けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 ブログという凶器

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20061227/1167171705で、書きかけたこと。

私のことを「finalventを嫌っている人間」と思っている読者も多いであろう。それは、ある角度からは正しく、ある角度からは正しくない。単純に、私がfinalventを感じることが可能なのは、モニター越しの文字のみであり、彼の「体温」を知らないから、好悪が判断できるわけがない。・・・というのは、もっともらしく聞こえる逃げ口上。

私が、判断するのは、エントリ。読物として面白いエントリ、心に刻まれる言葉を発するエントリ、ナニかを調べたくなるエントリ。決してブログの書き手自体を評価したり、心酔したりしない。というか、自分で戒めている。なぜなら、ブログの書き手に心酔することにより、そのブログの書き手に取り込まれるという恐怖感があるからだ。

困ったことに、この恐怖感は、作家に対しても持っている。そして、裸を晒して語るならば、現実世界における人間関係においてすら。後者について、何か契機があったのか考えたことはあるが、特に思い浮かばなかった。しかし、実際にそうであることは事実であり、現在、考えているのは、とても悲しい人間だなということ。早々に変える事は出来ないだろうが、少しずつ改めて行きたいと思っている。

さて、話を戻して、ブログ世界。書の世界とは、仮想空間からの情報発信ということでは同じ位相に位置づけられる。しかし、ブログの恐怖というのは、ブログの書き手個々人から、日々(に近く)発信されるということである。その点で、作家と異なる。これは、恐い。

従って、私はエントリ至上主義者である。卑近な例を挙げると、「BigBang」「絵文録ことのは」「黒崎夜話」も同じに考えている。私における距離感として。好きなエントリ、興味あるエントリもあれば、関心が無いエントリも存在する。そして、ブログの書き手に心酔することはない、と思う。

さて、グルリと振り出しに戻ってfinalvent氏について。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/12/post_3053.html

このエントリは、好きだ。読めば判るように、私が、ここまで、グルグルと書いていたことと矛盾する内容も含んでいる。ただし、次の一節、

一つは、人の脳というのは、どうやら出力的にできているらしいということ。書いて表現する・出力することで知識が組織化されるようだ。書いてみることで自分が何を考えているのかがはっきりする。

物を書くには、ブログに書いたり、本に書いたり、あるいはノートに書いたり、様々な「場所」がある。しかし、書くという行為は、あくまでも自分のためだと私は考えている。

以上、誰かに遠くから声をかけているわけではなく、私自身のために書いた。