「レポートコピペ問題」の、本当の問題点と根本的解決法

ネットの普及に伴い、大学で提出するレポートに対して、コピペ提出の問題が話題になっている。

全国の大学の先生が頭を悩ませているレポートコピペ問題もこれまで度々ネットでも話題になっていて、こちらのコメント欄にもいろいろすごい例が出されている。「映画を見てジェンダー観点から分析せよ」という読書感想文に近い課題を出している私も、この問題を毎期抱えている。

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090206/1233931403

これに対して、「実社会でもコピペしまくりなんだから、学生だってOKだろ」的な批判をする人があるが、それはナンセンスだ。なぜなら、実社会のレポート提出と、大学でのレポート提出は、目的も機能も意味も、全く異なるものだからだ。

  • 実社会のレポート提出
    • 目的:「読者が」レポートの内容(知識・情報・理解)を獲得する(読者教育)
    • 「執筆者が内容を獲得している事」は、おまけに過ぎない
  • 大学でのレポート提出
    • 目的1:「執筆者が」レポートの内容(知識・情報・理解)を獲得する(執筆者教育)
    • 目的2:レポートの内容(知識・情報・理解)を「執筆者が獲得しているか」を判断する(執筆者評価)
    • 「読者(=教員)が内容を獲得する事」は、おまけ以下

両者は形式こそ共通点があっても、このように目的も機能も意味も全く異なる物なのだから、前者では十分な方法だとしても、それは後者の目的に対しては全くナンセンスなのは明らかだ。コピペ問題はやはり問題なのだ。

問題の構造

大学でのレポート提出は、技術的制約によって「レポートを書く≒理解する・理解度が露出する」が成り立っていた、ネット普及以前の時代に生まれたものだ。レポート提出は先の前提の元で長きに渡って有効であり、広く行われてきて、当たり前の物になっている。当たり前の物であるから、そちらを疑う発想が乏しく、前提が崩れた事の方をおかしいとか悪いとか言ってみたりしているのだ。しかし、いまやその前提が崩れた。前提が崩れている旧態依然の方法を採用し続けるのがそもそも間違いだ。
そのうちに、自動文体変更サービスとか、文章構成変更サービスとか、あるいはいつの日にか実用的な自動レポート生成サービスなんて物が現れるかも知れない。技術的に可能ならば誰かがやり、それによって誰もが利用できるようになるのがネットだ。それなのに、技術の進歩で前提が崩れた物に拘泥していては、ますます問題は悪化する一方だ。では、どうするのか。

直接的対策

原理的には簡単だ。執筆者評価の目的に対しては、他の方法で学生の理解度を露出させればよい。ペーパーテストでも、口頭試問でも良い。あるいは、ペーパーテストのように一定時間拘束して監視を付けてミニレポートを書かせるでもよい。執筆者教育の目的に対しても、他の方法で学生に理解を与えればよい。授業で問題を解かせるでもよいし、ディスカッションのような主体性を要する方法を取り入れるでもよい。

…。そうはいっても、そんな時間もマンパワーもないとか、それでは不十分というのが現実の声だろう。それはその通りだと思う。その通りなのだが、実はここまで書いた事は、本当の問題ではない。コピペ問題にはもっと重要な本当の問題があり、上記は、そこから目を逸らしているために生じている、単なる表面上の齟齬に過ぎない。

本当の問題点。そして解決法。

ズバリ言うと、大学でのレポート提出が、目的それ自体が最初から間違っている、と言う事だ。学生はわざわざ大金を払って、最高等教育を受けるために大学に通っている。であれば、執筆者教育目的でレポートの課題を提示するのはよいが、提出を強制する必要自体がないはずだ。レポートを不正な方法で作成・提出するような学生は、自らその教育効果を放棄しているのだから、勝手にさせておけばよい。執筆者評価も、教育という目的上、理解度に適した教育を与える(例えば再履)物であるハズであり、不正レポートを提出して理解度を誤魔化す学生は、自らに適切な教育を受ける機会を放棄しているのだから、勝手にしておけばよいのだ。評価については教育の後で利用されるという問題はあるが、大体大学の講義の評価など恣意的で適当であって、そのような利用には不適切なものだ。


というわけで、解決方法は至って簡単である。レポート提出は任意にして、評価は全員Aなりなんなり適当にすればよい。

補足。本当の解決法。

…。前節は、実際のところ綺麗事だ。「学生が最高等教育を受けるために大学に通っている」というのは現実離れしたお題目だからだ。学生の現実の最大の目的は、最高等教育を受ける事ではなく、学歴を得る事だ。そして社会の側も、学生に求めている物は最高等教育の成果ではなく、単に頭脳の能力の目安としての学歴に過ぎない。しかし、この現実を踏まえた本当の解決法はある。大学が、入学後4年したら無条件で全学生を卒業させればよいのだ。あるいは4年待たなくても良いかも知れない。これで、学生の目的も社会の求める物も、両方満たされる。

再補足。大学生は「自分の頭で考えるべき」?

随分原理的なエントリになってしまったので、ベタな話を書いておく。ohnosakikoさんが嘆いているのは、学生が自分で考えない事だと思うけど、レポートコピペ問題をそこまで敷延するのって現実に即してないと思う。レポートコピペするのは、その学生が興味を持たなかったっていうのが圧倒的な理由であって、その学生も自分が興味を持ってる物については考えるでしょう。興味がない物まで何から何まで自分できっちり理解して考えてたら、考えてるだけで何も出来なくなってしまう。
いや、そうじゃなくて知的誠実さが足りないと嘆いてるのかも知れない。でも、大学生が知的であるべきってのも、現実には大学がエリートが行くところであった過去の話であって全入時代に即してるとは言えない。学生も社会も大学に求めてるのは上記の物ってのが実際の所。誰も彼も知的な生き方をしなくちゃならない謂われはないはず。身も蓋もない事を言えば、下手の考え休むに似たりとも昔から言う。エリートは今だってそんな取り締まりをしなくてもちゃんと考えてるはずだし。興味を持った物を考える、じゃ、駄目だろうか。

おまけ

気が付いたら、弾さんも同じような事を書いていた。でも

「いくらでもコピペして下さい。コピペかどうかはこちらでは一切吟味しません。あくまで内容だけを採点の対象とします。社会に出てからのコピペレポート発覚のダメージは単位を落とす比ではありませんが、そういう社会人になったとしても当方は一切の責任を負いません。社会人になってから仕事で破滅したい人は、どうぞコピペしてください」とした方が利くのではないか。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51175435.html

ってのは、コピペ学生に効くとは思えないなぁ。っていうか、大学がそんな責任取ってくれる訳がないのはさすがに当たり前かと。