けろやん。メモ このページをアンテナに追加

2007年06月02日(土)

[] 矢作俊彦「ららら科學の子」

ららら科學の子 (文春文庫)

ららら科學の子 (文春文庫)

一冊の書物の発するメッセージは、読み手の数だけ存在するし、ましてや物語なら言わずもがなのこと。ということで、反論とかではなくて、自分のためのメモということで、他の人が書物(物語)に感じたことに関する、私の感想。

http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070522/1179791806

で、倫敦橋さんは、「少年」という言葉についての違和感を書いている。

「青年」でもなく「少年」という言葉が選ばれているあたりに、若干の違和感。

女と寝たことがないから「少年」だったのかな?

この物語で、彼が「少年」であるというのは、大きなキーワードだと思う。彼は、地下に潜伏⇒中国へ⇒日本「入国」という遍歴を辿り、物語は、「入国」した日本を中心にして展開される。そして、物語の最後は・・・。

私が考える彼が「少年」として描写された理由。上記、倫敦橋さんが記している

「少年」の政治観・正義感しか、主人公は持っていないようだ。

ことに同感。物語を通じて、主人公は「少年」のままの姿であるように感じる。

私は、彼が「少年」から青年へと羽ばたくのは、30年ぶりの東京を舞台にした本編ではなく、物語の最後の最後なのだと思う。そして、それが、この物語の肝なのではないかな?

例えば、彼を支える「スポンサー」は、最後まで姿を見せない*1。主人公と交わす会話は、電話を通じてのみである。このスポンサー。存在は大きいのだが、そしてその大きさから対比される存在感の希薄は、主人公の彼にとって30年ぶりの東京も「青年未満の場」に過ぎなかったことの暗示に思われる。

物語が終わり、主人公が青年になったとき、彼は地に足を着けた生活する人間になるのだろう、と私は余韻に浸った。

付記

同書を読んだのは、昨年の冬頃。

*1:主人公の妹は、後姿だけが描写されていたかな?