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唐沢俊一検証blog

2011-03-29

唐沢俊一の新刊情報&斎藤環へのツッコミ。

18:28

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karasawagasepakuri@yahoo



唐沢俊一新刊を出すらしい。しかも2冊も。

 いやー、めでたい話だ。日記を休止してまで続けていたプロジェクトとはこれだったのかー。

 …と、素直に喜びたいところなのだが、若干心配なのは『本を捨てる!』の前例があること。発売日まで決まっていたのに今のところ出ていない…、あ、正式な発売日からもう一年経つのか。唐沢本人のコメントからするとポシャったっぽいのだけど。

 いずれにしても、新刊が2冊とも無事に発売されることを祈っています。できれば夏コミで出す予定のレビュー本でも取り上げたい。



●永井秀之さんが唐沢俊一に遭遇した時の話(その1その2)。いかにもな話である。



●その一方、唐沢は自身のサイトで「自粛不況を打破しよう」という文章を発表し、震災による自粛ムードを憂えている。出版業界にも影響が多々あるので、他人事ではないのだろうね。新刊だってどうなるかわからない。この文章に対する批判はSY1698の日記でもされているが、自分も気になった点をひとつ指摘しておく。

007シリーズのM役でおなじみのジュディ・デンチ主演の、

『ヘンダーソン夫人の贈り物』(2005)という映画があり

ました。第二次大戦時のロンドン空襲のさなかに、ヌード・

レビューを上演し、度重なる営業自粛命令にも頑として閉館を

肯んじなかった劇場の物語です。こういうときにこういう舞台

を公演し続けた方も偉いが、通い続けたロンドン子もえらい。

日本でも、東京渋谷のストリップ劇場、道頓堀劇場が震災

のとき、営業自粛していたのが18日にやっと再開した、と

いうニュースがありました。別に観に行こう、とは思いません

が(笑)、拍手したニュースでした。

 ヘンダーソン夫人が経営する劇場に閉鎖が命じられた理由は、劇場に客が集まりすぎて安全上問題があったからで、ヌードが不謹慎だとされたからではない。まあ、「空襲の最中にも劇場を閉めなかったのはエラい」と言えるのかもしれないが、唐沢は同じ文章の中で

さすがに3月中の野球開催は無茶だろうとは思いますが

と書いているので、「何故野球はダメなのか?」と気になってしまう。それから、ヘンダーソン夫人がロンドンの他の劇場が閉鎖していたにもかかわらず公演を続けたのには実は深い理由があって、公演を続けたせいで悲劇が生まれてもいるので(ネタバレになるのであえて省略)、「日常を崩すな」と自粛ムードを批判するために持ち出すのは違うんじゃないか?と思う。誰もがヘンダーソン夫人のように信念があるわけじゃないのだから。ちなみに、『ヘンダーソン夫人の贈り物』はなかなか面白いのでオススメ。

D



唐沢俊一鶴岡法斎『ブンカザツロン』(エンターブレイン)が出る切っ掛けとなったのは、斎藤環戦闘美少女の精神分析』(太田出版ちくま文庫)ということらしく、『ブンカザツロン』の中でも斎藤について言及されている(3月1日の記事を参照)。したがって、『ブンカザツロン』を検証するためには『戦闘美少女の精神分析』にも目を通しておく必要があるわけだが、『戦闘美少女の精神分析』の中に気になる箇所があったので取り上げてみようと思う。一応「唐沢俊一検証blog」としても関わりのある話なので。

 『戦闘美少女の精神分析』の第1章で斎藤は「おたく」について定義している。斎藤によれば「おたく」とは「虚構コンテクスト親和性の高い人」であり、「虚構化の手続き」を行うことによってアニメを我が物にしているのだという。『戦闘美少女の精神分析』単行本版P.36〜37より。

 彼らが好きなのは虚構を実体化することではない。よくいわれるように現実と虚構を混同することでもない。彼らはひたすら、ありものの虚構をさらに「自分だけの虚構」へとレヴェルアップすることだけを目指す。おたくパロディ好きは偶然ではない。あるいはコスプレ同人誌も、まずこのように、虚構化の手続きとして理解されるべきではないか。

 それほど「濃く」ないにしても、一般におたくは評論家である。すべてのおたくは評論衝動とでもいうべきものを抱えており、この点では宮崎勤も例外たりえない。むしろ評論を忘れたファンは、おたくには見えない。おたくならば作品を、あるいは作家を語りに語って、語り倒さなければならない。そして彼の饒舌は作品そのもののみならず、作品と自分との関係性にすら及んでゆくだろう。おたくが評論するとき、その情熱はまたしても、新たな虚構を創造するという所有への熱意に重なる。つまり極言すれば、おたくは自分の愛好する対象物を手に入れる手段として「それを虚構化する」「それを自分の作品にする」という方法しか知らない。そこに新たな虚構の文脈を創り出さずにはいられないのだ。

