のイメージもあるんだから、ああいう連載はもうやめた方がいいですよ」って言われたことがあるんだけど、僕自身は逆にこれを続けていかないと、自分自身がパンクすると思っていた。それは村崎さんの方も、「いつまでも鬼畜のイメージで、ああいう連載を続けるつもりなの」みたいなことは言われていたと思う。でもお互い、この業界で長くやってきていて、「サブカルチャー出身の村崎百郎」「サブカルチャー出身の唐沢俊一」でいられることの、最後の砦みたいなものだったんだよね、この連載は。だから多少キツくなってきても、続けてきた。僕自身は、テレビに出てコメンテーター的な仕事をするようになってからも常にどこか居心地の悪さを感じていて、それはやっぱりサブカルチャー作家でやってきた時代があまりにも長すぎたからなんです。だからこそ、この連載の場で毒づけることで息をつけていられた部分はあるし、村崎さんも昔の業界に近い地点で仕事ができる喜びがあったんじゃないかな。

 「ワシントン殺人事件」「HのあとにはIがある」みたいなことがあったんじゃテレビは居心地よくないだろうね。『社会派くん』が終わり「裏モノ日記」も休止して、唐沢俊一にとって息をつける場所がなくなっているのはお気の毒。


九〇年代に『エヴァンゲリオン』のブームが起きて若手の評論家たちがそれをベースに新しい時代の価値観を作ろうとしていた時、僕ら八〇年代サブカルを通過した人間は過去の事例を持ち出して、変なレッテル貼りで矮小化させようとしてしまったきらいがある。『社会派くん』の中でも、僕も村崎さんも『エヴァ』に対する評価は高くないですよね。それは、ブームは起こるとそれに無条件で群がっていく連中が嫌いだったというのもあるんだけど、それとは別に、作品は作品として評価しなきゃいけなかったんじゃないかという思いもあるんです。あれは我々、八〇年代サブカル世代の感覚から事故的に超越した作品が出て来てしまったということなんだから。それを無理に時代の流れに位置づけようとするんじゃなくて、あれは時代から突出した「事件」として捉えるべきだったんじゃないかと、今にして思うんです。

 唐沢俊一の『エヴァ』批判が奇妙なのは、作品ではなくファンを批判していることだ。「作品は作品として評価しなきゃいけなかったんじゃないか」と思っているのなら、きっちり批評すればいいだけの話あって、ファンを批判する必要なんてないのに(そして『エヴァ』の批評も大して良くない)。「八〇年代サブカル世代」でも竹熊健太郎さんは『エヴァ』を高く評価しているから、『エヴァ』を受け止められなかったのは唐沢俊一個人の問題でしょう。『エヴァ』以前に『ガンダム』も理解できないわけだし。

 なお、村崎百郎は『ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ』(三一書房)に寄稿していて、編著者である切通理作さんが『村崎百郎の本』にそのときの思い出を書いている。


 再び唐沢のインタビューに戻る。

 僕らの世代は何かにつけて、一九八九年の宮崎勤事件を起点に考えてしまう世代なんです。あれでオタクという人種が世間に敵視されて、だからそれ以降世間に名が出るたびに、その立場をまず正当化しなくてはという思い、「特殊なものじゃないんだ」と世間に説明しなくてはという義務感、そうしないと駆逐されてしまうという恐怖心があった。だから何か新しい作品が生まれても、あまり喧伝するのはよくない、普通のこととして、世間が気がついていないうちに蔓延させるという戦法で行こうとしていた。そうじゃなくて、本当に新しいものが出てきたときは、それに見合った新しいリアクションの仕方があったんじゃないかと……そんなことを考えると僕も本当の意味での鬼畜になりきれなかった部分はあるかと思います。

 それが『エヴァ』を批判してた理由なのか? まるで理解できないなあ。ブームになった作品を持ち上げた方がずっと簡単にオタクのイメージを上げることができると思うのだけど。

 加えて、オタクのイメージを良くしたい、と思っている割りにはオタクへの偏見を一般人に植えつけるような文章をしばしば書いているのも解せない(『検証本』VOL.3を参照)。


