けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 京極堂シリーズ・キャラクタ紹介

読み流していて気が付かなかったが、トリル氏も面白いキャラだな。

# トリル 『あ〜う〜。IP晒すとか言うぐらいなら、よろしければ明日夜以降にナミさんのブログの方に無難にカキコ訪問しますけど、それでナミさんの方で記録を取ってもらえれば良いのではないでしょうか?・・・
ナミさんの専門分野について特に話すことも思い付かないんですけど、時々見に行ってはいますよ。専門的過ぎて自分がボケ=ツッコミなんて思いもよらないんですけど。
私が此処で横レスを入れたのは、「けろやん。すきすき」とティーンエイジャーみたくはしゃいでいたナミさんの心境の変わりようが、又けろやんの狼狽え振りが、自分のロマンチズムには悲しかったからです。』 (2007/01/21 23:00)

京極堂シリーズで言えば、鳥口守彦辺りの役柄が相応しいかも。

■京極堂シリーズ(wikipedia)

 離別、あるいは自覚について 

悲しい。私は、ブログ世界の片隅で、ひっそりと言葉を紡ぎだす、世捨て人のような生活を送っている。それなのに、いきなり後ろからボコンと頭をぶん殴られたりする。私は、ハードボイルド小説の探偵ではない。世捨て人なのである。ロスや新宿、あるいは六本木を闊歩する探偵ではないのだ。

私は殴られる。id:noon75に、あるいはid:nami-aに。それらは、いずれもが唐突に、である。殴られるタイミングも同じである。私が、彼、彼女らのブログに面白みを失い、全く読まなくなって久しき時、いきなり殴られる。私は、悲しい。

両者の共通項は、無意識のコンプレックスであったり、それに屈してはならないという力の入りすぎた「強がり」であることは、両者の文章を読めば見えてくる。*1磨き上げられたガラスの器に例えると分り易い。

さて、両者のより具体的な共通点は、id:finalventの秘蔵っ子であること。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061021/1161391208

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061022/1161472179

finalventは、「ブログテロリスト」とも言うべきものをブログ世界に送り出す、悪の権化なのではないか。いや、冗談ではなく、私は、真剣に考えているのだ。ブログ世界には、「finalvent病」という病が蔓延していると思う時もある。氏曰く「小さな声」ではあるが、時事問題を詳細に分析し、あるいは、

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070121/1169335602

信じるなよ。ったく。

と、小気味良く切り捨てる。この「詳細」と「切捨て」のギャップに読者は感じ入るのだろう。

切り捨てることは簡単だ。現実世界における事象、全てを吟味し、自らとの共有化を希求し、意味づける行為は徒労である、というより、言うまでも無く実現不可能なことである。しかし、私には、finalventの読者層の多くが、彼が小気味良く切り捨てる姿を見て、その言論手法に憧れ、心酔しているように思えて仕方が無い。「信じるなよ。ったく。」という言葉。これは、一例に過ぎないが、極めて現代的な在り方であると思う。

捨象すべきことは捨象する。これは当然の思考形態である。しかし、思考に留めておくべき事象について、「ことのは」として発すること。この事象に対する態度が、すなわち極めて現代的であると考えた理由である。

私は、そのような無邪気な無責任を嫌悪する。無邪気は、人を魅了すると同時に、人を傷つけることである。例えば、敵意を感じる相手に対して、対峙することは容易い。しかし、邪気の無い相手(言論と言い換えても良い)に対峙することは、、、想像してもらいたい。

私は、このような言論姿勢というものが、ブログというツールの発達に伴い蔓延しているように思えて仕方が無い。考察すべきことを考察する。これが、本来の言論、というよりも人間としての在り方であると私は考える。私は、このことを忘れた時、堕落し、奈落の底で足掻きながら、あえぐ気力すらをも失っていく自らの姿を自覚している。

