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道化が見た世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-01-06

女性がジャニーズやEXILEと付き合わずに僕達一般人と付き合うことは妥協である。

| 19:05 |

新年明けましておめでとうございます。そして、本日1月6日は僕の25歳の誕生日なんです。誕生日にこのような記事を更新するのは拗らせの極みの様な気も致しますが、実際に拗らせの極みなので理にかなっているというものです。



さて、今日は僕が常々抱いている疑念というか、もうどうしようもないこの世界に、ただ無力な自分がいるというポエティックであり虚無的な心情を、客観的に考察したいと思います。それはタイトルにもある通り、女性がジャニーズEXILEと付き合わずに僕達一般人と付き合うことは妥協である。という命題です。



こういうこと言うと、まずはじめに善良な市民の皆々様は、「いや、有名人を好きになるのと現実世界の人を好きになるのは全然違う感情だから。」なぞと、生暖かい吐息をかけてくるきらいがありますが、冷静になって考えれば分かりますが、ジャニーズEXILEも僕たちも、総じて現実世界の人間なのです。



まずは認識を新たにしなければいけない。そもそもジャニーズEXILEも僕たちも、この地球上に生存している人間であり、男子なのです。みんな同じ土俵に立ってはいるのです。では、同じ土俵に立ってはいるのに、どうして好きという感情を「(有名人に抱くそれとは)違う感情だから」と言われてしまうのか。


彼女たちの主張は絶対的に誤っています。彼女たちが抱く好きという感情は、ジャニーズに対しても、EXILEに対しても、僕たちに対しても、それぞれ同質なものです。しかし、けれども、違う感情として彼女たちの中で処理されてしまう原因、それは、ジャニーズEXILEが遥かに超越的に格上であり、ひるがえって、僕たちが遥かに超越的に格下の存在であるからに他なりません。




ごくシンプルに言ってしまえば、




彼らと比べると、僕たちは何の魅力も価値もない。






一人の男として完全に敗北している。






何の為に生きているんだろう。





彼らがあまりにも魅力的で、価値があり、輝いて見えるので、彼女たちは、自分が抱く好きという感情をねじって理解してしまっているのです。僕たちは彼らに比べると、価値も低く、魅力も無く見える対象でしかないわけです。イケメンであり、歌って踊れ、ひたすら努力を重ねている彼らに勝てるはずもありません。これが現実なのです。



さて、ここで一つ考えてもらいたいことがあります。誰かとお付き合いしているときに、みなさん一度は、ふと不安になったことはありませんか。「この人が違う人のことを好きになったらどうしよう」という不安を抱いたことはありませんか。自分よりイケメンな人に、可愛い人に迫られたらどうしようという、あの普遍的で根源的な不安。



自分より魅力的であり価値のある他者が、自分と付き合っている人に迫ってきたら、そこに見えるのは敗北という二文字でしかない。それが、ましてや、あの、名高き、男の頂点に君臨するジャニーズ様やEXILE様であったとしたならば、一人間としての圧倒的完敗しかあり得ないでしょう。



僕が嘆きたいのは、明らかに自分が無力であり、魅力的ではなく、価値のない人間であることを自覚せねばならないということです。仮に僕が誰かと付き合っていたとして、その子の前に自分より魅力的で価値のある男が現れ、彼に迫られたとしたら、僕は確実に負けるでしょうし、仮に負けていなかったとしても、それは、その子の前に自分より魅力的で価値のある男が現れていない限りにおいてでしょう。



だから、結局のところ、僕が言いたいことは、タイトルに戻りますが、女性がジャニーズEXILEと付き合わずに僕達一般人と付き合うことは妥協である。ということなのです。確かに、そこらじゅうにジャニーズEXILEがいるとは言いませんが、少なからず、あなたを脅かすジャニーズEXILE“的”な存在はいるに違いありません。



そう考えると、他者(特に同性)は潜在的にも顕在的にも自分にとっては敵でしかない。自分では到底かなわない敵が周りにはうじゃうじゃいるかもしれないという恐怖と不安を背負ってかないといけない。



どうすれば、そんな彼らに勝てるのか。まず勝ち目はないんです。ただ、信じるしかないんです。自分達が付き合っている子に対する、自分の、愛の力が、彼らよりもまさっているか、というその一点のみに、全てを捧げるしかないんです。その子が、その愛という、計量不可能で曖昧模糊としたアホみたいな抽象的概念を汲み取り、繋がり続けてくれるかという一点のみを信じるしかないのです。








、、、死にたくなるだろ?