 『社会派くん』という連載自体、あのままの状態で続けていたら敗北だったんですよ。もう一歩先の、違うステージに立たなければいけなかったんです。社会が変貌してきたことによって、今まで猟奇だ猟奇だと言っていたようなタイプの事件が、猟奇でも何でもない、日常の「よくある事件」になりつつあるというのは、もはや異常事態なんです。だから、少なくとも事件の取り上げ方、論じ方を変えなければいけなかったんだけど、それは場を改めてやるべきことだったと思う。『社会派くんがゆく!』というタイトルは実はそういう意味も込められていて、初期の頃から単に猟奇事件をネタに面白くおかしく語っているように見えて、実はその背景にある社会そのものを語っていたんですよ。猟奇事件そのものは「異常だ」と言ってしまえば、そこでおしまいなんです。一般のマスコミと僕らが違っていたのはそこで、確固たる社会通念、常識を大前提として、そこに照らし合わせて「こんな事件は二度と起きてはならないことですね」なんていうのは、ただの思考停止なんです。いま起きている事件は、そういう社会通念や常識が壊れて、世の中全体がおかしくなっているからこそ、起きてしまっているわけで、モラルや常識で簡単に切り捨てられるものではない。だったら、これからは狂っている社会そのものを問題にしないといけない。十年かかって、やっとそれが見えてきたところだったと思うんですね。じゃあどうしたらこれから我々は生きていけばいいのか、どうしたら「誰でもよかった」なんて言う奴の凶刃にかからずに生きていけるのか、それを語るためには、村崎百郎唐沢俊一も、今までのキャラクターを変えて論じないといけなかったんです。その「変えなきゃいけないね」という言葉がお互いの口から出ようとした寸前に、その機会が永遠に断ち切られてしまった。それが悔しいんです。

 もう既に敗北してたのでは?と身も蓋もないことを思ってしまう。『社会派くん』が時評として10年近く続いたのは偉業ではあるものの、逆に言えば「鬼畜」をそれだけ長く同じスタイルで続けていることはおかしなことなのだ。前の方で「マンネリ化」を肯定的に語っていたのに、今度は変えようとしていた、と語っているのもおかしいけれど。

 …それにしても、この部分を読んで本当にガッカリしてしまった。だって、「世の中全体がおかしくなっている」と煽るのは「旧来のメディア」のやりくちそのものではないか。自分は『社会派くん』をずっと読んできて、「世の中はずっと昔からおかしかった」「猟奇事件は日常のありふれた事件でもある」ということを学んできたつもりだから、『社会派くん』の語り手が「世の中全体がおかしくなっている」などと言っているのをただただ残念に思う。

 

 もう少し時間があれば、解決に至る口火を切ることを、僕らはできたかもしれない。でも、それは、この『社会派くん』の枠内で行うことではなかったような気がする。形を変えてやらなきゃいけなかった。そのことは村崎さんも僕もわかっていたことなんです。狂った世の中そのものに向き合わないといけないことがわかっていながら、結局、その狂った世の中そのものの体現者みたいな奴に打ち止めにされてしまった。この『社会派くんがゆく!』という連載の枠内だけの話として言わせてもらえれば、作ったような幕切れです。……欲を言えば、二人とも殺された方がもっと見事な幕切れになったかもしれないけれど、贅沢は言いません。

 いや、そんな威勢のいいことを言うんだったら、夏コミで自分と逢ってくれればよかったのに(8月12日の記事を参照)。「鬼畜」ぶらないで身のまわりには気をつけて欲しい。


