けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 動的に攻め入るコピペ文化の浄化不可能性について


STAP細胞絡みのワイドショーが火をつけて、脚光を浴びているコピペ文化ですが、ツイッターでも猛威をふるっているようです。
パクツイ「罪悪感、徐々にマヒ」 常習者に聞く
ああ、なんたる堕落文化の復権であろうか!は横に置いて、「パクツイ」というような言葉を作り出す文化は健在ですね。
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コピペ文化について考えてみましょう。コピペといえば2ちゃんねるのコピペが有名ですね。スレッドを崩壊せしめる大容量投下物としてもコピペは使われます。弾薬庫です。
【石田?】ネカマ先生おっかけ隊【松涛?】
ここの格納されたレスを改変してスレッドに投下すると、スレッドを守ろう!とする側の視聴者もついつい読み逝ってしまい、知らないうちにスレッドがdat落ちしちゃったりすることもあります(あまりありませんが)。とにかく大容量のレスの宝庫です。
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さて。コピペ文化というものは静的なものであると私は思っています。静的。すなわち過去にあった「言葉」をペーストする。そして、その領域はあくまでも過去であり、ほぼ完結に至っている。しかし、ツイッターというリアルタイムに言葉が垂れ流されていくツールが媒介に至ると、コピペは現在進行形、すなわち動的になる。これは大変危険なことだと思う。流言飛語になりかねない。曲解された言葉が人を離れて歩きだしてしまう。事件はリアルタイムに進行しているんだ@現場。・・・ということはまったく考えていません。
だって、コピペツールが存在してしまった以上、コピペサイドの浄化は不可能だから。したがってコピペがあるがものと捉えて、自らで惑わされることがないように注意していくことが大切だと思っている。コピペ世界で生存するための受動者の学びだね。

ちなみに、上記に掲げたスレッド。文体を似せて本尊2ちゃんねるに「我こそは石田なり!」って騙り書く人もいる。それを読んだみんなが、「中身がだめ、リズムがちがう、ただハンカクで書けばいいってものではない」という風に品評される。私もダメ出しされた。
コピペってそういう風に軽く考えるべきものじゃないかな?もはや深く考える事態じゃなくなったって思う。
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真面目に終わっちゃつまらないね。石田コピペの創作者は、作家の石丸元章という説が「2チャンネル」上でまことしやかに語られています。