名コラムだと思う。中原中也の詩は、あまり好きではないが、引用されることによって、輝きを増したのではないかな?
このコラムが主張したいのは、村上被告に対して述べる
だが自分の手で宝を埋め込んでいたのでは、価値を掘り出す自称「プロ」の名が泣こう。ボタンや石を大事に思う心とは程遠い。
という箇所であろうが、それを素晴らしい節で、「挟みこんだ」ことが見事だと思う。
(略)村上世彰被告には、山林に分け入りタケノコや山菜を見つける趣味がある。市場が見過ごす企業価値にいち早く気づき、投資家の先頭に立つファンド本来の役割にも通じる。
で、村上被告の行為を筆致を抑制しながら、山林に分け入ることになぞらえ、
アームストロング氏は(略)おそらく自分だけの本物を家に大切に置いているのではないか。中原中也は詩をこう結んでいる。「月夜の晩に拾つたボタンは、どうしてそれが捨てられようか?」
で、結ぶ。
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先日の戦で亡くなってしまった(ドラマ「風林火山」の話ね)板垣がかつて吟じた歌を思い出した。
飽かなくも なほ木のもとの 夕映えに
月影やどせ 花も色そふ