 いろいろとインタビューも受けて、サブカルチャーそのものに対する処刑宣告みたいな事件なんだから、もうこの世界みたいな事件なんだから、もうこの世界から足を洗って創作の世界に向かうべきなのかな、みたいなことは言っていたんですよね。でも、二ヶ月ほどたって、「ここで撤退していいのか」という思いの方が強くなってきた。現実に村崎百郎を継ぐ人間なんていないわけだし、僕だって継ぐつもりはないですよ。でも、ここで撤退したら、それこそただの敗北なんです。少なくとも次の社会のケーススタディになるもの、「狂った世の中がどうやったらまともになるのか」を提示していく場所を作っていかなければならない。それは、今の社会を前提にするのではなくて、まったく新しい形の社会像を提示して、それを基に今の世の中の事件を語っていくような内容になるでしょう。『社会派くん』みたいに盲撃ちで月々の事件を取り上げていくだけじゃなくて、そういう事件が起きてしまう社会の構造そのものを浮き彫りにして、でへ、どうしたらそういう事件が起きないような世の中になるのか、そのモデルケースまで提示しないといけないと思うんですね。実際にそういう次のステージの社会の人々を向かわせるのは、僕なんかよりもっと若い人がやってくれると思うんだけど、とりあえずその足場を、土台を作らないといけない。それをやっておかないと、それこそ今度、僕が刺されたりした時に、誰も継ぐ人がいなくなるわけですよ。これは早急にやっておくべきことなんじゃないかと、この数日考えるようになりました。

 「さようなら山崎邦正みたいになっている。「俊ちゃんはやめへんで〜!」というか。時にはやめる勇気も必要だと思うけど。「創作の世界」に向かわないということは、小説第二作はないのだろうか。

 しかし、「狂った世の中がどうやったらまともになるのか」というのを考えないのが「鬼畜」だと唐沢は前の方で言ってるのになあ。ちゃんと前後を考えてから話をしようよ。いつもは若い人をバカにしているのに、自分が時評を続けたいがために後継者の育成をぶち上げるのはいかがなものかと思う。札幌アニソン・サークルの土台作りのためにわざと浪人した(本人談)のとまったく同じ理屈なのは感心しなくもない。

 

 

 以上である。「やっぱり唐沢は物を考えないでしゃべっていたんだなあ」としみじみ思ってしまった。終盤になって一気にボロが出ているのも凄かった。それに比べると、村崎百郎は「演じていた」だけでも偉いと思う。唐沢のインタビューはともかく、『村崎百郎の本』はいい本なので、「悪趣味」「鬼畜」に興味のある人は手にとって見るといいよ。

 なお、冬コミで出す本で、これまでの『社会派くんがゆく!』について総括する予定です。

※ 追記しました。

村崎百郎の本

村崎百郎の本

藤岡真藤岡真 2010/11/25 12:45  これが村崎百郎追悼なんですか。ただただ言い訳に終始しているだけ。しかも、村崎氏は実はまともで、自分の方が真の鬼畜なのだという、売り込みにも似た事故主張は吐き気を催します。

トンデモブラウトンデモブラウ 2010/11/25 13:58 唐沢が救いようのないバカ、しかも天然であることは改めて良く解りました。
ライブとか語り起こしは、特にバカがバレるのでやめた方がよかったんじゃないだろうか。(後で修正する能力もないみたいだし。)
後に残るものは消せないしなぁ…ちょっと憐れ。(8割以上の人がそう思うんだし。笑)
何人かにしゃべってもらって、全部のいいとこ取りしてそれを自分の言葉にする(要はパクる。つまり従来の手法。)しかないぞ、俊ちゃん。

nyannnyann 2010/11/25 15:56 >作品は作品として評価しなきゃいけなかったんじゃないかという思いもあるんです

他の、永瀬唯やスーザン・ネイピアや大瀧啓裕の文章ではそんなことが語られていたし、篠崎誠か黒沢清のどちらかが書いた短い旧劇場版のレビューは
そのものずばりの作品論になっていたけど、唐沢俊一の場合はまったくそんなことをした記憶がないです。と言うかこのくだりは、あの頃永瀬唯が
言っていたことをそのまま自分の考えにしちゃってるような気がするんですけど。「唐沢俊一」が主語になるから支離滅裂になるんであって、
「永瀬唯」なんかに置き換えるとこの文章はすんなり読めるんじゃないですかね。まあ永瀬唯もちょっとあの頃ははしゃいでいましたが。