 このくだりだけ読むと、唐沢俊一斎藤環を批判しなくてもよかったのにな、と思う。むしろ唐沢に都合にいいことを言っているのではないか。

 斎藤の文章はそれなりに頷ける部分はあるものの、すべての「おたく」が「虚構化」を行うものだろうか?と疑問を感じるし、また「虚構化」は「マニア」にもあてはまることではないか?とも思う。ただ、斎藤は「おたく」と「マニア」を区別するにあたって「この分類は私の個人的印象に基づくものであり、なんらかの基礎資料に忠実なものではない」(P.32)とコメントを付しているので、その点に気をつけて読めばあまり問題はないのかもしれない。

 しかしながら、この後に続く文章には問題があると言わざるを得ない。P.37より。

 岡田斗司夫氏が「オタキング」たりうるのは、彼の知識量がぬきんでていたためでも、情報が正確であったからでもない。なによりも彼は過去に、きわめてアマチュア的な立場から伝説的な名作『オネアミスの翼』というアニメーション映画を制作した。さらにまた名作OVAトップをねらえ!』の制作にも関わった。その緻密なマーケティング感覚は、こうした実体験に基づいており、それ自体が見事な評論である。おたく業界とは、すぐれた批評性が高い創造性にそのまま結びつきうる、希有の領域なのである。彼が尊敬されているとすれば、それは彼の抜きんでた虚構創造能力によってであろう。おたくにあっては、マニアにおいては厳しく要請される「情報の正確さ」の価値は、「正確であるに越したことはない」程度のものだ。事実、岡田氏はしばしば思いこみによる誤情報を語るが、それは「芸風」として許容されている。そこには、たとえ誤りであっても面白ければOKというコンテクストすら存在するだろう。

 …じゃあ、大統領のヘルメット」のおかげで岡田斗司夫は「おたく」に尊敬されているということなのか? 斎藤の理論が正しいのであれば、唐沢の「『宇宙戦艦ヤマト』はわしが育てた」も「虚構創造能力」の一環として評価されるべきなのかも。

 だが、それはおかしな話と言うしかない。「おたく」にだって「情報の正確さ」が求められることに変わりはない。それに、岡田の与太話が面白いという見方を否定するつもりはないが、あくまでそれは「テキトーに聞いてるぶんには」いいという話でしかなくて、「うそつきくん」は面白がられても尊敬されはしない(もちろん他の部分で岡田が尊敬されている可能性は大いにある)。斎藤環より唐沢なをきの方が真実を衝いているのだ。そもそも口の上手い人間がもてはやされるのは「おたく」に限った話でもないのだが、岡田への過大評価がミスを招いたと言うしかない。「オタキング」って別に「オタクの代表者」ではないと思うんだけど。

 『戦闘美少女の精神分析』については『ブンカザツロン』の検証の中で再度触れるかも。面白いけどひっかかる部分もあるので。


戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

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まんが極道 5 (ビームコミックス)

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yonocoyonoco 2011/03/29 22:31 いつでるか書いてないのが、微妙に不安ですね(--;)>唐沢さんの新刊

SY1698SY1698 2011/03/29 23:49 いかがお過ごしでしょうか。ご無理はなさらないでください。

唐沢俊一の新刊は、やはり「追討本」でしたか。
「いや、有名人というのはよく死ぬものですね」という言い方が「追討」ここにありという感じで非常にイヤなのですが、今日はその出版が決まってはしゃいだか、石原慎太郎の「花見自粛」発言に見当違いな批判を入れております。あまりにイラっときたので、文体模倣して批判してしまいましたw
http://www.tobunken.com/news/news20110329203029.html

しかし、もう少し人をイラつかせない文章を書けないものだろうか、この時期に>唐沢俊一

kensyouhankensyouhan 2011/04/01 21:58 コメントありがとうございます。

>yonocoさん
最近ハイになってるんじゃないか?と思います。日常を崩さないようにしてほしいです。

>SY1698さん
最近の震災関連のメッセージらしき文章の連投はなんなんだろうな、と思います。そんなキャラだったっけ?

discussaodiscussao 2011/04/02 19:18 斎藤環は精神病理学から「おたく」にアプローチしており、その考察から「おたく」定義4項目<虚構コンテクストに親和性が高い><愛の対象を「所有」するために、虚構化という手段に訴える><二重見当識ならぬ多重見当識を生きる><虚構それ自体に性的対象を見出すことができる>は提示されました。その裏づけとして、当時「オタク」文化の中でそれなりに受け入れられていた岡田斗司夫のビッグ・マウスを例に出した、というふうに私は受け取っていたので、kensyouhanさんの批判は粗いように感じました。その岡田斗司夫が森川嘉一郎の都市論・意匠論『趣都の誕生』を<オタクというのはミリタリーやウルトラマンを含むわけで><何で“萌え”だけがオタクなのか>と矮小化したかたちで批判していたのを思い出しました(『オタク論!』)。「虚構化」といっても、斎藤が言っているのは「虚言」に限ったことではなく、例えばkensyouhanさんがエントリのタイトルに凝るという事象などもひとつの発露という解釈でしょう。

