唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ストリート・ファイティング・ガール。

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●4月21日に読売テレビで放映される『上沼・高田のクギズケ!』唐沢俊一がパネラーとして出演するとのこと。番組を観られる方は是非チェックしてみてください。上沼恵美子にイジられる唐沢俊一は見てみたいものだが…。





●今回から、唐沢俊一鶴岡法斎『ブンカザツロン』エンターブレイン)の第3章以降の検証に入る。第1章、第2章の検証については2011年5月18日のエントリーから順番にたどってほしい(本文以外のコラムは2011年3月1日のエントリーからスタートしている)。やっと最後の大ネタを片づける気持ちになれた。なお、今回の検証は『ブンカザツロン』だけでなくそれ以外のテキストも参照していく予定で、話があっちこっちに飛ぶかもしれないことを予めおことわりしておく。


 P.116〜117より。

唐沢 「オタクがコミュニケーション不全だというのは、極めて部分的なことだ」っていつも言ってるんですよ。
(中略)
そもそも、知識やコレクションをひけらかそうと思うなら、少なくとも、オタク同士の意志疎通(原文ママ)のある場に出ていかなくちゃいけない。
(中略)
斎藤環さんの『戦闘美少女の精神分析』ね、あれでヘンリー・ダーガーという画家をモデルに持ってきて、「これがオタクのアーキタイプ」って言うのはすごく違和感がある。だって、周りにそんなのひとりもいませんよ。


 斎藤環が『戦闘美少女の精神分析』でヘンリー・ダーガーを持ち出しているのは、日本の漫画やアニメに「戦う少女」が多い理由を考察するためであって、斎藤はダーガーを「おたくのアーキタイプ」とは見做していないのではないか(どちらかと言えば斎藤はダーガーと「ひきこもり」の関連性を重視している)。それに「アーキタイプ」という言葉の使い方も適切なのかどうか。まあ、唐沢は「戦う少女」に萌える人じゃないから、そのような誤解をしたのかもしれないが…。
 ちなみに、唐沢は『ブンカザツロン』のまえがきで『戦闘美少女の精神分析』が本を出すきっかけになったと書いていて、斎藤をボロクソに批判している(上に挙げた2011年3月1日のエントリーを参照)。

 P.118より。

唐沢 だから、斎藤さんとか、あそこあたりの一派っていうのは、みんな「オタクというのは内在するもの。自分の中にオタク的なものというのが内在して生まれる」と言っている。私なんかはね、そうじゃなくてオタクというのは“怪獣映画とか、その夏休みのアニメの特番とかっていう大衆文化の過剰な発達によって、普通の人間がそのような話でもってフックができたりとか、そのような話でもって世代確認ができたりっていうことで作られたもの、外側からのオタク生成文化というもの、オタク的なものを生み出すような文化ありきでもってオタクって性癖・傾向を持ったグループができたんだ”って感覚的に押さえているんで。
(中略)
それを、そうじゃない、オタクにしかなり得ない人格というものがあるんだってとらえるのは、やっぱり精神科医の人だからね。


 斎藤環はどのような「一派」に属しているというのだろうか。こんな具合に人間は誰でも何らかの派閥に属している、という見方をしていたせいでトラブルになった件については、この次の次の回で取り上げる予定。また、この唐沢の発言の後で、鶴岡氏が「ヤドクガエル」の話を持ち出しているのだが、「ヤドクガエル」をめぐる奇妙な現象についても後々取り上げる予定。
 さて、上の発言であるが、「人は何故オタクになるのか」といえば、確かに唐沢の言うとおり外からの影響によるところも大きいのだろうが、同じアニメを観て、同じマンガを読んでいてもオタクになる人とそうでない人がいる、この理由を外からの影響だけで説明をつけることはできるのだろうか。
 むしろ問題なのは、唐沢俊一が「感覚的に押さえている」だけで「人は何故オタクになるのか」という点を掘り下げて考えていない点にあるのではないか。「オタク第一世代」などという生まれた年でのみ考えるのはあまりに単純すぎるのであって、彼らがどのような環境で生まれ育ったのかという点まで考える必要があるように思う。「オタク第一世代」といっても、彼らと同世代の人間でオタクにならなかった人間の方が多いわけなのだから。たとえば、各人の学力や身体能力の優劣、生まれ育った土地が都市部だったのか地方だったのか、そういったファクターも無視してはいけないのではないか。その点に関して言えば、唐沢や岡田斗司夫については彼らの実家が裕福だったことを無視するわけにはいかない、と自分は考えていて、唐沢や岡田は「オタク第一世代」でもイレギュラーな存在なのではないか、という気がしている。この「人は何故オタクになるのか」というテーマについては、来たる岡田斗司夫検証の時に詳しく考えてみたい。
 あと、怪獣映画やアニメが「フック」になった、というのも妙な話で、それなら芸能やスポーツの話の方がよっぽど「フック」になるはずじゃん、と思ってしまう。何故スポーツではなく怪獣映画やアニメの話をしたのか、それも外からの影響だけで説明はつくのだろうか。



 今回はここまで。次回と次々回は重量級の話になるはずなので、最初はこれくらいでいいか。


『V・フォー・ヴェンデッタ』で一番燃えたのはエンドロール。


ベガーズ・バンケット

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ブンカザツロン (ファミ通Books)

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戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

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