付記1

以上をもって、id:nami-aに今後、触れることは無い。すなわち、

# kerodon 『(略)
−−−−−−−
私は、あなたとは、金輪際関わりあいたくありません。従って、次の2点を要求します。

1.
『以前、ネットに出してない個人情報が中傷の書き込みと共にネットに流出したことがあり、警察にネットストーカー被害届を出しました。その犯人とあなたが近しい関係であると判断したので』
という、あなたの発言について。あなたが謝罪の言葉を述べてください。納得していようがしていまいが、あなたの判断をこのブログ上に記載した事実は残っています。方法は問いません。私が読んだ時点で、本エントリを削除します。
2.
金輪際、私のブログに近づくないこと。私もあなたのブログに近づかない。この2.は、あなたの要求1.と共有できると思いますが。なお、匿名掲示板において、私はあなたについて言及しない。』 (2007/01/22 14:05)

という私の要求に、あなたが答えた下記のコメント。

nami-a 『>あなたには、これ以上、関わりあいたくない。
基本的な認識は一致しましたので、具体的な方法に移りたいと思います。
1.の謝罪要求について
>以前、ネットに出してない個人情報が中傷の書き込みと共にネットに流出したことがあり、警察にネットストーカー被害届を出しました。その犯人とあなたが近しい関係であると判断したので
上記の書き込みは、事実に基づく客観的な判断ではなく、エントリー削除及びコメント削除を要求する理由として不適当であった事を認め、謝罪いたします。
2.の係わらないという要求について
>金輪際、私のブログに近づくないこと
了解しました。
アンテナ、RSS、ブックマーク、お気に入り等の常時巡回サイトに、このダイアリー及びブックマークを登録しない。
自分のブログやコメント、匿名掲示板においても言及しない。
以上の事を約束します。』 (2007/01/22 17:20)

このコメントを有効と認めます。

なお、繰り返しになりますが、今までのやり取りについて、及び2ちゃんねる上のログについても、ローカルデスクに保存しておきます。また、必要があるときには、第三者でありますが法定代理人に渡して、措置を講ずること、ご了承ください。

以上。

参考:http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070122/1169476534

付記2

野暮天だが、I氏あるいはY氏と私の言論姿勢、及び辿ることの出来る経歴等を消化咀嚼して考えれば、別人であることは自明の理。いずれにせよ、上記コメントで約したことの履行を「金輪際」履行しろ。以上。

*1:最近の両者は知らないが、人間はそうそう変われるものではない。

 「殻」

最近思うことがある。例えば、主体と客体を入れ替えて考えると、理解に繋がるのではないかと。あるいは、何かを深く頑なまでに、信じこみ生きていくのも、また幸せなことではないのかと。人はそれぞれであり、理解の形、幸せの形もそれぞれである。

しかし、私はそういう考え方、および生き方を好まない。

私は、現象を現象として、把捉、知覚し、あるがままの現象を考えて行きたい。そして、頑なまで信じこみ、自らがその「殻」の中で、頑なに生きていくのではなく、「殻」を破り、私自身として生きていく。

 涙を拭いて・・・

私は悲しい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070123-00000119-jij-soci

じゃなくて、

http://d.hatena.ne.jp/psycho78/20070123/p5

このように「それが連邦軍とかいう塊」と述べる人が悲しい。何故、そのような乱暴な言葉を発することができるのだろうか?彼の人の彷徨える塊、じゃなくて魂が、清らかならむことを欲する。私は、悲しい。

さて、涙を拭いて語ろう。

(´・ω・`)<ことのは実況中継

■退院日時を巡る話

■サイコ氏=松永氏一体説の脱再構築

■見えない敵とどう対応するかについて

■松永さんとBigBangさんが直接対話する可否

■社会原理主義、あるいは社会至上主義について

■物語の執筆を断念されたことへの批判、あるいは諦念

この辺りが、現在の論点かと思います。以上は、茶化しているわけではなく、私としての整理。
(追記、1月24日、7:19頃)

■政党懇談会に、松永氏が当時の属性で参加したことへの批判。