>何か新しい作品が生まれても、あまり喧伝するのはよくない、普通のこととして

いや、切通氏もじゅうぶんエヴァやゴジラやピンク映画を普通のことじゃないように喧伝してたと思いますよ。
しかも、作者がまったく考えていないような理屈までつけて持ち上げていたじゃないですか。それでいて映画史的事実に即した作品論が出てくると、
それを必死で攻撃して「監督の功績を無にしている」とか言ってましたよね。あの時代、最も時代や作品に近いような顔をして、実は全然
そこから一番遠く離れた場所で「サイコさん」とか「僕の命を守ってくれなかった」とかほざいて作品を抹殺しようとしていた切通氏や唐沢氏が、
今更何を平然と語っているんだと不快になります。ちょっと気になったので、攻撃的な口調で失礼しました。

nyannnyann 2010/11/25 16:13 「守ってくれなかった」じゃなくて「救ってくれなかった」ですね。お詫びして訂正します。
「守ってくれなかったエヴァ」だと、何か初号機が緑のおばさん(死語)やってるようなイメージになっちゃいますね。

discussaodiscussao 2010/11/25 18:34 >nyannさん
nyannさんが切通理作の文として批判している引用文は、唐沢サンのインタビュー記事引用ではないでしょうか?私も最初戸惑ったので、kensyouhanさんの親切なデータ記載が仇となったようですね。切通理作がキライなのは良く伝わりました。

kensyouhankensyouhan 2010/11/25 19:36 コメントありがとうございます。

>藤岡さん
長いインタビューなのでだいぶ省略してますが、一応追悼(追討でなく)しているとは思います。
確かに自己弁護が多いですが。

>トンデモブラウさん
『中州通信』のインタビューにはだいぶ助けられました。

>nyannさん
本文中で切通さんの文章は引用していません。わかりにくかったようなので追記しておきました。

NNT(長文でご迷惑かけます)NNT(長文でご迷惑かけます) 2010/11/25 20:55 『アングル』って言葉覚えて、使ってみたいんですねぇ。

>常にガチンコであるかのように見せかけてアングルを仕掛けてくる村崎さんに、
>僕がオールラウンドで全てを受け入れる体制で返していく。

って、唐沢氏はいつも素でいっぱいいっぱいだったじゃん。
それは片ヤオっていうんだけど。良い人だなぁ、村崎さん。

>でも、活字になると徹底したアングルかましてくる。
>面と向かって僕のことをボロクソ言いながら、返す刀で
>「俺の文章だったらいくらでも無断で盗んでいいよ」とか、
>ネットの騒ぎそのものを揶揄するようなことを言う村崎百郎のムチャクチャな態度は、
>常人には理解できなかったんじゃないでしょうか(笑)。

徹底したアングルかます?もしもーし?
「俺の文章だったらいくらでも無断で盗んでいいよ」
って、皮肉だし、遠回しに盗作に釘刺してると思うのだけど。
これってガチ以外の何物でもない気がします。

>『社会派くん』も全くそうで、僕が全日、村崎さんが新日という、
>区分けができていたと思うんですよね。

これにいたってはNWA王者をバカにしているとしか思えない。
しょっぱい事しかしてこなかったし出来ない人間が王道騙るとは片腹痛い。

ちなみに、唐沢氏が『アングル』を今回以外で使ったのは
http://www.tobunken.com/news/news20101022164754.html
山本小鉄さんの追討の時だけのようです。

村崎さんって本当に良い人だったんでしょうね。鬼畜アングルはしょっぱかったけど。

NNT(またしてもすみません)NNT(またしてもすみません) 2010/11/25 21:17 >やっぱり唐沢は物を考えないでしゃべっていたんだなあ
ですよねー。
唐沢氏はお芝居でもアドリブがものすごく好きらしいのですけど、
それは基礎がしっかりある人がやるからおあしが取れるのであって、
行き当たりばったりの適当ではないんですけどねぇ。
ホントに、ターザン山本と同じだなぁ。