kensyouhankensyouhan 2011/04/06 21:25 コメントありがとうございます。

「ビッグ・マウス」については、記事に書いた通り、
>口の上手い人間がもてはやされるのは「おたく」に限った話でもない
という風に考えています。ご指摘を受けて、岡田の語り口に「おたく」独特な部分があるか、ということは気になったのでそのうち文章を読み比べて考えてみたいと思います。
あと、「タイトルに凝る」のは本家「裏モノ日記」のモノマネをしているだけですが、それを「虚構化」とするならば、小林信彦『神野推理氏の華麗な冒険』の各話タイトルも「虚構化」になるのだろうか?と興味深く感じました。

discussaodiscussao 2011/04/07 06:25 >小林信彦『神野推理氏の華麗な冒険』の各話タイトルも「虚構化」になるのだろうか?

あんまり斎藤環のことを「擁護」するつもりもないのですが、斎藤が使っている「虚構化」にはとうぜん<小林信彦『神野推理氏の華麗な冒険』の各話タイトル>も<本家「裏モノ日記」のモノマネの『唐沢俊一検証Blog』タイトル>も<キングさよなライオン>(http://www.youtube.com/watch?v=_jtXyfZWwv8&feature=player_embedded)も含まれると思いますが。『戦闘美少女の精神分析』には大澤真幸『電子メディア論』の「おたく定義」を参照批判した箇所もあり、大澤『虚構時代の果て』における「虚構性」の問題と繋がっています。その『虚構時代の果て』は伊藤剛さんがかつて提示された「オタクのシニカル理性」の参照となっていて、たぶんそのへんは全部繋がっているのではないでしょうか?
で、小林信彦はオタクじゃないわけだから(いや小林信彦はオタクだよ、という文脈をいまは採用しないという意味)、そうなると<虚構コンテクストに親和性が高い>のはオタクだけの話ではないのではないか?という反論があろうかと思います。そういう意味では斎藤は一般に共有する普遍性のある傾向を述べているわけですが、精神分析的考察のありようとして、そういう普遍性のある傾向も「オタク」の存在から派生したり影響を受けたりしているといったようなアプローチなんじゃないかなァと思います。それで、話の補強に岡田の「大統領のヘルメット」のようなビッグ・マウスを例に出したと(当時はそれでそれなりに通用してたわけでしょ?)。いま読んで岡田を過剰に持ち上げていると読めるのはそうだと思うけれど、岡田の話を根拠に<虚構コンテクストへの親和性>の話にミソをつけるのはちょっと可哀相と思ったまでです。

kensyouhankensyouhan 2011/04/08 01:25 コメントありがとうございます。

「大統領のヘルメット」が受けていたかどうかはわかりかねます。「記憶違いを無理矢理正当化しようとしている」のが面白いのかも、とは思いますが。
「おたく」に限らず、ネット内で誤情報やルールに反する行動に対して段々と厳しくなってきた、というのは有るかもしれません。そのような風潮を菊地成孔は「純粋化」と言ってましたが、「唐沢俊一検証blog」もそういった流れとは無縁ではないのでしょう。「面白いから検証している」という自分の動機はあまり「純粋」ではないような気もしますが。

discussaodiscussao 2011/04/09 19:02 >「大統領のヘルメット」が受けていたかどうかはわかりかねます。

ええ。わたしも「大統領のヘルメット」が受けていたかどうかよく知りません。たんにkensyouhanさんが例として挙げていたのと『オタクの迷い道 』での自慢ぶりから「受けていたんじゃないか」と推測したまでです。「大統領のヘルメット」がお気に入らないならば、「オタク文化はサブカルチャーではない」でも「オタク文化は江戸時代の職人文化の正当な後継者」でも「定年後は女房と一緒にのんびり過ごしたいと考える夫は女房とのコミュニケイショーンを拒絶している」でもなんでもいいんですけど。
<菊地成孔の言う「純粋化」>が具体的に何を指すのか手近の資料では判断できないのですが、文脈としてたどれば、斎藤の言説は「純粋化以前」のものであり、それを「純粋化以後」のkensyouhanさんが「純粋じゃない」と批判しているように見えたといったところです。

kensyouhankensyouhan 2011/04/12 10:40 コメントありがとうございます。

菊地成孔の発言は『Kamipro』1月発売号でのものです。菊地氏が他で同様の発言をしているかどうかはわかりません。
ネットがいつ「純粋化」したのかをハッキリと判断することはできませんが、そこに関わる人間が多くなってくると「純粋化」は避けられないのかもしれません。ワイドショーやニュース番組では「純粋」な意見が見受けられますが、あれは視聴者に合わせているのでしょう。
それから、唐沢俊一がラーメン屋でオタク同士の間違いだらけの会話を聞いて憤慨した話を思い出しました。これも「虚構化」として考えるべきなのだろうか。
http://www.tobunken.com/diary/diary20020813000000.html