(完全虚脱)

2014-05-14

約束させるという行為はチートである。

| 04:11 |

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今年に入って半年近くぶりの更新である。2014年という新年が明けてからすぐ書いた記事、これから精力的に更新してゆく旨を伝えたあの記事を、既に新年の折り返し地点に差し掛かっている私が見つめている。もはや2014年は新年ではない。これも私の怠惰のしからしむるところである。全ての罪は怠惰にあり、私にはない。


さて、早速本題に入っていきたい。一般的に「約束する」という行為は、どのようなものだろうか。今回私が話したいのは書面上で交わされる様な契約的な、フォーマルな約束ではなく、当事者間でライトに行われる口約束である。


端的に言えば、「約束する」とは、当事者間での決め事を、私はちゃんと守りますという宣言である。そして私達は、した約束は守らなければならないという倫理観を、社会的に植え付けられて育ってきた。つまり、その約束を「破る」という行為は、非倫理的であり、人とのしてしてはいけない行為と認識しているのである。


重要なのはここなのだ。約束を守ることはまっとうな人間として当たり前のことであり、約束を破ることは、まっとうな人間としてあるまじきことなのである。私たちはかかる倫理観を共有して生きている。


この前提を頭の片隅に置きながら、タイトルの「約束させるという行為はチートである」を掘り下げてみよう。約束させる行為というのが何故、チートなのかと言えば、結論から言えば、当事者Aの欲望を、約束させるという行為にかこつけて、ノーリスクで満たすことができるからである。


何を言っているのか分からないと思うので、分かりやすく、約束を交わす当事者Aと当事者Bを例に挙げて説明したい。当事者Aは当事者Bに対して約束を取り付けたいと思っている。その約束とは、自分の欲望に即した、「今度、美味い飯連れてってくださいよ!約束ですよ!」というものである。


当事者Aは自分の食欲を満たしたい、その道具として当事者Bを利用しようと企んでいる。よく考えてほしいが、当事者Bには当事者Aの食欲を満たさねばならない道理はない。まごうことなきAのエゴであり、にも関わらずこの上から目線の物言いは、一体何であろう。


ここで、当事者Bは半ばノリでその約束をしてしまった。今度美味い飯に連れていく約束をしてしまった。ここでBの中にその約束への義務感と、それを破ってしまった時の罪悪感が同時に生まれるのである。ここが重要である。


Aは自分の欲望をぬけぬけとさらけだして、その欲望を満たすようにBに求めた。むろんBはそれに従う道理はない。非難されるべきは間違いなくAである。しかし、Aはそれを約束というヴェールに包んで提示してきた。そしてBはそれを快諾してしまった。Bがそれを快諾してしまった瞬間から、その理不尽な要求を履行せねばならない義務感と、それを破った時の罪悪感に苦しめられることになる。


何故なら、約束を破るという行為は、まっとうな人間としてあるまじき行為だからである。


Aの立場になって考えた時、約束させるという行為がいかにチートであるかが理解できる。そもそもの問題なのだが、約束を取り付けるという行為自体が、完全にノーリスクなのである。約束させる相手にただ、「約束ですよ」と添えるだけでいい。演出として指切りをすれば、もう完璧だろう。


Aはノーリスクで自分の欲望を叶えることが、叶える可能性を高めることができるのである。万が一Bが約束を破った場合には、Bを人格的に糾弾することさえできてしまう。「約束を破る人ってどうかと思いますよ。人としてどうなんですか。人間性疑います。」といった具合に。この理不尽さ、皆様に伝わっていますでしょうか?


また、約束の強度を高めるためには、むろんその当事者が約束を守る人間でなくてはいけない。普段約束を守らない奴の約束を、誰が守らなくてないけないと思うだろうか。そんな奴に約束守れよと言われたところで、いやお前だって約束破りまくってるやんでアウトである。


それと、約束される側の立場から言わせてもらうと、約束というのはむやみやたらにするべきものではない。約束させられそうになったら、とりあえずお茶を濁す。約束にはお茶を濁す。これが正解である。


で、最後に言いたいのは、私たちはドンドン自らすすんで相手方に約束をさせるべきなのです。こんなにノーリスクで自分の欲望を満たすことはできないからです。約束という便利なツールを使って、自分の理不尽な要求をたたきつけ、もし相手方がその押しに負けてその約束をしたとなればこちらのものです。約束が守られればもう言うこともなく完璧ですが、仮に破られたとしても、「約束を破るという人間としてあるまじき行為をした」相手方の人格を徹底的に攻撃できるのだから。