SawaharaSawahara 2010/11/27 11:19 あたし自身は鬼畜や悪趣味に一切理解がなく、村崎百郎とその死には輪をかけて興味がないのでアレですが。

唐沢め、言うこととやることが違いすぎる。
どうやって生きていくかを考えて、至極冷静に盗用を働いたなら、もう見下げ果てたクズ。

>狂った世の中がどうやったらまともになるのか
そんな方策ないとうそぶくのが鬼畜じゃなかったのかよ。

あと、
>このときのやりとりについては、『社会派くんがゆく! 復活編』を参照。
これはほんとうに悪質。

栃尾ジョー栃尾ジョー 2010/11/27 12:02 唐沢俊一って自分を理解出来ない世間と戦い続けてきた「孤高のファイター」ですね。
ただ世間が唐沢に対して無理解な原因の全てが唐沢に起因するので、「孤高のファイター」というより、「アホのシャドーボクサー」にしか見えませんけど。

火野火野 2010/11/27 14:20 自分はこのインタビューは何の引っ掛かりも感じずに読み飛ばしていたのですが、最初から悪意を持ってあらさがしをすればここまであげ足とりが出来るのかと感服いたしました。

topiesotopieso 2010/11/27 15:13 唐沢の言動は調べれば調べるほど出鱈目すぎて、そのうち誰しも腹が立ってしまうのですよ。好きな作家や尊敬する作家(たとえば手塚や筒井)について滅茶苦茶な書かれ方をするとね。
それと、どこの業界にも黎明期には何の才能もない馬鹿がのさばっていたりするものですが、その業界が成熟すると自然に偽者ははじかれていくものです。唐沢が嫌われ消えつつあるのもオタ世界が健全に育っているからでしょう。

個人投資家個人投資家 2010/11/27 20:35 揚げ足ではなく、足下がおぼつかないだけでは?

774774 2010/11/27 21:21 村崎百郎の正体を知らない頃に氏の書いた文章をみて、鬼畜だの電波だの言って
る割には妙に分別臭いことを書いているのが気になっていた。そもそもゴミ漁り
を趣味とする変態だからといってそれがイコール鬼畜じゃないだろって。だから、

>>唐沢 それは僕も感じています。村崎さんの発言が良識的になっていたのも、
>>そこに原因のひとつがあるのかもしれません。

という経緯があったのならそれは、自分のような演技と強弁ではなく素でガゼと
パクリの”鬼畜行為”をやらかす人間が身近にいたことに気付いて毒気を抜かれて
しまったという面もあるんじゃなかろうか、とか考えた。そして、その末路は勘
違いして粋がった偽物が本物と直面してしまった結果、という印象が強い。

久々来訪者久々来訪者 2010/11/27 22:14  久々に検証(らしき駄文)とコメント(らしき単なる罵倒)を見たけど、
正に火野氏の言う通り、唐沢氏への偏見に満ちた陰湿な批評と
私的感情が全てのコメント群、ウェー、ああ、気味が悪い。
 文筆専業の藤岡氏が「事故主張」というヘンな日本語を使うのも、
唐沢憎しのあまり、キーボードをあせって打ったからか。
(厳密には、同氏は『プロ』と言うべきか、正確には兼業なんでしょうね)

 火野氏や私には、特にこの回の「検証」は、「検証」の名を借りた
罵倒にしか見えないが、そのあたりの温度差が、ネットでしか活動できず
リアルではぱっとしない、ネット信者の検証班氏の限界を示すのであろう。

NNTNNT 2010/11/27 23:25 >久々来訪者さん
唐沢氏の、ネタを原典からちゃんと引いて、参考文献として記す作業ってのが出来ていないのは、罵倒でも何でもなく、
文筆業としてなってないと思いますよ?

