けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 パチンコ考察

finalventの日記」に、ブログが読まれんなあ・・・、みたいな呟きが書いてあるのを目撃したのだけど、探してみたら見つからない。引用して、オチョクってやろう!と思っていたのだけれども残念。

なので、引用元の正否、スタンス等はわからないけれども*1、ちょっと怖い話を引用・展開してみましょう。>>

< ビンボーの 原因は パチンコ >

我が国でパチンコや競馬などのギャンブル市場を支えてきた客層は「 借金して博奕狂い 」 が常識だったからである。
(中略)
パチンコが “ 面倒な博奕 ” である本質は、勝つまでに費やされる所要時間と継続性。まるで刻苦勉励の工場作業員を思わせるではないか。宝くじ・競馬・競艇などのギャンブルは勝負が決定するまでの途中過程に、他の仕事をこなす余裕が存在する。パチンコは長時間の? 専業 ?が要求され、国民経済における労働生産性を阻害すること甚だしい。

パチンコは、カネの問題だけではなく、時間の問題もあるわけですね。パチプロさんたちが留意していることは、勝ち金を二の次として、いかに時間を少なくするか、という点であるとも言われています。

また厄介なのは、「カネが増えたら嬉しいけれども、それよりもパチンコをジャラジャラ打つのが楽しくてね」という一種達観した気分。私も、その域に至りました。大当たりを出すのは嫌いじゃないけれども、「熱いリーチからサクット当たれよ!」とうなってしまう心境。あるいは、よく分からない大当たりに遭遇して、大当たりミュージックが鳴り響く中で、首を傾げてしまう変人化。

こうなってしまうと、カネが唯一の現実世界の縁なのに、心の中でカネは遊離してしまっている。もちろん負けると悔しいのだけれども、その悔しさもひと時のものとなり、現実感覚が麻痺していく。

と、まあパチンコって怖いッス。

*1:知らないうちにローカルドライブの「読み物」フォルダに格納されていたのを発見した。

 人が入った本になってるかな?

読み始めた。

白夜行 (集英社文庫)

白夜行 (集英社文庫)

調べていないけれども、東野圭吾本格ミステリ作家から、ベストセルラーに転換したモニュメンタルな作品(だったかな?)。数日前から、東野の「本格ミステリ」を十何年ぶりかに再読していたのだけれども、とにかくメタに流れない、すなわち読者のみならず、登場人物をもだますトリックに目が眩んでしまっていた。

たしかに本格ミステリの本格は、そのトリックにあることが大前提であろうけれども、今日の読者、すなわち十何年ぶりに再読する私も含めた読者にとっては、どうにも見ていられない欠落がある。すなわち人物造形。

数冊読み返したところで、私は思った。意図的に人物を作らないようにしているのではあるまいか?と。新本格ミステリの後発世代(たしか)である東野は、当時、綾辻行人「十角館」等に対して行われた「本格ミステリに人の心はいらないのか?」という痛罵に挑戦するが如く、「人」のないミステリを作り上げたのではないか?

・・・調べないで書くと、すっげえ読みにくいな>自分

さて、本題。

本格ミステリを「卒業」した東野圭吾が、人物を作っているのか?ということを検証するために上記の「百夜行」を読み始めたわけです。価格千円超、厚さ2.5センチの文庫本に「人」は作り上げられているのでしょうか!