けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 第九の乱舞2

六時起床。眠る前に、CDプレーヤーで第九を鳴らして眠り、四時頃目が覚めて、また第九を鳴らして眠り、な感じの睡眠。

いや、年末だから第九、というわけではなくて、

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20091207/1260182149

を契機に、クラシックづいている延長。

これは名盤だと思う。

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

1974年、録音。まだ若き小澤征爾。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、設立にカラヤンが絡んだフィルハーモニア管弦楽団の当時の新名称(今はフィルハーモニア管弦楽団に戻っている)。

管楽器はもちろんのこと、弦の音がやけに鮮明に聴こえる。

 感受と甘受

本の販売2兆円割れ 170誌休刊・書籍少ないヒット作

新刊の刊行点数は89年の約3万8千点に比べて、昨年は約7万6千点と倍増、今年は10月末時点で昨年より3.2%増えているが、販売金額の減少は止まらなかった。出版社は少しでも売り上げを増やそうと刊行点数を増やしているが、売れない本は書店が次々と返品している実態が背景にある。08年の返品率は40.1%で、今年10月末の時点では40.7%とさらに悪化している。
(太字化は引用者)

さて、これをどう考えるか?本の世界に氷河期が訪れ、巨大な恐竜は崩れ落ちかけているのだろうか?ということは、声の大きなブロガーたちに任せて。

最近、気になることがある。ソフトカバーの書籍の値段が上がっているようなんだ。先日、紹介した「武家屋敷の殺人」は、ソフトカバー・ノベルズで1100円。「荒野のホームズ、西へ行く」は、ハヤカワ・ポケミスで、1400円!

いずれも、それほど分厚い、所謂「レンガ本」、ではない。そして、両者とも売れ筋(講談社ノベルズ、ポケミス)から出版されている。この傾向が一般的であるならば、推定販売金額の推移にも寄与しているのではないか?

すなわち、ネットでみると、グロスでみた販売金額以上にその凋落は大きいのではないかな?すなわち、新刊の売上点数だけではなく、書籍全体の売上点数は、もっと悲惨なことになっていると思うな。

新刊点数の増加。これ、はっきりいって読者の側から見るとメリットより、デメリットが非常に大きい。バカなビジネス本が、山のように積まれている中で、良質なビジネス本が埋もれていたりして。

まあ、選択肢が多様になったということでのメリットを感受して、デメリットを甘受するのが正解なんだろうね。

 アフィリエイト、始めました。

404 Blog Not Found_コメントをOpenID認証にしてみた

意外と話題になっていないというか、波風が吹き荒れていないというか。

−−−
さて、このブログ(けろやん。メモ)アフィリエイト始めました。本当は、アクセス解析のために有料オプションを申し込んだのだけれども、つい手が伸びてしまいまして。

そういうわけで、このブログでAmazon商品を購入すると、私にお小遣いが入ってしまいます、多分。正直、「パスワードが違います!」とか、「すでにこのメールアドレスで設定されています!」なんてなメッセージが、やたらと重い環境下で表示され、本当にアフィリエイト環境になったのか、わからないのですが。

あと、コメントも「承認制」にしました。これは、実装を確認しています。たかだか、一日に100名も訪れないブログで、偉そうに!とか、カラまないでくださいね。

 クレンペラーとカラヤン@フィルハーモニア管弦楽団

聴いている。

ベートーヴェン:交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番

1957年、録音。でも、音質が気にならないほどの録音状態。

メモ。

フィルハーモニア管弦楽団 - Wikipedia
カラヤンはフィルハーモニアを率いてヨーロッパ大陸ツアーも成功させ(1952年5月)、それは創立10年に満たない楽団の地位向上に貢献した。
(略)
フィルハーモニアとの良好な関係を構築したかに見えたカラヤンは、1955年にベルリン・フィルの首席指揮者に就任してしまい、その後期待されたカンテッリが1956年に悲劇的な航空事故で急死したことで、リーダー不在の危機が囁かれたが、レッグは大戦後ポジションに恵まれなかった観のあるオットー・クレンペラーをトップに据えることを決断、1959年にはクレンペラーは常任指揮者(後に終身)に就任し、そこから多くの名演奏、名録音を残す。
(太字化は引用者)

で、クレンペラーは、

オットー・クレンペラー - Wikipedia
1885年5月14日 - 1973年7月6日)はドイツ出身のユダヤ人(後にイスラエル国籍になった)指揮者。
(略)
1954年(69歳)からフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを開始したクレンペラーは、EMIから多くのレコードをリリース。これにより、忘れられていた彼の名は広く知れ渡り、巨匠として世界的な名声を得ることになる。
(略)
晩年は体の衰えが著しくなり、1972年1月に公開の演奏活動から引退を表明
(太字化は引用者)

カラヤンが、1908年生まれに対して、クレンペラーは1885年生まれ。

はてなキーワードも詩的に充実しているね。

はてなキーワード > オットー・クレンペラー