通りすがり通りすがり 2010/11/28 01:24 まだ、唐沢氏には上のような擁護者?の方々がついてきているだけ幸せなのかもしれませんね。「社会派くん」に限るなら、私が失望したのは、例の事件について、本の前書きで、自分は業界を代表してクレーマーに正論を主張したに過ぎないみたいなことを書いた時でした。悪玉ぶるのをやめて突然善玉ぶったのには唖然としました。

kensyouhankensyouhan 2010/11/28 06:15 コメントありがとうございます。

>NNTさん
唐沢俊一について、ターザンに似ているとかヘイポーに似ているとか書いたことがありますが、その度に「ターザンの方がマシ」「ヘイポーの方がマシ」とコメントと返ってくるのが素晴らしい。どんだけレベルが低いんだ、唐沢さん。

>Sawaharaさん
村崎百郎が盗用について話したがらなかったというのは興味深かったですね。

>栃尾ジョー
ある意味範馬刃牙並みの「リアルシャドー」の使い手。

>火野さん
何故当ブログには、具体的な根拠を示さずに「粗探し」「揚げ足取り」と決め付ける方が時々現れるのか、そろそろ検証すべき時期にさしかかっているのかもしれませんね。

>topiesoさん
今のオタクにとって唐沢や岡田斗司夫は意味のある存在ではありませんね。

>774さん
「鬼畜」を演じていた人と物を考えずに言っているだけの人との間には途轍もない違いがあるのでしょう。村崎さんが対談を辞めなかった理由を知りたかったな。

>久々来訪者さん
>ネット信者
ウィキペディアに頼らなければコメントもできない唐沢俊一のことですか?
自分のことを「ネット以外では何もできない」とか言われる方が時々いらっしゃいますが、おそらく「ネットで活動を続けても現実には影響がない」と思いたい心理のあらわれなのでしょうね。

>通りすがりさん
自分が検証を始めたのも『復活編』の『「新・UFO入門」事件顛末記』がきっかけでした。

栃尾ジョー栃尾ジョー 2010/11/28 14:47 >久々来訪者さん
唐沢俊一のいいところや素晴らしいところがあるなら頼むから教えて。
酒や食い物を奢ってくれたとか、仕事を世話してくれたとかでもいいからお願い。

さのじさのじ 2010/11/28 14:59 気味が悪いと思うのならいちいち覘かなきゃいいと思うのだが。
悪意を以って粗探しをやって、揚げ足取りをやってんのはどっちなんだと。
それもどの辺が駄文でどの辺がただの罵倒なのか、全く示されてないし。
「全部がそうだ」なんて言われたら、「ああ、そういうことは何も読まなくても言えるわな」って思うだけだし。

SawaharaSawahara 2010/11/30 15:09 やぁ来訪者バカくん、お久しぶり。
火野(ピンポンダッシュのクソガキ)ってチンピラ仲間が現れてはしゃいでいるようですが、
わざわざ出てきてぬかすことが「お前の母ちゃん売春婦ー!」じゃあ困っちゃうなあ(火野も)。
せめて「駄文」に該当する箇所を詳らかにして反証のひとつもしてもらわないと、磨き石の役にも立ちませんよ。
「俺様が駄文といったら駄文だーい」とか「こいつらのコメントなんてただの罵倒に決まってるやーい」なんて小学生の強弁が通用する世間だと思ってんの?
あ、思ってるから唐沢親派なんだよね、これはごめんごめん。
それにしても、今回の「久々にkensyouhanの悪口が言えるよ、わーーい」という浮かれ具合を見るかぎり、「来訪者君は相変わらずバカだねぇ」と苦笑するしかないわけですが。
まぁ「バカ」と呼ばれるのが嫌だったら、もう少し賢いふるまいをなさい。
じゃ、さよなら来訪者くん。

と、眠田のバカを気取ってみたり。

>リアルではパッとしない
来訪者も逆検証本でも上梓してタコシェに卸してみたらいいのに。

もうね、唐沢擁護=ブーメラン投げのカスって証明ばっかりで疲れるのよ。どうしてバカの声はこんなにでかいのか。

あとついでに、2ch唐沢スレのふか夫認定厨もワラカス。
おいおい、そいつァあたしだよ。